カバリノ・リーシュの場合
これでいい。また一つ夢が叶う。
「えっと、この小川を埋めて、この木も切っちゃっていいんですよね」
「邪魔な木はどんどん切ってくれて構わない。日が差し込むようにしてくれ」
作業員達は測量をしながら、切る予定の木に印を付けていく。その様子を眺めながら、わしは感慨にふけっていた。ここまで来るのに、どれほどの年月が経っただろう......。
わしの両親は下請工場を経営していた。工場と言っても、規模は小さいし人数も少ない。何かへまをすれば、すぐに契約解除されるようなちっぽけな工場だ。そんなところをわしは遊び場として育った。
物心がつくと、わしは簡単な仕事を手伝うようになった。両親の働く背中を見ながら、自分も将来、この工場で働くのだろうと漠然と思っていた時期だ。この頃に初めて、経営というものを知った気がする。
十四、五歳の時だったか。国が好景気に沸き、両親の工場は次から次に来る仕事で忙しさを増していた。わしも駆り出され、てんてこ舞いになった思い出がある。まさに嬉しい悲鳴だった。好景気はしばらく続き、両親は手狭になった工場を拡張することにした。従業員も増え、わしら家族の生活にもゆとりができた。こんなことは生まれて初めてのことだった。毎日作業場にこもっていた両親が、わしと食事をし、わしと町へ出かける。些細なことだが、わしには幸せだった。
大人になって、わしは夢を持った。両親のような経営者になりたかった。工場はまだまだ現役の両親が活躍し、後を継ぐような雰囲気ではなく、考えたわしは思い切って会社を立ち上げることにした。今思うと、随分大胆なことをしたものだと思うが、時には勢いというものも大事なのだとこれで知った。
わしは数人の仲間を誘い、貿易業を始めた。なぜ貿易かというと、この当時、世間では貿易は儲かると言われていて、深く考えもせず、ただそれを信じて始めてみただけだった。会社と言っても、素人しかいないのだから、当然初めは失敗の連続だった。何を買い、売ればいいのかさえも理解していなかったのだ。しかし、失敗は人を賢くするものだ。わしらは貿易で取り扱う品物と、人々が求める品物を徹底的に調べ上げた。そして、儲かる道筋を見つけた。
一つ目は、毎日消費するような食料、日用品を扱う。これなら、あまりにひどかったり高い商品でない限り、儲けは出続けるだろう。だが、こんなことは他の貿易商がとっくにやっている。その中へ割り込んでいくにはなかなか時間もかかるし、体力もいることだ。
もう一つは、流行を先読みすることだ。人々はこの先、何を求めるのかを予想するのだ。ほとんどばくちのようなやり方だ。でも、他を出し抜いて大儲けできる道でもある。反対に、金をかけすぎれば会社そのものをつぶしかねない恐ろしい結果が待っている。
わしはそのばくちを打ってみることにした。もちろん単なる予想ではなく、仲間と共に念入りに調べ、情報を吟味してからのばくちだ。自信はあったものの、やっぱり不安も大きく、あの時は本当にはらはらした。
そしてわしは、その大ばくちに見事勝った。ほぼわしらの一人勝ちと言ってもいいほどで、儲けは今まで見たこともないくらいの額になった。わしはその金を使い、リーシュ商会を組織し、貿易以外の商売にも積極的にかかわっていった。仲間の中には、たった一回の大成功で強気になりすぎだと止める者もいたが、わしはこんな時だから打って出るべきだと考えた。ここで弱気になれば、またライバル達が盛り返してくる。地盤も手腕もまだまだ素人くさいわしらでは、すぐにつぶされてしまうのは明白だった。大量の資金が手に入った今こそ、素早く攻めることが必要だと直感したのだ。
それからは山あり谷ありの道だった。わしの考えは間違っていなかったが、その後、国の景気は徐々に低迷し始め、儲けも下がり始めた。それでもわしらは知恵を絞り、リーシュ商会を大きくしていった。
