霊素過剰症

 ところで、とメーラはエストレアの背中をつつきます。

「そろそろ、私の質問にも答えて貰える?」

「うん?」

「私、なんで生きてるの?」

 ぴたりと、エストレアの足が止まります。

 メーラも、ノイエも、その場に立ち止まりました。

 リンネは、なんとなく不安になって、その顔をぐるりと見回しました。

 三人とも硬く、険しい顔をしています。

 ますます不安になって、リンネはぎゅっと自分の上着の裾を掴みました。

「私、絶対に死んでいたはずなのよ。あれだけの怪我をして、生きてるのは無理だわ」

 怪物との戦いでメーラが負った傷は、どう考えても助かるはずのないものでした。他ならぬメーラ自身が、それを確信するだけの怪我でした。

 メーラはその覚悟で戦い、傷を負い、そしてそれを受け入れました。

 そのつもりで、意識を手放したのです。

「なのに、私は生きてる。──なにをしたの?」

「…………」

 エストレアは答えません。

 ぐっと唇を引き結んで、メーラを見据えています。

 メーラはそれを真正面から見返して、言います。

「なにかしたんでしょう? そうでなきゃおかしい。あの時の私は、なにもせずに生き延びられるような状態じゃなかった」

「……そうだ」

 エストレアは観念したように頷きました。

「元々、俺はある仮説を持っていた。その方法なら、魔法によって傷を治すことが出来るんじゃないか、という仮説だ」

「それは、失われた魔法?」

「わからない。俺の思いつきが、かつて失われたものと同じものなのか、同じ結果をもたらす全く別のものなのか。それは確かめようがない」

「そう。──どういう仮説なの?」

 エストレアは、ポケットから礼拝杖を取り出しました。

 水色の石がはめ込まれた、広げた翼を象ったそれは、単なる礼拝用の道具というだけではなく、呪符タリスマンでもありました。

「呪符は、持つものの霊素を安定させ、その能力を引き上げる。その結果として、病や傷を治す助けになる。これはつまり、人の持つ治癒力と霊素には関連があるということだ」

 そもそも霊素の安定とは、どういうことでしょうか。

 霊素の量は、常に増えたり減ったりを繰り返しています。これは人に限らず、全てのものに共通する特徴です。霊素は万物に宿り、常に循環しているので、一定の量で安定することは本来ないのです。

 呪符は、この本来起こらない現象を起こす道具です。

 体内で増えた霊素を体外へ放ち、体内の霊素が減った時には周囲から霊素を集めます。そうすることで、体内の霊素量を保つのが呪符の効果です。

「生物は傷を治すために、体内の霊素を消費する。これは霊素の観測で確かめられていることだ。傷病者が有する霊素は消費され、徐々に枯渇していく。そして霊素量が減ると、傷や病の治りは鈍っていき、ある時点からは悪化に転じていく。──呪符は、この消費された分の霊素を周囲から集めて補うことで、それを防いでいる」

「でも、呪符を持っていても、死ぬことはあるわよね。それは、どうして?」

「呪符が補う量より、消費が多ければ、呪符は意味を成さない。大きな傷や重い病は霊素の消費が激しいから、呪符では補いきれない」

 エストレアは礼拝杖を持つ手を、ポケットに入れました。

「呪符が補える霊素の量は、ある程度決まっている。これは、呪符が誰にでも使える道具であることが関係している」

「どういうこと?」

「呪符は、大人でも子どもでも、魔法の知識がなくても使える。裏を返せば、誰でも使えるように調整がされているということだ。体格や年齢、性別を問わず使えるよう、その効果を抑えてあるんだ。──大量の霊素は有害だから」

 霊素欠乏症、というものがあります。

 体内の霊素の不足が原因で起きる、様々な不調です。

 悪化すれば、死んでしまうこともあり得る病です。

 そして霊素には、この逆の病も存在しました。

「霊素過剰症、という。大量の霊素が供給されることで、様々な異常が起きるというものだ。過ぎたるは及ばざるがごとしと言うように、霊素ってのは多くても少なくても良くないものなんだ」

 霊素過剰症の症状は様々です。

 発熱、粘膜からの出血、異常な部位の発生、皮膚の変質、変色、脱毛、歯の脱落、心臓の異常などが起きるとされていますが、詳細はわかりません。霊素過剰症は滅多に起こることがなく、なぜ発生するのかもはっきりしていないのです。

 わかっているのは、霊素を過剰に取り込むと起きるということだけ。

 だから呪符は、そうならないよう、取り込める霊素の量を抑えてあるのでした。

「それって理屈の上では、もっと効果の強い護符も作ろうと思えば作れるってこと?」

 メーラの指摘に、エストレアは大きく頷きました。

「まさに、それだ。──実は、特注品の呪符というのが世の中には存在する。これは個人の身体の状態に合わせて調整をしたもので、その効果は市販品とは比べものにならないほどに強い」

「なるほどねえ。それってつまり、霊素を取り込める量を増やしてあるってことね?」

「そうだ。使う人間の性別、年齢、体格、健康状態から霊素を取り込める上限の値を割り出して、そのぎりぎりまで取り込んで安定させるよう調整がされている」

 ふーん、とメーラは頷きます。

「それでも、瞬く間に傷が治るってわけじゃないのよね」

「そうだな。普通よりはかなり早まるんだが、それでも大怪我や重い病には対応しきれない。

 どれだけ霊素で身体を満たしても、傷や病を治すのは結局は自然治癒力だ。豊富な霊素でそれを限界まで高めても、出来ることには限りがある」

 そう、限界があるのです。

 身体が持つ治癒力で治せる傷や病には、限度があるのです。

 霊素によって治癒力を底上げしても、それは変わりません。

 底上げしてもなお足りないほどの傷や病というものが、あるのです。

「霊素によって、自然治癒力は加速する。だが、それよりも早く消耗して人は死ぬ」

 人を生かしているのは、霊素だけではありません

 血が失われれば人は死にますし、臓器が失われても人は死にます。

 呪符の力でそれらが再生するより早く、人の身体は限界を迎えます。

 自然治癒力によってそれらが再生するには、たとえ霊素による促進が働いていたとしても、それなりに時間が掛かるのです。

「それじゃあ、時間が掛かりすぎる。大きな怪我を治すには、人の身体が元々持つ力だけでは足りない。より積極的な再生が必要だった」

 そのために、エストレアはなにをしたのか。

 無言で問うメーラとノイエに、エストレアはくしゃくしゃと髪をかきまわしました。

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