第26話 2015年 夜明け前

【2015年12月1日 西端匡の記録】


 言いづらいことを言うのはいつもタスクの仕事だった。


「それでアバタさん、お話ってなに?」


 収録後の控室。ミチノサキに合わせて髪型をツインテールに変えたヴァレリーが首を傾げる。タスクはいつものツッコミを飲み込んで、最初に言い切った。


「プロジェクトが終わるかもしれません」

「えっ……なんの?」

「……ミチノサキのです」


 ヴァレリーはキョトンとして――それから顔を青くする。


「なんで!?」

「儲かっていないから、ですね」

「だ、だからやめるの? そんな! ファンのみんなだって応援してくれてるのに!?」

「……経営が耐えられないんです。このグラフはミチノサキの登録者数の遷移ですが、このままだと予想では収益がこうなりますが、これでは足りません。最低、ここまで到達するか、その見込みが見えないと……銀行からの融資も受けられない」


 動画の広告収入だけでなく、企業からの宣伝依頼を受けて収入を得ている。しかし人気のないものにはそれ相応の価値しかつかない。つまり足元を見て買い叩かれている。会社――ミチノサキプロジェクトが商売下手ということもあったが、とにかく、ハッタリを効かせられる数字さえないのが現状だった。


 理想のグラフと現実のグラフには、どうしようもない乖離がある。


「アバタさん、偉くなったんでしょ? なんとかならない?」


 ヴァレリーが身を乗り出して言う。


「ファンのみんな、スタッフさん……そのためなら、あたしもなんでもするから! あたしが稼げば……あたし……だって、やだよ、あたし」


 悲痛な声で、叫ぶ。


「サキをやめたくない!」


 ……それは、ようやく得た役だからとか、そんな次元ではないようにタスクは感じた。思わず力づける言葉を、無責任に口にしたくなる。しかし、タスクは冷たい手を固く拳にする。


「できる限りのことはしますが……」


 しばらく前に役員の一人が逃げ出して、その穴を埋めるようにタスクが社外取締役なんて役職についていた。名ばかり役員でしかないが、力を尽くしてきたつもりだ。しかし……。


「今年中に状況が変わらなければ……」


 タスクは告げる。


「ミチノサキプロジェクトは解散になります」



 ◇ ◇ ◇



【2015年12月 ニコライ・ダニーロヴィッチ・ポロンスキーの記録】


 秋葉原はいい、とニコライは強く思った。11月どころか12月に入っても、クリスマスに浮かれずにいつも通り商売をしているのだから。


「あ……彩羽根トーカ」


 パーツショップの店頭のポスターを見て、ニコライはつぶやきを漏らした。

 バーチャルYouTuber、彩羽根トーカ。どうやらこのパーツショップのキャンペーンガールをつとめているらしい。


 思わず頭の中で金額を計算する。北方少女モチならこれぐらいの仕事だと……収入は……トーカなら? あまり変わらないだろう。人気YouTuberへの依頼料の相場を調べたこともあるが、まだまだトーカレベルでは費用と釣り合わない。


 事務所――特殊部隊の滞在費は今のところなんとかなっている。ニコライが出向の時間を増やし、他の隊員もそれぞれで稼いでいるから。しかしそれでも足りない分はあり、それは本国のあの頭のおかしい老人から送金されている。


 あの老人は孫が少女と名乗ってアイドルをすることに反対はしなかった。むしろ以前より強く作戦の成功を求めている。狂人の心境はよくわからないが、ひとつハッキリ言えることは――


 ――北方少女モチが成功しなければ、ニコライの首が危ない。あの狂人なら、物理的に首をすげかえることにためらいはないだろう。


「……だからって、どうしろと?」


 天使も今まで以上に協力してくれている。動画の幅は広げてくれたし、歌も踊りも練習してくれている。

 しかし、再生数は伸びない。登録者数も。企業からの案件もない。


 追加人員が認められない以上、ルサールカ作戦はこの形で行くしかない。しかしこのままでは、未来はまるで見えない。


 気晴らしに来た秋葉原で、ニコライはいっそう閉塞感をつのらせる。大きくため息を吐いて、事務所へと向かっていった。



 ◇ ◇ ◇



【2015年12月 ラトナ・アンゴドの視点】


 わたくしはホラーというジャンルは怖くありません。


 だって、所詮人が作ったイラストや映像でしかないですし、幽霊のうめき声はそこらのスタッフが収録したものなのですから。現実的に考えて、何を怖がる必要があるでしょう?


