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そうざ

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 暗記こそが個人情報の最も安全な秘密保持の方法と聞いている僕は、何のメモも見ずに淡々と粛々と機械的に13桁の番号をタッチパネルに入力した。

 以前は、10桁目が思い出せないとか、7桁目と8桁目を入れ間違えるとか、詰まらないミスをしていたが、今はもう寝言でもそらんじる事が出来る。

 入力値が中央電脳局の登録値と一致したようで、パネルが次画面に変わった。

『次は、専用パスワードと暗証番号を入力して下さいね』

 僕はこの音声ガイドが好きだ。豊かにかぐわしく、まろやかにほろ苦く、仄かに甘酸っぱく、まるで上質の珈琲のように一日の始まりに最適な声音こわねを提供してくれる。

 英数字記号混じりの24桁と、パンジャーブ語とスンダ語とイロカノ語とを組み合わせた36桁の文字列を、ブラインドタッチで入力。

『良く出来ましたぁ。次は、パネル上に表示された赤枠内に右手の親指から順に指を押し当てて下さ~い』

 この辺りまで来ると、音声ガイドの口調も砕けて来る。意思の疎通が出来ている事が判って嬉しい。

 十本分の指紋が次々と照合されて行く。近い内に足の指も照合出来るよう、更なる改善が施されるという噂がある。そうなると、冬場は靴下を脱ぐ作業を考慮しなくてはならないから、幾らか時間を要しそうだが、セキュリティーの高度化は大歓迎だ。

『バッチリです! 続けて行っちゃいましょ~っ』

 音声ガイドの気分が益々ノッて来たようで、設備が始動する低い音が聞こえた。この人は信用出来る、この人ならば最後までくじけずにやり遂げられる、と太鼓判を押された心持ちになり、僕の承認欲求は益々満たされた。

 筆跡、声紋、光彩、DNA配列とチェック事項を滞りなくクリアして行く。ゲーム感覚も手伝って愉しさしか感じない。

 世の中は煩雑化、猥雑化の一途を辿っているようだが、ハイテクノロジーの進歩が平和で安全な暮らしを保障してくれているから、身近で万引きが起きようが、地球の裏側で爆破テロが起きようが、まるで気にならない。毎日が快適そのものだ。

『照合エラー。貴方は存在していません。十日以内に然るべき行政機関へ死亡届を提出して下さい』

 週に何回かこのエラーが導き出されるが、もう慣れっこなので別にストレスはない。メッセージとは裏腹に、設備は動きを止めない。諦めないで、次こそはちゃんと出来るわ、私は稼働しながら待っています、だって貴方の事を信じてるから、とお墨付きも与えられた心持ちになり、僕の自尊心は益々満たされた。

 つつがなく全ての再入力、再認証が済み、最後の画面に変わった。事実上、僕の要望に応える準備は整っているに違いない。

『最後は恒例の~~~っ、ファイナルじゃんけ~ん!』

 僕は、この瞬間が一番好きだ。

『最初はグー! じゃんけん!』

 パーとパー。

『最初はグー! じゃんけん!』

 チョキとチョキ。

 じゃんけんを繰り返しながら、僕は思った。好きでも何でもない店員と顔を合わせて自分の趣味嗜好こじんじょうほうを開示しなければならないのは、苦痛以外の何物でもない。そんな時代に生まれなくて本当に良かった。

『――じゃんけん、ポンッ』

 十戦目で僕が勝った。最後は客の顔を立ててわざと負けてくれたのだと僕は信じて疑わない。週に何回かは一戦目でガイドちゃんが勝つが、再入力と再認識とを繰り返しさえすれば、最終的には僕に花を持たせてくれる優しい子だ。

 小さな自動扉が開き、紙コップがお出ましした。

 香るか香らないかの香り、人肌以下のぬるさ、一口半程度の量。僕の健康を気遣って淹れてくれた特別な珈琲。

 また一日が始まる。

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