第9話 やっぱり経験者の言葉は違うね!

 しかし、隣にいる彼女は違った。


「はい!」


 俺も叔母さんも、彼女を見たまま口を開けて固まってしまった。


「あ、あんた……今までの話、聞いとったんか?」


「勿論です。私と彼なら大丈夫です!」


「……根拠はなんや?」


「勘です!」


 何とも堂々とした笑顔だ。絶対に大丈夫! と信じて疑っていないようだ。

 叔母は部長の目をじっと見つめ、部長も叔母の目を見つめ返す。


 たった六畳ほどの小さな部屋に張り詰めた空気が充満し、息を吸うことすら忘れ、背中から冷や汗が滴り落ちる。


「はぁ……。アンタの目は売れていった芸人とそっくりや。腹の底から信じて疑っとらん」


 風船が割れたようにピリピリとした緊張感が霧散し、俺は肺に残った空気を全て吐き出した。


「アドバイスが欲しかったんやったな。ウチが知っとる事やったら、何でも教えたる」


「ありがとうございます!」


「ありがとう。まずは、彼女の事なんだけど……」


「ふむ。夏音ちゃんは、よお本番で噛んだりネタを忘れるんちゃうか?」


「な、何で分かったんですか!?」


「ウチも一番初めの頃は、そうやったからな」


 叔母さんにも、そんな時期があったのか。初耳だった。


「どうやったら、緊張しなくなったんですか?」


「それはな……」


「それは……?」


「……(ゴクッ)」


「一回で良いから、やらかした場所で成功することや」


 まともな答えだった。てっきり、ウチにも分からん! とか言ってくるかと思ってたんだが。


「冬馬から聞いたで。老人ホームでむっちゃスベったんやろ?」


「はい……」


「なら、そこで会場沸かせるくらい成功するしかない。夏音ちゃんに必要なのは、緊張緩和法でもリラックス効果のアロマでもあらへん。自信や。漫才師としての自信がつけば、自然と噛んだり忘れたりすることも無くなるわ。ウチの実体験やから、効果は保証するで!」


 なるほど、自信か。その考えはなかった。


「今度そこで、もう一回やることになったんです!」


「ホンマか! なら、丁度えぇやん。そこで、沸かせたれ!」


「はい!」


 そこにタイミングよく、母さんがおやつのドーナツを持ってきてくれた。


「お邪魔だったかしら? 沢子ちゃんの大好きなドーナツ買ってきたのだけれど」


「あの商店街のドーナツ!? お義姉ちゃん、ホンマありがとう!」


「ありがとうございます! 頂きます!」


 それから、一旦休憩する事になり、三人で学校のことや大阪でのことなどをワイワイ話した。


「さて、漫才の話に戻るかね。二人とも、その老人ホームでやったネタは今ここでも出来るか?」


「はい」


「うん」


「ほなら、ちょっと見せてくれへん? ここにスタンドマイクがあると思って、入ってくるところから」


「わかりました!」


 俺たちは部屋を出て、あの時と同じようにネタを披露した。


「なるほどなぁ……。これに、夏音ちゃんが噛み噛みやったら、そりゃあウケへんわな」


 俺たちがネタをやっている間、叔母さんの顔はコンテストの審査員のように真剣な顔で、クスリとも笑わなかった。


 それにしても、そんなにネタとして面白くなかったのか……


「まず、立ち位置からおかしいねん。何で二人はそんな離れとるんや?」


「それは、えっと……」


 近くに立つと、部長のいい香りがしてドキドキするから……だなんて口が裂けても言えない。完全に不審者のセリフだ。


「もっとくっ付かんかい。……あと二歩近づいて。冬馬ぁ! 何で上半身だけ離れるんや! 体ん中に磁石でも入っとるんか!」


 心臓の音を部長に聞かれてないか心配で、変な汗が噴き出てきた。


「二人とも顔真っ赤にして……。そんなんで漫才できるかいな! 特に冬馬! 

そんな顔真っ赤にしとったら、童貞臭いで!」


「なっ、何言ってんだよ!」


「事実を言っただけや。本気でやりたいんなら、羞恥心は捨てや。照れてもあかん。漫才じゃ一番要らんもんやからな」


 叔母さんの声のトーンで、ふざけて言っている訳では無いと察する。

 でも前半は絶対ふざけてただろ……


「あっ、そうそう。冬馬はツッコミやったな」


「うん」


「それなら、立ち位置は逆やで。ツッコミは観客から見て右、ボケは左や。それと、冬馬は気持ち半歩マイクに近づきや」


 叔母さんに言われた通りにするが、何故右とか左って決まってんだ?


