第32話 女王は逃げてはならない

「助けてほしい。そう素直に言え。

 それがおまえの、今なすべきことだ」


 ラスムスに、ずばりと斬りこまれた。

 ノルデンフェルトの恥まで話してくれたのは、リヴシェに現状を正しく理解させるためだ。

 番だのなんだの言ってくるからと、警戒していた自分をリヴシェは恥じた。

 

 婚約とか、嫁に行くとか、その場しのぎだということは、リヴシェにもわかっている。

 今のリヴシェは王女ではない。国の行く末を決める、決めなければならない国王だ。

 8歳から聖殿で暮らしてきたけど、母やラチェス公爵の手配で帝王教育の過程は履した。

 国全体が得られる幸福量を比較して右か左かを決めるのだと、そこで学んだ。時に冷酷な決断を迫られることもあると。

 

 いつか女王になる時がきたら、先王のような愚王にだけはなりたくない。

 そう思ってきたのに、今のリヴシェは決めかねてグズグズとしているだけ。嫁に行くことで問題を先送りしようとしているだけだ。

 自分の決断で誰かが命を落とすこと、ケガをすること、国が焼かれること。

 見たく無いものを考えなくても良いように。

 問題を真正面から見据えて立ち向かうことから逃げている。

 先王と同じだ。

 

 ヴァラートの前には、降伏も敗戦も大差ないと軍務大臣は言う。

 ヴァラート征服史によれば、クマール1世の御代になってさらにその傾向は強くなっている。

 それならばリヴシェが嫁に行っても、嫁の実家を気遣って大切に護ってくれるような男ではないだろう。嫁という名の人質がとれてラッキーくらいの扱いに違いない。

 

 逃げてちゃダメだ。

 

 こくんと息を飲んで、リヴシェは決意した。

 

「現在ヴィシェフラドの財政状態は最悪です。

 そして訓練された騎士の数は、とても少ない。

 お恥ずかしいことですが、もって3日だということです。

 それでもご助力いただけますか」


 助けてもらうなら、どれほどの支援を必要としているのか、ありのままを見せなくては。

 ノルデンフェルトにも心づもりが要ると思う。


「ああ、助けてやる。俺にはその力があるからな」


 狼のラスムスがちらりとラーシュに視線を向けた。

 これはリヴシェにもわかる。挑発だ。

 そんな場合じゃないのに、ラスムスの性格だけは小説の設定どおりだ。かなり悪い。


「僭越ながら女王のお言葉を、多少修正させていただきますね」


 極上の微笑を浮かべたラーシュの表情かお

 

「6カ月です。現在のヴィシェフラドの騎士総数1万5千。

 その5倍の数に耐える兵站を6カ月なら支えられます」


 兵站って、馬とか食糧とか通信とか砦とか、要するに戦争に必要な物資施設全部を6カ月?

 3日しかもたないって、軍務大臣は言ってたのに。

 それに1万五千の騎士って。近衛まで合わせても、せいぜい五千だと報告書にはあったはず。


「ほ……う。陰険なラチェスが虎の子を出すか。

 バレても良いのか? 国王より強大な力を隠していたこと。反逆の意ありと疑われても仕方ないが?」


 面白そうにラスムスは薄く笑う。どうやら知っていたらしい。

 リヴシェの母の実家、ラチェス公爵家が王にも媚びない理由は、まさにこの富と武力にあることを。

 それにしても騎士1万、それに半年間の兵站を維持する財力とは。一国の王に匹敵する力だ。


「女王がラチェスを疑うことはありませんよ。私たちは幼い頃から相愛の仲。何にも代えがたい存在です。女王ご自身が、そう公言なさいましたからね」


 ふふんと鼻先で笑って、ラーシュはラスムスを正面から見据える。

 ああ、月の皇子カビーアに言ったことか。あれ、公言したことになるのだろうか。シミュレーション原稿のチェック、ラーシュに頼んだから彼はあれが原稿だと知っているはずなのに。

 と、今そんなことを言っている場合ではない。

 リヴシェが公言したかしていないかなど、月の皇子ではないが「それが何か?」だ。


「ヴァラートは5万を動かせると聞いていますが、海を隔てての事ですから3万強くらいになるのでは。

 ノルデンフェルト皇帝のお考えはいかがですか?」


 話を本筋に戻さなければ。

 5万か3万かで、支援を願う質量が変わる。


「5万だ。

 カビーアと言ったか、今ヴィシェフラドにいる皇子は、強大な魔力を持つ魔導士だ。ヤツは大がかりな転移魔法を使える。

 意味はわかるな?」


 水軍だけで遠征してくるわけじゃないということか。

 

「ハータイネンに水軍の要請をかける。1万というところだな」


 当然のようにラスムスは言うけど、ハータイネンがすぐに分かったと言うだろうか。あの国はヴァラートとも交易がある。巻き込まれるのは避けたいのでは。


「ヴィシェフラドとノルデンフェルトが倒れたら、どうなると思う? 強盗と顔見知りなら、手加減してもらえるとでも?」


 ハータイネンは必ず水軍を出すと、ラスムスは続けた。


「ノルデンフェルトから2万を出そう。セムダールから1万。これで数の上ではこちらが有利だ」


 実質上の大陸の覇者ノルデンフェルト皇帝が動けば、ハータイネンやセムダールも従わざるをえない。ラスムスにはそれだけの力がある。

 けれど助けられてばかりではいられない。

 誰かが傷つき、命をかけてくれるのだとしたら、狙われた当の本人ヴィシェフラドはより一層、何かをしなくては。

 

「ご支援、ありがたくお受けします。そのうえでお願いが。

 わたくしも前線へお連れくださいますように」


 防御シールドを張ること、ケガや病を治すこと、魔力や筋力を上げること。

 リヴシェにしかできないこともある。


「な……」


 ラスムス、ラーシュの二人ともに、一瞬目を見開いて言葉に詰まる。

 けれどすぐに笑った。それも二人同時で。


「ああ、そうするが良い」

「仕方ないね。お転婆はダメだよ」


 話は済んだとラスムスは去った。

 意外なほどあっさりと、来た時同様バルコニーへ続く窓から消える。


「ほんっと、憎らしいくらいカッコ良いんだから。さすが男主人公ヒーロー


 思いがそのままこぼれてしまったらしいと気づいたのは、背後に迫る冷気の凄まじさのためで。


「リーヴの英雄ヒーローなら、いつも傍にいるんだけどね」


 いや、誤解だから。あなたも準男主人公ヒーローです。

 と言ったらまた拗れそうだから、ただ頷いてラーシュを宥める。

 面倒くさい性格なのも、ラスムス、ラーシュ二人ともお揃いだ。


 さてこれでリヴシェの腹も本当に決まった。

 明日の夜、あの月の皇子に返事をしよう。

 どんなに脅されても、Noと首を振る。

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