その頃に辛い経験を一つした。仲間の裏切りだ。そいつはわしと似て気が強かった。だからわしの意見に不満があると必ず口喧嘩になるほどだった。だがもうそれに耐えられなくなったのだろう。ある日そいつは会社の金を持って姿を消した。この先遊んで暮らせるほどの大金だった。警察に知らせようと言う周りに押され、わしは渋々警察へ向かった。あまり気が進まなかったのは、その仲間が出て行った原因が自分にもあると思ったからだ。それまでを振り返ってみると、わしのやり方はかなり強引だった。仲間の意見に耳を貸さないこともたびたびあった。だから、そいつが頭にきたのも当然だと思ったのだ。
しかし、その後の警察の報告で、わしは驚かされた。出て行ったそいつは、ライバルの貿易会社で新たに働いていた。しかも、持ち逃げした金の半分と、リーシュ商会の内部情報を餌に、いきなり重要な役職に納まっていたのだ。それは明らかな裏切り行為だった。
そいつは警察に捕まって、牢屋に押し込められた。今はもう自由の身になっているだろうが、わしは二度とそいつに会う気はない。わしを裏切ったやつに用などない。
この出来事以降、わしはより仕事に没頭したと思う。ふと気づけば、当初の夢だった経営者になることはもう叶い、わしには目標になるような夢がなかった。そこでわしは次なる夢を探した。すぐに思いついたのは田舎で働く両親のことだった。高齢になっても、未だに現役で働く両親に、何か親孝行をしようと考えた。
実家の工場に帰ると、両親はいつも通りに働いていた。だが、その動きに昔みたいな切れはなかった。やっぱり歳には勝てないようだった。そこでわしは両親に隠居を勧めた。工場とその後の生活は、わしの力でどうとでもなると説得すると、最初はかたくなに拒んでいたが、最後は折れて承諾してくれた。だが両親は一つ条件を出した。それは、隠居生活をこの田舎でしたいということだった。両親には会社のある町で暮らしてもらおうと思っていたが、他の方法を考えることになった。これまでのように工場で暮らしては、また働き始めてしまうような気がするし、かといって借家に住まわせるのも、親孝行をした気分にならない。そこでわしはまず、広大な土地を買うことにした。そしてその土地に、両親のための豪華な家を建てようと考えた。両親にはひとまず隠居生活の支度をすると言って、町に仮住まいしてもらった。家が完成し、田舎に戻った時の二人の驚く顔が楽しみで待ち遠しかった。
早速わしは、農場を経営できるほどの広大な土地を買い上げた。そして、建築家と何度も相談した家の設計を元に、やっと建て始めようという時だった。突然母が倒れたという知らせを受けた。病院に入院した母だったが、工場での疲労は相当体をむしばんでいたらしく、初めて知った病状になすすべもなく、母は五日後に亡くなってしまった。残された父は言葉には出さなかったが、母の死がかなり辛かったようで、明らかに顔色がすぐれなかった。そして、母が亡くなって七日後、父はベッドの中で眠るように天に召された。
短期間に両親を失って、さすがにわしも応えた。家のことは当然中止にし、仕事も休暇を取って、ふさぎ込んだ毎日を送った。もっと早く親孝行をしていればと、後悔の気持ちばかりだった。それでも会社は容赦なくわしを必要とする。現実に引き戻されても、頭の片隅には果たせなかった親孝行のことが残っていた。それはわしの夢でもあったのだ。諦めたくなかった。わしのそんな諦めの悪さが、沈んだ気持ちを開き直らせてくれた。
両親が死んで二年。ようやく家の建築が再開された。この家を建てても、もう住んでくれる両親はいない。それでも、わしの別荘として建てようと思った。今は町の墓地に眠っている両親だが、この家が建ったら墓をここへ移すつもりでいる。そうすることでやっと親孝行になるのだと思う。金に糸目はつけないつもりだ。建てる家同様、移す墓も豪奢なものに作り変えようと考えている。昔のわしには想像もできないほどの金を手に入れたのだ。惜しむ気はない。それが両親のためならなおさらだ。
「いやー、こりゃ立派な木だなあ」
作業員の一人の感心した声にわしは我に返った。振り向くとそこには、他の木とは比べ物にならないほどの、太く巨大な大木が生えていた。おそらく樹齢はわしの五十六を優に超えて、三桁に達しているんじゃないだろうか。
