第16話 やらかしました

注: このエピソードには性的な描写があります。十五歳未満の皆さんはウィンドウまたは画面の隅にある左矢印で前のページに戻りましょう。


 

 レセプションの後は設計部署との会議が続いた。時々柾木さんはどうしているだろうとか思ったが、柾木さんはきっとオルティス氏につきっきりだろう。多分、今日は顔を合わせることはないだろうな、とぼんやり考えた。

 そんな拍子に会議室の外が騒がしくなった。誰かが会議室のドアをノックする。会議のメンバーでは一番下っ端の私がドアを開けると、磯谷社長の秘書の加藤さんが立っていた。

「会議中失礼します。こちらで戦略プロジェクトの皆さんがお集まりだと伺ったので、オルティス氏をご案内さしあげたいのですが、今よろしいでしょうか?」

 よろしいも何もない。私たちのプロジェクトはオルティス氏の会社のために作られたようなものだ。私は会議室の中のメンバーを振り返った。皆は一斉にうなずいたり、立ち上がったりした。

「もちろんです。お入りください」

 私はドアを広く開けた。

 技術部の部長、オルティス氏、磯谷社長が入って来る。それに続いてドアの外にいた加藤さんが入って来た。私は、柾木さんに代わって加藤さんが英語で通訳するのだろうと思い、ドアを閉めかけた。が、そのドアが再び開いた。私はドアが閉じないように押さえ、入って来た人物を見上げた。

 柾木さんだった。間近で視線が合う。

 途端に、彼と体を重ねた記憶が堰を切ったように脳裏に溢れた。夢中になって縋り付いた柾木さんの胸。その胸が私の間近にある。私の上で獣のような声を上げていた柾木さん。

 ……私は思わず顔をそむけてしまった。恥ずかしかったからだ。甘美な記憶ではあるが、あまりにまだ生々しかった。

 破裂しそうな心臓の鼓動を感じながら、私は何食わぬ顔をしてメンバー紹介の列に加わった。そして、もう一度柾木さんを見ることなく、プロジェクト チームとオルティス氏とのやり取りに耳を傾けるふりをしていた。

 同じ午後にもう一度柾木さんと会った。私は別のフロアにある部署に行くために、ホールでエレベーターが来るのを待っていた。そうしたら、着いたエレベーターから柾木さんと磯谷社長が降りてきたのだ。柾木さんと一瞬目が合ったが、私はまた視線を反らせてしまった。そして、磯谷社長にお辞儀をして、そのまま二人が通り過ぎるまでずっと床を見つめていた。自分がエレベーターに乗り込むとき、通り過ぎた二人の背中を見たが、磯谷社長が何か話し続けていたこともあって柾木さんが私を振り返ることはなかった。

 二十七日の午後には、私たちのプロジェクトのプレゼンテーションがあった。プレゼンは、設計部署の英語が得意なエンジニアが担当することになっていた。ただし、ほかのメンバーもステージの端に一列に座り、何か質問があれば答えることになっていた。質問が出たとしてもセキュリティーの細かい技術的なことが主だろう。私はお飾り的に座っていた。

 プレゼンは無事終わり、私に質問が来ることもなく、私たちはステージを降り始めた。プレゼンを担当したエンジニアを先頭に順にステージを去っていく。最後の私がステージの袖を通っている間、声を掛けられた。

「三枝さん」

 見ると、柾木さんが袖幕の陰に立っていた。

 私の心臓は掴まれたように跳ね、耳元で鼓動が聞こえるくらい激しく打った。柾木さんの名前を言おうとしたが、それでさえも土曜日の記憶を鮮明に呼び覚ます。彼を見ることができずに、うつむいてその場に立ち止まった。

 柾木さんが小声で囁いた。

「……土曜日はすみませんでした」

 激しく打っていた心臓が一瞬止まったような気がした。

(「すみません」? 「すみません」ってどういうこと?)

 そして、その心臓が急に冷えるのを感じた。

(……やっぱりその場だけの関係だったってことか……)

 熱く感じていた頭の中が冷静になっていく。

「昨日、お声を掛けたかったのですが、機会が無くて……」

 柾木さんの抑揚のない声が響く。足から力が抜けていく。

(……大人の対応! 大人の対応をするって決めたんだから!)

 私は息を吸い込んで、お腹に力を入れた。そして、なんでもないことのように言う。

「大丈夫です。そんなことより、土曜日は全部お支払いさせてしまったので精算したいのですが」

 初めて私は目を上げて柾木さんを見た。

 目に入ったのは、眉をひそめた柾木さんの表情だった。

 明らかに憮然とした顔の柾木さんに怯む。

「……そんなこと……?」

 あっと思った瞬間に、加藤さんの声が聞こえた。

「柾木さん、お手数ですけど……」

 二人で加藤さんの声のした方向を振り返った。柾木さんはそのまま「ただ今、参ります」と言って、そちらに歩き始めた。私が慌てて言う。

「あの……」

 柾木さんは一瞬だけ立ち止まる。

「お金のことはご心配なく」

 柾木さんは、私を振り返ることなく歩いて行った。リズミカルで歩幅の大きい歩き方。私は立ち尽くしたまま、柾木さんの後ろ姿を薄暗い舞台袖で見送った。


(……わからない!)

 だって「すみません」なんだよね? 「据え膳食べちゃってすみません」なんだよね?

 私だってちょっとは夢を見ましたよ。このまま柾木さんとお付き合いして、お互いをちゃんと知れたら素敵だな、なんて。でも、私も子供じゃありません。酔って据え膳しちゃった自覚はあります。だから責任取れとかいいませんよ。泣きも喚きもせず、己の浅はかさを呪って二度とこんなバカな真似はしないと誓いますよ。だからこそのお支払いじゃないですか!

 それを何さ、あんな傷付いた風な顔しちゃって。私のほうがよっぽど傷付いてるんですぅ。あんな風に「可愛い」とか言われたり、優しくされたりしたら、ほわわんってなっちゃうに決まってるじゃないですか。それが、週明けには「すみません」ですよ。会社じゃなかったら、大声で泣いてるもんね!

 私はトイレの個室で盛大に鼻をかんだ。メイクをし直さなければいけないだろうことも見越して、コスメ ポーチも持参してある。ただ、傷付いてはいるが、不思議と柾木さんを恨んだり、嫌ったりする気にはなれなかった。涙だけがこぼれた。

 友達に相談してみようかと想像する。みんななんて言うだろう。

「ないわ〜」

「死ぬるわ〜」

「あかりはいつかやらかすと思ってたけどね〜」

 ……やめておこう。

 どんよりした気持ちのまま二十七日は過ぎ、夜もまんじりともしなかった。

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