第四章 アーシャ 2
* 2 *
「確かガルド、と言ったか?」
「お見知りおきいただき光栄です、姫様」
「魔王の側近が何をしに来た?!」
姫とトールの声にも平然としてる執事姿の魔人ガルドは、右手に何か白いものをつまんでぶら下げていた。
――獣?
白いふわふわとした毛をした、けれど血塗れの中型犬くらいはありそうな、ぴくりともしないその獣。
ゴローは一緒じゃないらしいガルドが、そんな獣をぶら下げて何しに来たのかは、まったく推測もできない。
「どんなご用事でしょう?」
個室としてはかなり広くても、戦闘するには充分なスペースがあるとは言い難い執務室で、俺たち全員を守るようにラキがガルドに声をかけながら一歩前に出た。
魔王の側近だけあって、たぶんガルドはそれなり以上に強いんだろう。でもラキは、口調と表情からじゃ緊張してるかどうかわからないが、少なくとも恐れている様子はない。
「戦うのは苦手ですので、ワタクシは戦いに来たのではありません。ただ、魔王様から用事を言いつけられましたので」
「用事?」
「はい。ゴミをどこか、邪魔にならない場所に捨ててこい、と」
「……は?」
ラキ以外の全員が、ガルドの言葉に異口同音の疑問を呈した。
魔王の側近がゴミを捨てに、わざわざ敵対している相手の、それも一応大将役である姫の前に危険を冒して現れる理由がわからない。
「ワタクシはスイミー様に身も心も捧げ、忠誠の制約を行っておりますので、魔王様の命令は違えることなく実行するしかありません」
「それでわざわざ、それを捨てに私の屋敷にやってきた、と?」
「はい。その通りでございます、姫様」
やっぱりわけがわからない。
ラキの感情を表現する方法を知らない無表情とは違い、ポーカーフェイスだと思えるガルドの表情からは、彼の考えを読み取ることはできない。
「では確かに、ゴミは捨てさせていただきます。用事は済みましたので、ワタクシはこれにて」
「いや、待て!」
俺が声をかけたときには、白い獣を無造作に床に捨てていったガルドの姿は、そこにはなくなっていた。
彼は瞬間移動とか、そういう能力が使えるらしい。
「なんだったんだろうな?」
「さてな。さすがに私にもわけがわからぬよ」
姫とそう言い合い、警戒しつつトールとラキが近づいていく獣の方を見る。
「タクト様。この獣、まだ息があります。しかし、なんと言うか……」
「ただの獣ではありません。確認していただけませんか?」
トールとラキにそう言われて、俺は姫とリディさんに視線を飛ばした後、獣へと近づいていった。
*
ふわふわした毛並みは子猫のものに近かったが、身体は犬か狐、むしろフェレット辺りに近いように見えた。
咳き込むように血を吐いたその白い獣は、周りに集まってきた俺たちを金色の瞳で見、怖がるようにぎゅっと目をつむった。
「見てください、タクト様」
血に濡れた毛を探り、ラキが何かを示した。
「……これは?」
「まだ小さいが、翼だな」
獣の背中側、おそらく人間なら肩甲骨がある辺りに、ちゃんと四本揃ってる脚の他に、何かが生えていた。
姫が言う通りなら、それは翼。
でも俺は、羽毛が生えた翼のある生き物を知らない。
目を険しく細めたトールが、俺に教えてくれる。
「これはドラゴンの幼生です」
「羽毛の生えた、ドラゴン?」
「はい」
「それも純白の羽毛竜。鱗竜ならば他にもいるが、この辺りに生息する羽毛竜はライム竜族以外には考えられない。おそらくこの幼竜は、ライム竜族の生き残りだ」
「ライム竜族って、何年か前にスイミーに滅ぼされたって言う?」
「あぁ。理由はわからんが、竜王を滅し、他の成竜を殺しながらも、ゴローに取り込まれる前のスイミーはこの幼竜を生かしていたのだろう」
姫の説明を聞いていたとき、幼竜が激しく吐血した。
もう虫の息と言っても良い幼竜は、このまま放っておけば死ぬことは確実だった。
「姫。確か回復の祝福が使えるって言ってなかったっけ? 少しでも治してあげて――」
「無理だな。竜族はそこらの生き物とも、妖精族や巨人族とも違う。一族全体をもってひと柱の神とされるほどに大きな存在だ。身体の大きさではなく、存在の大きさが回復の祝福に大きく影響する。止血でもしようものなら私の命でも足りない。同じ竜族の竜法でも使うか、自然回復を願うしかない。しかしこれだけ深く傷ついていると、な……」
