第65話



 この国においては暑い時期に涼をとるものの一つとして、怪談話というものがある。主には肝を冷やすといった意味合い使われるが、人によってはじんわりと嫌な汗をかくことでその部分が冷やされて寒気がする、なんてことにもつながるのだろうか。

 ついさっきまで忘れていたからか、それともこの暑さのおかげで顕在化したのかはわからないが、ロビーフロアのバリケードを降り、東側のガーデンフロアに到達したときにそれは起きた。

 強烈な死臭に鉄臭い血の匂いが充満している。出所は中小の宴会場が立ち並ぶ東側ガーデンフロア。探知の魔法にはゾンビも人間も既にいないという事がわかっている。つまりはが大量に存在していることになるのだが。


「前にこの上にいたんだよな、お前ら。この匂いはわからなかったか?」

「全然分からなかった」

「……っ」


 あまりの匂いに小屋妹は顔を顰めている。小屋姉はいつものように反応自体は平坦だが、わずかに眉根が寄っている。

 宴会場へつながる扉は何の苦も無く開いた。中庭に面した廊下はガラス張りになっており、午後になった今俺たちの足元から宴会場の奥まで影を伸ばしている。

 長らく開けられなかったであろうすえた匂いの空気に、それを一瞬で塗りつぶす悪臭に思わず仰け反る。


「……反応はない。ここは完全に死体置き場か何かにされたってことか?」

「……多分あっち」


 小屋姉の指さす方向は手前側右手にある扉を指している。あそこはたしか。


「あの奥階段あったよな?」

「うん」

「バリケードがあったとはいえ、この匂いは尋常じゃない。予想される量だけでも相当だぞ?」

「……放置する?」

「いや、一つだけ確認する」


 そこにいろと指示を出し、俺は部屋の扉を開けようとする。がちっと音が鳴りドアハンドルは動くがドアがその扉を開く様子はない。

 つまりはこの部屋は階段側からしかアクセスできないということだ。裏に繋がる従業員用通路がある可能性もあるが、ここが閉まっているのであれば狙いは透けている。何かを閉じ込めていたのだ。


「鍵は締まってる。後回しだ。おい、小屋姉妹。お前らは一旦戻るか、その辺の窓開けて休んでろ」

「わかった」


 嗅いだことのないほどの強烈なものなのか、小屋妹の顔色が蒼白になっている。長年この状態の国内を行脚してきたアイツでもこうなるのか。こういっては何だが、慣れとは恐ろしいものだ。

 結局ガーデンフロアの1階東側は俺がほとんど一人でこなすことになった。まあそれ自体は然程苦でもなんでもない。単独行動なんていつものことだ。机や椅子、棚などの生活家具に雑貨少々、インカムやプロジェクタ、カラオケ機材などの宴会場で使われたであろう機材に、搬入口には足場となる鉄材なども少数残っていた。埃をかぶっているものの十分使用に耐えうるそれらをフロアガイドにメモしつつ、従業員用通路を踏破していくのだった。




「ごーめーんー」

「どうしたー? 情けないぞー?」


 中谷里にいじられながらホテルの西側から先行偵察に出たのは俺と中谷里、小屋妹だ。太陽は既に西に大きく傾いており、色合いこそまだ赤味はないが日が沈むまでにはそう時間はかからないだろう。

 アウトレットモールには周囲を囲む道路のうち車が乗り入れられるのは西側だけだ。南と東には歩道があるのみであとは道路を挟んで西側にある駐車場から歩道橋などの連絡通路でモール内に入る仕組みになっている。

 俺と中谷里は露払い。小屋妹は出入りに都合のいい場所の選定を現地を見てさせるという目的のために先行した。まあ小屋姉が明らかにテンションダダ下がりの妹の気分を変えようと俺たちに任せたのか、いくら距離が短いとはいえ調子が悪いまま運転させるのを嫌がったのかはわからない。しかし中谷里とじゃれつく小屋妹は多少持ち直したようにも見える。あくまで精神的なものくらいだろうが。


「つるちゃんは匂いとか大丈夫?」

「慣れた」

「わお」

「まあ自業自得なところあったから?」

「あったの? なかったの?」

「さあ?」


 アウトレットモールの敷地の西側、北西の角と南西の角が搬入口となっている。ここにはゲートの他に後からくわえられたであろうコンテナや廃材などで組まれたバリケードがそびえたっていた。これならば恐らく南西の角も同じことだろう。西側には歩道用の真下辺りに歩行者用のゲートもある。バリケードの撤去が必要になるか? 残っている物資量次第では人力で運ぶ方が楽かもしれない。

