第一章 トール 3


          * 3 *


「これで大丈夫です」

 俺よりも太いくらいの指で、器用に紐状に縒った蔓を結びつけた美女。

 俺は半日くらい寝ていたそうで、オークに襲われたのはもう昨日のこと。

 錆びた武器で引っかかれた腕は手当がされていたけど、薬草を取り替えるということで、美女とともに洞窟からほど近い――と言っても三〇分近く歩いたけど――森の中の綺麗な泉に来ていた。

 薬になるという草の葉を泉で洗って軽くつぶし、傷口に張り付けてシカの革で覆って蔓を巻いて結びつける。革の包帯だ。

 化膿止めとかの効果があるそうだから、たぶんこれで感染症とかは防げるんだろう。

 オークはもういない。彼女の言葉が本当なら、オルグはいま俺の目の前の美女となってる。

 そろそろ日が高く、昼間の爽やかな森の中、ぽっかりと広がっている泉の側に座り、石の上に腰を落ち着けた俺は安堵の息を吐いた。

 オークに追いかけられてたときと違って、いまは安全だ。

 元の世界に帰る方法とかは、わからないけれど。

「なっ、何してるんだ!」

 革の上から傷を撫でてたとき、突然美女が胸と腰の鹿革を脱ぎ去った。素っ裸だ。

「――綺麗だ」

 素直に感想が口をついて出た。

 知り合いからはひと言多いとか、言わなくていいことを言うなとか言われる俺の口。でもいまは、素直にそう思ったんだ。

 それまでも裸に近い格好だったわけだけど、一糸まとわぬ美女の身体は、本当にこのまま保存しておきたいほどに均整の取れた美しさだった。

「……ありがとうございます」

「う、うん。――い、いやっ、そうじゃなくて!!」

 恥ずかしげもなく可愛らしく笑む彼女に、俺は慌てて背を向けて目をつむる。

 女性なのに羞恥心がなさ過ぎる。

 ――いや、それも仕方ないのか?

 美女は昨日まであの巨人、オルグだったと自分で言っていた。

 あの巨人はどう見ても男だったし、もしあの姿で女だったとしても人間じゃないんだ、人間並みの羞恥心を求めるのが間違いなのかも知れない。

「なっ、なんで突然脱いでるんだよっ」

「水浴びです。ここは清浄な水が湧き上がる泉のようなので、オルグだった頃から毎日水浴びに来ていたのです。一緒に入りませんか?」

「……やめておく」

「そうですか。残念です」

 ちらりと見てみると、美女は俺に背を向けて泉に入り、身体を清め始めていた。

 ――クソッ。

 現実ではこれまで見たこともないほど美しい女性だ。一緒に水浴びなんて、またとないチャンス。

 本当を言えばいますぐ「イエス!」と答えていろいろ楽しみたい気持ちもある。なんか俺に救ってもらったとか言ってた彼女だから、水浴びだけじゃなくてその先のことも、なんてことも妄想する。

 でも、ダメだった。

 高校でイジメられたとき、本当にクラスをあげてイジメられた。男子からだけじゃなく、女子からも。

 教師に証拠を持って訴え出ても適当に流され、そんなことが半年以上続いて、俺は人と話せなくなった。

 財産を奪っていった親戚への不信もあって、人間を信じられなくなった。話ができなくなった。

 優しい顔していつか俺を裏切るんじゃないかって、勘ぐるようになってしまった。

 一度人を信じられなくなると負のスパイラルに入って、初対面の人でももしかしたら、なんて考えてさらに話せなくなって、金がなくなっていってもバイトに行くことすら考えられなかった。

 まだかろうじて、中学時代から友達だった奴がいたから、完全に人間との接触ができなくなるほどにはならなかったけど、積極的に話しかけることはできなくなった。

 いま背中の向こうで水浴びをしている美女については、なぜか親しみを感じてる。信じられると思えてる。

 それでもやっぱり表面的には抵抗があって、誘ってくれたのに怖いという感情が先立っていた。

 異世界の人が、俺をハメるようなこと、あり得ないとわかってるのに。

 欲望に任せて無理矢理、なんて衝動が湧き上がるくらいには魅力的な身体をしてる美女だったが、現実的には無理だ。

 彼女が脱いだ革と一緒に隣に転がっている、丸太の棍棒。

 俺の身長に近い長さがあるそれに触って持ち上げてみようとするが、持ち上がらない。鉄でできてるんじゃないかと思うほどに重い。

 こんなものを軽々と持ち上げる彼女を、俺みたいな引きこもってた男がどうにかできるとは思えない。

 ――そう思えば。

 現実に打ちのめされ欲望がすっかり萎えた俺は、ふと思いついたことを訊いてみる。

「君が昨日のオルグだっていうのは、本当なのか?」

「はい、本当です」

 水音とともに返事をくれる美女。

「……オルグって、なんなんだ?」

「オルグはオルグです。巨人族の中でも小型の、トロール族が瘴気の影響を受けて変質した、妖魔です。貴方を追いかけてきていたオーク共も、イノシシやブタが妖魔と化したものです」