悲痛な表情を浮かべる姫に、俺も唇を噛む。
いま出会ったばかりの幼竜だけど、魔王の側近が捨てろと言われて持ってきたのであれば、この子はゴローの被害者だ。
できれば命を救ってやりたいと思うが、俺たちには何もできない。
「死に、たく、ない……」
もう荒い息も吐けなくなってきている幼竜が、そんな言葉を発した。
「喋った?!」
「当然です、タクト様。いまカエデ様が説明した通り、神の分け身。人の言葉くらい優に解します」
姫と同じように悲痛な顔をしているリディさんの言葉。
獣などではない、高度な知性と知能を持っているだろう幼竜を、何もできない俺は優しく撫でてやる。できれば、これ以上苦しくならないように。
「ボクは、ライム、竜族の、最後の生き残り……。スイミーが、一番偉かったときは、外には、出られなかったけど、ちゃんと食事も、くれた……」
途切れ途切れの声で、苦しそうにしながらも、幼竜は話してくれる。
「でも、スイミーが、いなくなって、いまの、魔王になってから、ほとんど食事も、くれなくて……。それに、少し前から、魔王はボクのことを、取り込もうとしてきて……」
金色の瞳を大きく開いた幼竜は、大粒の涙を流す。
「少し前から、ボクを殴ったり、蹴ったり、刺したりして……。どうしても取り込もうとしてきて、でもボクは、ライム竜族の、最後の生き残りだから……。何度も、何度も、拒否して……。それなのに、あいつは笑いながら、ボクのことを……」
その言葉を聞いているだけでも、俺の胸を苦しくなってくる。
ゴローはそういう奴だ。
自分が上の立場にいるときは、容赦なんてしてくれない。俺も一度、入院したことがあるほどだ。
それなのに誰も助けてくれなくて、だんだんと気持ちが弱って、ゴローの顔を見るだけで気分が悪くなるようになって、吐き気がするようになり、学校に行けなくなったんだ。
幼竜が受けた暴力は、俺の受けたものなんて比にならない、いままさに死に行こうとしているほどの、容赦のない攻撃だったんだ。
「恐、かったんだ。逃げ出し、たかったんだ。でも、逃げられ、なかった。心が弱って、魂が縮んで、負けそうだった、けど、ボクは、あいつに取り込まれる、わけにはいかなかったんだ……」
竜族としての誇り。
それだけがこの子を支え、死ぬほど痛めつけて、それでも取り込めないことに業を煮やしたんだろう。
だから、捨てろと命じた。
どうしてガルドがこの幼竜をここに持ってきたのかはわからない。わかる必要を感じない。
俺はただ、この子を救いたかった。
「死に、たくない……。もっと、生きたい……。恐い……、恐いんだ……、魔王も、死ぬことも、恐い……」
幼竜の傍に跪くみんなが、つらそうな顔をしていた。俺も、顔を歪めて、いまにも泣きそうになっていた。
でもひとりだけ、トールだけは、険しい顔をしながらも、何かを考え込んでいるようだった。
「タクト。あくまで可能性の話です」
「トール?」
「タクトの権能、ソウルアンリーシュは、妖魔のソウルコアに干渉するもの。そうですね?」
「うん、たぶんそうだと思う」
俺の顔を険しく眉を顰めながら見つめてくるトール。
何かを思いついた彼女の声に、俺は聞き逃すまいとその顔を真っ直ぐに見つめた。
「あの魔王、ゴローは言っていました。キマイラというのは、ソウルコアや魂を合成する権能だと。もしタクトの権能も同質で、ソウルコアだけでなく、妖魔化していない生物の魂にも干渉できるとしたら?」
「この子を、救うことができるかも知れない!」
「はい。魔王が妖魔化していないこの子を取り込もうとしていたのだとしたら、同質のタクトの権能もこの子に効果があるかも知れません」
確かにゴローがこの幼竜を取り込もうとし、拒否されたために失敗していたのだとしたら、キマイラは妖魔化していない生物の魂にも効果があるということだ。
もし俺の権能も同質なのだとしたら、キマイラ同様、この子にも効果を発揮するはず。
「魔王は拒否されていたために失敗していた。だとするなら、この子に同意を求める必要があるのでは? タクト様」
「そうだな」
ラキの言葉に頷き、俺は幼竜に声をかける。
「まだ、生きていたいんだよな?」
「うん……。ボクはもっと、生きていたい……」
「だったら、これから使う権能に同意してくれ」
「権能に? いやだっ、いやだっ! ボクは、ボクじゃなくなりたくないっ」
「待て! 違うっ」
