夢の先

@Lianmiso

1話

故郷から離れた都会にやってきたのは高校生の時だった。野球が強い高校に入るか将来性のある高校に入るか、当時はずいぶん悩んだものだった。悩んだ末、後者の高校に入り、甲子園に出場した。3年生の時準決勝で負けてしまい、大変悔しい想いをした。このままでは終われない。強く思った。どうすればいいか―――。

考えた末にプロ野球入団テストを受けることを決めた。父親のような兄に強く反対されたが、それを振り切って家を出てしまった。後悔はしていない。していないはずだ。

なんとか、清流リュガミーズに入団することができた。2軍監督と揉め、どうしたらいいかわからなくなっていたら監督と打撃コーチからトレードの話を持ち出された。

清流リュガミーズから離れ、複数人のトレードとしてパ・リーグの宝田クラウンズへ入る事ができた。その中で、胃を削るような苛烈なレギュラー争いを勝ち抜いた。その後はお祭りだ。祭りというのは時が過ぎるのが早い。あっという間にクライマックスシーズンも終わり、日本シリーズも終わった。所属するチーム、宝田クラウンズ2位に終わり、日本シリーズにも出場出来なかった。しかし、万年最下位と言われていた状況から抜け出し、首位争い時には負けてはしまったが、熱い戦いを見せた。

監督は来年に向けて引退を撤回し、ファンのボルテージはマックスになった。こちらにも熱気が伝わってきた。―――来年に期待する。

そんな中、真布津士闘は悩んでいた。スタメンを勝ち取り、ファンからはクラウンズの陽炎、忍者とまで評価されている。 喜んでいいはずなのにどこか引っかかるのだ。悩んだ時には走るのが一番。士闘は外を走ることにした。友人をランニングに誘ってみたところ寒いから肩を冷やすと言われ、断られた。都会の人にしてみれば、この風は少し寒いらしい。山生まれ山育ちの真布津士闘にとってはちょうどいい。

地元である山は夏、蒸し暑く、冬は蝦夷ヶ道並に雪が降る。昔はそんなこと無かった。噴火してから一気に環境が変わったらしい。生態系に影響がありそうだったが熊や鹿などの動きが活発になっただけである。命というものは逞しいものだと士闘は幼いながら思っていた。土手を走る。先日の雨で足場は悪いが、ちょうどいい鍛錬になる。滑りやすい地面は雨のグラウンドを想定できる。

「2アウトー!しまっていくぞ!」

「「「「おう!」」」」

聞こえてきた元気な声に横を見ると、どこかの野球部が河川敷で野球の練習をしていた。懐かしさに胸が詰まり、苦しくなる。思わず士闘は足を止めた。みんな元気だろうか?

最初は1人でボールを投げ、社会人野球にも混ぜてもらい、野球に喰らいついていった。本格的にチームを組んだのは中学校からだ。その頃のチームメイト・・・樫尾、榎田、葦高、桂、茶川、七藤、薄野はそれぞれの道を歩んでいる。高校ではバラバラになり、戦うこともあった。何人かはまだ草野球や社会人野球を続けているようだ。

同級生や後輩の中にはプロ野球入りをした人もいる。あの頃はがむしゃらだったな。今の自分はどうだろうか?

それにしても、この高校生たちはいい動きをするなあ。ぼんやりと守備の動きを見ていた。それ故に気がつかなかった。

「危な―――!」

掛け声とともに突如殴られたような懐かしい鈍い痛みが後頭部に走る。それと同時に目の前が真っ暗になった。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫です。練習を中断させてしまってごめんなさい」

気がつくとベンチに寝せられていた。申し訳なさそうに坊主頭の少年が頭を下げていた。何も悪くない。だって、そんなところでぼんやりしていたのが悪いんだし。

よいしょっと、と体を起こす。気持ち悪くないし、頭も少しずきずきするくらいで別に気にならない。手で触れると腫れている。たんこぶになっているようだ。

「ぼんやり立ってたこっちが悪いんだから気にしなくていいですよ。」

「そ、そんな・・・」

腕時計を見る。何分倒れたか計算をしようと思ったが、そもそも何時に気絶したかわかららない。

「何分くらい倒れていましたか?」

「10分位です。」

うん。そろそろ別の練習をした方がいいようだ。ぼんやりしているとロクなことが起きない。

「今までありがとうございます。では、そろそろ行きますね~?」

何か言いたげな少年を置いて、士闘は土手を上がる。各々若き選手が休憩している中、ペコペコと礼をしながら、ランニングへと戻った。

やれやれ、気分転換にランニングをしたっていうのに迷惑を掛けてしまった。

ザアッと吹きこむ風は強く、長く伸びた葦などの草を揺らす。すっかり冷えてしまった風は士闘の目を覚まさせてくれた。頭にボールをぶつけるのはいつ以来だっただろうか。この後は、守備練習をしよう。そう心に決めた。

