いざよい堂書店の十二ヶ月

中靍 水雲

雪ふる森のお客さま

 いざよい堂書店は、ぼくが働いている、本屋さんだ。

 緑いっぱいの森のなかに建つ、小さなお店。

 木材でシンプルに建てられたいざよい堂書店はいつも木と紙と、自然のかおりがする。

 春には桜のかおりがして、夏にはすいかのかおりがする。

 秋には栗と焼き芋のかおりがして、冬には雪と、薪ストーブあたたかいかおりがする。

 森のなかは、上下右左、どこを見ても緑の葉でいろどられているけれど、このお店はどこを見ても、本だらけだ。

 木が集まって森なのだとすれば、本が集まれば本屋かな。あるいは、図書館。

 森の木たちそっくりに、本棚は天井高くそびえ立ち、店の奥へとぼくをいざなう。

 本棚には、まだぼくが読んだことのない本ばかりで、目移り。

 永遠に広がる宇宙を見つめる気分で、ぼくは毎日、その光景にみとれてる。


 さむいさむい冬。いざよいの森に、今年二回目の雪が降った。

 いざよい堂書店は、朝七時に開店する。

 森の朝は早い。

 だから、なるべく森の目覚めとともに店を開けてあげたいって、店長のチェロさんがいう。

 チェロさんはトナカイのくせに寒がりだから、色んなセーターを持っている。

 今日はなんと気が早いのか、もうクリスマス柄のセーターを着ていた。

 ツノが引っかかるからって、ぼくはいつも着るのを手伝わされる。

 チェロさんは、二本足で立つトナカイだ。

 手も足も人間そっくり。

 でも、頭はトナカイ。

 頭にはりっぱなツノが生えてる。

 二本足のチェロさんは身長が二メートルくらいあって、ぼくのお父さんよりもノッポ。

 昔の絵本には、四本足だったころのトナカイが出てくるものもある。

 サンタクロースのソリを引いていたころの時代だ。

 トナカイのクリスマス好きは、そのころからのなごりなのかな。

 昔は四本足だった動物たちも、すっかり二本足になっている。

 だから、絵本を読むとき、なんだかふしぎな気持ちになるんだ。

 歴史の教科書を読むときとは、また違うおだやかな気持ち。

 だからぼくは、絵本がすきなのかもしれない。

「しいらくん。本棚のチェック、いいですか。順番と向きをなおして、あと清掃もしっかりと」

 チェロさんは、几帳面で神経質。一ミリのホコリも許さない。

 ぼくは、掃除セットを準備して、本の森へと歩き出した。

 本は、太陽に弱い。

 ビーズが転がるような木漏れ日にも気をつけて、ぼくは一冊一冊ていねいに、本たちをチェックする。

 今日は、どんなお客さんが来るかな。


 いざよい堂書店には、小さなカフェスペースがある。

 花浅葱色のベルベット生地のチェスターフィールドソファは、チェロさんの趣味。

 ローテーブルに、淹れたての紅茶がかちゃりと置かれた。

「しいらくん、お疲れさま。休憩にしましょう」

 朝十時。森の目覚めとともに開店したいざよい堂書店には、まだお客さんはおとずれていない。

 多い日だと、一日に三人。

 少ない日はぜろ。

 森には、本をたくさん読むものもいれば、まったく読まないものもいる。

 チェロさんは、森一番の本好きはフクロウのホルン先生だというけれど、それでも店に来るのは一週間に一回ていど。

 一度に、山のように本を購入していく。

 森の通貨は季節の珍しいものであったり、食べ物だったり。

 昨日来店した、うさぎのピッコロさんは、大量のナズナをくれた。ぺんぺん草のこと。ぴりりと辛いところが、好きらしい。

 ナズナって、春の七草だから春に生えるものだと思っていたのだけれど、一月のこの季節から、生えているんだ。

 七草がゆにして食べると、おいしいんだって。

 セリ、ナズナ、ゴキョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。


「チェロさん。七草がゆって、いつでしたっけ」

「一月七日ですよ」

「先週だ。もう終わってるじゃないですか」

「ああ、先週はぼくが本の買いつけに行って、留守でしたもんね。しいらくん、一人で店番で、あわただしかったでしょう。よければ今日、ピッコロさんのナズナを使って、七草がゆにしましょうか」

