ただ君の愛が欲しかった

鼎ロア

ただ君の愛が欲しかった


愛とは、なんだろう。

愛っていうのは好きってこと?でも、好きっていうのは友情にだってある。じゃあ、愛は?友情愛?なんだか、おかしいな。


──恋は?


好きから出てくる愛なのかな。

それとも好きの派生? 僕にはわからない。

いくつもいくつも問いが出ては答えという渦に飲まれて明確なものが出てこない。

僕には愛がなかった。巡り会えない崖の底にある異物だった。

そんな愛をくれるとしたら、それをどう信じればいい。どう証明されれば、自分はその愛に向き合い掴むのだろう。




「ねぇ、裕二くん」


暖かな太陽の光が顔中をつんざく。

そこに乗るように彼女の声が聞こえてくる。


彼女の名前は江都紫月えとしずき。僕と付き合っていた女性だ。

艷やかな髪は長くのばし切れにおろしている。


僕は横を向いた。

すると


「くすぐったいよ、裕二くん」


と少し照れているような声が聞こえる。

なぜ、なぜ僕は今彼女の膝の上で寝ているのだろう。

温かい彼女のぬくもりが膝の皮膚から伝わってくる。きっと、先程まで僕は眠っていたのだろう。まぶたの辺りが少し動かしにくい。

少しでも力を緩めたら、彼女のぬくもりの中に吸い込まれて意識を落としてしまいそうだ。


「ね、裕二くん。私の愛、どうして受け取らなかったの」


彼女の言葉は夢という崖に落ちそうになっていた僕を引き止めた。

愛。紫月からの、愛。

あまり記憶のないことだった。愛? 愛。そう、愛だ。僕は愛が欲しかった。彼女からのまだ汚れていない綺麗で、偽りのない愛が欲しかったんだ。


「裕二くん、欲しいって言ってたから。私はを証明したのに」


彼女の瞳の端から涙が溢れている。水に濡れた瞳が光を取り入れて眩しく見える。

愛を証明した。なんの話だろう。


「酷いよ。裕二くん」


その時。視界が奪われた。別に、瞳が奪われたわけじゃない。目の感覚はしっかりとある。

視界が暗転したのだ。開いていた目から見えていた太陽の光が見えない。

空気が冷たい。今にも自分が凍ってしまいそうなほど身体が冷えていくのを感じた。心を失い死んでしまった人のように身体が冷えていった。




起きるとそこは紫月の膝の上じゃなく僕のベッドの上だった。

身体は冷たくない。むしろ、毛布で熱くなったのか汗でびっしょりだ。

でも、ベッドから出てみると部屋の空気は妙に冷え込んでいた。薄暗い光が窓から差し掛かる。

電気をつけたら、なんの変哲もない僕の家。


「紫月」


あれは夢だった。

……なんの夢だった?