 

また、別の日。士闘は今日も走っていた。なんだか落ち着かないのだ。イベントが控えているので本拠地にも故郷にも帰れない。イベントが終わってから帰るつもりではある。気がつけば、いつかの土手へと足を運んでいた。

ああ、そう言えば。ここでファールボールを受けたっけな~。と思い返しながら草むらに座る。プロに入ってから欠かしたことのないノートをパラパラと捲る。もうボロボロになってしまっている。修正、修正の後でもう一度まとめても、すぐに意味のないものになっていく。相手も進歩をしていくのだ。それでも書かずにはいられない。

「この間の!」

後ろから声を掛けられた。振り向くと、坊主頭の少年がいた。後ろにも二人控えている。

「この間は悪いことをしましたね。練習を中断させてしまってすみません」

士闘は深々と頭を下げると、少年も頭を下げた。

「い、いえ・・・大丈夫でしたか。」

「ああ、大丈夫ですよこのくらい。」

なんでファールボールに気がつかなかったんだろうか。気が緩んでるしか思えない。

「偵察ですか?」

来年に向けての偵察だと思われたのだろうか。

「いいや、今年も頑張ったな~なんて振り返ってました。来年もあるんですけどね。」

士闘は照れ臭そうに笑う。感傷に浸るなんて柄じゃないんだけど、ここまで来るのに色々なことがあった。いろいろ、ありすぎた。

「今日は練習、無いんですか?」

「テスト期間中で無いんです。」

「テストか・・・懐かしいな。頑張ってください!」

「はい!」

立ち上がり、なんだか感傷に浸っていたところを見られて恥ずかしい。ランニングに戻ろうとした。

「あの人・・・どこかで見たことがあるような。」

「どうしたんだよ!行くぞ!」

 

その次の日もなんとなく土手を走ることにした。部屋から出てひとのびし、軽くストレッチをする。

「最近、一体どうしたんですか?士闘さんらしくないですよ。」

「そんなことないよ?どうも落ち着かなくてね。一緒に走らない?」

ホテルのロビーで花柴に見つかる。よくあんなごちゃごちゃした中で自分を見つけられるなんてさすが花柴だなあなんて士闘は思っていた。どこかずれている。

「・・・わかりましたよ。一緒に走ります。」

花柴はなぜだか士闘に帽子を被せ、自分もパーカーのフードを深く被る。

「これじゃあ、不審人物だよ?」

「念のためです。そろそろ自覚してくださいよ。」

何がなんだかわからないという風の士闘に花柴はため息をついた。

「ファンとかに話しかけられないんですか?」

「うーん。気付かれたことがないなあ。あ、練習終わりとか試合終わりとかはサインください!って言われたことがあるけど。」

ぼやぼやした風の士闘に花柴は深いため息をついた。

「僕人気ないし。」

「何言ってるんですか。」

あるかもしれないが、花柴とは比べ物にならない。マスコミにはかなりマークされている。本人は練習に集中できないと嘆いていた。比べると、士闘はいかんせん地味だ。

ホテルを出、河川敷へと向かう。

「こうして一緒に走るのも久しぶりだね。」

士闘が微笑むと、花柴はそっぽを向く。耳が赤い。照れているなと士闘はくすりと笑った。こういうところも昔と変わらない。士闘は少し安堵する。

花柴と士闘は別の球団だった。花柴は清流リュガミーズ。セ・リーグである。リーグは違うが2人は仲が良かった。中高の先輩後輩の仲で卒業してからも連絡を取り合っている。ここまで花柴の存在にも助けられてきた。違う道を行こうとも頑張っている人がいると言う事は時に励みになる。

