辺境伯の影は怒る〜はぁ?お嬢様が婚約破棄なんてありえないんですけど!?〜

三桐いくこ

第1話

「エリシャ・マーティラス!貴様との婚約を今ここで破棄する」


 そうやって私の仕えるお嬢様を断罪しているのは、フェルデベルト・ガルキン伯爵令息。


 王立学園の卒業パーティーのさなか。こんなに華やかな会場で、どうしてエリシャお嬢様は婚約者から無実の罪を着せられているのでしょう。


 壁際に控えている私は、憐れなお嬢様のことを唇を噛み締めながらみていました。


 フェルデベルト様のお隣には、どなたか存じませんが可愛らしいご令嬢がいらっしゃいます。しかし、フェルデベルト様に肩を抱かれて、身体を密着させているのはよろしくありません。


「エリシャ!貴様はこの愛らしいアメーリアに悪口を言い、暴力を振るったと聞いた!

 そのような振る舞いをするお前と、我が家の縁をつなぐことはできない!」


 なるほど。アメーリア様……とおっしゃるご令嬢を、我らがエリシャ様がイジメたと……。


「リヴ。わきまえなさい」


 隣りにいた先輩侍女がこっそりと私に注意します。そう。私はエリシャ様付きの侍女として、この先輩侍女からお仕事を習っている半人前なのです。


「すみません。声に出ていましたか?」


 あくまでも専属侍女見習いというだけで、侍女としてのお仕事は長年行っていました。

 なのに注意されるなんて。


「殺気がバレバレよ」


 ぐっ、バレていた。

 その間にもエリシャお嬢様は婚約者になじられ続けています。


「私はそのようなことを一切行っておりません。

 そもそもアメーリア様のお顔を見たのは今が初めてでございます」


 エリシャお嬢様は辺境伯の令嬢として完璧な佇まいで、己の潔白を訴えていらっしゃいます。


「エリシャ様、ひどいですぅ。私にあんなことをしておいて……」

「ああ、愛しいアメーリア。泣かないでくれ……」


 なんの茶番なのでしょうか。バカ令息と略奪令嬢はイチャイチャイチャイチャと見苦しい姿を晒しています。


「……」


 エリシャお嬢様は、黙ってその光景を眺めていらっしゃいました。


「エリシャ!今すぐ僕の目の前から立ち去れ!」


 私はエリシャお嬢様の間に入り、この愚行を止めたかった。


「かしこまりました。そちらのお家には私のお父様からお話があるでしょう」


 しかし使用人の立場で行えることではありません。そのようなことを行うと、ますますエリシャお嬢様の立場が悪くなっていきます。


「ふん。相変わらず可愛げのない女だ」

「フェルデベルト様、かっこいいですぅ!」

「そ、そうか?」


 同じ伯爵という爵位の家柄でありながら、エリシャお嬢様と婚約者のバカ息子はまるで違う生き物のようです。


「リヴ?待たせたわね。」

「っ!お嬢様、申し訳ありません!」


 バカ令息のことを考えているうちに、エリシャお嬢様が目の前にいらっしゃいました。


「……リヴ、私は大丈夫だから」


 そういって寂しく微笑まれるお嬢様。何も言えず、私たちは馬車で王都のお屋敷へと戻りました。


「あのバカ令息め!こらしめてやりたい」


 物騒なことを人に聞こえないようにつぶやきながら、私はエリシャお嬢様の侍女としてお仕事をしています。

 エリシャお嬢様は気分がすぐれないとお部屋に引きこもっています。


「ぐぅぅ……。でも腹が立つわ!」


 黙ってみているなんて私の性格からして無理です!

 しかし、身勝手な私の行動がエリシャお嬢様のお心に影を落としてはなりません。


「うーん……。あ!」


 私は名案を思いつきました!


「こっそり調べよう!」


 それならエリシャお嬢様は関係ないし、私の単独行動なので叱られるのも私だけだわ!





