2話 錆びつく色の理想郷

 ――あれ……。僕、なにをしてたんだっけ……。コメィトさんに連れられて……『ジェム』の儀式を見て……それから……。

 それから……?


「――リアム!」

 薄暗い闇に覆われた世界が色づく。

 覚醒しきらないぼやけた視界に、眉を顰めたまま息を溢すコメィトと、不安げな表情を和らげる茶髪の青年が映り込む。

「リアム……痛いところはない?」

 リアムより大人びた雰囲気の青年は肩から力を抜き、握り締めていた手を離す。

「ううん……大丈夫。マティアス……どうしてここに?」

「リアムが心配で来たんだ。良かった……」

「ごめんね。ありがとう」

 寝覚めたリアムは上体を起こし、青年に力なく笑う。マティアス、と呼ばれた茶髪の青年は「うん」と短く返した。

 マティアスはリアムが『大親友』と呼ぶ仲であり、王都で喫茶店を営んでいる若きマスター。コメィトから連絡を受け、臨時休業して駆けつけたと簡潔に説明される。

「あの、ここは……?」

 簡易的なパーテーションで仕切られた個室のベッドで寝かされていたリアムは周囲に視線を巡らせると、隣に腰を下ろすコメィトに問いかける。

「救護用テントの中だ。臨時で作られた、な」

「救護用……。あっ、ならあの子もいますか⁉︎ それとあのあとどうなったんですか⁉︎」

 配慮の欠片もなく詰め寄るリアムと、コメィトは目線を合わせようとしなかった。変だなと首をかしげれば、コメィトはリアムの頭に手の平を置き、呟く。

「……オマエのせいじゃない」

 告げられた慰めの言葉。助かったのは自分だけだったのだ、と。否応なしに理解してしまった。瞬間、リアムの思考が虚無に還る。

 普段なら「しょぼくれるんじゃねぇ」と叱咤しったするコメィトも、ただひたすらにリアムの様子を見ることしかできない。目を細め、静かに手の平を頭から離す。

 じわじわと現実を受け入れ始めるリアムの前に、マティアスはカメラを差し出した。

「はい。リアムの大切なもの」

 無意識に伸びた手がカメラを受け取る。瞬き1つせず茫然とカメラを見つめるリアムの様子に、マティアスは言葉をかけられない悔しさを滲ませる。

「……悪いが、リアムのこと頼んだ。俺はここに残る」

「はい。どうかお気をつけて」

「そっちもな」

 やり取りを終えたコメィトは一度リアムを見遣り、パーテーションの向こうへ消えた。

「リアム、帰ろう。辛いならおぶって行くから」

「……うん」

 差し伸べられた手をぎゅっと握り返す。右も左もわからぬ迷子のように幼く感じる。

 救護用テントが遠くに見える場所まで辿り着くと、リアムは自身の腕を引くマティアスの名を呼んだ。

「マティアス。もう大丈夫だよ」

 友の言葉にマティアスは応じなかった。僅かにリアムの腕を掴む力を強め、手を離そうとしない。

 歩みを止めたマティアスがリアムに振り返る。

「大丈夫じゃないよ。その顔は」

 指摘されて初めて、リアムは自身が浮かべる表情と言葉が一致していないことに気づいた。今にも泣き出してしまうリアムに、マティアスの瞳は感傷に染まる。

 下唇を噛み締め、必死に耐え忍ぶ。が、弱々しい抵抗も虚しく。せきを切って溢れ出す涙。

 マティアスが手を離した途端、リアムはその体に抱きついた。肩に顔を埋め、むせび泣く。

 怖かった。今日までに体験した恐怖が可愛く思えるほど。だが、それを上回るのは――押し寄せる後悔の念。


 あのとき、もっと早く動けていたら。

 あのとき、手を引いて逃げていたら。

 あのとき、なにかが違っていたら。

 あのとき、僕がした行動は最善だったのか――?


 後悔したところでなにも変わらない。在るのは、『自分だけが助かった』という結果。それこそがリアムを苦しめている原因。

 口にされずとも。マティアスはリアムの気持ちを見抜いていた。リアムの背中に片手を回し、宥めるようにゆっくりと上下に動かす。

「……さっき小耳に挟んだ話だけど、被害に遭った人達。みんな息はあるみたいだよ」

「それ……ほんと?」

 涙を瞳に溜めるリアムに、「本当だよ」と軽く微笑む。

「助かる可能性だってある。せめて今は、方法が見つかってくれるのを祈ろう」

 小さく頷いたのを視界に捉えたマティアスは、優しくリアムの背を叩いた。

 離れたリアムはマティアスに背を向けると、持参したハンカチでぐちょぐちょに濡れた顔を拭き取る。いくら大親友とはいえ、みっともない姿は見られたくない。

「おまたせ」

「うん。じゃあ行こうか」

 未だ不安は拭えないが、一縷いちるの希望を胸に歩き出す。

 その日リアムは自宅に帰らず、マティアスが経営する喫茶店で一晩お世話になった。




 『オラトリオ地方』、王都中央。そこは、テニスコート何面分もの敷地を誇るセントラルパークを中心として発展する都心部。人の往来が激しく、流行の最先端を行く商店が多く建ち並ぶエリアの一角に。マティアスが営む喫茶店【le angeル・アンジュ】は佇む。