「日本シリーズに行けば戦えたのになあ。」

「俺だって戦いたかったです。・・・士闘さんとも対決したかった。」

「2軍の監督、まだいますよ。」

「そうか・・・。監督は元気かな?」

「元気ですよ。」

それきり何も言わなかった。ただ無言で走る。土の踏み締める音だけが酷く大きく聞こえた。

「交流戦、オールスター楽しかったよ。」

「俺も楽しかったです。・・・士闘さん。いつか同じチームで野球ができたら、と思います。」

それを聞くと士闘はにこりと笑った。

「僕もだよ。」

「やっぱりおかしいや。士闘さん。」

「そうかな?」

「そうですよ。」

ホテルからかなりの距離を走った。そろそろ休憩をしてもいいだろう。息は上がっていないが、帽子やらなんやらを身につけていると、なおさら熱い。

「ここらで休憩しない?」

足を止めると、いつかのように土手に座った。風は心地よい。誰もいないし、帽子をとった。続いて花柴もパーカーのフードを外す。

「熱いですね。」

「そうだね。」

しばし、沈黙が続く。意を決して士闘は口を開いた。

「どうも、兄の事が気がかりらしい。」

「え?」

「喧嘩別れしたままなんだ。」

「そんなこと、探して話し合えばいいじゃないですか。」

「見つからないんだよなあ。あの人は風来坊みたいなものだから。」

そういうと、花柴は納得したような顔をした。彼の兄の逸話は変わったものが多く、掴みどころがない。突拍子もないので嘘か本当か見抜くのが大変なのだ。

士闘は深いため息をついた。何を言うべきか花柴が迷っていると、足元にコロコロとボールが転がってきた。河川敷でノックをしていた人のボールがこっちまで飛んできたらしい。素早く花柴はフードを被る。

「すいませーん!・・・あ、この間の!」

取りに来た人はこの間の坊主の少年だった。足元のボールを投げる。

「あ、ありがとうございます。」

「どうしたんですか?」

「なにかあったんですか?」

もう一回り小さな少年たち2人もやってきた。

「知り合いなんですか?」

「この間、ファールボールに当たっちゃってね。」

士闘は視線を感じた。フードの下から睨んでいるんだろう。あとで小言を言われるだろうな。と一回り小さい頭を見つめた。

「また、ボールに当たったんですか?」

小柄な少年から尋ねられ、士闘は首を振った。

「いいや、当たってないですよ。足元にボールが転がってきたものでね。」

「そういえば、忘れものがありましたよ。」とどうやら2人の先輩らしい少年は駆けていくとごそごそと鞄からノートを取り出し、士闘に渡す。

「よくプロ野球の研究をしてるんですね。」

「ええ、なんというか・・・趣味みたいなものです。」

隣からの視線が痛い。そんな大切な物忘れるなよと言いたいんだろうな。と士闘は苦笑した。それともプロであることをか。

「テストは終わりました?」

「息抜きにキャッチボールをしてました。どうも落ち着かなくて・・・」

「わかります。わかります。」

「今日もランニングですか?」

「はい。悩んだ時はやっぱり素振りかランニングかな。と思ってます。」

「ああ、わかります。」

「じゃ、練習頑張ってください。」

そういうと、士闘は立ち上がった。隣の人物も続いて立ち上がる。軽く会釈や挨拶をすると、再びランニングへと戻った。

「本当の目的はあの少年たちですか。」

士闘は答えず、帽子を深く被った。

「彼らを見るとなんだか昔を思い出してしまってね。」

すごいんだよ。彼ら。とくつくつと笑う。倒れるほどの無茶な練習。まさか3分の1の距離からシートノックをするとは。

「本当は羨ましいんじゃないんですか?」

「昔はがむしゃらだったなあと思っただけだよ。」

さすが、中学、高校を共にした後輩。見抜かれている。顔には出さず、心をクシャリと歪めた。いけない。これ以上行くと、八つ当たりしてしまう。

パ・リーグで宝田クラウンズは天仁グリフォンズに負け―――日本シリーズでは天仁グリフォンズは清流リュガミーズに負けたのだ。

それから先は何も言わず、ホテルまで黙々と駆けていった。帰ってから、一つの轟音が客室から響いた。

翌日、壁に大穴をあけてしまい、士闘はホテルの従業員に謝った。温厚だ、ぼやぼやしてるだ影が薄いだとか言われるが、他のプロ野球選手に負けず劣らず闘争心が強く負けず嫌いである。観察し、纏める。いいと思ったことはすぐに練習に取り入れる。乱闘こそ起きれば、こちらが悪いと思った事には乗らない。それでも大事な人が危険な目にあったのなら殴ってしまうかもしれない。無理矢理怒りを抑えることもあった。

2塁近くで首にプロレスの様な蹴りを喰らっても、故意のデッドボールを喰らっても、客に守備妨害をされても表情には出さず、借りは次の試合で返してきた。何よりも野球が大切であった。負ければ、壁に頭をぶつけたくなる衝動に駆られ、守備や打撃が上手く行けば屋上から飛び降りたくなるくらい嬉しい。

シーズン最後、優勝の掛かった試合・・・悔しいに決まっている。あの時、自分が打ててさえいれば―――。何度思った事か。

後日、このニュースが流れ、もしかして真布津士闘も怖い人じゃないかという噂が流れた。ますますファンが減ったかもしれないが、別に構いやしない。遠くから今年から入った新人の選手が怖々とこちらを窺っているのが見える。早くイベントを終えて一人になりたい。士闘は心からそう思った。