 闇夜に乗じて、私は街を駆けます。人に見つからないように、屋根や塀を飛ぶように進んでいきます。

 エリシャお嬢様には内緒にしていますが、実は魔法が使えるのです。


「こんなに動くのは久しぶりね。脚も喜んでるわ」


 スイスイと闇を泳ぐように駆け抜けて、あるお屋敷の前にたどり着きました。


「バカ……違うわ。フェルデベルト・ガルキン伯爵令息のお屋敷はここね」


 ガルキン伯爵家も名家なので素晴らしいお屋敷です。ため息を付きながらバカ令息の部屋を探ります。


「なんであんなバカが生まれたのかしら」


 お屋敷の一番上の屋根から見下ろす街。

 昼は華やかですが、夜になるとゾッとするほど薄気味悪い景色になります。しかもこんな月の出ない真夜中に出歩くのは、職業人かワケありだけです。


「あら?浮気相手のご令嬢?」


 バカ令息のお屋敷の庭に何やら動く影が。

 そっと近づくと、やはりバカ令息と浮気相手の……アメーリアだったかしら?ご令嬢がいました。


「愛しいアメーリア。ようやく君を心置きなく抱きしめることができるよ……」

「フェルデベルト様……」

「エリシャだけじゃない。マーティラス家にも打撃を与えられたのは君のおかげだ」

「そんな……私はなにも……」


 アメーリアはフェルデベルトの言葉に大きな瞳をうるませます。


「マーティラス家が力をつけているのは知っているね。

 それはガルキン家や他の貴族にとって危険なことなんだ。

 マーティラス家の力を削ぐことは僕らの使命だった」


 私は目を見開きました。

 マーティラス家は代々国境を守る役目を持っています。いわゆる辺境伯です。

 このバカは力をつけたと言いますが、それは自らの命を賭して戦い、国を守り抜いた成果。それを削ぐだなんて。

 ただの馬鹿げた婚約破棄だと思ったら、これは汚い貴族の勢力争いが噛んでいるようです。


「あんなに野蛮な家が貴族を名乗るなんて、この国は狂ってるよ。

 国王があの家を重用していることも、僕ら貴族にはまるで理解できない」


 なんて失礼なバカ男なの?というか将来政治にかかわる人間の考えがこれ?