 北口の搬入口脇、建物西側に沿うように階段が設置されていて、階段を上った先にもバリケードが置かれていたが、せいぜいが人が出入りする程度のバリケードだ。


「俺が内側行くから外から崩してくれ」

「はーい」


 僅かに見えるアウトレットモールの中にはゾンビが数体隠れている。30体もいない程度だがこれくらいなら俺と中谷里で処理しきれるだろう。後続を待ってもいいが処理しているところを見られるのも面倒だ。

 乗り越えられる程度にバリケードを崩し、二階から敷地内のテナント群を横目に南側搬入口へ向かう。こちらは階段などはなく道路を見下ろすように展開されたブランドショップなどを横目に進み、歩道橋から離れ建物内の階段を進む。

 探知によるとゾンビは敷地奥、モールの建物の東方面にまとまっている。遠目に見えるゾンビを指さすと、中谷里がすっと弓を掲げ、弦を引いたかと思えばすぐに矢が風を切って飛んでいく。命中。探知の反応も一つ減った。50mくらいでも問題なく当てられるな。


「相変わらず、すっご」

「ん? 簡単だよ?」

「うわあ」


 この距離感で当てられるのはわかっていた。とはいえ実際目の前にするとやっぱこいつもすごいな。屋外に面した店の処理はコイツに任せていいかもしれん。


「搬入口の確認はこっちでやっておくから、お前は外に面した店のゾンビ処理でもするか?」

「んー、搬入口の確認ってことはゾンビの処理だけじゃないよね?」

「そうだな。とはいえ急ぐつもりは無いが」


 まあこういった場所は基本的に人間とゾンビの戦い、または人間同士の戦いが起こりやすい場所でもある。そういった痕跡が残っていることも十分に考えられる。


「愛美ちゃん借りて良い?」

「ほ?」

「何に使うんだ?」

「観測手かな? 遠当てチャレンジするから」


 遠当てって当身の技術じゃなかったか? なんだ。矢でゾンビを抜くんじゃなく爆発でもさせる気か? 流石にそこまでの技術はコイツには。そこまで思って、俺はコイツがもう一つ持っていたものを思い出した。


「ふうん。まあやってみろ。小屋妹、よく見といてやれ」

「え、あ、うん」

「搬入口はこっちで確認しておく」

「いってらー」


 確認しておくにこしたことは無いが別に今じゃなくていい。時間に余裕があるわけではないのだしサクッと搬入口を確認して出入りや搬入経路を確保しておく程度でいいだろう。あとはゾンビの掃討をしてざっくりと施設内を確認しておけば今日は終わりだ。

 なんて皮算用をしていたからだろうか。それとも因縁が回り回って帰ってきたのか。面倒事がすぐそこまでやってきていた。


 気づいたのは必然だ。ゾンビの掃討を終え、周囲に近づく何かがいないか探知の魔法を飛ばしながら建物内部を探索していた。ガラス張りの天井から差す光が赤く染まり周囲の暗さに目が慣れてきたころ。探知の端ギリギリに生存者の反応が発生した。ピクリと動きを止めた俺。内部の探索についてきていた千聖と錦、本田さんがショップを観察している中で俺は中谷里に連絡を取る。


「中谷里。そろそろ引き上げだ」

『ん? りょーかい』


 集合場所は北西側搬入口。南西側がトラックによる封鎖をしていたので仕方なくバリケードを破壊して車が通れる隙間を開けてある。

 撤収準備を進めながら周りの人間より先んじることで探知の魔法で逐一確認しながらメンバーに集合を促す。


「店頭にあるモノはほとんど荒らされていましたが、裏の荷物置き場には案外あるものですな」

「バックヤードな。まあそっちも有るところと無いところで別れてたけどな」

「ブランド品は特にひどかった」

「ふむ。物だけ確保し、後で売ればいいといった考えでしょうか」

「そうだろうけど、意味ないんだよなあ」


 それはそうだろう。元々価値が高いとされていたもの。その価値に合う対価を提示する相手というのも限られる。その対価が払える者がそもそも少ないというのもあるが、一つ噂が流れれば品物が集中しやすいのだ。それこそ安全な場所や、安全圏内での仕事、場合によっては食料など。供給過多で直ぐに値崩れを起こしてゴミになる。需要側が圧倒的に有利になりやすいのがブランド品だ。