「瘴気というのは?」

「瘴気は……、わたしも詳しくはわかっていないのですが、この世界は多くの神が、太古の昔はその力を直接ぶつけ合い、いまは多くの種族の信仰を集めその勢力によって争っています。その影響からか、世界はとても歪みやすく、歪みは瘴気という形で具現化します。瘴気とは一種の空気のようなもので、濃いものを短期間に大量に吸い込んだり、薄くても長期間に渡って曝され続けると、生き物や場合によっては生き物以外でも変質してしまい、妖魔となります。また濃密で強力な瘴気は、それそのもので凶悪で強大な力を持つ魔族を産み出すことがあって、魔族と妖魔を合わせて歪魔と呼ばれています」

 詳しくないと言うが、結構細かく美女は解説してくれる。

 いま出てきただけで、オルグ、オーク、妖魔、魔族、歪魔、神々と、ゲームの中ならともかく現実では馴染みのない単語が出てきてる。

 それにちょっと考えてみると、瘴気の影響を脱してトロールに戻ったっぽい美女は日本人ではないし、日本語で話していないようにも感じてる。

 でも普通に会話ができてる。

 おそらく俺のいまの身体は、あの包丁を突き立ててきた美少女神が造った、異世界に転生するための身体ってことなんだろう。この世界で生きられるように、知識なのか音声変換なのか、いろいろと調整しているらしい。

 顎に手を当てさすりながら、俺はもう少し訊いてみる。

「いろんな種族がいるって言ってたけど、どんなのがいるんだ?」

「巨人族にはトロールの他に、いくつかの小型種、それから滅多に姿を見せない、山よりも大きな大型種がいます。小型種の巨人は大型種が産み出すものですので、トロールであった頃の記憶は曖昧なのですが、おそらくわたしはこの地域にいる大型巨人ディータに産み出されたトロールなのだと思います。あとは妖精族などは亜神である妖精王の眷属として産み出されたり、他の生物などを妖精化して増えますね。それとやはり、一番種族として数が多いのは人間族です」

「人間も、やっぱりいるんだ?」

「はい。この近くにも人間の村や町がありますし、種族としては一番数が多いのではないでしょうか。妖精や巨人、強い瘴気から一種一体で生まれる魔族などと違って、自分たちで繁殖していけるのが大きいのでしょう。妖精族や、妖魔の中にもそうした繁殖力のあるものもいますが、人間ほどには高くありません。人間の繁殖力の凄さは、ネズミにも例えられますね」

「そうなんだ」

 巨人とか妖精とか妖魔とか、ゲーム的な要素が多いように思えて、繁殖力の高さで人間が多いというのは、ずいぶん生々しさがある。

 なんとなくだけど、俺はこの世界のことがわかってきたような気がした。

「人間はまた、特定の神を持たないことでも知られています。巨人ならば巨人の神、妖精ならば妖精の神のように種族の神を持たず、人間は様々な神を信仰し、信仰する神を替えたりすることも多いのが特徴でしょうか」