「僕とアメーリアの婚約は、たくさんの貴族から祝福されているんだ。

 僕たちは、きっと国王よりも幸せになれるよ」

「フェルデベルト様!大好きです!」


 ……ヘドが出る。

 私は音もなく自らが仕えるお屋敷へと戻りました。

 エリシャお嬢様を始めとするマーティラス家を貶めたい勢力がいる。

 それが分かったのが今回の成果でしょう。さっそく兄に伝えなければ。


「ヴァルト兄、いる?」


 執務室の扉を開くと、私の兄であるヴァルトが机で書類仕事をしています。

 相変わらず伸ばし放題のボサボサの頭で、ろくに目元も見えません。私の声で兄はそばかすだらけの顔を上げました。

 私の兄はその優秀さからエリシャお嬢様のお父上である、マーティラス辺境伯の側近として働いています。


「リヴ」

「こんな夜中に仕事なんて、忙しいの?」

「お前がこんな夜中に出ていくからだろう。で?」


 誰にも気づかれずに出ていったはずなのに……。さすが我が兄。ムカつくけど優秀なのです。それにしても、私を待っているついでに書類仕事なんて仕事人間極まれり。


「エリシャお嬢様の婚約破棄だけど、マーティラス家に敵意を抱くものが噛んでるみたい」

「そうだろうな」


 兄は母親譲りの黒髪をかきあげました。私は父親に似て栗色の髪です。

 そんな私と兄の唯一の共通点はアメジスト色の瞳。そして、兄の瞳の中には銀色の点々がみえます。

 これは妹の私も同じ。私も瞳に銀色の斑点があるのです。


「ちょっと!当たり前のように言わないで!」


 私の努力を無駄にする発言にムカッとしました。


「いくら学園が平等だからと、男爵令嬢が伯爵家に近づけるはずがない。常識で考えれば不敬だろう」

「まあ、そうだけど……」

「あの男爵令嬢はもともと平民だ。養子にした男爵家は、貴族のマナーも学ばせずにけしかけたんだろうな」

「……」


 すらすらと答える兄にぐうの音もでません。


「エリシャ様とフェルデベルトの婚約は、もともと敵対する貴族の派閥争いを鎮静させるもの。いわゆる和平のための結婚だった」

「政略結婚ね。でもエリシャお嬢様はあのクソ令息に尽くしてた」


 思い返してもムカつく事実。兄も顔をしかめながら無言で頷きました。


「許せない」

「許せないのはお前の勝手だ。余計な感情は捨てろ」


 思わず私は兄を睨みました。でもそれをすぐに止めます。

 兄から、ピリピリと張り詰めた空気を感じたからです。

 それは私達のの合図。


「伯爵から命が下った。

 この件について徹底的に調べろ」

「了解。


 私の返事に、兄はひとつ頷きます。


「マーティラス家に敵対する貴族は調べ上げている。だが、どうしてあの男爵令嬢とフェルデベルトを婚約させたいのかが謎だ」

「そこをが調べるのね」

「ああ。ヘマはするなよ。俺の仕事が増える」

「もう!分かってる!」


 そうして、私はエリシャお嬢様に隠している裏の顔を出しました。


 私はお休みを頂き、王都の中心街を歩いています。いつものメガネを外して、髪を下ろした姿ではお屋敷の人も簡単には私と気づかないでしょう。


 目指すはお食事処 星屑亭。美味しい、量が多い、安いと評判の食堂です。まだピーク前なので、お店はそこまで混んでいません。


「いらっしゃ〜い!あら、リヴちゃん!」


 あしげく通っていたので女将さんともすっかり知り合いです。奥の席に座りました。


「今日のおすすめは?」

「季節野菜とハムのキッシュとローストチキンとスープのセットよ!」


 メニューだけでも美味しそうです。思わず湧いた唾液を飲み込んで女将さんのおすすめを注文しました。


「はーい。飲み物は?」

「ガス入りの水で」


 炭酸水を注文しながら、私は手紙をテーブルに置きました。女将さんの雰囲気が変わります。といっても私がわずかに分かる程度ですけど。


「はい、炭酸水もね。そろそろ混むから、相席になるかもしれないわ」

「いつものことね。私は大丈夫よ」

「いつもありがとう〜!」


 女将さんがウィンクをして、さり気なく手紙を持っていきます。そのまま厨房へと消えていきました。


「ここ開いてる?」

「ゲーデさん!お久しぶり!」


 星屑亭の常連仲間、行商人のゲーデさんです。50歳そこそこのナイスミドルのゲーデさんは、色々な土地の面白いお話を知っています。

 ゲーデさんから聞いたお話をお屋敷に持ち帰って、侍女たちとおしゃべりするのがとても楽しいのです。


「ここしばらく忙しくてね」

「あら、それなら奢ってもらおうかしら」

「ガハハ!そんなには儲かってないよ!」