 一夜明けた喫茶店2階。マティアスの生活スペースの一室から漂うスープの香りに導かれ、リアムはドアノブを捻った。

「あっ、リアム。おはよう」

 テーブルの傍らで右にミルクの瓶を、左にコップを手にしたマティアスが笑顔で迎える。

 リアムもまた「おはよう」と挨拶を返しては、扉を閉める。

「ルイスとエルもおはよう」

「おう。おはよう」

「おは」

 ひと足先に着席しているのは2人の青年。朝日に照らされるブロンドヘアーの男、エルは端末を弄る指を止めて一瞥。黒髪の男、ルイスはテーブルと椅子の隙間に広げた新聞から視線を外さずに。各々返事をする。


 彼らはリアムとマティアス共通の友人。2人は毎日マティアスが用意する朝食を頂く代わりに、喫茶店のお手伝いをしている。ひとえにお手伝いをするといっても、お給料は出ないボランティアの立ち位置。その裏でエルとルイスは、それぞれ異なる『勢力』の首領トップを務める実力者でもある。


 隣同士で座る2人の対面に、リアムとマティアスが腰掛ければエルとルイスも端末と新聞紙を近くに置いた。

 「いただきます」と手を合わせ、一斉に箸を下ろす。まずはスープから、と木製のスプーンで掬ったコーンスープを口に含むリアムに、ルイスは話しかける。

「聞きたいことがあるんだけど」

「おい」

 やめとけと睥睨へいげいするエルを、ルイスは横目で睨み返す。

「別にいいでしょ。子供じゃないんだから気を遣わなくて」

「気配りじゃなくてデリカシーの問題だろ」

「君の口から『デリカシー』なんて高尚こうしょうな単語が出てくるとは驚きだよ」

「ぶっ飛ばすぞ」

「……もしかして、昨日のことが聞きたいの?」

 パンを頬張るリアムの神妙な面持ちになにかを見たエルは黙々と食事を再開。ルイスは上品に朝食を口に運びつつ、リアムの言葉に耳を傾ける。

「話は聞いてると思うけど……多分、それ以上の情報は持ち合わせてないよ。寧ろどうなったか教えてほしいんだけど」

「ニュース観てないの?」

「僕としたことが爆睡しちゃって……」

 昨日リアムは案内された部屋のベッドに寝転んだ瞬間、まさしく泥のように眠ってしまった。隣に座るマティアスが、ああと納得したように声を洩らした。

「そうだったね。先にご飯食べておいて正解だったよ」

「じゃあなにも知らないってわけか」

 エルの言葉にこくりと点頭てんとうする。

 ルイスは先程まで読んでいた新聞紙をリアムに手渡した。一面を飾るのは、やはりか『星見の塔』で発生した事件についての詳細。あの光景が脳裏を過ぎる度に背筋が凍りつく。

 リアムは記事中に見つけた『ルスト』という単語に首をかしげた。

「『ルスト』……? ってなに?」

「黒い絵の具みたいなやつの名前。呼び名がないと不便だからってつけられた」

 『ルスト』――この世界で“さび”を意味する言葉。

 記事を読み進めると、『ルスト』は塔の外を飛び出し、世界各地に散ってしまったらしい。すぐさま各地方の権力者に注意喚起を行うよう通達。対策本部が設置され、真相解明が急がれる。

「……あのさ」

 すっかり食事の手が止まったリアムは、とある話が書かれていないことに眉を顰める。

「わかってるよ。ジェムの話でしょ」

 言い当てたルイスは、サラダ用のミニトマトをフォークで突き刺す。

 なにがあったのかと目線で問うリアムの疑問に答えたのはエル。

「……あのとき、大広間でお前を見つけたのはソールだ。あいつの話では、お前の体にはべっとりと『ルスト』が張りついていたらしい」

 リアムは恐怖のあまり色を失った。もしも気を失っていなかったら……。想像するだけで体が震える。

「どうにか引き剥がせたものの。そのあとは……お前が知っている通りだ」

「うん……。でも、それがどう関係してるの?」

「この話から『ルスト』の特徴について2つの事が推測できる。1つは人体に問題がないということ。触れるだけならな。もう1つは、率先してジェムを狙う傾向にあるということ。お前が庇った子供は去年すでに儀式を受けていて、弟の儀式を見に来ていた兄だそうだ。犠牲となった大半は子供じゃなくて大人だったしな」

 単純に目についた人々を襲い黒く錆びつかせるのであれば、べっとりと張りついていたリアムが無事であるはずがない。助けに来たソールが襲撃されなかったのも、彼もまたジェムを持たない存在であるからだろう。

 あくまでも『ルスト』が狙うのは人ではなく『ジェム』――。

「だけど。その事実は伏せることになった」

 ようやくミニトマトを口にしたルイスは侮蔑ぶべつするかのような身振りで語る。

「悪いのは、狙われるのは。自分達じゃなくてジェム。ならば、今や魔法が使えなくとも便利な世の中。魔法は要らない、不要だ。『それなら捨ててしまおう』。……そんなことしても、繋がりが断ち切れるわけじゃないのにね。馬鹿なやつら」

 ルイスの言葉通り、『ジェム』を放棄するのは却って身の危険を晒すことになる。『ジェム』を放棄して得られるのはデメリットだけ。事実を伏せるのもまた、混乱を防ぐために時として必要な処置なのだ。

「――でも。もう遅いかもね」

「え?」

「昨晩のうちに情報が漏れて、ネットで拡散されてる。今もその話題で持ちきりだ。さすがにテレビとかでは取り上げられていないが……手遅れだろうな」

 瞑目めいもくするエルの様子では、数百人規模の話ではないのであろう。数千人、数万人、数億人にも昇る人々が情報に踊り狂う。

「あーあ、始まっちゃった。大規模な“ジェム狩り”が――」

 悪人面をする友人の言葉にリアムは事の深刻さを悟り、顔を歪めた。

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