忍耐の時間

 メーラは、ふうっと息をつきました。

 しびれる両手で、剣を握り直します。

 軽く腰を落として、前を見据えます。

 背後では、エストレアが既に魔法の準備を始めています。

 聖職者としての積み重ねがないエストレアが、神の力を借りる方法は限られます。

 手持ちの触媒で場を清め、簡易な祭儀場とし、そこで祈りを捧げる。神が応えてくれるまで、時間の許す限り祈り続ける。

 これしか方法はありません。

「…………」

 目を閉じて、開きます。

 メーラは、魔法のことはよく知りません。

 成功する確率がどれくらいなのかもわかりません。

 それでも、エストレアがやるといったのです。

 メーラは魔法のことはわかりませんが、エストレアのことは少しだけわかります。

 エストレアはとても現実的な人です。

 奇跡をアテにしません。

 偶然を頼りにしません。

 無茶も無謀もしない人です。

 無理な賭けはしない人です。

 出来ないことは出来ないと言う人です。

 でも、出来ることは絶対にやる人です。

 そんなエストレアが。

 やってみようと言ったのです。

 奇跡を信じず、賭けることをしない人が。

 期待はできないと言いながら、それでも。

 やれるだけのことをしようと言ったのです。

 そんなことを言うのは、とても珍しいことです。

 そんなことは、滅多にあることではありません。

 だからこそ、メーラはやるしかありません。

 メーラがそれをしない理由は、ありません。

 他ならぬエストレアが、やると言ったのだから。

 メーラは、魔法の事はよく知りません。

 神様のことだって、神話以上のことは知りません。

 でもエストレアのことは、それよりはちょっと知っています。

 そのちょっとの分だけ、メーラはエストレアを頼りにしています。

 神様よりも、魔法よりも。

 エストレアのことを頼りにしています。

 だから、しない理由はないのです。

「さあ──」

 どうなるでしょう。

 口の中が乾いて、少し不快でした。

 背後で、ぱしゃりと液体が撒かれる音がしました。

 かつん、と鉱石がいくつもばらまかれる音がしました。

 準備は進んでいます。

 後には戻れません。

 メーラはもう一度、深く息を吐きました。

 視界を広く保ちます。

 一点は見つめず、広く、遠く。

 見下ろすように、飛ぶように。

 広くなった視界では、ノイエと怪物が睨み合っています。

 怪物の頭──と言っていいのかわかりませんが──あたりの穴からずるずると出てきた触手が、ノイエに襲いかかります。数は十二。動きは不規則で、しなるような妙な柔らかさがあります。

 ノイエは、それをひらりと躱します。

 遺物の力を解放したノイエは、真っ黒な四つ足の獣のような姿になっています。全身は黒い甲殻で覆われて、長い尾が生えました。手足は太くなり、鋭い爪が生えそろっています。三対の赤い目は、暗闇の中で光の尾を引いていました。

 ノイエは尾と爪で触手を払い落としました。ぶつ切りになった触手はばらばらと地面に落ちて──そして破裂します。先ほどまでの、あの破裂する肉塊と似ています。となれば、同じように触れればヤスリで削られたような怪我をするのでしょう。

 とはいえ、今のノイエは遺物の鎧で全身を包んでいます。おそらく、問題はないでしょう。

 それよりも、ずっと気になることがあります。

 ──あまりにもあっさりしている。

 そんな気がして、メーラは嫌な予感がしました。

 明らかに、これまでよりも攻撃がぬるいのです。

 とても本気ではない、様子見のような攻撃です。

 こちらの油断を誘おうとしているかのようです。

 メーラの経験上、だいたいこの後の攻撃は苛烈なものが来ます。

「────っ」

 予感は、当たりました。

 一瞬の間を置いて、大量の触手が一斉に穴から飛び出しました。


◇◇◇◆


 じゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらっ!