「リヴちゃん、はいどうぞ〜」


 ゲーデさんとのお話中、女将さんが私のご飯を持ってきてくれました。シュワシュワと音をたてる炭酸水を見て、ゲーデさんが眉をひそめます。


「そんなもん飲んで、喉が痛くならないかい?」

「平気よ。飲み干したあとはスッキリするでしょ?」

「へぇ。?」

「もちろん」

「俺も女将さんに貰おうかね」

「ありがたいわ」


 そういうゲーデさんの、茶色の瞳には私と同じ銀色の斑点がありました。





 深夜。

 ローブを着て顔を隠した私は、王都の地下にある下水道を音を立てずに歩きます。

 目当ての場所は、今は使われなくなった古い下水道。たどり着くと、少し入って右のレンガを外しました。

 すると、壁がするりと消えて現れるのはとある地下室。

 入って早々、美味しそうな香りに声を上げてしまいました。


「美味しそうな香り!」


 小さなパンは焼き立ての美味しそうな香りがします。


「みんなが揃う頃に焼き上がるようにしたのよ〜!」


 エッヘンと胸を張るのは星屑亭の女将さんです。そのヘーゼル色の瞳にはやはり銀色の斑点。


「お疲れさん」


 そちらに目を向けると一足早くやってきたのか、椅子に座っているゲーデさんがいました。 ゲーデさんは飲んでいるお茶のカップを私にむけて少し持ち上げます。


「ゲーデさんこそ、最近忙しいんでしょ?」

「忙しいのは頭目のせいさ」


 ゲーデさんがいたずらっぽく笑います。


「あら!」


 なんと!私の兄のせいでしたか。


「マーティラス辺境伯のために、この身を使えるなんてシュテルネンとして光栄至極だよ」


 ゲーデさんはお茶をすすりながら感慨深そうです。

 そう。私たちは今は根絶やしにされてしまった、シュテルネンという民でした。シュテルネンは魔物を召喚する忌み嫌われた民。

 魔物を体の一部に召喚させることで、自分自身が魔物の巨大な力を使えます。


 忌み嫌われていたシュテルネンは、間者や暗殺者といった汚れ仕事で生計を立てていました。

 十数年前に終結した戦争までは、周辺国にとても重宝されていたのです。しかし、戦争が終わると周辺国はその力を恐れはじめます。

 そして、皮肉なことに戦火を交えていた国々が、結託してシュテルネンの民を皆殺しにしたのです。

 表向き、シュテルネンの民は根絶やしされたといわれています。


 しかし、私たちは生きています。

 というのもマーティラス辺境伯が逃げ惑う私たちを哀れんで、領地に匿ってくださったからです。


 ──力は使うものの気持ち次第だ。

 シュテルネンがその力を悪用したことはなかった。それに、まだ若い君たちには未来がある。


 その日から私たちはマーティラス辺境伯に忠誠を誓ったのです。


 シュテルネンの頭目だった兄は、実力でマーティラス辺境伯の側近に成り上がりました。

 そうして噂を聞きつけ、各地に散らばっていたシュテルネンがマーティラス伯爵領に集ったのはあっという間のことでした。


 今、人目を避けるようにして話し合っているのは星屑亭の女将さん、行商人のゲーデさん、お屋敷で侍女をやっている私の3人です。

 生き方も、髪の色も瞳の色も、何もかも違う私たち。そんな私たちの共通点は瞳に入った銀色の斑点。それこそがシュテルネンの証です。

 そして、私たちは王都での情報収集を任されていました。


 私は年が近いという理由で、もうじきエリシャお嬢様専用の影になる予定なんですけどね!えっへん。


「さて、お嬢様の婚約を破棄させた男爵令嬢だが、もとは平民のようだ」


 ゲーデさんが言いました。私はあきれます。


「平民出身なのは知ってるわ」


 私の言葉にゲーデさんはニヤリと笑いました。


「平民は平民でも、訳アリだ」

「訳アリ?」

「そう。あの家は数代前にクーデターを起こした元貴族。本当なら一族残らず処刑されるはずだったけど、戦争が激化したときにどさくさに紛れて平民になったの。

 だけど未だに国王、もとい国王派に敵愾心を抱いているわ」


 女将さんが補足してくれます。


「アメーリアを引き取った男爵家は、もともとその貴族の支持者だ」


 ゲーデさんと女将さんが話してくれます。私たちが仕えるマーティラス家は国王派。

 婚約破棄をやらかしたクソ令息は反国王派です。


「王家に様々な所からヒビを入れたいみたいね」


 あらあらと女将さんが腕組みした手をこめかみに当てます。


「そんなことで王家やマーティラス辺境伯にヒビなんて入らないわ。そもそも……」


 私は少しためらって、言葉を続けました。


「こんな無駄なことをして何がしたいの?

