君の隣で歌いたい

三ツ沢ひらく

一、プロローグ

第1話

 トン、トン、トン、


 指でリズムを刻むと、いつものように頭の中でふわりと音が踊り始めた。


 その音たちを逃さないように五線譜にペンを走らせる。


 次々と生まれる音の連続はやがてひとつの曲になる。


 心の向くままに電子ピアノを奏で、またペンを持ち、それをひたすら繰り返す。


 そうしてできた曲を気ままに歌うのが、私の趣味であり生きがいでもある。


 シンガーソングライターなんてかっこいい肩書きではないけれど。


 SNSで歌を公開し始めてもうすぐ一年。


 フォロワー数云万人、アップした動画は再生回数は優に百万再生を越える。


 私はSNS上でそこそこ有名になったらしい。


 顔出し絶対NGの覆面ネットシンガー


 【linKリンカ】として。


「『今日の作曲はここまで』っと」


 SNSで作曲工程を生配信する時は手元だけをカメラで写し、とにかく絶対に顔が映らないようにしている。


 もう終わっちゃうの? というフォロワーのコメントに苦笑して、私は配信を停止した。


 ヘッドホンの隙間から私を呼ぶ声が聞こえる。


凛夏りんかちゃん、もうご飯の時間だよ」


「はい、透流とおるさん」


「ピアノばかり弾いてるけど勉強は大丈夫? 来年受験なんだから、成績下がったらお母さんにぐちぐち言われるよ」


「はい、分かってます。勉強も頑張ります」


 自室のドアを開けた先に立っていた血の繋がらない義兄あに――透流さんは眼鏡の細いフレームに触れながら軽く息を吐く。


「ならいいんだけど」


 優秀で勤勉な透流さんは私の勉強時間が少ないことが気に入らないようだ。成績は悪くはないのに、努力が見えないと釘を刺されてしまう。


 私は透流さんが、苦手だ。悪い人ではないのだけれど、少し神経質で怖い。


 二人そろって階下のリビングに向かうと、広いテーブルには豪華な料理が並べられ、既に両親が席についていた。


「遅くなりました」


「凛夏、何度も言ってるでしょう。おとうさんを待たせないで」


「すみませんおとうさん」


「いやいいんだよ。さあ食事にしよう」


「どうせまたピアノを弾いていたんでしょ? いい加減勉強に集中しなさい」


 私が夕飯に遅れたことでピリピリしている母と、いつも笑顔でなにを考えているか分からない母の再婚相手。


 肩身が狭い思いで料理に手をつけると、透流さんが思い出したように口を開いた。


「凛夏ちゃん、よかったら僕が勉強を見ようか?」


「えっ」


 唐突な提案に舌を噛みそうになる私を尻目に、母が嬉々として手を合わせる。


「それはありがたいわ。透流くんは国立の医大生だもの。きっと勉強を教えるのも上手でしょうし。ねえあなた」


「そうだなぁ。凛夏ちゃんはどうかな?」


 三人の視線が一気に刺さる。私は食べかけのポークチョップをごくりと飲み込み、その視線から逃げるように俯いた。


「あの……じゃあよろしくお願いします」


 とても拒絶なんてできる雰囲気じゃない。


 このどうしようもない閉塞感。


 私の幸せな家族関係は、一年前、母の再婚で壊れていた。


 ▽


「なーにーが『勉強見ようか?』よ! ピアノのなにが悪いのよ! 大体お母さん昔はあんな豪勢な料理つくったこともなかったくせに! 新しいおとうさんとお義兄さんに媚び売っちゃって!」


「相変わらずうるせーなお前は」


「ねえちゃんと聞いてよ柾輝まさきくん! 実の妹がこんなにしいたげられてるっていうのに」


「十分かわいがられてんだろ」


 いつもどおり電話越しにそっけない態度を取るのは私の実の兄、柾輝くん。


 私の三つ上で、高校卒業後に一人暮らしを始めた自由人。


「で、どうなんだよ【linK】の方は」


 そして、【linK】の正体を知る唯一の存在だ。


「新曲で相談したい部分があるんだけど、今日の配信見てくれた?」


「見てない」


「もー! 見てって言ってるでしょ!」


 柾輝くんはメジャーデビュー目前と言われているインディーズバンド、【モルフォ】のメンバーとして活躍している。


 兄妹そろって音楽を続けているのは亡くなった父の影響が大きい。


 父は歌手だった。


 と言ってもちっとも売れていなかったので別の仕事もしていた。


 それでも自分はミュージシャンなのだと、死ぬまでそう言っていた。


 母はそんな父に呆れていたのかもしれない。


 それでも柾輝くんと私は幼い頃から父に習った音楽から離れられず今に至るわけだ。


「ピッチはもっと速くてもいいな」


「ん?」


「あと後半、雰囲気下がるから転調した方がいい」


「しっかり見てるじゃん」


 どうやら配信は見ていたらしい。


 うるせーと一喝されてしまうが、これは柾輝くんの口癖のようなものなので放っておく。


 なんだかんだでこの兄は面倒見がいいのだ。


「多分【linK】が本当の私なんだと思う。凛夏の声は誰も聞いてくれないけど、【linK】の声なら届く。だから【linK】を続けたいの。誰にも邪魔されたくない。ねえどうすればいい?」


 このままでは勉強を理由にピアノを禁止されてしまうかもしれない。


 母はどうしても私をいい大学に入れたいらしい。


 きっと出来のいい透流さんと私を比べられたくないのだと思う。


 【linK】を続けたい。なんのしがらみもなく自由に歌う【linK】こそが本当の私だから。


 間違っても、薄暗い家庭環境に悩まされ好きなこともできない凛夏は、許容できない。


 なのに柾輝くんは「どっちもお前だよ」としか言ってくれなかった。


 今日も【linK】は歌う。自由の歌を。


 父から受け継いだ音楽への愛を胸に、兄と育んだ澄み渡る声を響かせて。


 だからお願い、邪魔をしないで。

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