3章 星に願いを

1話 星に願いを

『――ニュイエトワ地方、だと?』

「はい。これから向かうので、今日は遅くなります」

 日の光を浴び、真っ白なシーツが眩い輝きを放つ。シーツの上に放り投げられた部屋着も白い光に溶け込んでしまいそうだ。

 翌朝。目覚めたリアムは早速、上司のコメィトと連絡を取った。頬と肩の合間に端末を挟みながら通話を続け、鞄の中身を整理する。

『あの廃村、ニュイエトワっつうんだな』

「あぁ、あそこ村だったんですね」

『……まあ、なんだ。落とし穴には気をつけろよ』

「こんな状況下でも落とし穴作る人がいたら神経疑いますよ。あと、自転車お借りしてもいいですか? 交通機関ストップしてるみたいなので……」

『えー……。……壊したら弁償だかんな』

「ぜ、善処します」

 失礼しますと端末を操作、コメィトとの通話を終える。

 鞄の中身を再確認するリアムの隣。ルシャントは荷物の1つ、古びた本を手にしては注視する。

「あっちょっと」

「……これ、魔導書にしては魔力ないみたいだけど。なんで持ってるの?」


 魔法が発達した世界といえど、全員が全員魔力に恵まれているわけではない。儀式を通じ与えられる精霊王の加護によっては、蛍火すら生み出すことも不可能。

 そのような場合でも対応できるように発明された魔導書は、込められた魔力を使い切る限りは誰でも魔法を発現できるという画期的な代物。魔力を補充して繰り返し使用することは不可で、利用後は適切に処分するのがセオリーである。


 空っぽの魔導書を奪い取ったリアムは、両腕に抱えると眉根を寄せた。

「……いいでしょ。使えなくとも」

 途端に興味が失せたらしく、ルシャントは「早くしてよ」とソファーの背凭れに体を預ける。

 腰にカメラ、肩に荷物を詰め込んだ鞄を提げたリアムは外に停めていたコメィトの自転車に跨り、ルシャントはリアムの中に消える。

 自転車で『ニュイエトワ地方』を目指しながら、リアムは昨晩の出来事を思い返す。




「そういえば……どうして場所知ってるのに自分で行かないの?」

 夕食のシチューを平らげたリアムは、椅子に座るルシャントにそう疑問を投げかけた。食器を洗い終えたリアムの耳に、はっきりと聞こえる嘆息。

「できたら苦労しない」

 口振りから察するに自分と離れたくとも離れられない、といった状況のようだ。

 底を尽きない疑問を前に欠伸が洩れ、リアムは続きを明日に回すことにした。眠たげに目を擦りながら、ねえと話しかける。

「僕もう寝たいんだけど……」

「勝手に寝ればいいじゃん」

「君が起きてるから寝れないよ……」

 なんだそんなことか。ルシャントはローテーブルに片肘を突いたまま目を伏せる。

「僕はあんたや人間と体の作りが根本的に違う。霊体に近いから睡眠も取らない、食事も必要ない」

「えっ⁉︎ お風呂も⁉︎」

「体の状態をリセットすれば問題ない」

 ――口を開きかけたリアムだったが流石に噤んだ。真面目に返されても困る。

「あんたの眠りを妨げることはしない」

「多少うるさくても寝れるけど……いっか」

「その代わり」

 ルシャントは脱衣所の隣の扉を顎で指し示す。

「あそこにある本、勝手に読むから」

「あー……」

 リアムは気の抜けた声を洩らした。

 扉の先は倉庫であり、個人的に集めたあらゆるジャンルの資料が無造作に保管されている。見られてもなんら問題はない、が。どうせならとリアムは悪知恵を働かせた。

「見てもいいよ。でも僕のことを名前で呼んでくれたらね」

「呼んでるじゃん」

「名前『あんた』じゃないんですよ〜」

 しっかりと名前で呼ぶリアムに対し、ルシャントはこれまで「あんた」としかリアムを呼んでいない。

「……だって名前知らないし」

「え、嘘! 名乗ってなかったっけ‼︎」

「ない」

「しょうがないなぁ、じゃあ失礼して……」

 わざとらしく咳払い、息を吸い込む。

「『オラトリオ地方』第2勢力【彗星の運び屋メリクリウス】社会部所属2年目の記者リアム‼︎」

 得意げに胸を張って名乗り上げるリアムを、白眼視するルシャント。

「……で。名前は?」

「今言った‼︎」

「メリ……」

「それは勢力の名前!」

「記者」

「いやまあ合ってはいるけど……」

「じゃあ『ブン屋』」

「じゃあってなに⁉︎ てかブン屋ってどういう意味」

「おやすみブン屋」

「話聞け」

 倉庫へと消えたルシャントに扉を閉められ、話は終了。一方的に切られたリアムは目尻を吊り上げた。

(僕も変なあだ名で呼んでやる……!)