 本棚のなかから、チェロさんが「おいしく食べる野草ごはん」という本をとった。

 チェロさんが作る料理はどれも絶品。

 でも、たいていは洋食が多い。和食はあまり使っているところを見たことがない。

「何か、お手伝いしますか?」

「しいらくん、気をつかってくれてるんですね。ありがとう。実をいうとおかゆというものを作るのは初めてなんです。きみにはおいしいものを食べてほしい。だから、ぼくは今から、真剣に七草がゆと向きあうことにします。悪いけれど、店番をよろしく」

 こうして、チェロさんが何かに夢中になって、突然ぼく一人でも留守番になることはままある。

 なので、慣れたものだ。

 少し冷めはじめた紅茶を飲んで、窓の外を見つめる。

 静かだ。

 こんな日は、来店ぜろな場合が多い。

 さみしいけれど、それもいい。

 のんびりと時間が過ぎていくのが好きだから。

 薪ストーブのあたたかさと、紅茶のかおりで、森の朝が過ぎていく。

「何か、読もうかな」

 立ち上がったとき、からんころんと店のベルが鳴った。

 不機嫌そうな顔に、肩まで伸びたミルク色の髪。

 男の子なのか、女の子なのかわからない中性的な子だ。

 牡丹色の瞳が、ぼくをじっとにらみつけてきた。

「あの」

 ぎくしゃくとしながらも、その子はぼくから視線を外そうとしない。

 よほど、伝えたいことがあるんだ。

 ぼくは急かさないように、じっくりと、その子の続きの言葉を待った。

「ちぇ、チェロ……は……?」

「チェロさん?」

 ぼくは、ぱっと顔をほころばせた。この子、チェロさんのお客さまなんだ。

「今は、奥にいます。呼んできますね」

「いや、いい」

「え……でも、用事があるんですよね」

「呼ばなくていいから」

「じゃあ、名前を伝えておきますよ」

「伝えなくていい」

「え、えっと」

 その子はちらりとそばの本棚へと、目をやった。

 恋愛小説のコーナーだ。

 迷いなく一冊の本を抜きとると、ぼくの前にさしだした。「片思いのミツバチたち」という恋愛小説だ。

「これ」

「ん?」

「買う」

 その子は本の上に、ころんと何かを置いた。

 水色の石、シーグラスだ。

 きらきらと光って、まるで海の光を集めたみたい。

 本の代金だ。

 この子、恋愛小説が好きなんだ。

 いざよいの森では、童話や詩、料理の本や絵本が人気だから、あまり恋愛小説は置いていない。

 久しぶりにその棚が動いたことに、ぼくは嬉しくなった。

 この子と、おしゃべりしてみたいな。

「ぼくも、恋愛小説好きなんです。この本、おすすめです」

「……あっ、そう」

「読み終わったら、ぜひ感想を聞かせてください。また、来てくれますよね。チェロさん、今度はカウンターにいると思うので……」

「さよなら」

 その子は冬の風のように、店を飛び出して行った。

 からんころん、というベルがさみしげに音を奏でる。

 ぼくの手のなかには、さらりとしたシーグラスが残った。

 冷たい空気を閉じこめた、海の色。

 あの子はこれをどこで拾ったんだろう。

 どうして、チェロさんに会わずに帰っちゃったのかな。

 一冊ぶんだけ空いた恋愛小説の棚を見つめた。

 補充しようとして、やめた。

 もう少しだけ、考えたかった。

 あの子と、あの本のことを。


 *


 いざよい堂書店の奥には、チェロさんの家がある。

 会計スペースの裏に扉があって、そこを開けると、小さなキッチンとテーブル。二階へと続く階段がある。

 二階には、チェロさんの部屋と客間。ぼくは客間に住まわせてもらっている。

 ぼくがいざよい堂書店で働きだしたのは、去年の冬。

 去年の冬と、今年の冬は同じようで、ちょっと違う。

 人間のお客さまがいざよい堂に来たのは、ぼくがここで働きはじめてから、はじめてのことだったから。

 あの子は、どうしていざよい堂に来たんだろう。

 チェロさんとは、友達なのかな。

 気になったら、止まらない。

 それなのにぼくは、だめだめだ。

 あの子の名前を聞けなかった。

 だから、チェロさんにどう説明していいのかわからず、いまだにあの子がいざよい堂に来たことをいえないままだった。

 あの子が来たのは、今日の朝。

 もう、昼過ぎなのに。