「あ、リーシュさん、これ、どうしましょうか」
「この木は予定地に入るのか」
「はい。......入るよな」
作業員は離れたところで測量をする同僚に聞く。
「多分、入っちゃいますね」
「そうか......」
建てる位置をずらす気はまったくなかった。この場所に決めたことには、かなりのこだわりがあるのだ。この辺り一帯は小高い丘になっていて、見下ろすと家々の町並みと、その後ろに流れる美しい川、そしてそれを囲む山々を一望できる絶好の場所なのだ。少しでも位置を変えれば、その完璧な眺めが崩れてしまう。それではこの土地を選んだ意味がなくなってしまうのだ。
「それなら切ってくれ」
長寿の大木には悪いが、そうするしかない。
「わかりました。けど、これほどの木だと、すべて取り除くのに少し時間がかかりますよ」
「構わない。今さら時間なんて気にはしないよ」
天国の両親が満足する家を建ててくれるなら、時間がかかろうとなんだろうと、わしは待つつもりだ。
「そうですか。じゃあ、明日から早速取りかかって、なるべく早く終わらせるように努力します」
「頼む」
木のことを任せ、次にわしは測量のための杭を地面に打ち込む作業員を通り過ぎ、細く流れる小川の側に来た。水の流れに勢いはなく、水量も少ない。まるで上からジョウロで水を流している感じで、小川と呼ぶには少し抵抗があるほどだ。
見ると、小川の上流で一人の作業員が腕組みをして、何やら固まっていた。わしは近づいて声をかけた。
「何か問題か」
作業員は小川を見つめたまま、難しい顔で言った。
「この水は、おそらく上の山の湧水が源泉だと思うんです。ですから、ここだけ埋めても、また水が流れてくるんじゃないかと......」
「この水は湧水なのか。湧水くらいなら、ささっと止められるんじゃないのか」
「それはそうですが、問題は行き場をなくした水が、また別の場所から出てくることで、運が悪いと家の真裏から、なんてこともあると思うんです」
「そうなったら、また埋めればいい」
作業員はうーんと唸った。
「......しかし、解決にはなりませんよ」
「君はいいやつだ。仕事を与えてやるというのに。何も埋めた側からすぐ湧き出るわけじゃないんだろ? 君達には定期的に調べてもらう」
「それだと、費用がかさみ――」
「そんなところまで心配してもらわなくて結構だ。それよりも、仕事が増えたことを喜んだらどうだね」
「受けたものを終えてもいないのに、喜ぶのは早すぎます」
「真面目なやつだ。でも、それがいい。......頼んだぞ」
「お任せください。一旦仲間と話してきますので、失礼します」
実直な作業員は小川をまたいで、同僚のいる森のほうへ走っていった。
建築予定地を見渡すと、それぞれの作業員が滞りなく仕事をこなしている。わしが指示を出すこともなさそうだ。後は建築の専門家達に任せて、素人のわしは仕事に戻ろうと考えた時だった。
「わざわざこんな場所に家を建てなくてもいいんじゃない?」
振り向くとそこには、いつの間にか女が立っていた。白いローブ姿で、腰に手を置き、作業員達のほうを不満げに見ている。その後ろにも同じ白のローブ姿があった。こっちは男だ。二人ともわしよりだいぶ年下の、二十代半ばくらいに見える。
「......君達は?」
見たこともない二人に、わしはとりあえず尋ねた。
「ここが気になったから、見に寄ってみたの」
女は大きな目をわしに向ける。よく見るとかなりの美人だ。白く透き通った肌に映えるように、柔らかな唇は一輪の花を思わせる桃色で、長くしなめく黒髪は、そよ風になびいて艶やかに輝いている。体の線はローブに隠れて見えないが、大きく膨らんだ胸の形から健康的な体形が想像できた。正直、わしの好みだ。
「あなたの家を建てるのですか?」
「......え? ああ、そうだ」
思わず見とれ過ぎてしまって、男の声に反応が遅れた。
「なぜわざわざこんな小高い場所に建てるのですか?」
「ここは見晴らしが抜群なんだ。あの辺りの木を切れば、もっとよくなる」
指で示した先では、作業員達が書類を見ながら動き回っている。
「あなたはあの木を切るんですね」
