地獄の法廷

あんこもっち

第1話

あの世、


あの世とは死後の世界、


人は死んだ後、

何処に逝くのか、


かつて人類は様々な地域、宗教によって死後の世界観に対する認識は異なっていた。


死後の世界による認識は宗教によって異なるが神々の世界、人間たちの世界が別れていると教えられている国もあるし、そうでない国もある。


この話はそんな死後の世界について語るものである。



さかき源三郎げんざぶろうはあの世の住人である。


かつて日本人として生を受け、大正から昭和中期まで生きた男は天寿を全うした際に、この世からあの世へと旅立った。


現在、彼は仏教的には極楽浄土と呼ばれる世界に還っている。


極楽浄土は仏の住まわれる世界だ。


そこは善なる心を持った人だけが住む世界であり、前世、生きている時に正しい心を持ち、正しく善行を積んだ者たちが還るあの世の世界である。


榊 源三郎は善人であった。

彼は生前の善行によって極楽の世界に還ることが出来たのである。


今は極楽の世界で仕事をしており、生前の仕事が役人だったことから、現在は死んだばかりの者たちを迎える役所で働いている。


極楽とはいえ、住まいは豪邸ではなく、地方の田舎によく似たところに質素な住居を構え住んでいる。木造二階の古い日本式家屋だ。時々妻も一緒に暮らしたりしているが、天国は個人の暮らしを尊重するため、過去世で夫婦であってもずっと一緒に暮らすわけではない。(人による)生前妻だった静江は時々家に来てはしばらく世話をしてくれる。男一人だと何もできないと知っているからだ。


静江は新妻のように甲斐甲斐しく世話をやいており、そんな静江の優しさに触れて心温まることもあって源三郎は静江のやりたいようにやらせている。


かつて老人だった頃の姿は面影もなく、静江は二十代前半、今の源三郎の外見は三十代後半あたりに見える。


白髪はなくなり黒髪のオールバックは彼の若き頃のトレードマークだった。また視力が悪いわけではないのだが生前の影響か、いまだに銀縁の丸い眼鏡をつけている。静江は昭和の女性らしく割烹着を着て台所に立ち食事の用意をしていた。


一方、源三郎は仕事前の準備として着替えをしていた。天国の住人といえば全身をすっぽりと包むような白い布切れを着ている印象があるが、別にそんなものは着てはいない。


各々生まれた時代も違うため、生前の影響によって着物をきた人もいれば、袈裟を着ているお坊さんもいる。近年亡くなった人の中にはポロシャツにジーンズといったカジュアルな格好をしている人もいる。女性も昔は着物姿の人が多かったが、今では洋風な格好をした女性も多い、白いスカートを靡かせて歩く人やワンピースを着た女性も多い。


特にファッションにこだわりもない源三郎は普段は和服を着ており、仕事時は背広のスーツを着用している。


彼は生前と同じように白いカッターシャツにネクタイをつけ、さらにサスペンダーをつけていた。ネクタイは生前娘から貰ったものと同じ柄のものだ。それほどまでに生前の自己認識に対する影響は強いもののようだ。


源三郎は仕事前には必ず珈琲を飲む習慣があった。

今は生前の妻と同居し、彼女の淹れてくれた珈琲を飲んでいる。


天国に夜はないのだが、これも生前の名残だろう。いつでも朝といえば朝だし、昼といえば昼のようにも感じられる。そう考えると日頃のルーティン、習慣というものは恐ろしいものだ。源三郎にとって毎朝珈琲を愉しむという生前の習慣が未だに抜けないのだから。


これも良い習慣であれば問題ないが、悪習慣となればあの世に還ってから後悔することになるだろう。


源三郎は珈琲を飲みながら新聞を読んでいた。


あの世の新聞は生前新聞記者だった者たちが作っており、極楽世界の情報共有やこの世(地上世界)の最新情報などが記載されている。あの世にいても地上世界のことはわかるようになっており、意識を集中すれば関心事、関心のあるものが視えてくるらしい。


残した家族や友人が心配な時はその人たちの顔を思い浮かべて祈るとイメージとして浮かんでくるらしい。修行が進めば霊体として地上にいる家族のもとに瞬間移動して会いに行くこともできるらしい。


源三郎はまだ経験はないが、妻や役所の同僚からそんな話を聞いている。


源三郎は片手でカップを持ち珈琲を飲みながらもう片方の手ではらりと新聞をめくった。


新聞には地上世界の情勢や問題などが記載されている。


「ふうむ、また戦争が始まるのか」


かつて源三郎が生きていたころ、国の要請により出兵し欧米と戦った。あの頃のことを思い出すといまだに胸が痛む。


「人は同じ過ちを繰り返すもの、か……」


因果応報、何事も原因があって結果がある。


そして歴史は幾度も同じ過ちを繰り返す。


源三郎は口の中にある珈琲の苦味の余韻を感じながら地上世界の情勢を嘆いた。


「貴方、そろそろお仕事の時間ではありませんか?」

「ああ、そうだな、そろそろ行ってくるよ」

「行ってらっしゃい」

「うむ」


源三郎は読みかけの新聞をたたみ飲み終えた珈琲のカップを妻に手渡した。


「ごちそうさま、それでは言ってくる」

「ええ、気をつけて」

「うむ」


源三郎は背広を着用し、ネクタイをキュッとしめて帽子をかぶった。


玄関を出ると空は青く快晴である。

太陽は燦々と輝き、源三郎の世界を明るく照らしている。


源三郎の住む極楽の世界では毎日快晴なのだ。季節も四季はなく、いつも春のように暖かい。寒くもないし、暑くもないのはありがたいと源三郎はお天道様に手を合わせて感謝する。


そしてアンティークな感じの古い車に乗って役所へと向かった。

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