 わたくしが怖いものといえば――減っていく資本金の報告書ぐらいでしょうね。


「赤字が止まりませんね」

「なに、今だけだ」


 わたくしに報告書を渡してきたリーゼントのエジプト男は肩をすくめます。


「来年にはコンシューマ向けのVR機器がいくつも発売される。PSVRも注目されているし、サマーレッスンなんかはキラーソフトになるだろう。間違いなく来年はVR元年、VR普及年になる」

「そこに、このソフトが刺さると?」


 いちだん赤字の多い部分を指して問います。


「未だに発表さえしていないこの……人と喋るだけのソフトが?」

「時期を見ているだけだ。必ず需要はある。キサマもそれを信じたから投資したのだろう」


 わたくしが信じたのはあなたではなく、彩羽根トーカ……の中の人ですがね。


 しかし彼女も日の目を見ずに4年半過ごしていることを考えると……買いかぶりすぎだったのでしょうか? 確かに登録者は増えましたが、登録者百万人を超える人気のトップYouTuberと比べれば大したことはありませんし。


「……とにかく、これ以上はわたくしだけで支えるのにも限界があります」


 特に無駄遣いの趣味もないので貯めてきた資金ですが、そろそろレッドゾーンが見えてきました。


「別の出資者も探さないといけません。そのためにも発表はしていただかないと」

「分かっている……年内か、1月中には発表しよう」


 その反応次第でしょうね……。


「さあ、それよりもそろそろ落ち着いたか? 収録の続きをするぞ」

「それですがやはり内容を変えませんか? こんなのは視聴者も望んでいないかと思うのですが」

「いいや、望んでいるとも。アンケートの結果だろう」


 ええ、確かに、神望リリアに次にやって欲しいゲーム、でぶっちぎりでしたが……。


「業界を盛り上げるため、モデルケースとなるためにも、神望リリアが人気を得るのは重要だ」


 エジプト男は――イヤらしく笑います。


「リリア初のホラーゲーム実況、公開日が楽しみだな?」



 ◇ ◇ ◇



【2015年12月11日 ヴァレリー・ローズ・ムグラリスの記録】


 ワンルームマンションの一室。夜遅く帰ってきたヴァレリーは、身支度を済ませて布団に潜り込むと、日付が変わってもスマホをいじっていた。


「えっと、まずいいねをつけて……『見てくれてありがとう』っと……あと、『そうなんだよー、撮影大変だったんだ。次も見てほしいな』……」


 Twitterのエゴサーチをし、自分に対する言及にとにかく全部リアクションしていく。急に星からハートに変わったアイコンを押し、リプライをつける。


 やれることをやる。ヴァレリーの考えた『自分にできること』のひとつだった。ミチノサキを続けるために、少しでも人の印象に残るように。


 手応えは、あるようなないような、という感じだった。これで視聴者が増えているのかは分からない。それどころか。


「あっ……ブロックされた」


 リプライをつけた相手からブロックされてしまう。ささっと別アカウントから確認に行く。


『なんやこいつ急に。必死すぎてキモ』


「……っ」


 ヴァレリーは唇を噛みしめる。


「……必死だもん」


 ミチノサキは沢山の人に支えられている。その期待に応えたい……ミチノサキとして。だから必死だった。しかしその気持ちは、他人には伝わらない……理解してもらえない。


「……はぁ」


 姿勢を変えて天井を見る。高校を卒業して以来、ずっと見てきた天井。そこに、幼馴染の顔を思い描く。


「テルネ……会いたいよ」


 高校の卒業を控えて、テルネはヴァレリーたちから距離を取ってしまった。今となってもその理由はよくわからない。しかし、テルネが自分たちを嫌ったわけではない、と感じていた。


