2話 孤独な剣と青い蝶

 自分が『人間ではない人外』だと確信を得たのは、マティアスと出会ってから間もない頃だった――。


 その日。僕は香味料になる食材を採りに行くというマティアスに同行し、『オラトリオ地方』に隣接する自然豊かな『アルヒ地方』へ向かった。人の手が殆ど加えられていない森の中を歩いていたとき、僕とマティアスは運悪くモンスターに囲まれてしまった。マティアスは護身用に帯剣していた剣を抜き、モンスターを討ち取ってゆく。戦う術を一切持ち合わせていなかった僕はというと、木の影に隠れて様子を見守ることしかできなかった。

 でも、僕の心配がたちまち杞憂に変わるほど、マティアスは強かった。モンスターの首と胴体を一振りで薙ぎ払う勇ましいその姿に、僕は魅了され続けた。……警戒心が散漫さんまんになっているのもを気づかずに。

「っリアム! 危ないッ‼︎」

「えっ?」

 ぬっと視界が影を落とす。振り返れば、すでに回避不可能な距離までモンスターが近づいていて。走馬灯を見る暇もなく死を覚悟した――はずなのに。僕はその場から『消えていた』。……ううん、消えたんじゃない。僕は別の姿へと変わっていたんだ。

 熱も、痛覚もなければ、自力で動くこともできない、硬く冷たい『剣』に――。



「はあああああああ……」

 シルバーウルフが立ち去るのを『見ていた』リアムは、一気に息を吐き出した。どうにか危機は逃れたようで腰が抜ける。間一髪、もう一つの姿である『剣』になれたのは不幸中の幸いであった。


 そう――シルバーウルフの前から忽然こつぜんと姿を消した、と思われていたリアムは始めから消えてなどおらず。入れ替わりに現れた『剣』そのものになっていたのだ。

 表の姿が『剣』の場合。リアムの意思は、内部に広がる不思議な空間──『剣の空間』に飛ばされる。己が持つ魔力によって生み出された空間は、申し訳程度に外の様子がモニターのように映し出されているだけでなにもなく。モニターがなければ、前も後ろも左も右もわからない空間だったに違いない。気が狂いそうだ。


 その場に座り込んでいたリアムはハッと目線をモニターに向けた。依然として、倒れたまま動かないコメィトの知り合い。安否を確かめなければ、と立ち上がる。

「――待って」

 リアムは反射的に掴まれた片腕を振り払い、距離を置く。無意識下で行われた拒絶行為に一拍置いては困惑した。押し寄せる恐怖の念が絡みつき、指一つ動かせないリアムの耳に足音1つ。

 リアムの脳内は「怖い」の一言で埋め尽くされていた。無理もない。これまでにこの空間で、リアム以外の存在を見ることはなかったのだから。逃げも隠れることもできず。過ぎ去るのをただじっと待つ――。

「……うわっ⁉︎」

 固くなに閉じていた瞳を怖いもの見たさで開けた途端、至近距離でこちらを見つめる人の顔に驚愕し後ずさる。

 群青色の髪を揺らし、リアムを見つめる表情は一切感情が読み取れない――どこかあどけなさ残る青年に、当然ながらリアムは見覚えなどなく。

 青年は一歩後ろへと下がり、リアムを見つめる。

「ど、どなた……?」

 不安げに瞳を揺らしながら、リアムはこちらを見据える青年に問う。

 曇り切った宝石のような瞳を瞬かせ、青年は名を告げる。


「……僕はルシャント。“大罪人”ルシャント」


 『大罪人』。

 物騒な単語が青年――もとい、ルシャントの口から飛び出す。自己紹介にしてはインパクト大だが笑えない。冗談か、はたまた真実なのか。それを追求できるほどの度胸を、生憎リアムは持ち合わせていない。向けられる鋭い視線にどうしようと頭を悩ませていると、モニターに映る外の世界に動きが。

