八兵衛オーディション
@ketsu913
第1話
八兵衛オーディション
「ハァ、困ったものだ。」
「どうした、助さん。」
「格さん、どうしたもこうしたもない。ご老公のきまぐれで水戸中が大騒ぎだ。」
「例のお触れか。確かに大変なことになった。」
その日、水戸の城下町は格さんこと渥美格之進の言う通り、大変な騒ぎとなっていた。
助さんこと佐々木助三郎はため息をつくばかりだ。
突然立てられたお触れ書きには、現代語に訳すとこう書かれていた。
「諸国漫遊の同行者求む。年齢、身分不問。募集一名。飲食、宿などの心配無用。嗚呼、日本のどこかであなたを待ってる人がいる。委細面談。
但し、名前が八兵衛である者に限る。
水戸光圀」
タダで諸国の旅ができる。しかも先の副将軍のお供であれば待遇が悪かろうはずがない。水戸の町人たちは、驚き、歓喜に包まれたが、一同、最後の一文で黙り込んでしまった。
「名前が八兵衛である者に限る ?・・・なぜ?」
それでも江戸の世にまともな戸籍があるわけでもなく、名乗った者勝ち。町民たちは長男も次男も三男も四女も、いとも簡単に八兵衛と改名して水戸城に押し寄せたのである。
続々と城に押し寄せる町民たちを、水戸城御三階櫓から見下ろしていた助さん格さんは覚悟を決めるしかなかった。十日前、突然ご老公から下知(命令)があったからだ。
「近頃江戸城ではわたしのことを頑固じじいとか、たいした功績もないくせに水戸藩の名を借りて政事に口出しやがってとか、悪口雑言が飛びかっているという噂じゃ。確かにわたしは生類憐れみの令を批判した。若い頃は色白で背が高く、城下を歩けば娘御が大騒ぎしたものだからやっかみもあった。それが今は頑固じじい? 冗談じゃない。
今度、私は町民の姿で旅に出ることにした。庶民の中に入っていって、この国の民の苦しみや悩みを知り、幕府の政事の間違いをただす旅じゃ。助さん、格さん、ついてきてくれるな。」
「ハッ!命を賭して!」
「まあ、そんなにかたくなるな。諸国漫遊の隠居爺の体じゃ。水戸を出れば誰も私らの顔はわからん。わからんからこそ下々の悩みや苦しみを知ることができるのじゃ。」
「ハッ!立派なお覚悟、恐れ入ります!」
「でな、先遣隊に風車の弥七と疾風(はやて)のお娟(えん)をすでに送り込んでおる。」
「恐れながら弥七はともかく、女のお娟とはなにゆえ?」
「諸国マン遊と言ったではないか。ぐふ、ぐふ、ぐふふふ。」
「ご老公!」
助さんの声が響いた。
「冗談じゃ。まったくお主らは腕はたつが面白みのない輩じゃ。しかもお主ら、うまい食べ物にはほとんど興味がないだろう。旅の醍醐味は美しい景色とうまい食べ物、それに旅には笑いがなければつまらん。」
納得のいかない格さんが口に出した。
「ご老公。世直しの旅に出られるのではないのですか。」
「世直し世直しって、そんなに毎週毎週悪代官に出会うわけではないでしょう。そもそも一日に何里歩けると思う。そこまで世の中腐ってはおらん。それなのにおもしろおかしく慢遊記を創作しては金儲けをしたがる輩がいる。『この紋所が目に入らぬか』なんてそんなに毎週言うものか。だからこそ、それ以外のほとんどの日々は楽しい旅でないとつまらないでしょう。」
助さんが続いた。
「では、名前が八兵衛に限るというのはなぜにございます。まさか八は末広がりで縁起が良いからとか、そんな阿呆な理由ではありますまい。」
「ばれましたか、かっ、かっ、かっ。七転び八起き。弥七と八兵衛がそろえば楽しい旅になりそうではないですか。」
「ハァー。」
助さんのため息が小さく響いた。
「助さん、格さん、そういうことですから、ただちに八兵衛の面接をしてきなさい。」
あまりに多くの町民が押し寄せたため、抽選で二十名ほどが水戸城内に入れられた。
格さんがその者たちの前で説明をはじめる。
「これより一人ずつ面談するが、全員が八兵衛であるが故、八兵衛だけでは区別がつかん。各々自らを『なになに八兵衛』と自分の特徴を頭につけて名乗るように。」