 だから、会いたい。もう一度。しかし高校を卒業してすぐ、テルネの居所は分からなくなってしまった。彼女の両親も分からないらしい。唯一知っているのは弟のナルト……しかしナルトも弁護士になるために忙しいのか、何も教えてくれなかった。


 だから手紙を書いて彼女の両親に預けた。良いことがあるたびに、報告を兼ねて……会いたいと伝えるために。


 返事はない。それでもいいと思っていた。あのすごくてすごいテルネだから、返事がないぐらいが元気な証拠だろうと。しかし、今は。


「……助けてよ、テルネ……今、どこにいるの……?」


 天井に浮かべた幼馴染の顔は、何も答えてはくれなかった。



 ◇ ◇ ◇



【2015年12月11日】


 早朝。俺は、警察署の取調室の中にいた。


 ……いや、違うんだ。これには事情がある。あれはたった数時間前のこと……日付が変わる前。


 白刃が、店長を貫いた。


 ナイフを持っていたのは、油の浮いた髪の男。店長にしつこく言い寄る浪人生。この辺の地主の息子。


 何度もコンビニにやってきては店長に絡んで業務を妨害するコイツを、俺はとにかく追い返していた。店長は穏便に済ませたいと言っていたのだが、しばらく俺が見てみぬふりをしたら調子に乗ってボディタッチまでするようになったので、やはり言わないといけないと分かった。幸い、俺にビビっているらしく言えばすぐに出ていったのだが……その度に何かがコイツの中で溜まっていたらしい。


 この日は店長ではなく、俺に突っかかってきた。ナイフを出して。


 へっぴり腰だし、腕も細い。だから鼻で笑ってやった。そんなもので傷を負うわけがないと。


 だが店長はそう思わなかった。騒ぎを聞きつけ、俺をかばうために命がけで割り込んで……刺される。


 幸い――セーターの隙間をかすめただけで傷は負わなかったが、体の弱い店長はそのショックで気絶した。そして、気の動転した男は再びナイフを振り上げて――


 俺がその手首を蹴ってナイフを吹き飛ばした。


 上手く行った、と思ったのはその時だけだった。


 店長が事前にしていた通報で駆けつけた警察が見たのは、俺が突然襲いかかってきて手首を折られたとうるさく主張する男。吹っ飛んでどこかに消えてしまい見つからないナイフ。ナイフの刺し傷などない気絶した店長。


 とにかく……俺は男ともどもパトカーで移送されることになった。そして取調室で長々と事情聴取され、今は休憩ということで放置されている。


「……師匠の言う通りだったな」


 古武術の師匠、縄倉大心。彼には「確かにお主には武術の才能はない」と言われていた。


『型通りの動きはできるし素人にはそれで間に合うじゃろう。しかし本物の達人と相対したとき……いや。実際に力を振るわないといけなくなったとき、うまくいくとは限らない。技の選択や応用、力の加減……そういった武の才能がない』

『なるほど。……いざというときはどうしたら?』

『最悪を避けるため、全力を出すしかないのう』


 その言葉通り全力で蹴りを出し……やりすぎた。武術の才能があれば、無傷で場を収めることができただろうに……手首の粉砕骨折じゃ、警官も俺が襲ったという疑いを捨てられないよなあ。地主の息子だし。


「はあ」


 店長が起きれば監視カメラをチェックできる。そうなれば疑いは晴れるだろう。だから不安はない……が。


「何やってるんだ、私は……」


 それはそれとして、落ち込む。なにもかもうまく行かないことに。


 ……バーチャルYouTuberは、未だに流行っていなかった。俺の、彩羽根トーカの登録者数こそ30万人を超えたが、海外ゲーマーが中心で国内のオタクにはリーチしていない。

 そして彩羽根トーカに続く他のバーチャルYouTuberたちは……俺以上に不振で、再生数や登録者数からみても運営状況はよくない。全く採算が取れていないはずだ。


 俺が示したバーチャルYouTuberの姿が悪かったのだろうか? こういうものだと見せた背中が間違っているのだろうか?


