81:サクレリウス⑥

 ヴェイスタヤ王国内での行動はこの国に上手く操作されているようで、サクレリウス王国はどうやっても聖姫と出会わないようになっているらしい。

 聖姫との交渉のため、単身街に残ろうと考えたエクルースだったが、きっとそれさえも事前に察知されてやはり交渉のテーブルに着くことはないと理解していた。


 結局、エクルースは非常事態にでも陥らなければ聖姫瑞佳みずかと出会うことはないだろうと、結論付けていた。



 海を渡るに当たって海上に魔物が出現していることは、街の漁師らの情報で分っていた。

 海の上と言う、魔物側に有利な場所ではあるが、聖女と海に慣れたヴェイスタヤの海兵が居れば倒せる程度の相手だろうと判断する。

 もしも倒せないほどの相手なら、後程やってくるだろう聖姫との交渉の場が持てるかもしれないな。

 結局、エクルースは八割がた勝てるだろうと判断して海を渡ることに決めた。



 今後の進路を護衛の騎士に伝えると、後ほど護衛騎士の隊長が面会を求めてやってきた。

 彼は海上での戦いに不安を覚えており、否定的な意見を述べた。

「魔物の存在を知りつつ海上を渡るには少々リスクが高いかと思います」

 海上では、普段騎士の着ている重い鎧は着用できない。そのため薄い革製の鎧か、泳ぎが苦手な者ならば布の服で戦う必要があるのだ。

 それに船の上に慣れていないサクレリウス騎士─聖女の護衛は陸戦部隊から選出されている─にとって、甲板の上は揺れ足場が心もとない。

 いつもの実力が出せないからの不安。もちろん彼自身がではなく、部下の意見を取りまとめ代弁しているのだろうが……


「我らが海上の戦闘に慣れていないのは理解している。

 そのためにヴェイスタヤから海兵を二隻分借りているのだ、聖女の支援もあるのだしきっと勝てるだろう」

 さも自信ありげに言うエクルースに、騎士隊長は安心して頷き、

「了解いたしました」と返事をしてこの話は終わった。







 三隻の軍船が出航して一日目の深夜。


ドォォン!

バキバキバキッ!


 巨大な衝撃と共に木が折れる音が響き、船が恐ろしいほどに揺れた。

 サクレリウス王国の面々は急いで飛び起きて、剣を片手に甲板の上に走った。しかし船が揺れは酷くなる一方で、船体は幾度も斜めになり、上手く走ることができない。

 おまけに船底が無残に砕け、足元には海水が迫ってきていた。


 こうして一隻目の船はなす術もなく沈んだ。




 数十メートル先から、とても大きな破壊音を聞いた二隻の船は、魔物と軍船が沈没する際の波に巻き込まれないように距離を取る。


 海兵が目を凝らすが、その日は月明かりが無く暗くて敵の全容が見えない。

「くっそ暗くて見えねえぞ!」


 悪態をついた、次の瞬間、

「【光源ライト】!」

 聖女が使う高ランクの魔法の明かりが複数個発動し、周囲をまるで昼間のように明るく照らした。


 視線の先で、半壊した船に巻きつくのは巨大なタコの足。

 辺りから「おぉぉ」とどよめきが上がる。それは聖女の昼と間違うような明かりに反応した声なのか、それとも巨大な足を見た感想なのか?


「あれはクラーケンだ! 旋回、退避しろ!!」

 クラーケンは巨大で船の上で戦えるような相手ではなかった。経験豊富なヴェイスタヤの海兵は戦うことができないと判断して、逃げに切り替えたのだ。


「まだ溺れている兵がまだいるでしょう!? 助けられる人を助けないと」

 波にのまれない様にと、海面で必死に手を動かしている兵を見た聖女が叫ぶ。

「無理ですよ聖女様! こっちまでやられますって!」

 ヴェイスタヤの海兵がそう叫ぶが、

「船を降ろしなさい。助かる人を見捨てるわけにはいかなわ!」


 叫ぶ聖女の声に数人の海兵が反応したが……

 次の瞬間、甲板にビシャっと巨大な足が現れて巻き付き、海兵の動きはそこで止まってしまった。なぜなら巨大な足に押しつぶされて肉片に変わったからだ。

 目の前に降りてきた一本目、そして逆側から二本目の足が現れて船に巻き付く。


メシ、メシメシ


 辺りから船が軋む音が聞こえてくる。

「まずい、海に飛び込め!!」


 純奈が、自分はどうすべきか? と、辺りの様子をキョロキョロと伺っていると、

「純奈! あの巻き付いている足を狙え。

 相手が怯んだ隙に、小舟で脱出する!」

 甲板に上がってきたエクルースが後ろから声を張り上げて叫んだ。


「お、お兄様!? それは」

 エクルースの後ろでベッティーナが焦った声を出して制止していたが……

「いいから、早くやれ!!」



「はいっ! 【白光バニッシュ】」

 得意な呪文を連続詠唱する純奈。

 白い閃光が何度も起き巨大な足を幾度も焼き、船から外れ海中へ戻っていく。

「いまだ純奈、逃げろ!!」


 海兵からこの船はもうすぐ沈むと言われ、純奈も急ぎ小舟に乗り込んだ。

「エクルース様も早くこちらへ!!」

 小舟にはまだ空きがある。

 すぐさま、そう言って純奈はエクルースに手を伸ばしたが、

「先に行け、私は残っている兵を纏めなければならない!」

 彼は首を振ってそう言うと、小舟を繋いでいたロープを切り「聖女を頼んだ」と、笑顔を見せて送りだした。







 明け方、帆が折れて航行困難な軍船が一隻だけ残され、海上を進んでいた。

 しかしヴェイスタヤの港へと戻るその船の上に聖女の姿はなかった。


 じっと後方の海岸線を見つめるエクルース。ベッティーナはその隣に近づき、

「お兄様、なぜあのような事を言ったのですか?」

 それはクラーケンの足を狙えと、聖女に告げたこと……

 彼女は思う。

 クラーケンは己を傷つけた者の魔力を追いきっと復讐したはずだと。だから聖女はすでに……

 この兄は恐ろしいことに、自らの命を護るために我が国の最後の砦だった聖女さえも囮に使ったのだ。


「兵には聖女純奈は皆を逃がすために全力を尽くしたと伝わるだろう」

 そんなことが聞きたいのではないと、彼女は憤りを露わにしこちらに決して顔を向けない兄の背を無言で睨み付けた。

 エクルースは小さくため息を吐く、

「聖女という駒は聖姫の居る今の時代であれば必ずしも世界にとって必要ではない。

 しかし私と、お前は、少なくともサクレリウス王国にとっては必要だ。

 この後の聖姫との交渉が失敗した場合、お前には役目を果たしてもらうぞ」

 結局彼はベッティーナに一度も振り返ることなくそう言った。


 聖女が命を護るための駒ならば、わたくしは聖姫との交渉で自国に【転移】魔法陣を得られなかった場合のための駒。

 東のサンニ王国とは最近めっきり関係が悪くなったから、きっとティルス王国のお隣のブランナーに嫁ぐことになるのね。

 唯一の救いは、ブランナーの王太子が若くて顔も悪くない事かしら……

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