E・E〈Eden・Endengu〉

@ぅ

世界の結末

「あ、おにーちゃん。やっと来たんだね。」


妹の結は俺を見つけると嬉しそうな顔をこちらに向ける。いつも通り、家でも見せるその笑顔。プリンを買ってきてやっただけで見せるその笑顔を以前俺は『安いもんだ』なんて言ったが、全くもってそんなことは無いことに今更気づいた。


妹の目にハイライトはなく、どこまでも深い闇に染まった目に見つめられると、自分までそこの無い闇に吸い込まれる錯覚に陥る。


シャンデリアが窓から差し込む闇を断ち切り、屋敷を明るく照らす。階段、花瓶、棚、床は埃が雪のように積もっており、結が歩いた、触った場所だけ素肌が現れていた。


「結、もうやめよう。そこから降りてきてくれ。」


心の底からの願い。たった一つ。これさえ叶えば力も、世界も、何もかもいらない。


「一緒に帰ろう!」


胡散臭い神頼み代行屋はこういう時に限って開店していない。もしくは、俺を見て弄んでいるのか。どちらにしろあてにはできない。


「だめだよ。おにーちゃんはもちろん好きだよ。でも、エデちゃんも同じくらい好きなの。それに、エデちゃんは数え切れないほど助けてくれたの。おにーちゃんがいない時にもエデちゃんはそばにいてくれたし、寂しい夜でもお話をしてくれたの。だからね、ごめんね。あ、でも大丈夫だよ。おにーちゃんが死んでも直ぐに生き返らせてあげるから。あ、でも、それじゃーエデちゃんとの約束を破っちゃうから、約束を叶えたらおにーちゃんを生き返らせてあげるね。そしたら、ずっといっしょにいようね。いつまでもいつまでも。」


ひとりで頬を赤らめながら楽しそうに語る。騙る。


「お前はエデンに騙されるッ!」


「なんでそんなこと言うの?」


「お前も気づきているだろ。こいつの力はそんな万能なもんじゃない。」


「知ってるよ!!全身が痛いもん!!でも、エデちゃんもそうだし、エデちゃんが居てくれるから大丈夫なんだよっ!!おにーちゃんは私が痛くて苦しくて泣いてるのに助けてくれなかったじゃん!!怖くて、寂しくて、悲しいのにそばにいてくれなかったじゃん!!エデちゃんはそんな私を助けてくれたよ、一緒に居てくれたよ。だから、痛いくらいいいんだよ。おにーちゃんがみんながなんて言おうと私はエデちゃんの友達でいるのっっっ!!」


