靴下と猫
マグロの鎌
第1話
「あなたって、靴下から履くのね」
そう言ったのは、昨日家の前で拾った野良猫だった。
「いや、『靴下から』と言われても、今までの人生で服を着る順番など一度も考えてことがなかったからな……そんなにおかしいことか?」
僕はくるぶしまで履いた靴下を最後まで履きると、もう片方の靴下を履く前に下着を履いた。なんとなくだが、この流れで靴下を履きたくはなかった。
「ええ、おかしいわ。普通じゃない。それ故に、何か意味があるんじゃないかと思ってしまうわ。例えば……靴下から履くということは、いち早くこの場から逃げ出したいって意味をしているかもしれないし、他にも、素足の匂いを気にしている自意識過剰ということになるかもしれないわね」
彼女は得意げに笑う。猫に人間と同じ表情など存在しないのかもしれないが、彼女の顔は間違いなく笑っていた。
「そんな、ことを言われてもなぁ……特に何も考えていなかっただけだからな……
あっ、それなら他にも最初に着たものによって何か意味することってあるの?そうだな……例えば、帽子から被る人はどんな意味があるんだ?」
「そうね……帽子はやっぱり髪型をセットするのがめんどくさい時に被るものでしょ」
彼女は縦長の瞳孔を細め、遠くを見るようにそういった。
「そんなことはないよ。日差しが強い時やファッションとしてかぶっ……」と彼女に反論したところ「そんなのは表立った理由よ。本当はめんどくさがりなだけよ」と僕の意見を最後まで聞くことなく返されてしまった。
「髪型をこだわっている訳ではないが、変な髪型を周りに見られるのは嫌。そんな、矛盾を抱えてるってことなのよ。特に、一番初めに帽子を被りたがると言うことは自分に大きな矛盾を抱えているってことよね。まぁ、さっきの足の時と同じように禿頭を隠したいといった自意識過剰なだけ、なのかもしれないけど」
息継ぎをせずそう言うと、彼女は手のヒラで撫でるように顔を洗った。その気品のある素振りは、彼女が昨日まで野良猫だったことを忘れてしまいそうだった。
「はぁ……なんかこじ付けみたいだな。まぁでも、そう言うなら、逆に何から着れば、何も意味することなく服を着ることができるの?」
僕がそう聞くと、彼女は顔を撫でた手を顎に持っていき、考える。もはや、その仕草は人間そのものだ。
「そうね……それは難しい話よね。ズボンから履けば下着を履いてない、つまりハリボテということになるし、下着から身につければ裸を誰かに見せたがることになるし、上着から身につければその人の中で一番見た目が気になっていることになるし……そうね、難しい問題ね。でも、そうやって困った時は良い方法があるわ」
「良い方法?」
「テレビをつければいいのよ」
そう言われ僕は片方だけ靴下をはめた足でテレビのリモコンを取りに向かった。
リモコンを手にし、電源を入れると、「今年の流行語は『良/不良』でした」とどうでも良いニュースをアナウンサーが読み終わると、八時になる直前ということも相まってニュース番組では占いが流れ始めた。
「今日のラッキー着衣順第一位は……なんと、眼帯から!これは珍しいですね。でも、眼帯をつければきっといい日になりますよ」
僕は手に持ったリモコンをベッドの上に放り投げ、それを踏みつけないように自分の身もベッドへ投げた。
「なんだよ、眼帯って。持っているわけがないじゃないか」
不機嫌そうに言うと、その言葉を聞いていたかのようにテレビから声が流れた。
「『眼帯なんか持ってないよ』と、思っているそこの君!そんな人はこの有名なブランド品のコートを身につけましょう。なんと、このコートを着れば毎日眼帯と同じ効果を得ることができるのです!でも、『そんなコートも持ってないよ』って思ったそこのあなた!なんと、今なら本来十万円するはずのこのコートが……三万円!三万円!しかも送料無料で翌日配送!」
馬鹿馬鹿しい、そう思いながらチャンネルを変える。すると、今度は「誰でも健康になれる料理」を紹介する番組が映し出されていた。僕はため息を一つ吐き、テレビに傾けた耳を猫へと向けた。すると、彼女は「待ってました」と言わんばかりに口を開く。
「どう?あのブランド品買う気にはなった?」
「なるわけがなかろう。ラッキー着衣順を紹介していると思ったら、いきなりテレビショッピングが始まるなんて、支離滅裂すぎて買いたいなんて思うわけがないだろ」
「そうなの?でもあなたはそれを手に入れて、それを身に纏えばもう着衣順によって何かを意味することはなくなるのよ。なぜなら、周りにいる人に溶け込むことができるから。それって今あながた求めてたことじゃない」
「そうかね……あのコートを着るぐらいなら、裸のまま眼帯を買いに行って一番初めに眼帯をつけるよ。あれ……でも、僕は『着る順番』を気にしていると言うのに、なぜあのテレビ番組は着る順番ではなく、着る物を紹介しているのだ?」
「なぜって、それは簡単な話よ。あのコートさえ着てしまえば、『着る順番を意識する』といったあなたの個性を無くすことができるのよ。世間が決めた『良』に憧れて、その『良』を手に入れるために人に言われるがままに働き、誰かを愛し、死んでゆくの」
僕は猫の言っていることもテレビと同じく理解できなかったが「なるほどね……」と適当な相槌を打ち、ベッドに仰向けになり天井を見つめながら話し始める。
「つまりは、何をするにもそこに意味を見つけ、それを個性と褒めるのでなく批判へと変え、『不良』のレッテルを押すのか……その結果、皆が『不良』を押されるのを恐れてブランド品のコートを買うようになるってことか。もしかして、君は……『猫なのにしゃべる』という個性によって世間から捨てられたのか?」
「そうね、そうやって人は『猫がしゃべる』と言った御伽噺のような子供の夢を潰していくのかもしれないわね」
靴下と猫 マグロの鎌 @MAGU16
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