 怒られるかな、お客さまが来たことをいわなかったこと。

 どきどきする気持ちをおさえて、ぼくは二階への階段を登った。

 コンコン、とチェロさんの部屋をノックする。

 かちゃり、と扉が開けられて、チェロさんのつるりとしたりっぱなツノがのぞいた。

 遅れて、きりりとしたトナカイの精悍な顔つきが現れる。

「しいらくん。何かありましたか」

「あの、実は今日の朝、チェロさんの知りあいのかたがみえて」

「おや、不思議な顔をしていますね。信じたくないが、まるで、ぼくにおびえているような……これから、怒られることを覚悟しているような、そんな顔をしています」

「名前も聞き出せないまま、帰ってしまったんです。チェロさんに会いたそうだったのに、店を出て行ってしまったんです。お代に、これを置いて」

 ぼくは、チェロさんにシーグラスを渡した。

 大きな手のひらの上で、水色の石がきらきらと光っている。

 トナカイの黒真珠の瞳にそれを映すと、チェロさんはわずかに黙りこんだ。

「ああ、とりおくんですね」

「そういう名前だったんですか」

「ええ。しいらくんと同じ年頃だと思いますよ。十四歳。ぼくは今年で四十歳だから、きみたちに比べたら、だいぶおじさんだというのになあ」

 困ったように目を細めて笑う、チェロさん。

 どうして今、年齢の話になったのか、ぼくにはわからない。

 チェロさんの手のひらのシーグラスは、キッチンのペンダントライトの、オレンジのあかりにやわらかく照らされている。

 とりおくんの思いがこめられているであろう水色の石。

 冷たい色なのに、触るとあたたかい。

 とりおくんが残したぬくもりなのか、チェロさんの体温なのかは、わからない。

 シーグラスはなぜか、ぼくに渡された。

「これはぼくにはもったいないですから、しいらくんが持っていて」

 水色の石はぼくの宝物をいれる、クッキー缶に入れられた。

 小さなころから、森ですてきなものをひろったら、持って帰るくせがある。

 クッキー缶には、これまでの宝物がすべて入っている。

 どんぐり、まつぼっくり、きれいな装飾のボタン、金色のイチョウの葉っぱ。

 そのなかに入れられたシーグラスは、どうにも居心地がわるそうにしていた。

 自分の居場所はここではない、といいたげに。

 やっぱり、このシーグラスは、チェロさんのものなんだ。

 とりおくんは、チェロさんにこのシーグラスを渡すために恋愛小説を買ったんだ。

 でも、シーグラスはぼくのものになってしまった。

 そりゃあ、居心地がわるいよね。

 申し訳ないけれど、きみはぼくのものになってしまったんだよ。

「しいらくん。タルトを焼きましたから、午後の休憩をしませんか」

 チェロさんが、ぼくを一階へと連れて行く。

 さっきから甘いにおいがしていたのは、これだったんだ。

 りんごとレーズンの、フルーティなにおい。

 チェロさん得意の、りんごとレーズンのタルト。

 ぼくたちは店のほうへと降りていく。

 いざよい堂書店の小さなカフェスペースに、宝石のようなタルトが輝いている。

 花浅葱色のソファでは、チェロさんがケーキナイフを手に、ぼくを待っていた。

「しいらくん。どれくらい食べますか?」

「えっと、たくさん食べたいです」

「ふふ。きみは正直でとてもすばらしいな」

 チェロさんは、まんまるのタルトから九十度ぴったりに切り分けたタルトをぼくのお皿に乗せてくれた。

 ぱくりと口に運ぶと、幸せの味が広がる。

 チェロさんの作ったごはんやスイーツがあれば、もう何もいらないかもしれない、と思うほどに。

 そういえば、今夜は七草がゆなんだっけ。

 本いわく、年末年始に食べすぎたお腹を休めるために食べる、おかゆ。

 だったら、もう少しだけタルトを食べすぎてしまってもいいのかもしれない。

 ぼくの頭に、よくばりな考えが浮かぶ。

「しいらくん」

「ははは、はいっ」

 よくばりな考えを見透かされ、叱られるのかと思ったぼくは、あからさまに動揺してしまう。

 しかし、チェロさんはぼくを叱るときの表情をしていなかった。

 どこか遠くを見つめて、誰かを思っているような、心をどこかに向けている、そんな表情。

「とりおくんのことなんですけどね」

「あ、はい」