「へぇ」

 その辺はよくわからないが、日本の信仰に近いんだろうか。

 初詣で近くの神社に行ったり、合格祈願で天神に参ったり、縁結びでその御利益がある神社に祈願したりとか。

 この世界だと別のメリットがあるのかも知れないが。

「それで君は、瘴気の影響を脱して、オルグからトロールに戻ったんだ?」

「いいえ、それは違います」

 大きな水音がした。

 泉から上がったらしい美女の足音がして、影が差す。

 美女が、片膝を着いて俺を見つめてきていた。

 身体にまとわりつく濡れた髪が、光って見えた。

 石に座ってる俺と変わらない位置から向けられる、赤い瞳に俺は動けなくなる。

 羞恥心もなく、裸を晒してる彼女。

 それよりもいまは、俺を真っ直ぐに見つめてくる瞳に釘付けになっていた。

「わたしは貴方の権能によって、新たな身体を得ました。トロールの能力はいまも持っていますが、この身体はトロールのものでも、オルグのものでもない、新たな身体です」

「新たな、身体?」

 大きな胸から、女の子の大事なところ近くまでが露わになってる彼女の身体を、じっくり見てしまう。

「わたしは貴方の権能によって、貴方の眷属となりました」

「眷属?」

「はい。わたしは命ある限り、貴方の僕(しもべ)です」

 何となく、彼女の言葉がストンと腑に落ちた。

 彼女とは知り合いとか友人とか、そういう関係じゃない。でも彼女の言ってるような、主とか僕とかとも、違うような気がする。

 けれど彼女はいままで出会ったどんな人よりも身近に感じる。

 友人とか家族とか恋人とかとも違う近さ。

 ――たぶんそれが、眷属ってことなんだ。

 言葉とか態度とか、そういう表面的なところの繋がりではなく、もっと深いところで繋がっている感覚があって、いまでも人間不信は拭えていないはずなのに、俺は彼女の言葉を素直に受け入れる。

 だけども、疑問も感じる。

「良かったの? 君は。オルグではいたくなかったみたいだけど、トロールでもないんでしょ? トロールに戻りたかったんじゃ?」

「……それは、ないと言えば嘘になります。けれど違うんです」

 口元に悲しげな笑みを浮かべ、彼女は言う。

「わたしがオルグになってしまったのは、もうずいぶん昔のことなのだと思います。オルグになって、長い時間が経って、トロールだった頃の記憶は薄れてしまいました。けれど、絶対に失いたくないものがあったのです」

「絶対に失いたくないもの? それは何?」

「誇りです」

 揺るぐことのない赤い瞳が、俺のことを見つめていた。

「トロールはそもそも、森や山に住む穏やかな巨人族です。しかしながら、戦いの中に生き、己が力に誇りを持っています。戦いの中で生きてこそトロールなのです。けれどオルグになったことで、わたしはその誇りを失いかけていました」

 悲しげに、彼女の顔は歪む。

「瘴気は身体を変質させ、生物などを妖魔にします。けれどそれだけではありません。心をも変質させ、破壊への衝動を、世界への怨みを抱かせるのです」

「世界への怨み……」

「はい。妖魔になると、そうした衝動を植えつけられるのです。ある程度落ち着いている妖魔もいますが、その奥底には破壊への衝動が埋め込まれています。多くの者たちが妖魔や、破壊の権化とも言える魔族を恐れるのは、そういうわけです。――けれどわたしは、トロールの誇りを失いたくありませんでした。生きるために狩りをすることには、何ら問題はありません。生存は戦いなのです。しかし破壊のために破壊を行うことは、トロールの誇りに反します。わたしは、瘴気によって植えつけられた衝動で、破壊を撒き散らしたくはなかったのです」

 左手を胸に当て、彼女は笑む。

「オルグになっても、わたしはかろうじてトロールの誇りを失わずに過ごしてきました。けれども日々苛まれ、そろそろ限界でした。この近くに移ってきた魔族スイミー率いる歪魔の集団、スイミー魔群に誘われてもいましたが、それを振り切ってこの人間の住む町に近いここに来たのは、わたしが誇りを完全に失う前に、人間たちに殺してもらうためでした。オルグを見た人間は、必ずや戦いを仕掛けてきたでしょう。わたしは戦いの中で死にたかったのです」

「だったら俺が君をそんな身体にしたのは――」

「いいえ、違います」

 彼女は俺の右手を自分の右手で取り、優しく包む。

 嬉しさと、優しさが浮かんだふたつの赤い瞳に、俺の姿が映っていた。

「わたしはトロールではなくなりました。しかしこの身体になったことで、誇りを失わずに生きることができるようになりました。オルグであった頃のわたしは、死ぬことを考えることしかできない、無能でした。無能なわたしに、生きる道を示してくれたのは貴方です」

「でもそれも、俺をこの世界に転生させた女神に与えられた権能だし」

「そうかも知れません。けれど、貴方の願いと、わたしの願いが寄り添い、この身体を得ることができました。わたしは、貴方に感謝をしています。貴方とともに生きていきたいと思います」