『――ちょっと。前見なよ』

 そういえばそうだったなぁと思い耽るリアムを、ルシャントはテレパシーで叱りつける。

「うわっとと」

 目前と迫った電柱にハンドルを切り、正面衝突を回避。危ない危ないと肝を冷やした。

『なに考えてるのか知らないけど、大概にしてよね』

「今ので思い知ったし気をつけるよ……」

 『ルスト』襲来から3日目――未だ閑散とする王都を抜け、広々とした車道の上を走り抜ける。この辺りまでくると景色も淋しくなり、どことなく不気味な雰囲気が漂う。

 順調に自転車を走らせていたリアムは車道から逸れた脇道を目にし、ブレーキを掛けた。鞄から取り出した地図で確認すれば、目的地へ続く道であると判明。しかし、その場に留まったまま、うーんと首を捻らせている。

 その道は人工的に整備されておらず、足元は無遠慮に伸び切った雑草や手の平サイズの石で埋め尽くされている。とてもじゃないが、借り物の自転車を押して進むのには無理があった。リアムは誰もいないのを良いことに自転車を覆い茂る雑草の影に停め、徒歩で『ニュイエトワ地方』を目指す。




 『剣の空間』内部――。

 モニター前に浮かぶ、物言わぬ『剣』。

 その隣。モニター越しにリアムの様子を見守るルシャントの顔付きは険しい。目的地へと近づくにつれて険しさを増していく。

「……アエシィ」

 虚空に向けて放たれた呟きに応じ、現れた漆黒の鍵。手の平に収まる大きさの鍵は薄らと発光している。

 揺れ動く炎のごとく明滅めいめつを繰り返す鍵に、ルシャントの目尻は下がる。


「――ねえちょっと、聞いてる?」

『……なに』

「いや『なに』じゃなくてさ……まあいいや。なんか広い場所に出たんだけど、ここで合ってる?」

 脇道を抜けた先、ちらほらと村であったらしき面影残る景色と地図を見比べる。位置的には『オラトリオ地方』と『ニュイエトワ地方』の境目にリアムは立つ。

 リアムの中から現れたルシャントは、周囲の景色を見渡し、無言で正面に広がる廃村へ向かう。訝しげに首を傾げるリアムもその背中に続き、二人は廃村の中を進む。

「……あたっ」

 突然足を止めたルシャントの背中に頭を軽く打ちつける。

「どうしたの?」

「……ここまででいい。僕が戻ってくるまでここから動くな」

「えっ、でも……」

「うるさい」

 リアムはハッと息を呑む。ルシャントが顕現けんげんさせた青い刃の片手剣を、振り向きざまに払ったからだ。向けられる剣の切先に、これ以上言葉を発するのは危険だと判断。

 ルシャントは緩慢かんまんとした動きで切先を下げ、リアムを置いて先へと進んでいった。

「……ふぅ」

 その背中が見えなくなるや、リアムは呑んでいた息を安堵と共に吐き出す。

 あの眼差しは脅しなどではなく本気だった。あれ以上詰め寄っていたら、間違いなく自分は斬りつけられていた。

 リアムはひと休みしようと近くに転がっていた廃材の上に座り、物思いに耽る。

 そもそも、だ。

 彼は自分のことを『大罪人』というが一体なにをしたのだろう? ロードクリスタルに閉じ込められていたのだ、相当な罪であることは想像できる。

 だがリアムが知る限り、ルシャントという名前の罪人は知らない。この世界で『大罪人』と言えば、かつて統一国家を壊滅に導いた『ヴェレット・プローティ』ただ一人。

(どうして『大罪人』なんて言っているんだろう……?)

 リアムは純粋にルシャントのことが気になっていた。

 それはきっと彼が、自分と同じ人ではない存在だからだと思うが。

 ふいにリアムは空を見上げる。今日は一段と日差しが強く感じる。雲ひとつない晴天に、いつ帰ってくるか分からないルシャントを待つには暑いなと、リアムは屋根が残っている廃墟の中へ移動した。

(服屋さんかな……?)

 相当な年月が経っているからか中は荒れ放題。床には衣類らしき布が煤まみれとなって落ちている。

「?」

 どこに座ろうかと見渡していたリアムの視界にキラリと輝くものがひとつ。手を伸ばしてみると、青い蝶を模ったタックピンであった。

 なんとなくルシャントを思い出したリアムは、あとで見せてあげようとズボンのポケットにしまう。

(いつの時代なんだろう……?)

 この地が栄えていたなんて記録あったかなぁ、と床に腰を下ろした時、床がミシッと音を立てる。

「……あれ?」

 不自然に後方へと傾く体。バキッ、バキバキッ、と木の板がひび割れる。

 災難なことに。ここの床は腐っていた。

「ひぎゃああああああ⁉︎」

 立ち上がる間もなく地下室へと落ちていく体。背中から床に叩きつけられ、リアムの意識は暗闇に沈む――。




 同時刻――リアムを置き去りにしたルシャントは、集落があったとされる地点から少し外れた場所にいた。

 そこから地下へと続く空洞へ飛び降りると、見えたのは黒曜こくように似た水晶――『リトルクリスタル』が鎮座していた。

 歩み寄るルシャントに反応したリトルクリスタルは、怪しく光を放つ。

『……我ガ祖先ノ依代ヨリシロヨ。名ヲナントイウ?』

 人の言語が水晶から飛び出す。声に合わせて光も点滅を繰り返し、こちらに語りかけているようだ。

「僕はルシャント。君が今代の『闇の精霊王』?」

 対するルシャントの言葉に、水晶の声も『ソウダ』と肯定する。

 ここにあるリトルクリスタルは、主要属性に分類される7種類のひとつ、『闇の精霊王』。本来なら意思疎通が図れない精霊王でも、強力な主要属性ともなれば人語を話せるようになることはあまり知られていない。

