第43話 戦神は虚像だった

「残酷なことを……」


 悲しそうな口調だったけど、カビーアの表情には傲慢なほどの余裕がある。

 堪えてないと誰が見てもわかる。


「女神の子の夫にただの人間を迎えるなどと。そんなことができるとでも?

 神々の道理に反しますよ?」


 まるで自分にはその資格があるように聞こえるけど、この男だってただの人間だろう。確かに神がかった美貌だし、強力な魔力も持っている。けどものすっごく根性が悪い。


「魔物を夫にするよりマシですから」


 自然に思いついた言葉だったけど、ぴったりじゃない。魔物だ。この男の属性は、きっと神でも人でもない。


「魔物の浄化なら、わたくし得意だわ。知ってるわよね?」


(オラ、消してやるぞ!)


 意訳するとそうなる。せいいっぱいの怖い顔をして睨んで見せた。


「あぁ、そんなお顔をなさって。なんとおかわいらしい。ますます焦がれてしまいますね」


 カエルの面になんとやらで、まったく怯みもしないカビーアに、リヴシェの気持ち悪さはどんどん増して行く。

 この男、ほんとにヤバい。

 言葉が通じない。

 話し合う余地など最初からないのだ。相手がヴァラートの皇子だからと知らず知らず手加減していたことが、仇になっている。こうなっては実力行使しか……。

 

「リーヴだめだよ。そいつの相手は、悪いけど僕だ。

 こればかりは、たとえ君でも譲ってあげられないよ」


 これまで沈黙していたラーシュが、静かに口を開いた。



 


「皇帝クマール1世は、戦神の生まれ変わりでもなんでもない。ただの傀儡。

 そうだよね?

 カビーア・チャドル、月の皇子様」


 しんと静まり返った青の瞳が、まっすぐにカビーアの真珠色の瞳を捉えている。

 カビーアの口元から、薄笑いが消える。


「国中の民、果ては実の兄にも精神干渉の術をかけるとはね。確かにおそろしい魔力だよ。

 月の神チャドルの力は大したものだ」


「よく調べましたね。で? わたくしの正体を知って、ようやく退く気になりましたか?

 それが賢明でしょうね」


 真珠色の長い髪をさらりとかき上げて、カビーアは不敵に微笑する。

 リヴシェの寵力に怯まなかったはずだ。この男もまた、リヴシェと似たような存在だったんだから。

 それならばリヴシェやラスムスの力にだって、対抗することができる?

 もし真正面からぶつかれば、少なくともまったく無傷というわけにはゆかないだろう。


「ただの人、たかが一貴族にしか過ぎぬ身が、望んで良い姫ではありませんよ。

 二コラと言いましたか、あの娘がせいぜいのところ。

 あれもヴィシェフラド王族の血を継ぐ娘、あれになさい。

 祝福してさしあげますよ」


 愉しんだのでしょうと続けて、唇の端を意地悪く上げた。

 また傷を抉った。酷いことをとラーシュの顔を見上げると、まったくの無表情で少しの動揺も見られない。

 怒りも憎しみも何も映さない青い瞳はただ静かで、凪いだ湖面のようだ。


「そんなに気に入ったのなら、謹んで差し上げますよ。カビーア・チャドル。

 あの娘はあなたにこそ相応しい。あなたと二コラはよく似ているよ。

 欲しいもののためなら、手段を択ばない」


 ラーシュはカビーアとの距離をじりじりと詰めて行く。

 カビーアの真珠色の瞳に、ちらりと動揺が走った。


「どうかしましたか、カビーア・チャドル」


 カビーアの動揺の理由に、リヴシェも気づいた。

 効かないのだ。あの強力な精神干渉が、ラーシュにはまるで。


「神の恩寵を受けているのは、ヴァラートだけだとでも?

 ヴィシェフラドにも神はおりますよ」


 神の恩寵は、ただの人には普通は与えられない。恩寵を常に受けているのは、リヴシェだけのはずだ。

 いったいどうやって。

 そこまで思った時、ヴィシェフラドから連れてきた神官、それもかなり高位の神官を思い出す。

 まがつ神を封印するため、生涯ただ一度だけ神の降臨を祈ることのできる、彼らはヴィシェフラドでも数少ない神官のはず。

 けどあれには厳しい条件がついていた。願う者には己の最も大切なものを捧げる覚悟が必要だった。

 あれを使った? まさかと信じたくないけど、今のラーシュを見ていると、それ以外考えられない。


「あなたは月の神チャドル自身ではないからね、ただの人の身の僕でもなんとかなるってさ。

 まあそれでも、命まではとっちゃだめだって。

 何しろ女神ヴィシェフラドは、愛と癒しの神だからね」


 ラーシュはすいっと右手を前に出した。

 うぃぃんと、空気の震える小さな音がする。


「だから同じことをしてあげようと思ったんだ。僕がしてもらっただろ? あれとそっくり同じように。

 あぁ、心配しなくても良いよ。二コラはもう用意して待ってるから。

 生涯あの娘だけを愛して暮らせば良いよ。幸せな未来だろう?

 感謝してもらいたいね」


 ラーシュの手から放たれた白い光が、カビーアの黒い靄とぶつかって火花を散らす。

 ばちばちと花火のような音と嫌な明るみが続いて、ついに白い光が黒い靄を押し切った。

 真珠色の瞳に白い光が注がれて、だんだんに朦朧としてゆくのがわかる。


「ラチェスの男は執念深くてね。手段を択ばないのは、僕も同じなんだよ」


 くたりと崩れ落ちたカビーアを見下ろして、ラーシュは冷たく言った。あの事件以来初めて見せた激しい怒りが、ラーシュの全身から放たれている。


「ほんとは縊り殺す予定だったんだけど、仕方ないね」


 ぽつりとこぼしてから、ラーシュもへたりと座り込む。慌ててリヴシェが護衛の騎士を呼ぶと、打ち合わせどおりにしろとラーシュは短い指示を出して気を失った。

 引きずられるようにしてカビーア皇子が連れ行かれるのに、パーティ会場が騒然としていたが、今のリヴシェにはどうでも良いことだ。

 ハータイネンの騎士がわらわらと寄ってくるのも煩わしい。

 ラーシュを控えの間に運んでもらうのには力を借りたが、後はヴィシェフラドの神官が来るまで放っておいてくれと申しつける。



「ラーシュ! しっかりして」

 

 寝台に横たわるラーシュに、リヴシェはその名を呼び続けることしかできない。

 癒しの寵力も効かない。

 女神ヴィシェフラドの力を借りたのなら、それも当然だ。覚悟の上でラーシュは願ったのだろうから。

 己の一番大切なものを差し出した。

 ラーシュの命だろうか。

 

「嫌よ。こんなことで死ぬなんて、許さない」


 叫んで、ラーシュの身体を揺さぶった。

 ふと気づいた。

 規則正しい呼吸に。

 生きている。


 ほっととりあえず安心して、次の瞬間もっと不安になる。

 では何を、何を差し出したのか。

 命より大切なもの、それは何か。


 眠り続けるラーシュの顔はただ静かで、リヴシェの問いかけに応えてくれることはなかった。

 

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