落ち込んだ時にはとことん落ち込むのが一番だと思っているが、悔しさや怒りを覚えた場合どうすればいいか士闘にはわからない。練習に打ち込むのが一番だとは思っている。

怒るのが苦手なのだ。そのため、モノに当たってしまうことが多い。壁はその怒りを受け止めてしまったのだ。

「士闘にもそんなことがあるんだな。」

「あまり怒らないから、感情がないかと思いました。」

 先輩方や同期は気にしていないという風に笑った。心配をしてくれる選手さえいた。さすが乱闘が多く荒っぽい宝田クラウンズの選手だけはあるなと感心してしまった。理由は聞かれなかった。ここのところ、テレビはあの1戦を取り上げることが多い。察してくれたのかなと士闘はぼんやりと思った。まだ気持ちが晴れないのだ。今までは試合にぶつけていたが、今はオフ。走らなければ、と士闘は今日も用意を始めた。

 八つ当たりをしたからか、気分は軽くなっていた。ランニングする足すらよく動く気がする。ともかく一つ一つのことを片づけるしかない。今年の悔しさは来年ぶつければいい。となると、兄の行方か。情報が少なすぎる。親代わりの叔母も、義兄も、妹も行く先を知らないという。ただ姉だけは、少し悲しそうに笑うだけであった。

なにを言われても構わない。ただ、もう一度だけ話をしたい。

なんだかこういう河川敷にいるような気がするような気がして足を運んでしまう。色々な場所で兄と練習したのを思い出す。

いるはずなんてないんだけどねえ。と暗く士闘は笑った。

土手に座る。こうして座るのも何度目だろうか。努力して努力して、やっと日の目を浴びても、力不足を感じる。こうも、自分というものはメンタルが弱かっただろうか。

「またいるぜ。あいつ。」

そういったのは、おにぎり頭の少年だった。その言葉にはははと乾いた笑みで答えた。今日は2人だけだった。

「邪魔かな?」

「い、いいえ。」

「僕も高校生の時には野球部だったんだ。」

思わずぽつりと口から零してしまった。こんなに女々しくなってしまったのか。自分で驚いた。

「どうにも、思い出してしまってねえ。」

いつものようにのほほんと答えると、少年は目をキラっと輝かした。

「へぇ~。どうりで凄い球を投げると思った!」

そう言われると、やはり嬉しい。彼は感情がわかりやすいから、ついつい話をしてしまいたくなる。

「そうかい?どうも自信を無くしてしまってね。自分の力不足を感じたよ。」

「そこまで、肩が強いのにですか?」

もう一人の人も恐る恐る訪ねてくる。

「野球というものに、努力というものに終わりはないよ。それに試合に勝たなければね。」

小さい体形に無愛想でむすっとした顔。なんとなく後輩に似ているなと、士闘は彼を重ねた。

「ああ、申し遅れました。僕はシトウです。」

「俺は丸井。こっちがイガラシです。」

というと、2人とも帽子を外して挨拶をした。つられて、士闘も頭を下げる。最近の高校生は礼儀正しいなあと感心していた。

「シトウさんは社会人になっても野球をやっているんですか?」

「そうだね。野球で入ったものだから、もう自分には野球しかと思っているよ。」

すらりとそんな言葉が出てきて、自分でも吃驚した。

「へぇ~!何年くらいやっているんスか?」

「覚えていないくらいからかな?兄が野球をしていてね、そこから始まったんだ。」

そう。最初は兄から始まった。始まりは兄からだったのだ。それから、しばらく野球の話をして過ごす。谷口さんという人の話が多かった。

「ずいぶん谷口さんが好きなんだね?」

「ええ!中学校、高校と野球部を導いたすごいお人ッスから!」

その彼の眼はキラキラと輝いて眩しいくらいだった。後ろのイガラシという少年も呆れつつあるが、完全に同意していることは明確だった。

「すごい人なんだろうな~」

「ええ!」

それからしばらく話を聞き、テスト勉強があるというので二人で別れた。キラキラした未来がある眼が離れない。花柴はどんな表情をしていたっけなと思い返そうとするもここ最近、真剣な表情と諦めたような顔しか思い出せなかった。彼が笑っていたのはこの間久しぶりに見た。ここ数年自分というものに必死すぎて周りが見えていなかったことに気がついた。

夜ですら、落ち着かなくなってくる。何かを掴みそうで掴めない。もどかしい。こうなったらやはりランニングか素振りかしたくなってくる。

「なあ、士闘。大丈夫か?」

ロビーへと出ると、チームメイトの青木が話しかけてきた。複数トレードで去年この球団にやってきた。同い年で経歴が似ていたり、同じ時期に1軍に入っただけあって、良き話し相手である。球団の中では一番の注目選手で、和製大砲として期待されている。本当に今年は色々なことがあった。

