青き魔法

「エストレア様」

「うん?」

「さっきの青い光はなんですか?」

 リンネの問いに、エストレアは、ああ、と頷きました。

「あれは、霊素魔法だ。魔法の一種」

 魔法には、いくつか種類があります。

 世の中で広く使われているのは、精霊に力を貸してもらう魔法です。精霊魔法と呼ばれています。

 これを使うには、触媒と呼ばれる精霊へ支払う対価と、精霊と交渉を行う一連の手続き──交霊という作業が必要になります。

 霊素魔法は、それとはまったく違う魔法です。世界を満たす霊素という力を操作する魔法で、触媒も交霊も必要ありません。

「霊素は万物に宿る力だ。普段は目に見えないし、感じることもない。けどある程度の量を集めて圧縮すると、さっきみたいな青い光という形で目に見えるようになって、物理的に作用するようにもなる。そういう特性を利用したのが、霊素魔法だ」

 エストレアはリンネの前にしゃがみ込むと、手のひらを上にしてリンネの前に差し出しました。

「見てろよ」

 突然。

 手のひらの上に、青い光が生まれました。

 ぼんやりと丸い、濃く暗い青色の光の球。

 暗い光なんて、あるわけがありません。

 でも目の前にあるのは、そうとしか言いようのないものでした。

 よく見ると、青い中に金色の光の粒がたくさん浮かんでいます。

 それがエストレアの手のひらの上に浮かび、ゆっくりと渦を巻いていました。

「綺麗だろ? これが、圧縮した霊素だ」

 エストレアに促されて、指先をそっと近づけます。

 叩けばかつんと音を立てそうな、つるりとした硬い感触。

 けれど更に指を押し込むと、まるで薄い皮が破れるような、つぷん、という手応えと共に、指の先が、濃い青色の中の沈み込みました。

 あとはもう、なんの手応えもありません。

 暖かくも冷たくもありません。

 指を動かしてみると、それに合わせて金の粒子が揺らめきました。

 とても綺麗でした。

「霊素魔法はさ、使い勝手がいいんだよ。習得は難しいんだけど、一度使えるようになれば精霊魔法より手軽に使える。ただ、注意しないといけないことも多い。その筆頭が、霊素欠乏症だ」

「けつぼうしょう」

「そう。物質に宿る霊素が大量に消費されることで起きる、色々な不調だ」

 霊素欠乏症の症状は、様々です。

 生物であれば、目眩や頭痛に始まり、吐き気や倦怠感、手足のしびれなどの症状が出ます。症状が重いほど長引き、病や傷を治す力が弱まります。このため、悪化すると命に関わることもありました。

 土壌や河川、海の霊素が不足すれば、そこは命を育む力をなくし、何者も生きられない地へと変わり果てます。

 植物であれば病にかかってやがて枯死し、鉱石は強度を無くして物質は崩壊します。

 霊素欠乏症は、あらゆるものを滅ぼす病でした。

「そういう危険性があるから、霊素魔法は普通、自分自身に宿った霊素を使う。そっちのほうが、霊素の残量が把握しやすいからだ」

 慣れた魔法使いであれば、周囲の環境や生物から霊素を集めることは可能です。

 しかし、体外の霊素は総量の把握が難しいという欠点があります。総量が把握できないままに霊素を消費するということは、大量消費による霊素欠乏を引き起こす可能性が高い行為なので、するべきではないこととされていました。

「霊素の量は常に変わっていて、同じ人でも多いときもあれば少ないときもある。これは原因がよくわかってないんだが──」

「はーい。講義はそこまでよ」

 メーラが軽く手を打ち合わせて、終わりの合図を出します。

「今はこっちのほうが先。どうするの、この二人」

「ああ、そいつらね……」

 ふわりと浮かんでいた圧縮霊素が、解けるように拡散して、消えていきます。金の粒子はきらきらと煌めきながら、やはり散るようにして消えていきました。後にはなにも残りません。

 エストレアは軽く手を払うと、縄で縛られた男二人を見下ろしました。どちらもぐったりとしていて、まだ意識は戻っていません。顔を覆っていた布は取り払われて、素顔が露わになっていました。

 一人は赤茶色の肌に橙色の髪を持つ、若い男。

 肌の色から、赤土の民と呼ばれる人間だとわかります。左右の目の下に刺青があるのは、赤土の民の中でも、特に古い文化を色濃く残す血族の出身である証です。

 もう一人は、褐色の肌をした茶髪の男。

 肌と髪色の組み合わせから察するに、おそらくは大地の民でしょう。肌が褐色なのは元からではなく、日焼けをしているからです。生まれながらに褐色の肌を持つ民族はいくつか存在しますが、目の前の男は、それらの持つ他の特徴に当てはまりません。

 二人はどちらも、山を歩くのに向いた動きやすい服装をしていました。そしてどちらも、ずいぶん汚れています。

「やっぱり、山賊の仲間かな。こんな場所で襲ってくるなんて」

「そうなると、解放する訳にはいかないわよねえ」

「お礼参りとかされても困るしな」

「じゃあ、このまま何処かに捨ててくる? 運が悪いと、狼かヨーテのお夕飯になるでしょうけど」

「それはちょっと、寝覚めが悪い。──とりあえず、お話ししてみるか」

 肩を揺さぶり、頬を叩き、二人の男を起こします。

 目を覚ました二人はあたりをきょろきょろ見回し、自分の身体を見下ろして焦り、お互いに顔を見合わせ、最後にエストレアとメーラを見上げて、顔色を悪くしました。

「おはよう。騒ぐなよ」

 二人は仲良く頷きます。

「お前ら、そこの砦跡でたむろしてる連中の仲間か?」

 こくこくと二人は頷きます。

「俺たちを襲った理由はなんだよ。金?」

 また、揃って頷きます。さっきから同じ動きしかしていません。

「お前ら、ここで解放したら仲間の所に戻るよな」

 初めて、反応がありませんでした。

 引きつった顔で、エストレアを見上げています。

「仲間の所に戻ったら、俺たちのこと、話すよなあ」

 ぷるぷると震えるように、首を横に振ります。

「お前らの仲間はどうするかな。どう考えても、俺たちを放っておいてはくれない気がするんだが」

 二人はぶるぶると頭を振っています。

 エストレアは困った顔になりました。

「なんでそんな怖がるかな……まだ脅し文句も言ってないのに」

「いや、だって……」

 山賊の片方。赤土の民のほうが、恐る恐る口を開きます。

「めちゃめちゃ睨んでるし……」

「睨んでねえよ」

「いやアンタじゃなくて」

 男がちらりと見上げたのは、メーラでした。

 エストレアとリンネも、同じようにメーラを見上げます。

 メーラはにっこり微笑みました。

 それはそれは可愛らしい、花の咲くような笑顔でした。

「睨んでなんて、いないわよ?」

「おい、つまんねえ嘘ついてんじゃねえぞ」

「嘘じゃねえよ!」

 男はじたばたと暴れました。しっかり縛られているので、どれだけ暴れても意味はありません。陸に打ち上げられた魚のように、びちびちするだけでした。

「さっきまですげえ睨んでたんだって! ホントだって! めちゃめちゃ怖かったんだぞ!」

「なに言ってんだ。こんな可愛いやつが、そんな怖い顔するわけないだろ」

「アンタ騙されてるよ」

「あのなあ──」

 エストレアがなにかを言いかけた、その時でした。

 身体を揺さぶるほどの轟音と衝撃が、背後から襲いかかってきました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る