『何用デ来タ』

「聞きたいことがあって」

 ルシャントは手の平を翳し、漆黒の鍵を顕現させる。

 独りでに浮かぶ鍵に、闇の精霊王は反応した。

『ソノ鍵ハ……』

「僕は“これ”を元に戻す方法を探してる。なにか知ってる?」

 闇の精霊王は少しの間を置いてから答えた。

『……我ハ知ラヌ。ダガ知ッテイソウナモノナラ、心当タリガアル』

「それって?」

 漆黒の鍵を消しながら問う。

『鏡ノ精霊王ダ。ヤツハ我ラ精霊王ノ中デモ稀有ナ存在デアリ、現存スル精霊王デ最モ長ク君臨シテイル』

「鏡の精霊王はどこにいるの?」

『《鏡界きょうかい》ト呼バレル鏡ノ世界ダ。古イ鏡デアレバ簡単ニ接触デキルダロウ』

 古い鏡と聞いて真っ先に想起したのは、地上に広がる廃村。鏡の破片ぐらいならどこかに落ちているだろう。年数も申し分ない。

「ありがとう」

 背中から半透明の翅を広げ、今にも飛び立とうとするルシャントを、闇の精霊王は引き留める。

「……なに?」

『我モ其方ニ聞キタイコトガアル』

 聞きたいことだけを聞いて立ち去るのは、と判断したのか、ルシャントは翅を出現させたままリトルクリスタルに振り向く。

『……我ガ代替ワリヲシタ頃ニハ、地上ノ村ハ人間ニ捨テラレテイタ。ダガ人間ガイナイノニモ関ワラズ、コノ地ニハ憎悪ノ念ガ深ク根付イテイル。ソレハ、其方ガ関ワッテイルノデハナイカ?』

 闇の精霊王の言葉に、ルシャントは瑠璃色の瞳を見開いた。

 すぐに目つきを元に戻し、平然を保つ。

「だとしたらなに?」

『感謝ヲ、ト思ッテナ。光溢レタ世界デモ我ガ消失シナイノハコノ地アッテコソ。……今、再ビチカラガ蓄エラレツツアルガ』

「……話はそれだけ? 僕は行くよ」

 切り上げようとするルシャントを、今度は闇の精霊王も止めなかった。

『アア。マタ会オウ、依代ノルシャントヨ』

 その言葉を最後に、ルシャントは翅を羽ばたかせては地上へと戻る。


 廃村へと戻って来たルシャントはリアムを探した。

 だが、動くな、と言っておいたはずのリアムの姿が見えないことに、ルシャントは怒りを露わにする。

(遠くには行っていないのは確かなのに……僕を恐れて隠れてるのか?)

 ズキッと小さく走った痛みに知らぬふりをし、ルシャントは一軒一軒空き家を回る。

 何軒か目、ルシャントはリアムが入った服屋に足を踏み入れる。周囲に視線を巡らせていると、大きく空いた縦穴に気づく。

 穴は地下室に繋がっており、ほどよい高さに加え、中は広そうだ。ルシャントは軽やかに縦穴に飛び込み、穴や床の隙間から差し込む光を頼りにリアムを探す。

(……いない。落ちたかと思ったけど)

 別の場所をあたるか、と縦穴に足を向けたルシャントは、視界の隅に違和感を覚える。

 そちらを振り向くとそこには、簡易な装飾の立ち鏡が壁に掛けられていた。長い年月地下室に放置された鏡は砂埃を被っており、鏡の前に立つルシャントの姿も映さないほど薄汚れている。

 ルシャントは思い出した。『闇の精霊王』が話していたことを。

(この鏡なら《鏡界きょうかい》と繋がっているかもしれない)

 しかし、今のルシャントにはリアムを探すという目的がある。

 《鏡界きょうかい》に向かうのはリアムを見つけてからだと考えるルシャントだったが、変化が起きた鏡面きょうめんに目を細める。

 砂埃だらけだった鏡面は水面のごとく揺れ動き、波紋が伝い、映る全てを吸い寄せるように渦を巻く。

 事の成り行きを見守るルシャントの前で映し出されたのは、灰色に統一された空間に点在する大小様々な鏡。探していた《鏡界きょうかい》が現れたのだ。

(どうして急に《鏡界きょうかい》が? 僕が依代だから反応したのか……?)

 いずれにせよ、ルシャントは選択を迫られた。このまま《鏡界きょうかい》に向かうか、リアムを探すか。

 迷いの末、ルシャントは前者を選ぶ。

 慎重に鏡面に触れ、指先が鏡をすり抜けることを確認。警戒しながらも、ルシャントは鏡の向こうへと消えた。

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