「君たちならどうする?」

「配る」

「……配る。つまりは無償で譲り渡すということか?」

「元々俺らはスカベンジャー。物資を渡すときに使えば相手は悪い気しないからな。また使ってみるかって気にもなる」

「本当に重要なものの時はそんな目立つの使わない」

「つまりは付加価値をつける分には適してるんだよな、ブランド品って」


 正直ブランド品で喜ぶのは時間感覚が停まっていて情勢を深く考えてない送る側と貰う側の奴くらいだ。言ってる錦だってその可能性がほとんどないことくらい承知しているはずだ。

 さて、探知にはぞろぞろと歩いてくる20名から30名ほどの人間の反応。進みは遅く車で移動しているようにも、組織的な動きをしているようにも見えない。ただただぞろぞろと集団で移動しているだけの有様。

 地図を思い浮かべるが道を歩いているようでどうやら敷地を突っ切ったりしているようだ。何かから隠れている? つまりは単純に避難してきた? 偽装するにしても動きが鈍すぎるし、道の選び方が滅茶苦茶だ。

 北側の搬入口で合流を待つ間に指示を飛ばす。


「錦、ドローン飛ばせ。北側」

「あいよ」

「千聖、銃出せ」

「ん」

「どうされた」

「勘ですよ。回収物資を積んだ車に対する当然の警戒というやつです」

「ふむ」

「物資の回収場所がかち合った時は施設内での奇襲か物資回収後の運び出しが最も危険ですから」


 相手が誰かはわからないがこれが囮という可能性もある。足手まといを押し付けて行動を制限するやり方だが、まあこういったことは組織同士の争いではよくあることだ。食料を圧迫させる、組織内部に不和を植え付ける、単純に内偵させる。なのでまあ、普通は拒絶もしくは排除という手段が一般的だ。とはいえ、それには当然評判というものが伴う。

 受け入れれば相手の策を受けることになるし、かといって排除、拒絶すれば周囲が敵になる可能性がある。穏当なところで事故に起こることか? まあ正直群狼時代に受けたことのある策だ。わざわざゾンビ狩りに連れ出したりして事故に遭ったり、それを潜り抜けたところで濡れ衣を着せて拷問まがいの罰則を与えたり。大抵は情報を抜かれる間もなく処理してきた。

 今回は病院付近で活動していた俺たちに目を付けた練習の仕業だろうか。この時期にわざわざ仕掛けてくるという事は外から来た連中か?


「オッケー、飛ばす。ホテルの北辺り?」

「そう。もしくはあの家具屋のあたり」

「あいよ」

「マックス」

「おう。お前も一応持って、るな」

「ん」

「こうしてみると、随分と物々しいですな」

「まあ見せ武器なので。固執してもいいことはありませんが、この国ではどうしたって銃器っていうのは武力、暴力の象徴のような部分がありますし」


 敵対しようものなら威嚇射撃がてら何人かにあてるつもりだ、とは言わない。トウキョウにゾンビとスカベンジャーが乱立して群雄割拠していた時代、奇襲暗殺なんていうのは日常的にあった。足を掬われた方が悪い、そういう世界だったのは間違いない。実際、こんにちわ死ね、なんて何度やったか数えきれない。

 俺がこんにちわ死ねをしたことも、死ねの部分を千聖が担当したこともある。中谷里は相手に聞こえるように挨拶なんてしないし、錦は誘引剤をドローンで撒いて相手を追い詰めたりしていたこともあった。まあ群狼は誰一人としてまともな人間の集まりじゃなかったからしょうがない。


「おつかれー、ってあれ? なんか物々しい?」

「敵?」

「来るかもしれないから警戒しろってこった」

「どっち?」


 小屋姉妹は空気くらいなら察するが、中谷里はさらに一歩踏み込んできたな。強化薬ってこんな効果あったか? 精神に変調をきたすような効果はなかっただけに、強化薬投与後の中谷里はいい意味で成長している。精神的には変質しているが、それもいい変化だと思える。


「北。今錦がドローン飛ばしてる」

「おーい、リーダー。なんか避難民っぽい集団だけど、どうする?」


 開け放したリアゲートに腰掛けコンソールを見ていた錦が所属不明の集団を発見したようだ。その瞬間いつものメンツは表情を切り替えた。その中で驚いた表情を見せたのは本田さんだ。