まだ理解ができない。あれはなんの夢だったんだ。どうしてあんな光景が夢として出てきたんだ。


「紫月は今なにしてるのかな」


妄想してしまう。今となっては赤の他人。彼女のことを考えるなんておこがましい。

それでも、考えは止まらない。今の時刻は午前5時。まだ寝ているだろうか。


部屋を出て洗面台へ行き、妙に酷い顔をした僕は鏡に写った自分を見て驚く。

気持ち悪い。我ながら引いてしまう程だ。


階段をゆっくりゆっくり下りていき冷たい地面を歩く。

リビングと廊下をつなぐ扉をに手を伸ばし、取っ手を掴む。

押そうとしたときだった。少し空いたところで扉は止まった。そこまで力を入れていなかったから。

なにか引っかかっていたのかと思い、その扉の隙間から中を見てみる。


「え」


見たときに気がついた。なにかがおかしい。

僕が見たものは赤黒くカピカピになった地面と人の手だった。


赤黒い地面と動かない人の手が示すソレは──人の死体だ。


思わず一歩後ずさる。

どうして、どうして僕の家のリビングに人の死体が。


そう思ってか、それとも好奇心か。僕はそのまま無理やり扉を開けた。

ずるずると引きずられるようにのけられたソレは扉の前で倒れていた。

長い髪がカピカピの地面にくっついている。


見たことがあった。こんなにカピカピじゃなかったけど、この光景には見覚えが合った。


『裕二くん』


頭の中で彼女が僕を呼ぶ。

妙に生々しい声だった。心の入った声。死んだら聞こえないはずの、生ある声。


『私は、私は裕二くんを愛してるから』


まだ声が聞こえる。これは記憶か。それとも、妄想か。それすらもわからない。

僕は、焦るよりも早く冷静に死体の手を持ち上げていた。

触ってみるとその手は冷たい。人のぬくもりなんて微塵も感じられない。


『ねぇ、裕二くん。どうしてそんなに愛が欲しいの』


死体と地面を引き剥がす。すると、その死体の全貌がしっかりと見えた。


「──江都紫月」


つい声が出た。そう、この死体の正体は──江都紫月だ。

僕の付き合っていた唯一の人物。そして、記憶からへばりついて剥がれない人物だ。


「ど、どうして……」


目の前の状況に理解が及ばない。

死体があることにはあんなにも驚かなかったのに、それが紫月であったらどうしてこんなにも、こんなにも心臓が跳ねるのだろう。


『裕二くん!!』


声は未だ脳内で再生される。そう、再生だ。もはやそれが記憶であることには気がついた。

その声はだんだんと怖くなっていく。彼女が怒ったときと同じような声量、迫力。そのすべてが脳内再生される。


「ち、違うっ」


思わず死体を乱暴に落とした。

違う。僕じゃない。僕はなにも知らない。僕は、寝ていただけだ。

脳内で記憶が再生されているにも関わらず、それでも目の前の現実から目をそむけそうになる。

誰が殺したのだろう。どうして、紫月は死んでいるのだろう。

脳内での再生は未だ止まない。聞こえないはずの声は僕の頭の中でぐるぐると回っている。


『どうして、無視をするの?』


悲しそうな声が聞こえる。これも紛れもない、紫月の声。

そんなときだった。思わず尻もちをついた僕の手は近くに落ちていたナニかに触れる。

部屋の空気に負けず金属の部分が冷たい。冷やしたあとのように冷たいのに、赤黒く乾いたナニかの間から金属の光沢がチラチラと見える。

そのナニかの持ち手にはもうひどく冷たくなっている紫月の手があった。


このナニかを見ているうちにどんどんと記憶が戻っていく。目を背けたい。でも、本能がそれを許さないようにソレから目が離せない。


『愛がほしいって言ってたじゃん』


脳内の中の君が泣く。ピーピー子供のように泣くわけでもなく、静かに顔を覆う。


『それじゃあ私はどうやって愛を証明すればいいの……証明、し続ければいいの……』


記憶の中の紫月が僕に問う。

どうやって愛を証明するのか。どうやったら僕は納得するだろう。僕に対して従順になったらだろうか。だけど、それはただ従わせているだけ。愛の証明になんかはこれっぽちもならない。