「ちょうどよかった。ランニングに付き合わないか?」

「ああ。」

2人で夜の街へと繰り出した。どこかに飲みに行くわけでもなく、ひたすら走る。

「青木に言われて、ずっと考えていたんだ。」

「お兄さんの事か?」

「・・・ああ。」

きっかけは青木に身の上話をしたことだった。兄さんのこといいのか?と尋ねられた時、すっぱりと答えがだせなかった。困った挙句、吐き捨てるようにどうでもいいといったのだ。その時のチームメイトたちの顔が忘れられない。

「やっぱりどうでもよくなかった。始まりは兄さんだったから。」

「どうするんだ?」

青木に尋ねられ、士闘は微笑んだ。

「オフを使って、探してみようと思う。自分の力で探すんだ。」

「そうか。俺にできることがあったら、言ってくれよ。」

ドンと力強く胸を叩いた青木はとても心強く見えた。

「ありがとう。」

「水臭いな。チームメイトだろ?お互い様だよ。」

「ははは!」

二人の笑い声は闇に消えていった。今宵の月明かりは明るく優しく2人を照らした。

 

1人、士闘は深く考え込んでいた。思いっきり石を川へと投げ込む。ぼちゃんと妙に重い音を立て、石は河川の底へと沈んでいった。

まずは家族を問いただそう。それから兄のいた社会人野球チームのメンバーを片っ端から当たってみよう。兄の仕事仲間ならば1人だけ知っている。次々とアイディアは湧いてくる。

キィン!―――甲高い金属音が響いた。晴天の空には眩しくまっさらなボールが上がる。今日は、河川敷では小学生が野球を練習しているらしい。幼さを残した声の掛け声が挙がる。谷口さんと2人に出会い、野球の話をしていた時だった。

「あの審判―――?」

「どうしたんですか?」

谷口に話しかけられ、士闘は迷う。これからする話をしておかしいとは思われないだろうか。

「あの、小学生のチーム知ってます?」

「前に審判をしたことがありますよ。」

「審判、いなかったんですか?」

「いつのまにか新しい人に頼んだみたいですね。」

「ストライク!バッターアウト!」

アンパイアがマスクを外すと、士闘とは違う金髪が太陽の光に照らされ、キラキラと輝きを増す。小さい背の割にはドスの聞いた低い声が響く。

士闘は目を疑った。

兄さん――――。

呼ぼうにも声がでなかった。パクパクと口から空気だけ漏れる。こんな青空で太陽が暴力を振るうように熱い1日なのに、どうしてか寒く感じ、震えが止まらなかった。

真布津士闘と、真布津柳は血が繋がっていない。そう聞かされても、士闘にとっては行方不明になった父親の代わりに自分を育て上げてくれたかけがえのない兄だった。自分がプロ野球に行くまでの話である。安定感がないやらなんやら反対をする親子のような言い争いをして結局飛び出してしまった。

 

「きょ、今日はちょっと呼び出しがかかってたんだ!それじゃ!」

早口でまくしたてるようにいうと、全力で駆けだした。―――先輩に相談しよう。ホテルに帰ると一目散に先輩の部屋を目指す。

「士闘?」

意外な人間の登場に村山はびっくりしていた。それもそうだ。士闘は普段試合以外穏やかな笑みを浮かべているような男だ。その男が追いつめられた表情をして部屋を訪ねてきた。

