第48話 神々は話し合った

 大陸中を巻き込んだ戦は、拍子抜けするほどあっけなく終わった。

 そもそもクマール1世を始め、ヴァラートの国中が精神干渉の影響を受けていたのだから、正気に戻った現在、彼らはただひたすらに青くなっている。


 事実の公表はできるだけ避けたいようだけど、こういう噂は光よりも速く伝わるものだ。早晩、属国の独立運動があちこちで起こるんだろう。


 カビーアの処遇に関して、ヴィシェフラドから王族殺害未遂の罪を鳴らして、その身柄はこちらで拘束すると伝えてある。ヴァラートからは承知したと短い返信があり、そこにはカビーアを皇籍から外したと添えられていた。


 集結された騎士団は解散されて、それぞれ故郷へ戻る。

 そんな中ノルデンフェルト皇帝ラスムスと直下の騎士団だけは、戦後処理のためにもうしばらく残ることになっていた。




「賠償金の額ですが、この程度でいかがでしょう」


 大陸各地から人員や物資、それに船団をかりだしたのだから、当然その費用は出さなくてはならない。まあ実費精算というところ。


 けど人や物資をその期間、よそへ向けていれば当然そこで利益を産んでいたろうからその額も多少は上乗せをする。酷い戦勝国だと、莫大な額を長期に渡って支払うように要求するところもあるくらいだ。

 それに比べれば、ラーシュの出してきた金額は実費に少し上乗せした程度で、かなり良心的だ。


「ヴァラートもこれから苦しくなるでしょうし、根こそぎ奪って再起不能にするのも後味悪いわ。

 わたくしは良いと思うのですが、陛下はいかがですか」


 書面をそのままラスムスに渡すと、表情も変えずに数字をちらりと見てから頷く。


「これで良い。大陸の慈悲をせいぜい示してやれ」


「それではヴァラートにこの額を提示いたします」


 淡々と進む事務処理に、リヴシェはなんとも居心地が悪い。

 意識しないようにはしていたけど、ラスムスの求愛をはっきり断った後だ。それはそれと、割り切らなくてはならないことくらいわかっている。でも人の心はそう単純じゃない。ついちらっと、ラスムスの様子を見てしまう。


 ラスムスは相変わらず完璧な為政者で、さすが大国ノルデンフェルトの皇帝だった。リヴシェとのことなど何もなかったかのように、驚くべき速さで案件を処理している。

 変わったのは一人称が俺ではなくなったこと、リヴシェをリーヴと呼ばなくなったことだ。


 さらさらとペンを走らせる音が響く。

 たまにコトリとインクボトルの揺れる音。

 紙の重なる音さえ大きく響いて。


 ほんっと、重っ苦しい、息苦しい。


 ああ、そう言えばと大切なことを思い出した。

 聖女の仕事、といっても女神へ祈りを捧げることだけど、その最中に珍しく女神からのお言葉があったこと。

 これはこの二人に伝えておく必要がある。


「昨夜、女神からお言葉を賜りました」


 ラスムス、ラーシュともに手を止めて、顔を上げた。

 

「地下牢のあの二人のことです」


 二人とも何も言わず、表情だけで先を促している。


月の神チャドルが泣きついてきたと、おっしゃっておいででしたわ。あれを甘やかしすぎた。しっかり監督できなかったのは自分のせいもあるから、一度だけ慈悲をもらえないかと」


「それで? 女神はどうなさると」


 彼の処遇に関しては既にヴァラートと調整済みだから、ラスムスが気にするのは当然だ。


「月の神はとても自尊心プライドの高い方なのだそうです。その方のお頼みを無碍にはできない。数年様子を見て、その後元に戻そうと。但し彼の力は月の神が責任をもって制御してくださるという条件で」


「つまり赦免すると?」


 複雑な表情をしたのはラーシュだった。女神に逆らうことはできない。けれどカビーアがラーシュにしたことを思えば、数年で赦すなど彼の心が納得しないはず。


「ええ。でもヴァラート皇族では既になくなってるし、国外追放の身だから故郷へは戻れないでしょう。だからカビーアはヴィシェフラド聖殿で、神官にしてはどうかと。月の神チャドルと女神はそうお思いなのよ」


「ヴィシェフラドの神官にか。慈悲深いことだ」


 ラスムスは皮肉気に笑う。


「それではあの娘も?」


 よほど嫌なのだろう。ラーシュの眉間にくっきり皺が刻まれている。


「カビーアを赦すんですもの。二コラだけ厳罰というわけには。

 彼女にももう一度やり直す機会を与えるのだと、それが公平だろうとおっしゃっておいででしたわ」


 本当のところ、二コラについては女神も優しくなかった。仕方なくというところだ。彼女の場合、前世から持ち込んだ性根の問題が大きいから、少々の矯正ではだめなんだろう。

 だからやり直す機会は、場所を移して与えるんだそうだ。

 つまり再びの異世界転生。記憶を持ったまま、前世の世界へ転生させる。

 もし今度のことで二コラが何かを学んでいれば、次こそ誠実に生きてくれるだろうと。


「大丈夫、わたくしたちに関わることは、二度とない。

 そうおっしゃっておいでだから」


 リヴシェ自身、女王としてではないあくまでも個人的な立場で、彼らの赦免にはどこか救われた思いがする。

 やらかした罪は罪だけど、既に皇籍も故郷も失ったカビーアに、まだこの上正気を失くしたまま一生の幽閉を強いるのは酷だと思う。

 カビーアの現在は、前世流行りの逆行転生鉄板のシチュエーションみたいだと思う。逆行転生しなくとも、やり直す機会を女神が作ってくれたのだ。

 カビーアも今度は考えて生きるんじゃないか。

 二コラもそうだと良い。


「ヤツはヴィシェフラドに残るか」


 短く漏らしたラスムスが、再び手元の書類に視線を落とす。


「羨ましいことだ」


 小さく呟いた。

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