「それがオーソドックスってだけや。違和感あったら、変えてもええで」


「いえ、このままでやります!」


「うむ。それから、ネタ書いとるんは夏音ちゃんか?」


「いえ、彼が」


「なら、冬馬。何でこのネタにしたんや?」


 何で? 面白いからだが……


「そもそも、このレベルのネタなら大阪の小学生でも書けるわ。どこでやるか分かっとるんやったら、そこでウケるネタを書かなあかん」


 そこでウケるネタ?

 面白ければ、どこでもウケるのでは?


「何か言いたそうな顔やな。ウチが言いたいのは、老人ホームっていう特殊な場所やったら、そこの人たちにしか分からないネタの方がウケやすいってことや」


「……どういうことだ?」


「えっと、つまり老人ホームとか筋トレジムとか、そこにいる人達が何かの集まりの場合、あるあるネタとかの方がウケやすいって事です」


 そう、寿寿寿にいる人達はご高齢な方が殆ど。あとは、介護士の方々。

 それなら、あの人達しか分からないネタの方が良いに決まっている。

 何でそこに気が付かなかったんだ……


「ここまで言ったら、あとは一人で出来るな?」


「うん」


「よし、あとは小技の話になるけど、動きや表情は自分が思うてるより大袈裟にしてみ」


 大袈裟に、とは?


「ウチが思うに、お客さんは話の内容五、六割であとは二人の動きとか顔を見て笑うとる。同じネタで、声のトーンとか大きさは同じでも顔や体の動きが無いだけで全く笑ってくれへん」


 確かにテレビでよく見る漫才師のネタで、二人とも直立不動で真顔なら全く面白くない。


「あとは——」


 叔母さんは冗談を交えつつ、真剣に意見をぶつけてくれて非常に有難かった。

 結局、ひと段落する頃にはカーテンが橙色に染まっており、あまり遅くなるといけないからとお開きとなった。


「沢子さんは、私が想像していた通り凄い人だったな」


 駅までの帰り道、部長がそう呟いた。


「そうですね、俺もあんなに具体的なアドバイスをくれるとは思いませんでした」


「漫才って奥が深いんだな……」


「ですね」

「今日はありがとう。楽しかった」


 部長は、満面の笑みでそう言った。心から楽しんでくれたようだ。


「沢子さんに教えてもらった事を、家に帰って実践してみる」


「次は、笹塚さんにまた来てくれ! って言われるくらい成功しましょうね」


「あぁ! ただ……」


「ただ?」


「あの人は芸人になるべき人だと思う」


 彼女の言葉を聞いたら、叔母さんなら舞い上がってしまうに違いない。


「あんなにお笑いを愛している人は、もう一度表舞台に立つべきだと思う。勿論、諦めたと仰っていたからどうなるか分からないが、私は沢子さんの漫才を見てみたい」


「俺もです。叔母さんをテレビで見てみたい……流石に本人には言えませんけどね。ハハッ」


 また、かっこいい叔母さんをこの目で見たい。

 それに、俺も部長の言う通り、叔母さんは漫才をやるべきだと思った。

 あんな懐かしそうな顔をされたら、余計に……


「今日はありがとう。ネタが出来たら送ってくれ。家で練習するから」


「分かりました。出来るだけ早く送れるようにしますね」


 部長を見送り家に帰ると、叔母さんに呼ばれた。

 タバコの煙が充満している部屋に入ると、「まぁ、座りや」と言ってきた。

 何も怒られるような事はしていないはずだが……


「ええか、あの子を手放したらあかんで」


「急にどうしたの?」


「ずっと秘密にしとったけど、ウチの相方な元カレやねん。漫才やってた時、付き合うて解散と共に別れたわ。他の芸人を何人も見てきたから分かんねん。あの子はめっちゃええ子や」


「うん」


「あんなキラキラした目で即答できる人間は中々おらへん。そんだけ、アンタの才能なり人となりに惚れ込んどるってことや。あんな理想の相方できて幸せモンやな」


「うん、ホントそう思うよ」


 部長との出会いや、初めての漫才で挫折している時に彼女の前向きな姿に救われた事を話すと、叔母さんは一言「気張りや」と笑顔で言ってくれた。


 そこに、ドアが開き、エプロン姿の母さんが顔を出す。


「二人とも、ご飯できたわよ」

 母さんの声は、何故か嬉しそうだった。

 何かいい事でもあったのだろうか?

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