「少しお話を―――」

 ここではなんだと村山は部屋に士闘を迎え入れた。申し訳なさそうに士闘は礼をし、部屋へと入った。椅子に腰かけると、士闘も「失礼します。」と言って座った。

「なにか様子がおかしいなと思ったんだ。どうかしたのか?」

「青木に痛いところを突かれました。村山さん、実はプロに入る時に兄と喧嘩をしましてね、兄に謝りたいと思ってたんです。」

黙って村山は聞いていた。

「ただ、実際に会うとなると結構勇気が要りますね。偶然兄を見つけたわけですが、話しかける勇気がなかった訳ですよ。情けなく女々しい男ですよね。本当に。」

「そんなことはない。勇気がいるよ。俺もそうだった。」

しみじみと村山は語った。

「俺も母さんの反対にされて、飛び出した。新人賞は取ったけど、その後は・・・わかるよな。」

先輩である村山遊撃手も反対を受けていたことは知っていた。スキャンダルが原因で段々と調子を崩してしていたことも士闘は知っていた。有名な話だ。

「その後、会社の先輩に相談して・・・何とか調子を取り戻した。落ち着いてから、母さんに会いに行った。・・・抱きつかれて、泣かれたよ。母さんがとても小さく感じた。」

一息ついて、村山はもう一度口を開く。羽音のような冷蔵庫の音がうるさい。

「もう、決まっているんだろ?」

そう言われると、士闘は久しぶりに心から微笑んだ。結局誰かに背中を押されたかっただけなのかもしれない。有難かった。

「ありがとうございます。何を話したらいいかわからなくて。」

士闘は一礼する。

「思ったことを伝えればいいんじゃないかな?」

「母も父もいなくて、兄さんと姉さんが代わりに育ててくれました。本当の兄だと思っていたんですが・・・兄だけ血が繋がっていなかったんです。」

それを聞いて村山はポカンと口を開けた。

「重い話をすらりというなよ・・・」

「え、重いですか?」

まったく分かっていないという風に士闘は首を傾げた。

「前々から、町内で噂になっていましたからね~。友人内からはそっくりだって言われてました。」

「それはまた極端だな。」

「破天荒なところがそっくりって言われるんですよ。・・・そう言えば、変な大会に出てたりもしてましたね。」

「もしかして、裏野球大会か?」

「知ってるんですか?」

ああ、と村山は重々しく頷く。

「俺がプロに目指そうとしたきっかけだったんだ。みんな元気かな。」

村山は遠い目をする。彼は社会人野球出身だった。

「きっと元気ですよ。」

 士闘もここにはいない彼らを思った。今もきっと野球を続けているだろう。

 

きっと兄のことだろう。追いつめると逃げるに決まっている。だが、兄の事だ。作戦を立ててもすぐに逃げられるであろう。何せ彼は、斜め上の想像を行く男である。士闘は作戦を立てることを早々に諦めた。おいかけっこしても追いつけなかった。今ではどうだ?追いつかないと諦めるのではなく、追いついてみせる。しかし1人では見失ったときに辛い。協力してもらおうと協力者を集い、川原へと向かう。決戦の時である。

 少年野球の解散を待つ。気分は狩人のようだった。必ず追いついてみせる。宝田クラウンズの陽炎と呼ばれた真布津士闘の名に駆けて。

少年たちが礼儀正しくきっちりと礼をする。その一瞬をみはからい、士闘は駆けた。あの時詰まって言えなかった言葉をはっきりと口にした。

「兄さん!」

そこから先はスローモーションに思えた。こっちを振り向いた兄の顔の血の気がサアッと引いた。迅速確実丁寧に道具を外し、グローブを抱えると、あっという間にその場を去った。

逃がすか!と士闘はブーストを掛けた。はんば八つ当たりで続けていたランニングの成果を見せてやる!

真布津柳の野球選手としての売りは速さである。盗塁、走塁、守備―――それらの知識は全部教わってきた。ただ自虐的な笑みを浮かべ、瞬発力はあるが持久力が無い。と自らのことを語っていた。兄の試合を見てきた自分でもそう感じた。ならば、持久戦に持ち込めばいい!

「士闘くん、次の角を右でやんす!」

イヤホンで指示を聞く。1人目の協力者―――先発投手進藤。青木を問い詰めて聞くと、どうやら焚きつけたのは進藤であるということを聞いたのだ。無理矢理協力させた。いい望遠鏡を持っていると聞いたので、屋上から指示を出してもらっている。携帯の使い方を教えてもらい、ハンズフリーイヤホンの購入を勧められる。面白そうだ、とオタクの彼はノリノリだった。楽しめることは楽しんだ方がいいと士闘は気にしなかったのだが、彼らは違ったようだ。

2、3人目の協力者―――先発投手黒桧と抑え投手柿崎である。彼にどうしても捕まえたい人間がいると伝えたら、快諾してくれたらしい。深刻さから勘違いをしたのか、「犯罪者を捕まえましょう!」なんて言っている。誘ったやつは一体誰だ。勝手に兄を犯罪者にしないでしてもらいたい。そして、勝手に柿崎まで連れてきている。柿崎は冷たい視線を黒崎に浴びせると眉間に皺を寄せ渋々頷いた。あれは困った時の表情だと士闘は知っている。

「いたぞ!こっちだ!」

 掛け声を掛けるだけであったその青年はその正義心からおいかけっこに参加してしまった。すると、青木まで混ざってきた。

 街中を駆け抜け、奇妙な4人の追いかけっこは続く。1人また1人と脱落していく。理由は信号や交通状況によるものであった。

残るは柳と士闘。一騎打ちである。

 夕暮れの街を掛ける。息はあがることなく、高揚感すらない。ただ、追いつくことだけに集中している。気がつけば川原へと兄を追いつめていた。兄の後ろには川。もう逃げられないであろう。ぽかんとした少年たちがただ見ている。