 ……時間をかければ……なんとかなるかもしれない。なんたって30万人だ。その数字につられて、徐々にオタクにもリーチしていってくれるに違いない。もう少しだけ耐えて続ければきっと。


 しかし……企業は赤字ではやっていけない。俺は石にかじりついてでも続けるが、企業は? 投資家は? 可能性がなければ見切られてしまうんじゃないか?


 やっと出てきてくれた俺の推しは……消えてしまうのでは?


「……世知辛いな」


 ぽつりと呟いた。そんな時だった。


「ハスムカイさん。出てきてください。迎えの方が来ています。帰っていただいて結構です」


 そう警察官から声がかかる。


「迎え……?」


 誰だろう、と首をひねりながら、警察官の背中を追って移動する。警察署の玄関口あたりまで行くと、そこにいたのは……。


「……えっと、どなたですか?」

「……弁護士のイシダです」


 もそっ、と答える髭面の五十代ぐらいの男に見覚えは……無かった。着ているコートは古いけどブランド物っぽいが。


「……アサクマ君から依頼を受けて、この事件を担当する」


 誰だよアサクマって。


 ……あっ、そういや悪魔の弁護士として活動するときの名前がそんなだった気がするな? なんかそういう別名を使える制度があるとかで。


「あー……私、訴えられますか?」

「すでに警察と一緒に監視カメラは確認している。ナイフも見つかって指紋も調べた。君は単なる正当防衛だし、相手は強盗致傷の疑いで逮捕されている。わたしが弁護するのは被害者のコンビニ店長だ」

「強盗……?」

「君は被疑者の万引きを指摘して襲われただろう」


 そういえばそうだった。ポケットに商品を入れたところで声をかけたら、ナイフを出されたんだっけ。


「そういうのを事後強盗という……まあ、来なさい。コンビニまで送ろう」


 駐車場で古めかしい車に乗せられる。レトロ趣味なのかな、このおっさん。


「……きみは」


 しばらく車を走らせていると、イシダはぼそっと言った。


「彼がどういう人間か知っているかね?」

「彼?」

「アサクマ君だ」


 人間じゃなくて悪魔だな。


「むしろイシダさんがあいつとどういう関係なのか気になりますね」

「彼の実務修習……弁護士の仕事を教える担当だった。選任されたのが運の尽きだったな」

「はあ」

「こんな夜中に叩き起こされて依頼を受けている。おかしいと思うだろう?」


 ……そういやそうだな?


「愛弟子ってやつですか?」

「やつは悪魔だよ」


 正体バレてんぞオイ。


「どこからともなく情報をつかんで、人を動かす。……わたしは彼には逆らえん。今回の件もそうだ。被疑者の関係者の不正の証拠をいくつも渡してきてた。どこから嗅ぎつけたのかさっぱりわからんが……とにかく、わたしは彼のおかげでしばらく休めそうにない」


 ……あれか。あの検索とかいう、前の世界の情報を読んでるらしき能力。なるほど、俺の影響が少ないところや、俺が生まれる前の出来事は前の世界のままだから……やりたい放題やってるなアイツ?


「きみが彼とどういう関係か知らないが、あまり関わらないことをオススメする……それでは」


 コンビニに到着すると、弁護士のイシダはそう言って去っていった。


 それから、店長の無事を確かめて……逆に大いに心配されて恐縮しながら退勤する。まあ、立派な弁護士がついてくれるみたいだから大丈夫だろう。


「ん」


 スマホが着信を告げる。噂をすればか。


『やあ。そろそろいいかな?』

「何の用だよ?」

『助けてあげたのにつれないなあ。ま、こんなことで君の物語がつまづいても面白くないから、別にいいんだけどね。それより』


 電話口の向こうで、悪魔はニヤニヤとして言う。


『バズったから知らせようと思ってね。君のチャンネル登録者数が急増してる』

「は? バズ!?」


 なんで今急に!?


「え、最近の動画で何かバズるようなのあったっけ? いやどれもバズれと思って作ってはいるが――」

『君じゃあないね』


 俺じゃない?


『新しいバーチャルYouTuberが出てきてね、それがブログで紹介されてすごい勢いで拡散してる。君の登録者数が増えているのは、その余波だよ』

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