 エリシャお嬢様との婚約破棄で、浮気相手もクソ令息も社交界から白い目で見られるわ。

 反王国派には痛手にしかならないでしょう?」

「リヴの言うとおりだ。これは単なる内輪もめだな。反王国派の誰かが、バカ令息の家が手柄を立てるのを気に入らないんだろう」

「頭痛くなってきた」


 私は頭を押さえます。


「この話、結構ぐちゃぐちゃじゃない?」

「最初に計画したやつが暗殺されてるからな」

「……」


 絶句した私を見て、ゲーデさんが気まずそうに頬を掻きます。


「とはいえ気をつけろ。

 反王国派はエリシャ様を襲わせて自分が助けるってシナリオを作っている最中らしい。恩を着せたいんだろうな」

「どこが?」

「どっかの貴族だったかな?」


 ゲーデさんも調査中なのか話を濁されました。


「まったく……。とばっちりでエリシャお嬢様に危害を加えるんじゃないわよ!」

「まあまあ、貴族ですもの。多少の危険は覚悟の上でしょう」


 ゲーデさんも、女将さんもあらゆる修羅場をくぐり抜けた猛者です。歴史書に書かれた事件の裏で暗躍していた人たち。

 そんな彼らが言うのだから、おそらく間違いないのでしょう。


「だから私たち影が、きちんと躾し直してあげるの」

「納得できない……」

「はっはっは。まだまだ青いな」


 ゲーデさんが笑ってお茶をすすりました。





「エリシャお嬢様がさらわれた……!?」


 その一報を聞いたとき、私はエリシャお嬢様のおかえりを迎える準備をしていました。


「どういうこと!?」


 私は報告をしてきた使用人に問い詰めます。

 彼もまた、さらわれたという連絡を受けて私たち侍女へ伝えに来ただけの伝令係です。

 詰め寄ることは筋違いなのですが、それでも感情が抑えきれません。


「アメーリア男爵令嬢が、エリシャ様と話し合いたいと誘ったそうだ。その道中で野盗に……」

「なんてこと……」


 先輩侍女がへなへなとその場に座り込みます。

 外出時の警護についてマーティラス辺境伯が準備を進めている真っ最中でした。


「どうして浮気相手の令嬢に会おうと思われたのかしら」


 私は首を傾げました。エリシャお嬢様にも意地があります。

 おそらくその辺りが理由だとは思うのですが……。わざわざ危険な場所へ赴くなんて。


「護衛のおかげで生きてはいるけど、多勢に無勢だと……。

 そもそもエリシャお嬢様をさらうことが目的だったみたいで、あっという間の出来事だったって……」


 伝令係の使用人は、顔の血の気がなく真っ白です。


「うぅっ……お嬢様……」


 むせび泣く先輩侍女を他の侍女が慰めます。私はどさくさに紛れて、兄の元を訪れました。


「頭目。ご命令を」


 伊達メガネを外し黒尽くめの格好をした私に、兄は目もくれません。


「先に行け」

「はい!」


 私はそのまま、足にまとわせた魔物の力で窓から外へと飛び出しました。

 エリシャお嬢様の気配を探れば居場所は簡単に分かります。


「話し合いの場に森を選ぶだなんて。どういうセンスよ」


 道を外れた場所に、馬車が捨てられていました。自分を落ち着かせるために大きく息を吐きます。

 声がする方へ進むとアメーリアとエリシャお嬢様が対峙していました。といってもエリシャお嬢様はごろつきどもに腕を拘束された格好です。

 今にも割って入りたい気持ちを抑えつつ、様子を見ます。

 従者と騎士はまとめて縛られていました。なんて情けない。


「何度言われても無駄です。私は屈しません」


 凛としたエリシャお嬢様の声が聞こえます。


「負け犬がうるさいなぁ!さっさと言う通りにしろって言ってんだよ!」


 御令嬢から程遠い態度で、件の男爵令嬢が怒鳴っていました。

 男爵令嬢の手のひらがエリシャお嬢様にぶつかろうとしたその時!