「……」

 彼女の真っ直ぐな瞳が少し痛い。同時に、嬉しいと感じる。

 死ぬと思ってるときに考えた、美少女や美女に出会いたいという願い。

 そんなしょうもない願いが、けれど彼女を救った。

 別のことを考えていたら彼女は救えなかったかも知れないと考えたら、彼女の言葉も大げさなものではないのかも知れない、とも思う。

 どうかと思うところもあるけど、俺は彼女の感謝の言葉を受け入れることにする。彼女に包まれた手で、彼女の手を握り返す。

 美しい、満面の笑みが返ってきた。

「それから、ふたつお願いがあります」

「お願い?」

「はい。ひとつは、貴方の名前を教えてください」

「……そう思えば、まだ名乗ってなかったね。俺は新庄拓斗。タクトでいい」

「タクト様?」

「呼び捨てでいいよ……」

 たぶん俺よりも長く生きてて、身体も大きな美女に様付けされるなんて、なんか気恥ずかしい。

「――わかりました、タクト。それからもうひとつ」

「うん」

「わたしに、名前をください」

 細めた目に、懇願の色を瞳に浮かべる彼女。

 自分も名乗ってなかったくらいで、思い出してみれば俺は彼女の名前も知らなかった。

 警戒してたのもあったけど、状況が凄すぎて、そこまで考えが至ってなかった。

「名前って、君には名前がないの?」

「ありません。オルグだったときは、歪魔からひとりで逃げ回っているばかりで、名前など必要ありませんでした。トロールだったときには名前があったはずですが、思い出すことができません。だからいま、わたしには名前がないのです」

「名前がない……」

「はい。だからタクトに、名前をつけてほしいのです」

 真っ直ぐに俺のことを見つめてくる瞳には、懇願と同時に、わずかな悲しみが揺れていた。

 オルグであった彼女は、俺の権能でいまの身体になることで、誇りを取り戻すことができた。瘴気から解放されたことで、これから先も生きていくことができるようになった。

 それなら、確かに彼女には名前が必要だ。

 ――でも、名前と言われても……。

 正直、俺にはたいしたネーミングセンスはない。アニメ見たり漫画を読んだりは多かったけど、あんまり物語を想像したりってことはしたことがなくて、何かに名前をつけようと考えたこともなかった。

 けれど彼女の、俺のことを信じて引き結ばれ待っていてくれている唇を見ると、何か考えてやりたくなる。

 ――この前までオルグで、その前はトロールで……。

 アニメのキャラとかで何か彼女っぽいものをつけようかと一瞬考えたけど、背が高く、頼り甲斐がありそうで、力強い女性の名前というのを思いつけない。

 だから俺は、彼女の赤い瞳と見つめ合いながら、深く考え込む。

「――トール」

「トール、ですか?」

「あっ、うっ……」

 口からその言葉が滑り出してから、安易な名前だと思い至る。

 オルグとトロールから、トール。

 ちょっと省略しただけみたいな、愛称に近い感じで、名前っぽくはあるけど、女の子らしくはない。考えてみれば、トールってのは北欧神話に出てくる雷の化身と言われる男の神の名前でもあった。

 けれど透(とおる)ってのと近くて、それはそれで男の子っぽいけど、俺の好きな漫画に出てくる、芯の強い女の子の名前でもあった。

「トール……」

 噛みしめるように、彼女はそうつぶやく。

「いやっ、ダメだったら別の名前をすぐ考えるから!」

「いえ、大丈夫です」

 目を閉じ、顔を伏せて握っている俺の手の甲に額を着ける美女、トール。

 細かに肩を震わせていた彼女は、大きく息を吐き、顔を上げた。

「わたしの名前はトール。トロールの誇りと力を持つ、貴方の眷属です。これからずっと、貴方と側にある者です」

 満足そうに、嬉しそうに笑むトールは、とても魅力的で、身体も大きく頼り甲斐もありそうな強い女性なのに、いまの俺には可愛らしい女の子のようにも見えていた。

 赤い瞳からひと滴零れた涙が、美しく輝いた。


            *


「これからどうしましょうか、タクト」

「んー」

 やっと裸から鹿革で胸と腰だけは覆ってくれたトールと、鬱蒼とした森の中を洞窟に向かって歩く。

 来るときには薄暗く不気味に感じたのに、ニコニコと笑っているトールと一緒に歩くと、何でか明るくすべてが綺麗に見えていた。

「どうしよう……」

「わたしは瘴気から逃れられずオルグになり、戦って殺してもらうことしか考えられなかった無能です。タクトのやりたいことや、行きたい場所があるならば、それに従います」

 真剣な顔をして言うトールは、どうも自己評価が異様に低いようだ。

 俺を襲ってきたオークたちはひと薙ぎで倒したという。妖魔は瘴気の影響で死ぬと魔石という魔力を含んだ宝石になるそうで、倒した証としてくすんだ灰色の魔石を見せてもらっていた。

