筋肉もりもり転生記〜モヤシがマッチョになって世界を救う〜
梅おかか@鶴梅創作堂
第1話 サヨナラ現世
筋肉。動物の持つ組織の一つで、収縮することにより力を発生させる、運動器官の代表。骨格筋、心筋、平滑筋の三種類がある。骨格筋は主に骨についており、体を動かす。心筋は心臓を拍動させ、平滑筋は血管や内臓を動かしている。
一般的に、女性は男性の筋肉を好むとされ……
「あーーー!やめだ!」
バタン、と少々荒々しい動作で呼んでいた本を閉じた青年は、振り向きもせず、後ろ手に本を放り投げだ。ドサ、と本が落ちる音がする。
「なんだよ。人間筋肉だけじゃねーよ」
ブツブツと呟きながら不貞腐れ気味に突っ伏した青年は、茂屋司(しげやつかさ)と言う。華の大学二年生、最近ようやくアルコール摂取を許された程度の年齢だ。大学生らしく、彼の机の上には、何冊もの書籍が積み重なっている。
『サルでもマッチョになれる!筋トレ特集』
『良質な筋肉は体内から!マッスルクッキング』
『図解 人体』
『栄養がもたらす人体への働き』
分厚いものから薄っぺらいものまで様々折り重なっている机の上は、本来広かったのだろうが今は額を押し付けて唸る程度のスペースしかない。
「おいモヤシなにしてやがる!!!夕飯だって言ってんだろが!!!」
ぐぬぬ、と唸っていると、不意に床がズドン!!と揺れた。すわ地震か、と慌てそうなところだが、同時に響いてきた罵声によって違うとすぐにわかる。二歳上の兄が、一階から呼んでいる合図だ。埃が舞うからやめろと何度も言っているのに、兄はその自慢の筋肉をフル稼働させてコードレス掃除機でわざわざ弟の部屋の床の部分を突き上げて呼び出すことをやめない。いつか貫通するのでは、と密かに懸念している。
「わかってるようるせーな黙れ筋肉デブ!!」
司は叫び返す。聞こえたのかはわからないが、ドスドスと突き上げられる振動はなくなった。
「はあ…」
茂屋家は、再婚同士の家庭だ。シングルマザーだった司の母と、シングルファーザーだった兄・益男の父は司が高校生になるタイミングで結婚。それまでも何度か四人で会ったことはあったため、再婚に抵抗はなかった。だが、この兄、益男との相性がとにかく悪い。
「おせーぞ。何してんだ」
ノロノロと足を動かして階段を下りていくと、ピンクのエプロンを着たムキムキの大男が出迎えてくれるのは控えめに言って悪夢だと思う。
「引くわぁ……」
「あ??なんか言ったか?」
本当に小さな声で呟いただけだったが、益男は耳ざとく聞き咎めてくるりと振り向く。その姿を視界に入れるのすら憚られて、俯き加減でなんでもない、と早口で答えるに留めた。
「ハッキリ喋れよお前。聞こえねぇんだよ」
「うるせーな…」
190センチ超えの長身に、全身くまなくガッチリとついた筋肉。体重が100キロなのは脂肪ではなく筋肉だ。そんなガタイをしている兄が目指しているのが小学校教師。司は、自分が小学生なら間違いなく泣くと思っている。
「さっさと食え。俺はバイトだ」
「あっそ」
両親は二人とも遅くまで働いているので、茂屋家の家事は益男と司が交代で担っている。とはいっても、お互いバイトや大学の授業で忙しく予定通りいかないこともあるのだが。
手際よく並べられた夕食は、親子丼に豆腐の味噌汁、野菜のチーズ焼き、デザートとしてヨーグルト。机の上にはプロテインのサプリメントが入った瓶が置いてある。
無言で食べながら、司はぼんやり考えていた。
(もうちょい筋肉がつけばモテるかもしれねぇのにな…)
そう。司の悩みは、筋肉がつかないこと、だった。昔から痩せ型と言うのか、食べても太らない体質だった。女子からは羨ましがられるが、どれだけ食べても運動してもヒョロヒョロのままなのは男としてなかなか悔しい。筋肉がつかないので当然筋力もない。体育でも活躍の場を運動部に奪われ、目立たないポジションだった。水泳などで上半身裸になれば、肋骨が浮いているせいで不健康そうに見られる始末。挙句の果てに食事をとっていない疑惑までかけられ、親が呼び出しを食らった。
両親が再婚して益男が兄になってから、その恵まれた体格により司は益々自らの体格をコンプレックスに感じるようになった。筋肉があるからかは不明だが、益男は彼女が切れたことがない。それもまた、司にとっては羨望の対象だった。
筋肉さえつけば、きっと俺も人生うまくいくんだ。
そう思って筋トレ、サプリ、食事に気を配って苦節10年。ヒョロヒョロなのは体質なんだ、とあきらめの境地に達しかけている。
「ご馳走様でした」
どんよりした気持ちで食べていても、食事は美味しい。あっという間に食べ終わり、シンクに皿を下げた。食後に液体プロテインでも飲むか、と冷蔵庫を開けようとした。その瞬間、
「うわっ?!」
洗剤でも垂れていたのか、ツルリと床の上を足が滑った。グラリと体が傾く。慌てて何かにつかまろうと振り回した手はなぜか何も掴めず、脳内はプチパニックだ。仕方なく目を閉じて、きたる衝撃に備えた司の背中に、なにか柔らかいものが触れた。
「……ん?」
ドサ、ではなく、ポスン、と体が沈み込む感触。益男が受け止めてくれたにしては、柔らかすぎる。いや、良質な筋肉は柔らかいのだと以前力説されて触らされた筋肉は確かに思っていたよりも柔らかかったが、これはそういう柔らかさではない気がする。まるで、家具店に置いてある高級ベッドに戯れに触れた時のような、そんな柔らかさ。
「………は?」
恐る恐る、目を開けた。視界に飛び込んできたのは見慣れた家の台所の天井ではない。
「ここ、どこ…?」
大きく切り取られた窓から差し込む日差し。全身包み込まれるような柔らかなクッションと肌触りの良いシーツ。
視界には、大きなシャンデリアが一つ。トントン、とノックの音がする。
「あら、お目覚めですか坊ちゃま」
「誰?!?!」
茂屋司20歳。生まれて初めて、家族が恋しいと思いました。
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