『う、う〜ん……?』

 コメィトの知り合いが目を覚ましたのだ。良かったと安堵するもつかの間、まずいとリアムは焦る。

『剣』の姿今の自分を見られる前に戻らないと……! で、でも……)

 と、リアムはルシャントを振り返る。

 しかしそこに青年の姿はなく、代わりにあるのはひとひらの青い蝶。思わず見惚れていたが、どこかへと飛び去っていったのを機に。リアムは後ろ髪を引かれながらも、元居た並木道現実世界へと戻る。




「では消毒しますね」

 消毒液を垂らしたコットンをピンセットで摘み傷口に軽く押し当てれば、その人は僅かに顔を歪ませた。「すいません」と声を掛けながらリアムは消毒していき、薄らと血が滲む搔傷を大きな絆創膏で覆えば手当終了。

「他に痛むところはありませんか?」

「大丈夫大丈夫〜ありがとな〜」

 コメィトの知人、ピーターはシルバーウルフに頬を引っ掻かれただけで目立った傷はなく、意識もはっきりとしていた。『剣』から人の姿へ戻ったリアムはピーターの回復を待ち、共に【彗星の運び屋メリクリウス】本拠地へ無事帰還。コメィトが待つ執務室で傷の手当を施した。

 間延びした口調でひらひらと手の平を振る知人の姿に、コメィトは呆れ顔を浮かべる。

「情けねぇな。たかが一発やられただけで気ぃ失うとか」

「ビビるよそんなん。王都にモンスターが出たなんて話聞いたことないし、な?」

「そ、そうですね」

 突然話を振られ、コーヒーを淹れていたリアムの肩が震える。

 コメィトとピーター、それぞれにコーヒーを手渡す。

「お〜助かる〜」

「……そんで、相談したいことってなんだよ」

 ちらりと横目でリアムに視線を送る。コメィトからのアイコンタクトを受け、執務室をあとにしようとしたリアムをピーターが引き留める。

「あ、いいいい。リアム君……だっけ、聞いて大丈夫よ。『ルスト』に関する話でもいいなら」

 『ルスト』と聞き、目の色を変える。判断を問うリアムの視線に対し、コメィトは好きにしろと肩をすくめた。

「じゃあ……お言葉に甘えて」

「こっちこっち〜」

 ぽんぽんと促すピーターの隣に着席。ピーターはリアムと膝を交えるように話しかける。

「リアム君は『リトルクリスタル』ってのは知ってるよな?」


 『リトルクリスタル』――それは、各要素を掌る精霊王の数だけ存在する水晶の呼び名。各地に点在するその水晶は精霊王の住処でもある。『ロードクリスタル』が母であるなら、『リトルクリスタル』は子であると例えられやすい。


「はい。存じております」

「なら、その『リトルクリスタル』が全部見つかってないってことも?」

 神に最も近しい存在と呼ばれる精霊王の数は八百万にも匹敵するほど。その全てにあると言われる『リトルクリスタル』だが、半数近くの所在が未だ不明であった。

 その話についても知っていたリアムは迷わず頷き、ピーターも満足げに点頭てんとうを繰り返す。

「うんうん、話が早くて助かるよ」

「話ってのは『リトルクリスタル』に関わることなのか?」

 口を挟んだコメィトの問いかけに「そうそう」と返す。

「実は『アルヒ地方』の山奥に、未確認のクリスタルがあるって話を地元の人から聞いてね。なんでも、加護すら確認されてないっぽくて」

「新しく生まれた要素ってことか」

「多分ね。で、そっちの方面に『ルスト』が飛んで行ったって話もある」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。『ルスト』が狙うのは『ジェム』だけなんじゃ……?」