「兄さん!」

兄は「俺のことを兄と呼ぶな!」と怒鳴ってきた。その様子に気押され、士闘は歩みを止める。しばし、士闘は悩むと意を決した。

思ったことを伝えればいい。その言葉を反復させる。

「父さん!」

かぁあと烏が1羽、間抜けに鳴いた。父さんと呼ばれた彼は間抜けにも口を開けていた。この位置からじゃ見えはしないが、周りの人間も唖然としているであろう。

「俺はこの年で子持ちかよ!そんな大きい子供がいてたまるか!撤回しろ!」

我に返った真布津柳はビシっとこちらを指差し、今度は顔を真っ赤にした。雷が落ちたかというくらいの大声を出し―――そして、勢い余って川へと落ちた。岸へと上がる兄はぶつぶつと文句を言う。

「もう一度言うが俺はそんな歳じゃねえ!」

「じゃあ、お爺ちゃん?」

「さらに年齢をあげてどうするよ!」

「じゃあ、弟か。」

「違うわ!」

「でも、さっき兄と呼ぶなっていったじゃないか。」

「・・・普通でいい。」

観念したかのように両手を広げ、陽を浴びる兄は様になっていた。

「しかし、みんなで爆走して!いい大人が!明日絶対話題になってるぜ。」

「その点は抜かりないよ。」

青木が提案してくれた。これもイベントの宣伝だということにしてしまえばいいだろう。という案を聞いてなるほどその手があったか。と感心した。周りはなぜだか呆れた視線を向けていたのが気になった。

「いいチームメートを持ったじゃないか。」

士闘は周りを見渡す。この距離からでは聞こえないと思う。これまでにない笑顔で、士闘はうん。と答えた。

「色々あったけど、采配が楽しい監督にちゃんとアドバイスをくれるコーチ。人を支えてくれるいい先輩にも巡り合えて、後輩が後を追いかけてくる。そして、将来が楽しみな選手にもあって・・・」

同時に獰猛な獣を思い起こさせる笑みを浮かべた。打席の時に一瞬だけ浮かべる笑顔であると誰が気づいたか。きっと俺しかいないだろうなと、柳は満足そうに笑った。士闘は野球に対し、シンプルに貪欲である。

「僕も負けていられないな、と思ったよ。」

「わぉ、おっかねえ。」

わざとらしく柳は肩を竦める。オーバーなリアクションがこれはまたなつかしく士闘はくすくす笑った。

「なぜあんな事言ったの?」

「ん?」

「プロ野球に入ったら、縁を斬るってさ。」

重いことをさらっと言うと、打てば響く太鼓のように真布津柳は答えた。

「だって、お前が活躍すると、有名になるじゃん?」

「え?」

「そうすると、マスコミ共が実家に行くじゃん?身辺捜査的なことをするじゃん?俺がいたらどうなるのよ。お前の周りがうるさくなるだろうさ。」

「え、だって、あんなに反対していたのに。」

「そりゃ、反対するよ。どの業界でも同じだ。実力はあっても、スキャンダルやらなんやらで調子が落ちる奴はいるだろうさ。」

まくしたてるように言うと、柳は一息つく。

「野球に集中したいだろ。」

「うん。」

「あと、プロ野球に行くにはぶっちゃけた話、そのくらいの覚悟がないと無理だと思ったわけよ。」

士闘は俯く。

「兄さんは、野球を本業にすること自体は反対じゃなかったの?」

「ああ。」

バッと士闘は顔をあげる。兄の眼は真剣だった。目が合うと大胆不敵な笑みを浮かべ、柳は続ける。

「絶対、なると思ってたからな。んでもって活躍するだろう。」

「どうしてそこまで信じてたの?!」

士闘が柳に詰め寄った。

「あんなに努力してたじゃないか。それにお前、覚えてないのか?」

虚を突かれ、士闘はきょとんとする。

「親父とお袋含め優勝の掛かった試合に行ったんだ。お前は、本当にちいさかった。9回裏、おっと、語りだすと長くなる。大変、熱い試合だった。その試合をみたお前は、絶対に野球選手になる!って言っていたんだよ。」

「そんな・・・全然覚えてないや。そうか―――」

始まりはみんな父からだったのか。兄とではなかったのか。最初の記憶は兄とキャッチボールをしたことだった。でもその前から―――。

「父さんはどんな人だったの?」

「馬鹿みたいにお人好しでさ、人の苦労を背負ってっちゃうそんな人だった。米国で俺を拾うような奴だぜ?」

「それは、感謝かな?」

そういうと柳はそっぽを向いた。照れてる照れてる。

「親馬鹿でさ、遅刻ギリギリまでお前とキャッチボールをしては、この子は筋がある!なんて年甲斐もなくはしゃいでたさ。」

「そうなんだ。」

「淡々としているな。」

「いや―――感慨深いのさ。」

 士闘は目を細める。自分の知らない頃から野球に触れていたのか。

「それにしても、ここまで来てしまったな。」

「まだまだこれからだよ。自分がどこまでいけるか知りたいし、チームメイトと野球をするのが楽しい。優勝したい。俺を信じてくれた監督の期待に答えたい。花柴見るのも楽しいよ。後輩の成長を見るのも悪くない。」

