銀河宇宙の船

邪悪シールⅡ改

修復

「『銀河宇宙の船』を直したい」

 願いを伴い玄室最深部に辿り着いた者は、悪魔の頭蓋を持つ男であった。

 頭蓋の右半分はツノが砕け、痛々しい古傷には呪いのように汚らわしい包帯が巻かれていた。

「……直したいものはアンタにとっての何だ?」

 サソリ人の尾は死の山から手頃な軀を引き寄せ、ひしゃげた殻を泥のように溶かした。

 腐肉から溢れる煙を嗅ぐと銀の牙で囓り、再度来訪者に問う。

「餓えを満たしたきゃ、そこらの死骸を喰えよ。そうすれば夢中になれるよ。この世のなによりも」

 男の赤い瞳はサソリ人の視線から外れはしない。

「胃をいくら膨らませても変わらない。理由は分からないんだがどうしようもない」

「だから私を頼ってきたわけか?」

 男は頷いた。

 遠路はるばるやってきたこのバカは、ありのままを答えたのだ、と思えた。

 どこぞのデッドストックから引っ張り出したかのような古ぼけたライダースーツ同様、それを纏うこの巨躯の男も世界に取り残された不器用な脈動を宿している。

 惨めったらしい火花を噴くばかりの死を繰り返す軀共に飽いた只中、サソリ人は男を幾分か面白く思った。

 正直者はバカを見る世の中だが、サソリ人は嘘つきも大勢殺してきた。

 殺すならばわかりやすい方が好きだ。

「見せてみろヨ。破片か何かを持ち歩いているんだろ」

「ある。もう動くことはないが」

 つまらぬものだったら、この悪魔の頭蓋も夜食の一品になるだけだ。

 サソリ人の青白い顔にある忌まわしい両眼は、男が自分自身の左胸部を五指で抉る様を見る。

 体外から僅かな閃光を纏い現出したものは、掌に乗る程度の機械であった。

「……もってこい。近くで見よう」

 この闇の主は、とうに下半身と腐食した床との接合を終えていた。

 故に動くことも出来ず、ただ、我欲を抱えた餌共の肉を裂くことが全てであった。

 サソリ人は目を細め、チラリと過去の選択にため息をつきつつ機械を受け取る。

「これが……『銀河宇宙の船』……かいね」

「ずっと昔は音を生み出したんだ。かつて、元の、丸い形だったときは」

「どんな音だ」

「もう分からない。名前以外は何も思い出せない」

 男は頭蓋の古傷を指さした。

「俺が幼かった頃、頭蓋を砕かれた。同じ日に『銀河宇宙の船』も壊れた」

「よくあることだ」

 サソリ人はなんとなく、この大男はまだ年若い個体なのだと解した。

 今の世界は、脆弱なガキは驚くほどあっさりと死ぬ。

 そうした無味な死の中、たまたま生き残ってしまった一人がこいつなのだろう。

「ただ、この機械が作る音は好きだった。それだけは言える。この機械の音だけが俺の」

 男は目を瞑る。

「俺の」

「……私がそれを直せると言ったらどうするね」

「俺の命を渡す。あなたの恐ろしさは聞いている」

「音を聞かせずに殺すと言ったらどうするね」

「構わない」

「音を思い出せぬまま死んでもいいのかい」

「俺は『銀河宇宙の船』が直ればそれでいい」


「アンタの心だからか?」


「『心』?」

「…………?」

 サソリ人は首を傾げた。衰えた骨と筋肉の残骸が軋む。

 気にならない。 

 それよりも、今、この化け物と化して久しい身体が無意識に紡いだ言葉が不思議であった。

 

「……私にこれは直せないよ。悪いが、私はずいぶんと前に世界の全てに飽きた。で、そのときに力もぜ~んぶ捨てちまった」

「分かった」

 サソリ人は白い細腕で、機械を手渡した。

「……アンタよ、クリス・ゼントに会え」

 泥の腐臭と黒い煙に満ちた世界を訊ねた、信じがたいほどのバカ正直者に、古い友人の名を伝えた。

『クリスマスプレゼント』を名の由来にした変わり者の名を。

「居場所は知らない。だが、ソイツの方が修復の技術に慣れている。昔の話だがね」

 悪魔の頭蓋の男は何度か瞬きし、頭を垂れた。

「ありがとう」

「一つだけ教えよう。お前が持ってる機械はポータブルCDプレイヤーだよ。きっと」

「……ポータブルCDプレイヤー」

「遠い場所で作られた……まぁ音を奏でる機械の名前だ。私も、捻くれてた頃に持ってた。サブスクよかCD聴く方がいいだろとか言ってね。単にパソコンいじるのが――」

 気が違いそうになるほど昔の話であった。

 来訪者にとっては関わりの無い用語の羅列だ。

 だが嫌な思い出も好きな思い出も、チャチなこだわりも。まだ脳味噌に残存していた。

「――元気でな。『銀河宇宙の船』。たぶんそれは音の名前だ」


       ○


 あの男とは今生では二度と会えまい。

 サソリ人は眠ることにした。

 黒髪を撫で、目を閉じる。


 もう肉を喰う必要もなく泥を啜る必要も無い。

 世界の終わりを待つ必要も無い。


 ただ思い出だけが残る。

 無為に過ごした年月に残された真実であった。

 曖昧だが、悪くない気分だ。


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