もうあまり動かないはずの身体を暴れさせる幼竜を、必死で押さえつける。これ以上血が流れたら、すぐにでも事切れてしまうかも知れない。
「大丈夫ですよ、ライムの竜よ。タクトの権能は魂と、身体に干渉します。わたしは元々オルグでした。しかしいまはこうした、女の身体を得て、タクトの眷属となりました」
「ワタシはついこの前までキラーアーマーだった。けれどいまはこの姿で、けれども鎧であった自分も失っていない。タクト様の眷属であり、同時に鎧でもある」
「それに権能はあくまで神が人間に与えた力に過ぎない。ライム竜族の最後の生き残りであり、未来の竜王たるお前は、身体と心の成長に伴い、タクトの権能の影響は薄れていくだろう」
トールとラキと姫の説明に、幼竜は暴れるのをやめてくれる。
「……本当に、取り込んだり、しない?」
「あぁ、本当だ。俺の権能は、トールやラキみたいに身体を女の子にすることはあっても、取り込んだりするものじゃない。でも、同意がないとたぶん失敗する。人間の女の子の身体になっても良いなら、俺の権能を受け入れてくれ」
「……」
荒かった息が落ち着き、でも最初のときよりさらに浅くなる。
もう時間がない。
「それで、ボクは、生き続けられるの?」
「大丈夫だ。俺はお前を救いたい。もっと、ずっと、生きていてほしい」
「……わかった。ボクも、もっと、ずっと、生きていきたい」
途切れそうになってる息でどうにか言い、幼竜は静かに目をつむる。
その身体に、俺は手を触れた。
探り出す、幼竜の魂。
妖魔だったラキと違い、魂は身体全体に満ちているのを感じる。
でも俺は、魂の存在を感知し、それに触れ、干渉する方法がわかっていた。
「行くぞ」
「うん……」
「ソウル、アンリーシュ!!」
俺がそう唱えるのと同時に、幼竜の身体が光り輝き始めた。
*
柔らかいものに包まれているのを感じた。
暖かく、優しく身体を包んでくれているそれが、布団であることに気がつく。
違和感のある、身体の感覚。
竜族だったときよりもずいぶん弱々しく、柔らかく、そして軽いと感じる身体。それが眷属となった、人間の女の子の身体であることを理解する。
そしてもう、痛みはない。苦しくもない。
すぐ傍に迫っていた死は、この身体にはない。
目を開けると、木の天井が見えた。
身体を起こして周りを見てみると、ベッドに寝かされていた自分の傍には、椅子に座って本を読んでいる、もの凄く大きな女の人がいた。
「タクト、目が醒めたようです」
「そっか! よかった……」
女の人に声をかけられて、あまり広くない部屋の、掃き出し窓から入ってきたのは、ひとりの男の人。
魔王に似た背格好の男の人。
一瞬逃げ出そうとしたけれど、すぐに違うことを理解する。
魂が彼のことを認識する。
――この人が、ボクを助けてくれた人だ。
眷属になるということがどういうことなのか理解した元幼竜は、彼に笑み、そして泣いた。
「ひと晩目が醒めなかったから、心配したぞ」
「うん……、うんっ。ボクはもう大丈夫だよ! ありがとう……、ありがとう! タクトさん!!」
白い大きなシャツを着せられていた幼竜は、タクトに両手を伸ばす。
それに答えて両手を伸ばしてくれた彼の胸の中に飛び込んだ。
彼と姿形の似ていた、魔王は見るだけで恐くて逃げ出したくなったのに、いまいる胸の中は暖かくて、広くて、安心できた。
――うん、そうなんだね。
彼に包まれて、幼竜は実感する。
自分にとって、彼がどんな存在であるかを。
自分にとって、彼がどれほど大切な人であるかを。
そしてひとつの決意をする。
「ボクの名前はアーシャ」
「アーシャ?」
「うん。アーシャ・ライム。ライム竜族の最後の生き残りにして、未来の竜王。そして――」
大きな胸の中にすっぽり包まれてしまうほどに小さく、まだ幼い身体。
優しい表情を浮かべてくれているタクトに、彼の腕の中からアーシャは言う。
「タクトさんの番いになる者」
「つがい?」
タクトが疑問の言葉を口にするよりも前に、大きな女の人が椅子から立ち上がり、目を細めて鋭く言った。
アーシャはそれに対してニッコリと笑みを返し、言葉を続ける。
「うんっ、そうだよ! ボクはね、タクトと子供をつくる、お嫁さんなんだよ!」
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