江戸時代、町民が名字を名乗ることを許されていない。したがって通常ならば『××村の八兵衛』や『川向こうの八兵衛』のように、住んでいる場所を頭につけるものだが、この人数ではそれもだぶりそうだ。そこで格さんが考えた苦肉の策が、自らの特徴を八兵衛の頭につけて名乗る方法だ。それは単に分類するだけでなく、自己表現の才覚を試せる両徳となる。
面談は御三階櫓前の広場で行われた。水戸城には天守閣はない。江戸近郊の城は徳川家に憚り天守閣をおかないことが決められていた。
面談は助さんが担当した。しかし気が重かった。「お主らではつまらん」とご老公に言われたことで心が傷ついていた。
「いやね、こんな機会ないでしょう。だって、あご足枕全部タダで給金ももらえるってんだから。これって生きてるだけで丸儲けってことでしょう。ヒャッヒャッヒャッ。」
引き笑いをする最初の町民の言葉を、助さんが帳面につけながらさえぎった。
「もういい、それでお主の名前は。」
「へえ、ちゃっかり八兵衛でございます。」
「次!」
屋台をひいた餅売りの男が現れた。
「餅はいかがー、水戸で一番評判の餅はいかが。」
「おい、餅屋。まさか屋台を引いて旅をしたいわけではあるまいな。」
「そのまさかでございます。水戸一うまい餅を諸国の人々に食べていただきたくて。」
「餅屋、その志は認めよう。しかし商売に行くわけではないので無理だと思うぞ。名前はなんと言う。」
「もっちり八兵衛にございます。」
「次!」
「もし、もしもですよ、この面談に落ちてしまったら。そう考えると夜も眠れません。あっし、女房に啖呵切ってしまったんです。お前なんざ朝昼晩飯食うだけで役立たず。もう愛想がつきた。俺は旅に出るから帰る前に出てけって。もし、もしもですよ、この面談落ちてしまったらどうしたらいいんです。落ちたらもう・・・」
「わかった、わかった。がっかり八兵衛だったな。次!」
「おい、そこの町民、早くしゃべらんか。」
「へい・・・でも・・・・」
「何をしておる。いい加減にせんか!」
「ひゃーーー!」
「少しぐらい大きな声を出したぐらいでおびえるな。」
「へえ、水戸一番の臆病者と言われる性根を直したくてここに来たのですが・・・
「きゃーーー!」
「今度はなんだ。」
「驚きましたでしょ。あたしの悲鳴は誰よりも大きく、戦の法螺貝よりも遠くに聞こえるっていうんで何かとお役に立てるかと存じます。びっくり八兵衛にございます。」
「次!」
「次、次の者はどこだ。」
すると突然地面の土が盛り上がった。
「うりぁー!呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン。」
「ウワッ!」
さすがの猛者、助さんも驚きの声をあげた。地面がはがれたと思ったら土の中から男が飛び出して来たのだ。
「曲者か!」
助さんが刀に手を掛ける。
「ひぇー、滅相もございません。あたしは穴掘りを生業としている者です。」
「穴掘り?」
「へえ、井戸から墓まで、穴を掘らせれば水戸で一番の早穴掘りで、待ち時間の間に控えよりここまで地下道を掘ってきた次第で。」
「それはそれですごい。すごいが何の意味がある。ということはお主の名前は・・・堀兵衛、いやそれでは八兵衛ではない。お主は一体。」
「へえ、掘るのは仕事、人を驚かすのが好きなどっきり八兵衛って者で。墓掘って中にもぐって、いざって時に先ほどのように飛び出すとそりゃもう皆驚くのなんのって。もうその時の顔ったらおかしくておかしくて、頭の中でチャッチャラーンって音曲が流れるほどで。」
「次!」
「ハァー。」
深いため息をついている休憩に入っていた助さんの背後から格さんが声をかけた。」
「助さん、どんな様子だ。」
「格さん、どうもこうもない。まったくどうしようもない連中ばっかりだ。こんな中から選べるものか。」
「でも、ご老公はそういう普通の民と旅に出たいのだろう。」
「どこが普通の民だ。どいつもこいつも全然普通なんかじゃありゃしない・・・」
その時突然面談者の控えの方から大きな声がした。