 そう口にしたあと、リアムはピーターの意図に気づいた。同じく理解したコメィトが口を開く。

「つまりオマエは可能性の話を確証にしてほしい――そう言いてぇんだな?」

「ま、そういうこったぁ」

 にっと歯を見せるピーターに、リアムは思わず苦笑をもらした。

「『アルヒ地方』に住んでる人なんて物好きだけ。まして、クリスタルを守れる人なんてたかが知れてる。それなのに悪影響がなにもないってことは……なにかあると思ってさ」

 ピーターの話は一理ある。しかしながら、推測の域を出ない話に動いてくれる人材となると限られる。

 それならまずは確証を得よう――というのが、ピーターが持ちかけた相談の主旨のようだ。

「……話はわかった。だけど少し待ってくれ。今ここで判断はできん」

 コメィトが取ったのは“保留”。状況をかんがみればその判断は適切であったとは思う。リアムは納得する傍ら、どこか複雑な気持ちも抱く。

「もちろん。判断はコメィトに任せる。でも時間がないことも覚えといて」

「そうだな。早いうちに決める」

 話を終えたピーターは一転、快活かいかつな笑顔でコメィトに絡み始める。

 2人の会話を遠目に見ていたリアムをコメィトは呼んだ。

「オイ、リアム。オマエ今日は泊まっていけよ」

「おじさん2人と枕投げでもする?」

「しねぇ。1人でやれ。てか帰れ」

「んだとこら」

「せっかくのお誘いですが今日は帰ります。家が無事かどうか確認したいので……」

 丸一日空けてしまった自宅が泥棒に入られていないかどうかこの目で確かめておきたい。

 コメィトはポケットから鍵を1つ、リアムに投げ渡す。

「地下に俺の自転車が置いてあっから使え」

「あっ……ありがとうございます」

 コメィトとピーターと別れを告げ、リアムは借りた自転車で退社した。




 リアムが暮らす家は、王都から目と鼻の先に位置する丘の上。緩やかな傾斜の頂上に建つ丸い形の平家だ。玄関近くで自転車を降り、扉を開く。スイッチを押せば、真っ暗闇の室内を橙色の暖かい光が照らした。

 室内を一通り見て回ったが泥棒に入られた形跡は見つからない。ようやく張り詰めていた警戒心が緩み、リアムはわざとらしく溜め息を吐いた。

(さっき嫌な汗かいちゃったし、先お風呂にしよ)

 お湯を張った湯船でリラックスする余裕など今のリアムにはなく。シャワーで手短に済ませ、部屋着に早変わり。遅めの夕食を作ろうか、と。リアムが脱衣所とリビングルームを繋ぐ扉を開けたそのとき。

「終わった?」

「ぎゃあ‼︎」

 あたかも『始めから居ましたよ』との素振りでローテーブルに片肘を突く青年。反射的に飛び退いたリアムは、弾みで扉に右腕を叩きつけてしまう。痛いと左手で右腕を抑えながらリアムは青年を――『剣の空間』でルシャントと名乗った男に目を向ける。