「ああ」
「景色をさらによくするために」
「そうだ。......何か文句がありそうな言い方だな」
男の顔にも口調にも感情は見えなかったが、どこか癇に障る言い方に感じた。
「一体君達はなんだ。興味本位で見に来ただけじゃなさそうだが」
「確かに、見に来ただけじゃない、かな」
女はため息混じりに言った。
「つまり、わしに用があるということか」
二人は顔を見合わせると、男が口を開いた。
「では、はっきりと言わせてもらいます。建築計画をひとまず止めていただきたい」
その言葉に、わしはピンときた。
「なるほど。君達はこの地域の住民か。わしがこの辺りの土地を一気に買ったから、不安にさせてしまったようだな」
二人は無反応だった。それでもわしは続けた。
「心配はいらない。わしも昔はここに住んでいた身だ。私有地だからと言って森に入るなとは言わない。今まで通りの生活が送れることを保証しよう」
「保証してくれるなら、今すぐ計画を考え直してよ」
美人の言葉でも、わしは少し苛ついた。
「生活は変わらない。計画を止める理由はないはずだ」
「いいえ。このままでは生活が変わってしまうのです」
今度は男の言葉に苛立った。
「何が変わるんだ。言ってみろ」
男は無表情のまま話す。
「まず、あちらの木々ですが、あそこは鳥や小動物のねぐらになっています。また、実を付ける木はそれらの食料にもなっています。すべてを切るわけではないようですが、それでも生き物達に影響はあるでしょう。そして、さらに影響が大きいのが、この小川です。もとは湧水が寄り集まってできた小川ですが、その湧水という根っこを止めてしまえば、ここに住む動物、下流の人間達を困らせることになります」
言っていることが、どうも動物のことばかりだ。これが地域住民の意見なのか?
「小川を埋めるとなんで困るか、わかる?」
わしは何も答えなかった。理由も正直わからなかった。
「これってこの森に住む動物の飲み水になってるの。これを埋めたらいちいち人間のいる川まで下りるか、ここから上の険しい源泉まで飲みに行くかしかできないわけ。そうなると、勇気や体力のある動物しか生き残れないことになるでしょ」
「もう一つの、人間は何が困るというんだ」
「町の側に流れてる川、あるでしょ? 実はあの川には、ここの小川の水が流れてるの。つまり、町の川はこういう湧水が集まってできてる川なわけ。この小川を埋めたら、必然的に町の川の水量は減る。減れば魚も減る。魚が獲れないから動物を多く狩る。でもその動物も水不足であまりいない。食べられるものが少なくなって、町の人間はどうすると思う?」
「.........」
「別の町に移るの。リーシュという男性が、周りを考えずに行動したばかりに」
「わしの名前を知っているのか」
「もちろん」
女は口の端で笑ったが、目は真剣だった。そんな表情も魅力的だ。
「ところで、君の名前は?」
「名前? さあ......なんだろう」
女は首をかしげた。
「言いたくないか。......とにかく、今の話は大げさすぎる。この細い小川から、町の人々が引っ越す事態に発展するわけがないだろう」
「そうね、あんたが生きてる間は、そうならないかも」
「あんたって......君」
「でも、時間が過ぎれば確実にそうなる。後世の人間は、あんたの愚かさを学校で教えるかもね」
女の目は本当に真剣だった。その中には怒りのようなものさえ感じられた。しかし、どんなに挑発的に言われようと、そんな話を受け入れることはできない。わしは親孝行のために、最高の場所を選びたいのだ。
「君達は、自然や動物の保護運動でもしているのか? それならここじゃなく、もっと都会でやったほうがいい。都会のほうが人も多く、聞いてくれる奇特なやつもいるだろう。ほら、早く行ってくれ」
これ以上無駄話に付き合う時間はない。この後もまだ会社の仕事があるのだ。わしは無理やり二人の背中を押して遠ざけた。
「人間には、未来を想像する力があるんでしょ? なんで近くばっかり見るのさ」
「悪いが、もう話を聞く気はないよ」