「うりゃー!」
「きゃー!」
「何!何だ今の声は!」
格さんが刀に手をかけた。
「ハァー。びっくり八兵衛をどっきり八兵衛を驚かしたんだろ。もう何も驚きやしない。ちゃっちゃらーん、てなもんだ・・・ハァー。」
助さんがまたため息をついた。
「なんだかとんでもないことになってるみたいだな。わかった、助さんも疲れただろう。次からは私も一緒に面談しよう。」
次々と面談を希望する民の列が後を絶たない。しかしくる者といえば、
人の話にあわせてよいしょばかりする、のっかり八兵衛。
朝鮮の酒が大好きな、まっこり八兵衛。
旅先で女は抱けるのかとしつこい、もっこり八兵衛。
いずれもため息しか出ない輩ばかりが続いた。
「なあ、助さん。こいつらのうち誰かが選ばれるってことは、そいつと俺たちも一緒に旅をするっていうことだろ。世直しもできなきゃ、いざという時にご老公を守ることもできない。おそらくご老公に対して礼儀も何もあったもんじゃないだろう。なんでそんな役立たずの無礼者と・・・。」
「だからいいのじゃ。」
助さん、格さんの背後に水戸光圀が立っていた。あわてて頭を下げる二人。
「助さん、格さん。お主らは剣の腕はたつし頭も良い。しかし助さん格さんのように鋭い目つきの筋骨隆々の連れだけで旅をする老人がただの諸国漫遊爺に見えるだろうか。それこそすぐに怪しまれる。だからこそ、絶対に怪しまれない役立たずの同行者が必要なのじゃ。まあ、笑えてうまいもの好きなら文句なしだがな。面談は終わったのなら再び全員をここに集めなさい。お主らが決められないなら私が決めよう。」
全員が集められた。助さん格さんの背後に座って光圀は自分が何者か名乗らずに、ただニコニコと笑いながらその面構えを楽しんでいた。直立不動を命じられたまま四半時が流れた。町民たちはざわつき、ジリジリと照りつける西日に堪え兼ねて、文句を言う者も現れた。
「一体いつまで待たせるんで。だいたいそこにいる爺さんだけ座っているのは、ずるいじゃありませんか。」
「そうだ、そうだ!」
格さんの右手が刀にかけられた。
「無礼者!」
「まあまあ格さん、落ち着きなさい。長旅には忍耐も必要じゃ。今はそれをはかっておった。助さん、もうそろそろいいでしょう。」
助さんが葵の御紋の印籠を差し出した。
「ええい、皆の者、控えおろう。ここにおわす方をどなたと心得る。水戸藩主であり先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ。頭が高い、控えおろう!」
「ははー。」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔であわてて一同土下座をする。ただ一人をのぞいて。その男は何事もなかったかのように一番後ろで立ったまま餅をほおばるのに夢中になっていた。
「そこの者、何をしておる。」
「へ?」
「お主、聞いていなかったのか。」
「へ?何の話で?この餅、水戸で一番と評判の餅でして、まあ、うまいのなんのって。」
「お主は面談しておらんな。なぜここにおる。」
「は?餅屋の屋台を見つけて呼び止めたんだけど、その餅屋あたしを無視してどんどん進んでしまって。追いかけてきたらやっとここでつかまえたってなもんで。ところでここ、どこです?皆さん何されてるんで?」
「ふざけるな!」
「かっかっかっ! おもしろいではないか。」
光圀が口を開いた。
「そこの者、お主の名前は何と言う。」
「あっしですかい? 八兵衛と申します。」
「八兵衛?お主知らずにここに来たと言ったな。されば本名か? 」
「へえ、川向こうの村に住む八人兄弟の末っ子の八兵衛ってもんで。」
「ほっほっほっ、それはおもしろい。」
「おもしろいかどうか知りませんが、あだ名って言うんですか? 生まれながらの粗忽者で、またの名を人呼んでうっかり八兵衛と申します。」
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