「もし、もしもまたこの店に彼が来たら、〝もう来ないように〟と伝言してほしいんです」

「え、どうして……」

 会わないんですか、といいかけて止めた。

 どう考えても、ぼくが知らないような事情があるに違いなかった。

 ぼくが口をはさむようなことじゃない。

 それでも、チェロさんととりおくんのあいだに何があったのか、気にならずにはいられなかった。


 *


 冬が、終わろうとしていた。コナラの木に小さな芽が出ている。

 そこから少し歩くと、フキノトウが生えていた。

 フクジュソウやカタクリの花が、白い雪を彩るように咲いている。

 雪には、小さな足あとがついていた。

 コナラの木の根元で、足あとは消えていた。ああ。リスの、誰かだ。

 とりおくんは、あれから一度もいざよい堂書店に来ていない。

 チェロさんは気にしていないようだけれど、ぼくはとりおくんのことが忘れられなかった。

 とりおくんがシーグラスをさしだしたときの顔が、ずっと頭のなかで浮かんでは消え、また浮かぶ。

 チェロさんに自分のことを「伝えなくていい」といったとき、とりおくんがその場にいたら、何を思っただろう。

 ぼくは、あの恋愛小説の内容を思い出していた。「片思いのミツバチたち」という本は、出てくる登場人物たち、すべてが誰かに片思いをしているお話だ。

 そして、それは実ることはない。

 それでも、登場人物たちはきらきらと輝いていている。

 泣いて、笑って、ときには恋よりも大切なものを見つけて、片思いを胸に秘めながらも、一歩前へと進んでいく。

 恋をすると、苦しくて切ないけれど、世界が美しく見える。

 ぼくは恋をしたことはないけれど、恋のお話を読むのはすきだ。

 とりおくんはどんな気持ちであのお話を読むだろう。

 またいざよい堂書店に来たときに、感想を聞こうと思っていたのだけれど。

「来てくれるかなあ」

 ぼくは持ってきていた籐のかごに、フキノトウやつくし、すみれの花を摘んでいく。

 フキノトウのつくしは、天ぷらに。すみれの花は、砂糖漬けにしてもらう。

 特に、つくしの天ぷらは、チェロさんの大好物だ。

 そうだ。すみれの砂糖漬け、貰ったら、しばらくのあいだ取っておこうかな。

 前にもらったときは、一ヶ月くらいはもつよ、っていわれたし。

 とりおくんが来たら、あげよう。

 これで少しは、いざよい堂書店が居心地のいい場所になればいいな。

 チェロさんとの関係はよくわからないけれど。

 でも、ぼくはとりおくんとなかよくなりたい。

 恋愛小説がすきなら、おすすめをもっと教えてあげたい。

 とりおくんには、なんだか親近感がわくんだ。

 ぼくはこの森に来て、まだ数年だから、いろいろ教わりたいな。


 すみれの砂糖漬けができあがった。

 チェロさんは、花柄のお菓子缶にそれをいっぱいいれてくれた。

「おや、前はすぐに食べてくれたのに、今日はいいんですか?」

 さみしそうにいうチェロさんに、ぼくは申し訳なさそうに「ぎりぎりまで、とっておきたいんです」と、いった。

 チェロさんは「そうですか」と、にこっと笑った。

 そりゃあ本当は、すぐにでも食べてしまいたい。

 でも、とりおくんとなかよくなりたいから、今回はがまんだ。

 とりおくん、また来てくれるかな。

「早く、来ないかなあ」


 *


 春のおとずれを感じつつも、まだまだ早朝の森は肌寒い。

 ぼくは息を白くしながら、マフラーを巻いた。

 薪ストーブの薪ひろいのため、帆布のコンテナバッグを肩にかけた。

 チェロさんがいるキッチンから、ベーコンを焼くにおいがする。

 ぼくは、冬の寒い朝がすきだ。

 からだにじんわりと染みこむあたたかさと、透き通った冷たい空気の心地よさを実感できるから。

 ぼくがしあわせだ、と思える瞬間だ。

 森の静かな地面のうえで、ぼくにひろわれるのを待っていた薪をバッグに入れながら、灰色の空を見あげる。

 今日は雪が、降るかもしれない。

 こういう日は、空気がきいん、としている。

 いつもより、よぶんに薪をひろっておいたほうがいいかもしれなあ。

 よし、もう少し歩こうかなと顔をあげたときだった。

 誰かが、三メートルほど離れたところに立って、こちらを見ている。

 あの子だ。

 肩まで伸びたミルク色の髪。