 オークを簡単に倒せる力を持っているというのに自己評価が低いのは、それだけオルグになっていたことがトラウマになってるってことなんだろうか。

「わたしとしては、タクトと一緒にいられるならばどこでも良いので、あの洞窟でずっと暮らすのでも問題ありません」

「トール……」

 まるでプロポーズのような男気のある彼女の言葉に、思わず嬉しくなってしまう。

 柔らかい笑みを投げかけてきてくれる彼女に、そんな生活もいいかな、と一瞬思った。でもいくつかの問題があった。

「――俺を転生させた女神っぽい奴のことが気になるんだ。あいつは俺に、助けを求めてきた。いったい何をさせたいのかわからないけど、俺に権能を与えてこの世界に転生させたんだ、何かやってもらいたいことがあるんだと思う」

「具体的に何をしてほしいのか言われていないのであれば、気にしなくても良いのでは?」

「そうかも知れないけど……、気になるって方が強いかな? あいつが何を考えてるか次第で、俺がこの先どうなっていくかが変わりそうな気がするんだ」

「なるほど」

 あくまでそれは予感でしかなかった。

 でも人間を異世界に転生させてしまうような力を持った神様が助けを求めてきたんだ、何かの目的があってことだってことだけは確かだと思えた。

 その目的次第ではこの世界での俺の人生は大きく変わってくる。そんな予感が拭えない。

 どんな目的かがはっきりするまで、それを探ってみる必要があると考えていた。

「あと、近くに人間の村や町があると言ってたよね?」

「はい。そんなに遠くはありません。目と鼻の先と言ってもいいほどの距離です」

「そこに行ってみようかと思うんだ」

 トールの言う目と鼻の先ってのはあんまり信じられない。こんな森の中を裸同然で住んでたトールの目と鼻の先と、引きこもり生活をしてた俺のそれとは大きく違いがありそうだ。

 女神のことも気になるし、彼女のことを知るためにはこの世界のことをもっと知る必要があると思う。

 それならば種族として一番多いという人間の町に行けば、何か少しはわかることがあるかも知れない。すぐにはわからなくても、探していけば手がかりが見つかるかも知れない。

 ――それからもうひとつ……。

 ちらりと見たトールの胸元と腰。

 革としては大きいんだけど、トールの大きな身体を隠し切れているとは言い難いそれ。本人が気にしてないところが一番の困りどころだ。

 目のやりどころに困るその格好はどうにかしたい。

 それだけじゃなく、山登りやキャンプが趣味じゃない俺は、長いこと洞窟生活なんてできる気がしなかった。

 異世界に転生と言えば、アニメや漫画だと中世ヨーロッパ風の世界ってのが定番だ。

 少なくともここまで、たまたま見ていないだけかも知れないけど、澄み切って排ガスでくすんでたりしない青空には、飛行機が飛んでいるのは見なかった。飛行機が実用化されてない世界だろうことは予想できる。

 そうだとしても、町や村をつくってるってことは、人間はそれなりに文明的な生活をしてるってことだ。この世界のことはまだぜんぜんわかってないけど、洞窟で暮らすよりかは人間的な生活ができそうだと思えた。

「情報を仕入れたりしたいし、これから先どうするかを考えるにも、人間の町に一度行ってみるべきだと思うんだ」

「確かに、それが良いかも知れませんね」

「それにトール。オルグから女の子の身体になれたんだから、少しはその……、女の子らしい服とか着た方がいいんじゃないか、と思って」

「服ですか?」

 歩きながら自分の身体を見下ろし、不思議そうに首を傾げるトール。

「そうした格好の方がタクトにとって良いのですか?」

「まぁ、うん。女の子は可愛い格好の方がいいかな、と思うよ。せっかくトールは、綺麗なんだし」

「わたしが、綺麗?」

 大きく目を見開き、驚いた顔の彼女は足を止める。

「うん。トールは綺麗だよ。美人だ」

 アニメなんかをよく見てた俺だけど、トールの美しさは、これはこれで良いものだと気づいたくらい、素敵だった。

 たぶんそうした人間っぽいところには気が回らないらしい彼女に、俺ははっきりとそう言った。

「そっ、そうですか……」

 勢いよく視線どころか顔を逸らし、トールは早口に言う。

「それであれば人間の町に行きましょう」

「そうしよう。……どうしたの? トール」

「いえ、人間の町が近いことはわかっていましたが、出向くのは初めてなので、少し緊張していて」

 話すときは必ず俺の顔を見てくれていたトールが顔を逸らしたままなのが不思議で、回り込んで覗き込もうとする。

 ――ん?

 右から左に回り込んだら、さらに顔を逸らされた。トールがいまどんな顔をしているのかわからない。

「とにかく! この時間からですと日が暮れてしまうかも知れませんから、食事をして、明日朝早くに向かいましょう」

「そうだね」

 こちらを見てくれないトールに首を傾げながら、俺は頷いていた。


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