感情の波が、自責の念と共に襲ってくる。そうだ、俺は結が苦しんでる時そばにいてやれなかった。そんな時、そんな時だから狙われた。心の隙間を。俺のせいだ。


だから、だからこそ、俺は。


思い出せ。覚悟を強く引き締めろ、俺。


『いいか、お前にしか止めることは出来ない。』


『わかってます。』


『いざとなったら、器ごと』


『わかってます!』


紡がれるはずだった言葉を強く、拒絶するよに、自分の迷いを断ち切るように大きな声で遮って言う。


『なら、絶対助けてこいよ。』


師匠はトンッと軽く胸を小突いた。


軽い衝撃を思い出し、己を奮い立たせる。


よし、今一度強く覚悟を決める。俺は、結と家に帰るんだ。


「別に怒ってないの。しょうがないもん。おにーちゃんにはおにーちゃんの都合があったんだから、大人なんだから。だから、私のわがままを聞いてよ。」


ダメかな?っとこちらをハイライトが消えた目で見つめてくる。


めまいとせり上がってくる様々な感情を落ち着けるのに手一杯で結のわがままに答えられない。言わなくちゃなのに『ダメだと。』。


「あ、エデちゃんと交代の時間だ。じゃーねおにーちゃん。」


バイバーイとまるで友達と別れるように『また、明日遊ぼうね』というニュアンスを含ませたさよならを結こちらに送ってきた。


「結ッ!エデンに体を渡すな。今なら戻れる!」


咄嗟に叫ぶ。


「もう遅いよ。お兄ちゃん。」


声は結なのに、語尾の強さも、訛りも、全部結なのに何か決定的な何かが違う。まるで何かが抜け落ちた、1ピース足りないパズルのような、そんな違和感を覚える声。


おぞましい、魔力を織り交ぜて発せられる声は聞いたもの全ての魂を震わせ、刈り取る。しかし、彼女からしてみればそれはただの発声。


「結の体で喋るな。」


「なんで、そんな事言うの?結悲しいな。」


ぶりっ子のまねなのか、わざと神経を逆撫でるような声で挑発してくる。


「エデン、早く結の体から出ていけ。お前には必要ないはずだ。」


「んーん、私はエデンじゃないよ。結だよ。結はエデンなの。エデンは結。私たちは魂の域で結びついてるの。いえ、2人で結んだの。指切りげんまんって。」


そう言いながら自分の小指と小指を絡める。


「いや、お前に魂は無いはずだ。」


「確かに、魂はないわ。体温だってなかったもの。でも、結が与えてくれたの。魂を、心を。空っぽだった私に。だから恩返しで力を授けたの。なんでも叶える『万能の願い』を。」


世界の誰かが願ったことがある願いなら実現を可能にしてしまう、脅威の異能。アカシックレコードに直接繋がることで可能となる神業。


「でも、心優しい結は力の制御装置の1部でしかない私に『見てるだけじゃ退屈だから』って夜は私に体をくれたの。それだけじゃないわ。私が無意識に願っていたことに気づかせてくれたし、それを叶える手伝いもしてくれた。」


「ありがとう。結。」


胸の前で祈るように優しく感謝を捧げる。


「でも、ごめん。」


組んだ腕を大きく上げた。


その手には月光を集めて作ったような綺麗なナイフが握られていた。


それを勢いよく下げ、、、


「やめろっ!!!!!」


俺の短い叫びは盛大に、虚しく館に響いた。


結の胸から血は出なかった。その代わりに溢れんばかりの光が漏れ出した。


「んっ、く。あっ。」


エデンは喘ぎながら、身を悶えさせる。


「これが、私の願い。ごめん、ね。結、、、」


「んーん、大丈夫、だよ、、、」


胸から溢れ出す、光の奔流は結の体を飲み込み、まるで繭のようになった。


月の光に照らされ、発光する繭は神秘的で、息を飲むほど美しかった。


言葉を喋べっては、息をしてはいけないのではないのか。もうこれでいいんじゃないのかと思うほどに、その一瞬だけはそれを崇拝していた。


しかし、永遠に感じた一瞬も繭にヒビが入った事で終わる。


1部に生じたヒビはやがて繭全体に広がり、中から、純白の2対の羽をゆっくりと広げながら屈んだ状態から立ち上がった。


彼女の頭上の天井は白い粒子となり消え去り、天使の輪のように彼女の頭上数センチ上を輪を描いて浮いている。


15歳だった結の体は、20歳頃の姿に成長し、日焼けを知らないような初雪の肌に月光を一身に受け、今まで纏っていたはずの服は消え去り、産まれたままの姿で彼女は立っていた。


幻想的な姿は、まるで天使のようで、美しく、裸体なのが当然なのではないかと思うほどに完璧なスタイルだった。名だたる芸術家が数多の女体に美を求めてきたが、その極地こそが彼女だろう。


しかし、結は結だ。母譲りの優しく綺麗な顔はより整い、父譲りの青い目からは涙を流していた。


そして短く、感極まるように。


《これが成る。》


何を悟ったのか、感じたのか。


これがエデンが願った事なのか。


結はどうなったのか。


しかし、喋れなかった。


喉の奥で言葉が詰まって出てこない。


《お兄さん。私は、結でもエデンでもありません。もはや血の繋がりもなくなり、生物という概念から逸脱しました。》


《あなたが最愛の妹を忘れる事を許しましょう。そして 、エデンの罪を許しなさい。それを持って最愛を忘却する罪を許しましょう。》


最後の慈悲。これから起こりうる結末を絶望でもって終わらせないための祝福。


ありがと。


そして、結でもエデンでもないナニカは2対の羽を羽ばたかせ月夜に、星々の海に消えていった。


結、ゆい、ユイ、yui……


頭の中が真っ白になっていく。何もかもが白に漂白されていく。最愛を忘れて。


世界も漂白していく。真っ白に、海も、大地も、山も、人も、何もかも。


願いは叶った。


多大な代金を支払い、叶った。


たった2人の願いは叶ったのだ。


3人目により叶った。

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