 

「で。話はそれだけか?」


「ヴァルト兄……」


 兄が男爵令嬢の手を掴んで止めました。

 黒尽くめの兄はいつものボサボサ髪をオールバックにまとめていました。描いていたそばかすもありません。

 本来の兄の姿。つまりシュテルネンの頭目としての姿でこの場に現れたのです。


「誰だ!」


 ごろつきが兄に剣を向けました。そのすきに私は、エリシャお嬢様を拘束していたゴロツキを伸します。


「ぐえっ」

「ぎゃぁ」


 ごろつきどもを一瞥し、私は手際良く縄で縛りました。


「え?あなた達は……」


 突然の出来事にエリシャお嬢様もおどろいて動けません。残りのごろつきどもも、私たちの実力に怯んだのか距離を取ったままです。

 いきなりの攻守逆転に、先に動いたのは男爵令嬢でした。


「もう!なんなのよ!あんたら!」


 男爵令嬢はごろつきから剣を奪ってエリシャお嬢様に突進します。


「お嬢様!」


 兄がとっさにエリシャお嬢様をかばいました。男爵令嬢の剣は、兄の背中を斜めに切り裂きます。


「頭目!」


 私は思わず叫びます。兄の背中が真っ赤に染まりました。


「いやぁぁ!」


 かばわれたエリシャお嬢様も、何が起きたのか悟ったようです。


「お嬢様、落ち着いてください。私は大丈夫です」


 兄は錯乱するエリシャお嬢様を落ち着けようとします。この状況で一番落ち着いているのが兄だなんて、本当に笑えません。


「エリシャお嬢様!こちらに!」


 私は自分のローブをエリシャお嬢様にかぶせて、そのまま安全圏まで連れていきます。


「あ、ああ……」


 ショックが大きいのでしょう。エリシャお嬢様が私にすがりつきます。


「大丈夫、大丈夫です。エリシャお嬢様。

 みんなとても強いので死ませんよ」


 エリシャお嬢様の背中をぽんぽんと幼子にするように叩いてあげます。ゆっくりですが、エリシャお嬢様が落ち着いてこられるの分かりました。


「ひぃっ!燃えている……!」


 誰かの悲鳴が聞こえました。

 エリシャお嬢様の背中越しに、兄の体が黒い炎に包まれるのが見えます。


「ば、化け物!」


 ごろつきが罵るのも当たり前。兄はあっという間に大きな黒いドラゴンになりました。

 シュテルネンの民で全身を魔物に与えられるのは兄だけ。

 魔物に身体を与えて、なお使役出来るその力は正しく頭目の名にふさわしいものなのです。


ね」


 ドラゴンになった兄は、見下ろすごろつきたちに一言告げました。


「ひぃぃ!」

「助けてくれ!」

「うわぁぁぁ!」


 それぞれが悲鳴を上げながら散り散りになって逃げていきます。周りに配置されたシュテルネンが回収するでしょう。


「愚か者よ、どうされたい?」


 最後までその場にいた男爵令嬢に、兄は問いかけます。


「~~~っ!」


 何度か口をパクパクさせた後、男爵令嬢は気絶してしまいました。





「ヴァルト様。今回の件、反王国派の内輪もめはあなたが引き起こしましたね?」


 夜中、屋敷が寝静まってから、私は兄を詰問しました。


「引き起こしてはいない。結果ああなっただけだ。今回の誘拐も想定外だった」


 悪びれず、兄は答えます。いつもの冴えないボサボサ頭の姿のせいか、妙に腹が立ちました。

 兄は書類を見ながら続けます。


「アメーリア・ビーテブル男爵令嬢だが、平民に逆戻りの上、僻地の農家へ養子に出された。さらにビーテブル家はお取り潰し。

 しかしフェルデベルト・ガルキン伯爵令息は謹慎で済んだ。どういう事か分かるか?」

「分かりません」


 反抗的に私は答えました。