「あ、あの……なんでここにいるの……? それと外に出れるんだね……」

「半分だけなら。あんたがお風呂入りそうだったから一旦出てきた」

 ルシャントの下半身を確認しようと屈むリアムを「そうじゃない」と睨みつける。

 あの空間で会ったときと比べ幾分か『人間らしい』青年に、口が自然と動く。

「ルシャント君は……」

くんはやめろ」

「えっとじゃあ……ルシャントは、どうして僕の中? ……って言っていいのかな。に、いたの? あといつから?」

「あの黒いの……『ルスト』って付けたんだっけ。それが飛び出してきたとき、居たのがあんただけだったから」

 眉を顰めるリアムに、ルシャントは目を細める。

「でも当たりだった。あんたの体、異常なぐらいに魔力作っては捨ててるからいくらでも吸収できる。僕の魔力も予想以上に回復してるよ」

「そ、そうなんだ」

 新たに知り得た『剣』の情報よりもリアムが気になったのは、あの儀式の場にルシャントが居合わせていたこと。

「あのとき、大広間に君も居たの?」

「うん。ずっと……ずっと前から」

「ずっと前……?」

 ルシャントが本当に『ずっと前』から大広間に居たとするならば。誰かの印象に強く残っていても不思議でない。ならどうしてか。

 脳裏を過ぎる『ロードクリスタル』の姿に、リアムはまさかと目を見張った。

「初めに言ったでしょ――大罪人、だって」

 ルシャントの言葉に、リアムは自分の推測が正しいと確信する。

 目の前の青年が居たのは、間違いなく『ロードクリスタル』の“内部”。飛び出した大量の『ルスト』と同じ場所に潜んでいたのだ。口振からすれば、閉じ込められていたと言い直すのが正しいのかもしれない。

「あの『ルスト』は君が……?」

「勘違いするなよ。“それは”違う」

 放たれた鋭い視線に思わず後退る。一歩間違えていたら殺されていた。殺気が肌を刺す。

 今。自分が話している相手は、正真正銘『大罪人』なのだ。そう体の奥底に植え付けられるような感覚に襲われる。

「人間のために。自己犠牲の精神で僕を捕らえて、封印して。それなのに人間はモノ扱いするどころか、恩も忘れ、見下し、自分達だけは光を享受きょうじゅする。……僕がなにもしなくとも、彼らは勝手に狂っていった。かつて『精霊王』と呼ばれていた存在の成れの果て――それが、あんた達が『ルスト』って呼ぶものの正体だよ」

 ルシャントが語る話の全てを理解するのは難しい。

 それでも、わかることが1つだけあった。


 今回の事件は、人間に蔑ろにされた『精霊王』達の復讐だということ……――。


「……もういい? 僕もあんたに話があるんだけど」

「えっ、あ、うん。なに?」

 未だ動揺するリアムを気にかける様子もなく。ルシャントは一方的に要求を突きつけてきた。

「明日、『ニュイエトワ地方』に僕を連れてほしい」

「……『ニュイエトワ』?」

 聞いたことのない地方名だ。

 地図に詳しいと自負するリアムの記憶に、そのような名前の地方名はない。首をかしげるリアムの様子にルシャントは一瞬目を丸くして、伏せる。

「ちょっと待ってて」

 ポールハンガーにぶら下がる鞄から取り出した地図を、リアムはローテーブルの上に広げる。

「どのあた……」

「ここ」

 リアムを遮り指で指し示したのは『オラトリオ地方』北西。

 記憶が正しければ。その地に広がるのは廃墟といったもので、肝試しに訪れる若者も多いのだとか。訪れたこともない自分にはその気持ちが理解できないが、若気の至りというやつなのだろう。

「うん、わかった。明日ここに行こう」

 この地にあるルシャントが求めるなにかは見当もつかないが。彼を紐解くことが『ルスト』に繋がるというのなら――素直に要求を飲もう。

「僕の話、信じるっていうの?」

「信じるっていうか……。ただ僕は、僕にできることをしようとしているだけ」

 それが数多ある可能性の1つだとしても。この可能性を追えるのは、きっと自分だけだから。

 直後。ぐーっと胃袋が鳴る音が響き渡り、リアムは空笑いしつつ後頭部を搔く。

「お腹空いてたの忘れてた……」

「へぇ。人間じゃないのに空くんだ」

「えっ空かないの?」

「……食べたことないからね」

 ぼそぼそとした呟きでも、リアムの耳はしっかりと聞き取っていた。「もったいないよ!」と声を上げる。

「なにか作るから一緒に食べようよ!」

「要らない」

「そう言わずにさ。僕1人じゃ余らせちゃうから」

 ねっ? と地図を畳むリアムから悪意は感じられない。ルシャントは戸惑ったように視線を彷徨わせ、答える。

「余らせるのは良くないから……食べる」

 なにか引っ掛かりを覚えるも、2度目となる腹の音が鳴れば忘れてしまった。

 遅めの夕食を摂り終えたあと。リアムは早々に眠りへと落ちた――。

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