「ライバルだぜ?」

「僕は楽しさ優先なものでね。このチームで、できて良かったと思うよ。それに、その気持ちは兄さんもわかっているんじゃないか?」

お互い顔を見合わせると、馬鹿みたいに笑いあう。

「やれやれ、言うものになったものだ。問題はない。今年こそ優勝する。お前こそ大丈夫なのか?壁に八つ当たりなんてあの時以来だったから心配で心配で。」

「うん、もう大丈夫。逆転ホームランを打てばよかったんだけど、新人が舐めた口を!って怒られちゃった。それに花柴に遅れを取る訳にはいかない。強敵だけどその方が燃えるじゃないか。このイラつきは来期にぶつけるさ。」

「頑張れよ!真布津士闘。」

いつものようにハイタッチをするのが泣きそうになるほど嬉しかった。

「さて、兄弟喧嘩の和解にどんだけ人員を使ってんだよ。お前は。」

「ははは・・・」

 この時、士闘は真布津士闘に戻った。

 同期と後輩に頭を下げ、高校生に川原を騒がせたことを謝ったら、質問攻めにあい、お詫びと積もる話があるだろうということで兄はみんなを鯛焼き屋へと連れて行った。隠れて見守っていた花柴を無理矢理連れ出し、先輩後輩の中だというと聞いていなかったと騒がれ、夜まで野球のことを語った。そして、兄弟の言い争いをバッチリと聞かれたらしく散々からかわれた。どうやら、イヤホンのスイッチを消し忘れていたらしい。恥ずかしさのあまり、士闘は頭を鯛焼き屋の机に打ちつけた。

 みんなと別れたあと、花柴と川原を歩く。故郷の川原と重ねてしまうらしい。どうしても足がこっちを向いてしまう。

「プロ野球に入って真布津さんは今も真布津さんのままで安心しました。」

不気味に鈴虫が鳴く。死に物狂いで泣いている。風は肌寒く、水の近くであるからかさらに寒く感じる。川に落ちた兄は風邪をひかないだろうか。

「そんなことはないよ。一時期は見るものすべてが敵に見えてどうしようもなかった。特に2軍監督とスタメンたちにどうしようもない理不尽さを学んだよ。こんな奴もいるんだなってね。グラウンドに穴開けるのはどうかと思うよ。」

「どうやって退けたんです?」

「居墨に伝わる伝説をずーっと伝えてたら関わられなくなった。」

それを聞くと、花柴はグッと拳を握った。

「・・・居墨の伝説、聞く?」

「・・・はい。それと、八榊さんです。」

それを聞くと真布津はため息をついた。息が白い。冬の訪れを感じさせた。八榊の噂は聞いていた。派手に遊び、素行は悪く反抗的。所謂、問題児という奴だ。

「見た目は派手だったのに、悪い奴じゃなかったのにな。」

「ええ。あんな事言われるなんて思いませんでした。」

 2人とも彼から暴言を言われていた。通過儀礼みたいなものである。

「僕は別に気にしちゃいないけどね。様子がおかしすぎる。」

「俺も気にしちゃいませんが、でも。」

言いかけて、止めた花柴を真布津は止めることができない。普通、知人がおかしくなって動揺しない方がおかしいが、花柴も真布津も割り切っている。変わることが悪いとは思わないが、明らかに周りに被害が出ているだけあって見過ごせない。

「今度話してみるよ。」

「話せるんですか?」

うん。と呑気に真布津は頷いた。

「明日、対談があるんだ。なんか、同級生だからって企画が組まれたらしいよ。」

「俺も呼ばれました。」

「じゃあ、軽い同窓会みたいだね!」

「・・・3人で、ですか?」

あくまで呑気な姿勢を崩さない真布津に花柴は顔を顰めた。薄明るい電灯に照らされた顔を見て、穏やかに真布津は笑った。まるで学生時代のように―――こんなに笑ったのはプロに来る前だった。

「花柴だって変わっていないじゃないか。」

「そ、そうですかね。」

 いきなり笑いだした真布津に花柴は気弱な気持ちなんてすっ飛んで行ってしまった。

「野球、好きだろ?根っこの部分て言うのはさ、なかなか変わらないものだよ。」

「―――そうですね。」

 

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