「ガルキン伯爵が頭を下げたんだ。マーティラス様もそれで手打ちにした。

 これでマーティラス家はガルキン家に大きな借りを作った。

 今後、フェルデベルト令息はマーティラス家の子飼いとしてこき使える。むろん婚約者としてではないぞ」

「は?」


 どうやら貴族の政争が行われたようです。


「マーティラス様は最初からそれを狙ってらっしゃったんですか?」


 不満気な私の顔をみて、兄は苦笑いのあと言いました。


「いや、フェルデベルト令息がバカすぎて路線を変更したくなったそうだ。

 マーティラス様はお嬢様をあんなバカに嫁がせたくないと仰った。

 いくら幼い頃からの婚約だとしてもね」

「だけど貴族の派閥争いが絡むからこんなふざけたことに?」


 私は眉間に深くシワを寄せます。

 兄もやれやれと言った顔で頷きました。


「だからってあんな目に愛娘を合わせるんですか?エリシャお嬢様はショックでお熱を出されているんですよ!」


 兄に掴みかかる勢いで私は訴えます。


「お嬢様も16歳だ。そろそろ自分の置かれた位置を知る必要がある。マーティラス伯爵領は2つの周辺国と接する土地。

 領地を支配する者として、そして我らシュテルネンを束ねる家の者としての社会勉強も兼ねていた。

 それに今回分かったが、お嬢様も意外と父親似だ」


 そのうち慣れるだろう、と何でもないように答えました。


「あきれた……」


 私は納得できないので、一生マーティラス辺境伯を恨むつもりです。


「エリシャお嬢様をあんな目にあわせるのが社会勉強だなんて……」

「まあ、マーティラス様も反省してたよ。奥様の往復ビンタで顔がパンパンだった」


 兄は笑っていました。


「笑えないわ」

「いずれ笑い話になるよ。俺たちのように」


 そう言われてしまっては、私も答えに詰まってしまいます。





 そうして、エリシャお嬢様のお身体の具合も良くなった今日このごろ。私はお屋敷の庭園でお茶の用意をしていました。


「久しぶりにお散歩をしたわ」


 エリシャお嬢様が日傘をさして、ガゼボにみえました。


「まだ本調子ではないのです。お辛くなりましたら……」

「わかっているわ。すぐに伝えるから心配しないでちょうだい」


 微笑まれるエリシャお嬢様。なんとなくしっかりなされたような気がします。


「それにしても……私を庇ってくれた方は誰だったのかしら」


 お席に案内して、お茶の用意を終えた頃。ふと、お嬢様が口にされました。


「ぎくぅ!」

「あら?リヴ知っているの?」


 こういうときはお嬢様の聡い一面が憎らしくなります。


「しししし知りません!」

「そう……。また、お会いしたいわ……。

 鋭くて美しいアメジスト色の瞳……あんなに素晴らしい瞳の色があるなんて」


 うっとりとした表情で、空を見つめるお嬢様。


「えっ!?ま、まさか……」


 頬を赤く染めたお嬢様は、こくんとうなずきました。


「ああぁぁあ〜〜〜!!」


 私はみっともない声が空高く響き渡ります。


 そうして、なかなかの根性で惚れた相手を探し出そうとするエリシャお嬢様と、必死になって頭目である兄を隠そうとする私たちの不毛なかくれんぼが始まったのは、また別のお話です。

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辺境伯の影は怒る〜はぁ?お嬢様が婚約破棄なんてありえないんですけど!?〜 三桐いくこ @ikukokekokko

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