言葉は誰のものでもないが、誰かのものでもある。
彩霞
第1話 言葉は誰のものでもないが、誰かのものでもある。
何を買ったときのことだったは忘れたが、現金で支払いをしていた際に、「言葉は現金と同じで、誰のものでもないんだな」とふと思った。
「現金その場限り」という言葉は、お金が誰のものでもないことを良く表している。もちろん、Aさんが持っていたらAさんのものだが、支払いに使ったら、それはもうAさんのものではない。仮に現金に名前を書いたところで(注意*現金に名前は書いてはいけない)、それを出してしまったら、持ち主はそれを受け取ったBさんのものになるわけで名前を書くことは意味をなさない。
だから、金勘定をする仕事に従事している者たちは、お客と「やった」「やらない」という言い合いにならないように、確認に神経をすり減らして来た。最近は機械の導入も進み、その辺りが随分楽になったと思う。
そんなことを思いながら、言葉も誰のものでもないものだなと思った。
そもそも言葉に名前を書くことはできないし、「これは私のだ!」と主張することはできない。意思疎通のツールとして使うものなのだから、誰か一人だけのものになることはあり得ない。
しかし、「言葉の表現」となると「誰のものでもない」というわけにはいかなくなる。
言葉の組み合わせ次第で、その人らしい言い方になる。定型文もあるけれども、我々はロボットではないから、話していくうちにどんどんその人らしい話し方になっていく。
言葉は誰のものでもないけれど、ひとたび誰かが使えば「その人らしさ」を持つようになる。
お金は使えば使う程誰か別の人に移っていくけれども、言葉はそうではない。使えば使うほど、知れば知るほど、その人なりの解釈に磨きがかかってゆく。
それは紛れもない、誰のものでもない自分の言葉である。
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