とどまろうとする女を強引に押していると、横から作業員が一人やってきた。
「ど、どうかしたんですか?」
驚いた様子で聞く作業員に、わしは落ち着いて答えた。
「騒がしくてすまないな。ちょっと邪魔が入っただけだ。君達は仕事に専念してくれ」
「はあ......」
いぶかしげな作業員を横目に、わしは二人を手で追い払い、背を向けて帰ろうとした。
「あなたのご両親は、なぜここに住み続けたかったのでしょうか」
背後からの男の問いに、わしは足を止めた。なぜ両親の希望を知っているのだ? このことは限られた人間しか知らないはずだ。
「単に故郷だからというだけではないはずです。ご両親は――」
「赤の他人に、わしの両親の何がわかる!」
何もかも知ったふうな男の口調が気に入らず、思わず振り向いて大声を出していた。
「君達がどこで聞いた情報かは知らないが、両親は不慣れな町暮らしより、生まれた時から住んでいるこの田舎のほうが暮らしやすかっただけだ」
「暮らしやすさだけなら、町でもいいはずです。店も品物も多くあるし、何より息子のあなたに毎日会えます。それでも故郷を離れたくなかったのは、町にはないものがここにはあるからです」
見ず知らずの男に、なぜ両親の気持ちを代弁されなきゃならないのだ。――いや、これは代弁などではない。男の都合のいい想像でしかない。両親の気持ちは子供のわしにしかわからないのだから。
「君が亡くなった人間の言葉がわかるというのなら、信じるべきなのだろうが、あいにくこの世にそんな人間はいない。それとも証明してくれるか? 無理なら君の話は嘘だ。聞く価値もない」
「とんだ親孝行ね」
女がぼそりと言うのを聞き逃さなかった。
「......なんだと?」
端整な顔を歪め、女はいかにも腹立たしそうに言う。
「いいことしてると思ってるのは、あんただけだからね。ご両親は贅沢な墓も家もいらないの。ここの、昔からある、自然のあふれた素晴らしい景観さえあれば、何もかも満足なの。それをあんたはこれから壊そうっていうんだから、呆れるしかないわね」
「はんっ、呆れるのはこっちだ。わしの両親の気持ちを勝手に創作するとは。死者を冒涜するのもいい加減にしろ」
「冒涜じゃなくて、尊重してるのよ。そこ間違えないで」
「少し落ち着いて」
男が女の肩を押さえる。
「両親の望みと一緒に、動物達や自然までぶち壊そうとしてるのよ? 落ち着けるわけないでしょ」
女はわしをキッと睨んできた。瞬間、頭に血が上った。
「自然を壊して何が悪い。人間は昔からそうして家を建て、道を作ってきた。それを知らないのか!」
「あんたは無駄に壊そうとしてるのよ。人間の中でも、あんたは愚か者よ」
「壊したのなら、また作ればいいだけのことだ。自然なんて、人間の手でどうとでもなる。金と暇さえあれば、いくらでも増やせるものだ。それを、少し木を切って小川を埋めると言っただけで、わーわーと過剰に反応して――」
「金で、どうとでも? まさか本気じゃないでしょ?」
女の顔は一瞬で冷めた。
「本気じゃないなら何だと言うんだ。庶民は金の力というものを知らないようだな。金はあらゆる望みを叶えてくれるものだ。自然を作るのもしかり、人の命さえ手に入ることだってある」
二人の様子は明らかに変わった。今までの怒りや反論の空気は消え、重苦しいような、なんとも表現しにくい様子に変わっていた。
「金とは、人間が作り出した一種の決まりです。そんなもので、すべてを手に入れられると?」
男は冷静に聞く。その顔に一つも感情は見えない。
「当たり前だ。わしは金を手に入れて、ここまで登りつめた。望んだものはほとんど叶えてきた。わしの金なんだ、使い道に口出しされる筋合いはない」
「親孝行という使い道に、私達は文句を言うつもりはありません。ですが、金ですべての望みが叶うという考え方には賛同できません」
「それで結構だ。わかってもらおうとは思わない」
部下や友人にこのことを話すと、みんな決まって不快な顔を見せる。これは金のある人間にしか理解できないことなのだ。庶民にわかるわけがない。
「あの、リーシュさん、こっちの仕事は一通り終わったんで、そろそろ戻ろうかと思うんですが......何かもめ事ですか?」
