お前だってそうじゃないか

そうざ

You are the Same

 軽く日常を捨てたいと思った。思い立ったら吉日で、俺は当て所もなく温泉場を彷徨っていた。薄ら寒い町は閑散としていたが、花曇りの空も相俟って今の俺にはおあつらえ向きだった。

 チェックインにはまだ早い。しばし硫黄の入り混じった川風に身を晒した後、迷子のように土産物屋を物色して回った。在り来りの饅頭や煎餅がそこはかとない安堵感を与えてくれた。方々の観光地に向けて一手に土産物を製造している業者があるとも聞く。むべなるかな、である。

 不意に微かな異臭が鼻を擽った。硫黄とは異なる違和だった。それは微風と共に流れ込み、人影が疎らな店内にあって特定は難くなかった。

 その男は、季節外れの重たいトレンチコートを羽織り、山高帽を被っていた。俺と同年代のようにも思えたが、極端な猫背は老年の様相を呈していた。

 手にしたボストンバッグが気になる。臭いの発生源に違いないのだ。

 男は、購入の意思がない事を誇示するように商品を物色すると、程なく出て行った。

 俺は自然と後を追った。俺の目的は土産物でも温泉でも、してや小旅行でもない。仮初かりそめの何かに身を委ねる事にあるのだ。

 男は、道端の観光案内の看板を一頻ひとしきり眺めた後、確信を得たように歩き出した。観光客が居ない方へ居ない方へと少しでも賑わいを避けようとするその足取りに、微塵の迷いも見られない。

 やがて、温泉場はなけなしの個性さえ失い始めた。観光地であろうともその全てが観光スポットである筈もなく、そこにはその土地なりの日常があり、その住民なりの生活がある。何の変哲もない民家の軒先に洗濯物が垂れ下がり、汚らしい路地があり、識別番号の付いた電信柱があり、全国共通の道路標識があり、歩きスマホの通行人と行き交う当たり前の風景が俺を飲み込んでいた。

 男は歩みを止めない。いつしか住宅もまばらになり、道は喬木きょうぼくの間を抜ける国道に変わっていた。すっかり今夜の宿と方角が違っていたが、俺は尾行を止めなかった。徐々に距離を詰めながらも、気付かれない間合いを意識した。

 男が歩みを止めた、と思ったら素早く道端に逸れ、鬱蒼とした茂みに身を隠した。一瞬、尾行に気付かれたのかと思ったが、茂みに身を隠したところで尾行から逃げおおせる筈もない。距離を保ったまま、俺も男と同じように道端に逸れた。

 から様子をうかがう。移動するトレンチコートと山高帽、そして枯葉を踏む微かな足音を頼りに追って行くと、程なく男は立ち止まった。

 男は、ボストンバッグを足元に置くと、内ポケットから紙を取り出し、がさがさと広げた。地図らしい。そこにペンで何かを記し、ゆっくりと息を吐いた。微笑を湛えているように見える。

 続けて、ボストンバッグから透明のビニール手袋を取り出し、それを几帳面に両手に嵌めると、おもむろにプラスチック製の小さな容器と園芸用のシャベルを取り出した。そして、容器を一旦傍らに置き、足元の落ち葉を丁寧に掃った。それが終わると、果たしてシャベルをそこに突き立てた。

 男は一心不乱でありながらも、時折、国道を通る車にはっと我に返り、身を屈めつつ辺りを警戒し、そしてまた作業を再開するのだった。

 やがて、観光地の片隅にぽっかりと小穴が口を開いた。遠目ではあるが、掘り返した土の量からその深さは三十センチはありそうだった。

 男が再び容器を手に取る。うやうやしく蓋を開ける。厳かな一連の作業は、いつしか儀式の様相を呈していた。

 容器に入っていたのは、焦げ茶色の塊だった。

 男はそれを穴に入れると、シャベルで土を被せ始めた。埋葬という言葉が似つかわしい光景だった。土を戻し終えると念入りに踏み固め、儀式を完了させた。一部始終を前に、俺は自然と溜め息をいていた。

 てきぱきと道具一式を片付けた男は、達成感に満ちた横顔ですっくと立ち上がり、何とこちらに向かって歩き出した。

 想定外だった。灌木かんぼく程度の物陰では、完全に身を隠せる訳もない。かと言って、今から逃げても見付かってしまう。

 落ち葉を踏む音が近付いて来る。俺は覚悟を決め、靴の紐を直し終えた素振りでゆっくり身を起こした。偶々通り掛かったていで姿を晒した方が自然だと判断したのだった。

 そのままそっぽを向いて国道へ歩を進めようとした時、傍らで、ざざざっと物音がした。反射的に振り返ると、あの男が地面に尻餅をいていた。幾重にも重なった落ち葉に足を取られたらしい。

 図らずも、男と目が合ってしまった。その目は、狼狽や気恥ずかしさよりも不可思議な劣等の色を有していた。

 俺は、男の出方を待った。それ以外に何も出来ようがなかった。

 男は沈黙に耐え兼ねたように声を上げた。

「お前だってそうじゃないかっ!」


 案の定、予約を取っていた宿は中途半端にひなびていた。侘びた風合いにも、洒脱な品格にも、無縁の佇まいだった。経年の古色は『歴史』には結晶せず、そのまま『老朽化』の一途を辿る運命を負わされているようだった。

 夕餉ゆうげの時間には間に合わなかったが、近所のコンビニエンスストアで買った弁当を黴臭い日本間でそそくさと掻き込めばそれで良かった。湯を使う事すら億劫になり、その後はぼんやりと天井の木目を確認するだけになった。

 それでも、日常と同じようにもよおすものは催す。温熱便座に腰掛けた途端、欠伸が出た。

 男は俺に、苦し紛れの叫びと、まんじりとも出来ない夜を残して消えた。誰があの捨て台詞に反論出来ると言うのか。

 俺は、腸の戦慄わななきにおのが身を任せた。

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