 男の子なのか、女の子なのかわからない、中性的な顔だち。

 牡丹色の瞳。

 ぼくは彼に近づいた。

「とりおくん。久しぶりだね」

「おれの名前、チェロさんに聞いたの?」

「う、うん。だめだった?」

「……気分は悪いよね」

 とりおくんはぶっきらぼうにして、ななめしたを見つめている。

 ぼくと、視線をあわそうとしない。

「チェロさんは?」

「店にいるよ。朝ごはんを使ってる」

「きみのぶんも?」

「それはそうだよ。ぼくも食べるから」

「チェロさんの作るごはんは、おいしいだろうね」

「うん、とってもおいしいよ。そうだ、これ」

 ぼくはとりおくんに、すみれの砂糖漬けを入れたふくろを差し出した。

 いつ、とりおくんに会うかわからないから、ふくろにうつして、持ち歩いていたんだ。

 よかった。今日会えて。

「きみにあげたくて……」

「どうして?」

「おいしくて、きれいだから」

 とりおくんは、すみれの砂糖漬けを受け取って、空に透かした。

 朝の太陽のまぶしさに、白い砂糖がちかちかと反射した。

 甘い雪をかぶったような、すみれの砂糖漬けは冬の春のさかいめのお菓子。

 とりおくんに似合う、夢みたいなお菓子だ。

 とりおくんのミルクみたいな髪をとろけるさせるような、まろやかな風が吹く。

「おれ、チェロさんがすきなんだ」

 まぶしそうに、とりおくんが顔をしかめている。

 苦しそうに、辛そうに、悲しそうに、空に浮かぶ太陽を見あげている。

 まぶしいなら、見なければいいのに。

「でも、チェロさんにこういわれたよ。〝自分とは何もかもが、違うきみとは、恋なんてできません〟ってさ」

 何もかも、って?

 年、性別、それともトナカイじゃないから?

 チェロさんは、そんなことは気にしないと思う。

 本当にすきになったなら、年も性別もトナカイも、関係なくすきになると思う。

 ぼくは、冷たい空気を吸って、吐き出すようにいった。

「すみれの花言葉を知ってる?」

 とりおくんの牡丹色の瞳には、涙がたまっていた。

 ゆっくりと首をふるとりおくんに、ぼくはいった。

「小さな愛、小さな幸せ」

 春の芽吹きを祈るように。

「ねえ、すみれの砂糖漬け、今……食べてもいいかな」

「うん」

 甘い砂糖とすみれの香りが、これからはじまろうとしている、芽吹きの季節の感じさせた。

 いざよいの森に春が来る。

「この小説、読んだよ」

 とりおくんが、「片思いのミツバチたち」をぼくに見せた。

 蜂蜜色の表紙に若葉色のフォントで書かれたタイトル。

 とりおくんの、雪のような指が、蜂蜜色に映えている。

「つまらないと思った」

「お話が?」

「みんながみんな、片思いで誰もむすばれない話なんて、ありえない」

「気に入らなかったかな」

「うん。両思いになる話が読みたい」

「それじゃあ、行こうよ。いざよい堂に」

 とりおくんがゆるり、と首をふる。

「行けない」

 辛そうに、苦しそうにいう、とりおくん。

 ふわりと、口に放りこまれたすみれの砂糖漬けが、しゃり、と食まれる。

 とりおくんは、ぼくにシーグラスを差し出した。

 あのときよりも、大きい。

 何かのかたちに似ていた。

 ああ、いざよい堂書店のベルのかたちだ。

「面白い恋愛小説を予約するよ。探しておいて」

「むずかしいこと、いうなあ」

「よろしく」

 とりおくんは、そういって手をひらひらとさせながら、行ってしまった。

 次に会う約束ができてしまった。

 ぼくはうれしくなって、両手をあげて、ばんざいをする。

 うれしい。とりおくんと、なかよくなれそうだ。

 チェロさんに、なんていおう。

 チェロさんはとりおくんと、あまりいい関係ではなさそうだったけれど、このくらいの報告はいいよね。

 だって、もうすぐこの森には、春が来る。

 あたたかい季節になれば、チェロさんととりおくんの仲も、少しはよくなるんじゃないかな。

 遠くで、鳥の鳴き声がする。

 何の鳥なのかは、まだぼくにはわからない。

 これからも、ぼくはこのいざよいの森の、いざよい堂書店で、生きていく。

 だから、鳥の名前は、これから知っていけばいいんだ。

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