振り向くと、後ろには仕事を終えた作業員達が立ち並んで、わしらの様子を心配げに見ていた。
「そうか。こっちもすぐ終わるから、少し待っていてくれ」
「わかりました。......何か手助けできることがあったら言ってください」
作業員達はぞろぞろと木陰に離れていく。
「......自分のことしか......」
「しかし......まだ......」
白いローブの二人は、何か小声で呟き合っていた。
「わしにまだ言うことがあるのか」
怒鳴るように聞くと、二人の目がわしを見た。
「言いたいことは山ほどあるわ」
女が一歩前に出てくる。
「でも、あんたが金に支配されてる限り、何を言っても通じないみたい。ご両親も、こんなんじゃ悲しむわね」
「た、他人の分際で何を――」
「あんたの金で、あたしの命、買ってよ」
わしは呆気にとられた。どうしてそんなことを言ってくるのか皆目わからなかった。
「もし買ったら、ここに家を建てないで。その代わり、あたしの命を好きにしていいから。どう?」
女はにやりと笑って見せた。何か魂胆がありそうだ。しかし、この美女を手に入れられることは魅力的すぎる。わしはこの歳になっても未だ伴侶と巡り合っていない。このまま独身だと覚悟していたが、まさかこんな形で相手を手に入れるとは。言葉や気性がなかなか激しいが、それもこの美貌のまえでは微々たる問題にすぎない。この話に裏があろうと、この美女が手に入るなら......。
「......いいだろう。わしが君を買おうじゃないか」
「でも、そうすると家は建てらんないけど?」
「君を買うためだ」
「あんたのしようとしてた親孝行は?」
「また別の機会にすればいい」
「親孝行が夢だったんじゃないの?」
「夢はいつでも叶えられる。これからは君の夢だって叶えてやれる。さあ、こっちに......」
わしが手を差し伸べると、女は踵を返して男の横に並んだ。
「な......」
「これでこの人間が、金と我欲だけだってわかったでしょ?」
話しかけられた男は、無言でわしを見つめる。
「親孝行を貫いてたら、少しは印象が違ったかもしれないのに。......でも、結果は変わらないか」
女は肩をすくめる。......やはり、やはりこんなことだったか。頭の奥が途端に熱くなるのを感じた。
「わしを怒らせてくれて感謝しようか。おかげでいいことを思いついたよ。この森をすべて切り、後ろの山を削り、ここ一帯を見晴らしのいい場所に変えるのだ。君達が残したがっているものは、全部取り除かせてもらう!」
わしを激怒させたことを後悔させてやる。動物が消えようと川がなくなろうと、それは自分達の招いたことだ。絶対に許さん。金をいくら使ってでも、ここから自然という自然を消し去ってやる!
「おいっ、計画変更だ。森の木はすべて切り倒せ。こっちの山は――」
わしは作業員達に指示を出した。ぽかんとしているやつには大声で怒鳴った。
「違う! そんな近くじゃない。もっと先まで削って――」
突然だった。わしの声は広がった闇に吸い込まれ、そのまま聞こえなくなった。
*
「......怒らせる必要はなかったのでは」
「でも、中身がよく見えたでしょ」
「それはそうですが、だますというのはいかがなものか......」
「もう、頭が固いなあ。見極めるためなんだから、それくらいいいでしょ」
「私はどうも納得しかねます」
「うるさいうるさい。終わっちゃったことなの。無理にでも納得してよ。......ところでさ、さっきまでいた人間達がいなくなっちゃったけど、どこいったの?」
「カバリノ・リーシュが消えたことに驚いて、全員走ってどこかへ行きました」
「え? なんで?」
「この世界で、突然人間が目の前から消える現象などありません。驚き、怖がるのは当然でしょう」
「そうなんだ......全然考えてなかった」
「これからは考えて行動してください」
「できたらね。自信ないけど」
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