「本当にいるのですな」

「まあ、日ごろの備えと勘ですかね」


 嘯きながら錦の元へ行き映像を確認する。

 薄汚れた格好で林に身を隠す数十の人間。ドローンは動きを止めており、避難民と思われる集団はきょろきょろと周りを見渡している。映像を見る限りは壮年男性が中心となり女性がやや多く見える。若い男性がほとんどいない。避難民なのは見て取れるが、どこから来た人間だろうか。


「気づかれたか?」

「わかんね。ホテルの壁と天井這うようにして動かしたから気づいてない、はず」


 確かにドローンのカメラに目を向ける人間はいないように思う。ただ、ほんのちょっとの違和感。布をかぶって視線を隠している誰かがこちらを視認している可能性はある。スルーさせてもいいがこのまま南下するのであればどこかでかち合う可能性もある。始末した方が今後の探索に支障が出ないようにするという意味でも、後腐れはないように思うが、その決断をするには少し遅かった。

 錦が操るドローンのカメラ映像は、老剣士にもしっかりと見られていた。


「どうされるので」


 口調は先ほどと同じように感じるが、音として聞く彼の声には若干硬質的なものが含まれていた。これは手荒なことは難しいか。


「関わり合いになることは避けたいのですが、彼ら次第では敵対することも視野に入るでしょう。とはいえ、対話することを否定はしませんよ?」

「……こちらに任せる、と?」

「神社庁の人間として判断を下すというのであれば、こちらはそれを尊重しますよ。安全対策はさせてもらいますが」

「では対話を」

「わかりました」


 なるべくしてなった、というべきか。俺は彼らを誘い込むように周囲の人間へ指示を出した。どうか、彼らが無謀な真似をしませんようにと祈りながら。




「そうでしたか、それは大変なご苦労をなさったでしょう」

「いえ、皆が協力して立ち向かった結果ですから」


 ぞろぞろと歩く避難民たち。歩行が辛い数名はリアゲートを開けたまま車の荷台に乗せている。凡そ人の歩行速度に合わせて運行しているが、中谷里と俺はルーフの上で見張り役だ。どうしてこうなったかと言えば、まあ俺たちの動きがもたらした余波だと言える。

 彼らはここより北にあるフナガタ山に隠れ住んでいた集団らしい。県北各地から集まってできたらしく、その中心となっているのが小瀬屋敷政次、通称マサさんと呼ばれている壮年の男性だ。彼が言うには春頃に周囲で大規模な戦闘があったらしい。少しの間隔を開けて2度ほど大きな戦闘が近隣の山間から響いてきたことで移動を余儀なくされた、とのことだ。

 フナガタ山とは、シカマの演習場の裏手に当たる山である。つまりはそういうことだ。俺たちや主人公たちの戦闘音が彼らにこの旅を決意させたという事なのだろう。場所を確認してピンと来たのは俺だけじゃない。そしてそのことを口にはするまいと決意したのも俺だけではなかった。


 集団内部は年老いた者たちが多く、女性は幅広い年齢の人間がいるが、中でも中学生くらいの年齢の子もいるらしい。パンデミック後義務教育を受けることもなく、周囲の大人たちが可愛がったおかげか、変に擦れるところもなく、優しい子になったと言っている。その年若い娘は車上の中谷里と何かを話しながら歩いている。何やら興奮しているが中谷里が笑みを浮かべているためまあ揶揄って遊んでいる説が俺の中に浮上している。

 年老いて尚も健脚を披露するマサさんと並んで歩いている本田さん、車を運転している小屋妹と錦。俺の足元になっている車は小屋妹が運転している。このままのペースで進めばセンダイ市街地に到着する頃にはこの赤い空がしっかりと闇に沈んでしまうだろう。

 少なくとも防衛圏内に入ったらある程度の大きさの建物を見繕って休ませる必要がある。俺が速攻で確保した方がいいか、それとも千聖にやらせるか。もしかしたら強行軍を選ぶ可能性もある。まあそのあたりは選ばせればいいか。

 こういう避難民を迎えた経験も初めてじゃない。住む場所が変わってそこにいる人間性が変わっても、やることはそんなに変わらないのだなと、夕焼けに染まる街を見ながら物思いにふけるのだった。


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