千年の子供

千早丸

序章 目覚めてから

00-01. ポットと根っこ


 目が覚めると、森の木漏れ日が眩しかった。


 どこのヘタレメルヘンだ、と思いつつ周囲を見渡す。

 頭が重く首が強張り、うまく動かない。辛うじて分かったのは「誰も居ない」という珍しい事象だった。

 自分は人工冬眠装置で低温治療を受けており、療養期間は15日間で、覚醒後の回復訓練は半日しかないというスパルタ日程だった、と記憶している。低温治療はリスクのある治療法だったが、他に(短期でできる)選択肢がなく、また15日間も人の体を好き勝手出来る研究チームは大喜びで、また優秀な傍付き共は「業務日程を作成しておきます」冷ややかだった。

 よって、本来であれば「僕」の覚醒には医師や近衛に囲まれて、という状況のはず。

 しかし誰も居ない。


 見上げると、分かるのはポットの開いた上蓋。

 やけに明るく、目が慣れてくると予想外な室内だった。

 天井が、なかった。確かこの医療室は地下だったはず、とは思うが、見えているのは崩れ落ちた天井で、そこから樹木の根らしいモノが床まで這いまわり、ツタや宿木っぽい植物が好き勝手に繁殖していて、大穴の天井からは陽光が惜しみなく降り注いでいた。

 ……治療の滅菌性、無視だな。

 現実逃避な思考に首を振る。とにかく頭が重い。と額を手で支え、支えようとした手を見てギョッとした。

 手が小さい。というか幼い。見下ろすと、溶液で濡れたままの病衣からチョコンと寸足らずな足先が見える。脳に命令させると、右の足先が動く。もう一度命令すると、左の足が動くし、感触もする。一度瞼を閉じて大きく深呼吸し、目を開くと予想通りに両足の指が開いて、閉じた。両手も意志通りに動く。動く、動くが、短い。

 ……うん、感覚神経に誤作動なし。

 現実逃避思考②、で頷いて、一声。

「システム!」

 予想通りに幼い(少女のような)声は、意外にもすんなりと出た。

 ポット内の溶液は揮発性が高く、どんどん少なくなり、気体化の代わりに体温を奪う。悠長に現実逃避していたら(ぜひとも逃避していたいが)体が冷えてしまう。医療室の滅菌がされていないし、ポットから出たばかりの無抵抗な抗体で感染症にでもなったらアホ過ぎる死しかない。

 従者はいないし医師も補助スタッフもいない。

 自分で動くしかない。

 滑るのに苦労しながらポットからの脱出を図りつつ、もう一度この医療室や施設を管理している(はず)システムを呼ぶが、音声での返答はない。

 少し考えたが、冬眠前に職員はシステムへ普通に音声命令していたので、多分この森化でシステムの一部に損傷がある、例えば音声ガイダンスができない、など。

「システム、清潔で乾いている病衣をよこせ」

 命令にガコンと音がし、そちらに気を取られて、せっかくポットの淵まで上がったのに手を滑らせてしまった。床までの距離と子供の体を思い出して焦ったが、すぐにベチャリと何かに肩をぶつける。何かと見れば樹の根だった。ポットは押されて斜めっていたが、ちょうどいい階段である。

 よくポットが壊れなかったなと感心し、壊れたポットに閉じ込められたまま腐って死ぬ自分を想像して首を振る。

 ともかく音のした方を見ると、植物に阻まれた棚の引出しが中途半端に開いていた。中を見ると(棚が高くて覗くまでにまた苦労する)、病衣とシーツだかタオルだかが複数枚入っていた。開閉の隙間は狭かったが、幼体が初めて役に立ち、細い腕で幾つかを取り出した。悔しいが、短い腕は奥まで届かなかった。

 体を拭き、濡れた病衣を着替え、ガブガブの服の上に大きすぎるタオルを被ってズルズル引きずる、というみっともない格好になった。死ぬよりマシだし、どうせ見ている他人はいない。

 廊下に出ると、当然真っ暗で、明らかに見通しが悪い。システムへ照明をつけるよう言ったが変化なし。仕方がないのでそこらの植物の葉をつぶし、汁で壁に模様を描くと、壁自体が発光した。

 廊下にまで侵入している樹根が岩山のようにゴロゴロ連なっているのが見えた。

「……うわぃい」

 意識的に声を出して呻く。

 樹根が天井を突き破り陽光の差す医療室を振り返り、樹根が岩のごとく埋める廊下を見る。

 脱出は、どちらが簡単だろう?


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