『私はなんでもするよ……裕二くんのためなら』


証明。

事柄を本当だと明らかにしそれを相手に納得させてもらう。それが証明だ。

絶対に後戻りできないような、その人にとって大切ななにかを自然に差し出せるのならそれは相手に対しての証明だろう。


『君が一番大事なモノを、僕にくれたら、僕は信じるよ。君の愛を』


脳内再生……ではない。もはや、ソレは目の前で起きている。

僕の脳が僕にソノときを見せているのだ。


記憶の中の紫月はしばし黙り、考え込む。

僕はもう、このあとの展開を知っている。思い出している。

紫月は言う。


『私が、一番大切で、裕二くんにしか送れないモノ』


紫月は扉の隣にあるキッチンへと向かう。

キッチンの上の、包丁スタンドがあるところに手を伸ばす。そこから包丁を一つ引き抜いた。


『なにしてるんだ……?』


そこでようやく僕は声を発していた。紫月の行動に不信感を抱いていたのだ。

紫月はそれでも包丁を掴んだまま。

そしてようやく


『私は、私の命で証明する……だから、愛を、偽っていないことを私を信用して』


紫月はすべてを諦めたような、そんな瞳をしてお腹にしたから包丁を刺し込む。紫月は倒れ、うつ伏せになる。だけど、包丁は離さない。そこから横に包丁を切ったのか出血が増えた。


『し、紫月……?』


どうしてその時僕は見ているだけだったのだろう。もう死ぬと思ったからなのかな。

自分に刺した包丁を引き抜いた紫月はすべての力を使い果たしたのか包丁を持って一気に脱力した。


『う、嘘だ……なんで……こんなの愛なんかじゃ……』


僕はブツブツとなにかを呟いている。

そして、再生し終えた映像のように幻覚はぷつりと消える。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! こんなの現実じゃない! こんなの……違うじゃないか」


絶対になにかの間違えだ。そう考え込むことしかできなかった。

情けなく紫月の体に僕はへばりついて泣く。

もう既に全身が冷たい。これが、あんなに温かかった彼女の体であるはずがない。愛なんていう温かいモノなんかじゃない。


「愛が……ないじゃないか……」


愛なんてものはない。あっても証明できるような代物ではない。愛は、変則的。

長時間育むことで手に入れる愛でも、短時間のうちに破壊できる愛だってある。破壊したものはもう完璧には戻ってこない。

それが世の理だ。死んだものは生き返らない。魂がないから、肉体が機能しないから。


「ただ、ただ君の愛が欲しかっただけなんだ……」


愛の証明に彼女は自分の命を差し出した。死という誰もが逃げたくなる崖に愛を掴む橋に彼女はなったのだ。


「愛を掴んでも、君が居なかったら帰れないじゃないか」


僕は紫月の体から離れる。もう、僕の人生には死という崖しかない。

愛を掴むために、彼女を踏み台に下にも関わらず、帰る踏み台がなくなっていた。

そのまま僕は彼女の持っていたモノに手を伸ばす。

持ち上げてみると、なんだか重たい。気が重いだけなのか。それとも、僕が弱いだけなのか。

よくわからないけれど、僕は彼女の血液がこびりついた包丁を持ち上げ、邪魔になる乾いた部分を手で取り除く。


「君のおかげで取れた愛。僕は誰にも渡したくない」


死の崖を乗り越えて取った愛。誰かに取られるくらいなら、僕が崖から飛び降りて、愛ごと消してしまいたい。

僕は記憶に残っていた彼女の動きを真似し、包丁を下から上に向ける。


「今、行くよ」


すべてを受け入れるには、悟りを得るしか無い。だから、心を無にして、すべてを思い出すんだ。

ゆっくり入れるんじゃダメだ。誰だって、崖から落ちる時は速さは同じ。僕も彼女と同じスピードで。

思いっきり腕に力を入れて、腹に食い込ませる。それから、体の力が抜けた。

ほとんど抜けた腕の力を振り絞って包丁を左右に切らせる。そして、引き抜く。

痛い。熱い。だけど、その感覚は時間を追うごとになくなっていく。


「ただ君に愛をあげたい」


力の抜けそうな体をどうにか起こして、彼女の上に持っていく。


崖から落ちていく意識は今もなお現実にある。

どんどん降下していっているけれど、いつかは意識は地面にぶつかって消えるだろう。

そうなる前に、僕は愛を食べるよ。

ありがとう、愛をくれた抜け殻。そしてさようなら、愛を欲した醜い自分。

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ただ君の愛が欲しかった 鼎ロア @Kanae_Loa_kisei

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