 蛇骨を出せるだけ出して、ノイエは沸き出す触手を切り刻みました。

 切り捨てた触手が次々に破裂して、破片をこちらにぶつけてきます。

 がりがりと装甲が削られる感覚がしました。

 とはいえ、大した事はありません。この程度は傷のうちにも入りませんし、そもそもノイエの鎧は、傷ついても勝手に直ります。

 問題は、数が多いことでした。

 触手は後から後から沸き出してきます。

 どれだけ刻んでも減る気配がありません。

 それどころか、だんだん増えている気がします。

 徐々に手が回らなくなってきて、いくつかが後方に控えるメーラとエストレアの方へ伸びていきました。

 ──問題ない、とは思うが。

 こそこそと伸びていく触手を叩き落としながら、考えます。

 多少なら、メーラがいますから大丈夫でしょう。

 しかしこの調子で数が増えていくと、そのうち多少では済まない数が後方に流れていくことになります。

 そうなると、メーラでは対処できなくなるかもしれません。

 そうなる前に、エストレアが魔法を使ってくれればいいのですが──いったいどの程度の時間耐えればいいのでしょうか。

 そこがはっきりしないのが困りものです。

 そもそも今、自分たちは発動するかもわからない魔法に賭けているのです。発動しないままじりじりと消耗し、圧し負けてしまう可能性は十分あります。

 ──そこまでする必要があるのか?

 微かな苛立ちが、ノイエの心を波立たせます。

 正直、命を賭けるようなことには思えません。

 ノイエは、この街にはなんの思い入れもありません。

 ホシナたちウルヴスについては、言うまでもありません。

 命を賭けて助けてやる必要があるとは思えません。

 そんなことをするくらいなら、リンネを探して全員で逃げた方がいい気がします。

 ──そもそも。

 そもそも最初の話では、仕事は怪物の正体を突き止めるまでという話だったはずです。

 それがこうして戦うことになっているのは、結局のところ、ホシナを納得させる説明が出来なかったからです。

 どれだけ調べても、事件を起こしている怪物と称される『なにか』についてはっきり説明が出来ませんでした。

 だから目をつけた相手を呼び出して、ホシナを餌に正体をその場で暴くなどという方法を取らざるを得なかったのです。

 ──それでも。

 それでも本来なら、司祭がいれば済む話でした。

 でも司祭はさっさと逃げてしまい、結局はこうして自分たちが対応することになっています。

 司祭を信用したのが悪かった、というのはさすがに結果論でしょう。ですが、司祭が役に立たなかった場合のことを考えていなかったのは、純粋に考えが甘かったとしか言えません。

 そんな状況で、それでもやろうと決めたのは誰だったか。

 エストレアです。

 ──つまり、エストのせい。

 ──……それはさすがに言い過ぎか。

 しかし、そう言いたくもなります。

 思えば今回の件、どれもこれもエストレアが原因です。

 全てとまでは言いませんが、かなりの部分に責任があります。

 迂闊というか、楽観的というか、適当というか。

 元々、エストレアはそういう部分があるのです。

 子供の頃からそうでした。

 あれこれ考えるのですが、考えすぎるせいで結論が出せず、結局落としどころがあいまいなまま行動して、行き当たりばったりに対応することになる──子供の頃から、そうでした。

 そういう部分が、未だに変わっていないのです。

 それがいいことなのか悪いことなのかは、わかりません。

 少なくとも今は、悪い方向に作用していると思います。

「!」

 ぐん、と足を引っ張られました。

 視線を落とすと、いつの間にか這い寄っていた触手が、ノイエの足を絡め取っていました。

 考え事に気を取られすぎました。

 切り捨てるよりも早く、ぶん、と振り回されて近くの建物に叩きつけられます。建物が粉砕され、ノイエは瓦礫の下敷きになりました。

 まずい、と思いました。

 自分の事ではありません。

 この程度でどうにかなるほど、ノイエはやわではありません。

 まずいのは、メーラとエストレアでした。

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