第19話 婚約者は心配でたまらない(SIDEラーシュ)

 ジェリオ親子を厄介払いした。

 国王は毎日毎日ぼんやりとして、時々涙をこぼして彼女を恋しがっている。

 周りの近臣たちはどうしてよいかわからず、ただおろおろと国王の顔色を窺っているが、ラーシュの父や兄などは鼻で笑っていた。

 

「いっそ揃っていなくなってくれれば、面倒も一度で済んだものを」


 仮にも現国王に向ける言葉としては不敬極まりないが、それも自業自得というところか。

 50年の長きにわたって、じりじりと弱まる国を放っておいたのだから統治者としては無能。無能の国王は害悪だ。

 けれどそれはラチェス公爵家にも言えることだと、ラーシュは思う。


 我が家門に関わる権益は守った。

 国のことは放っておいて、己が家のことのみ考えて。

 その結果ヴィシェフラドは衰退の一途を辿り、いまや外敵から領土を守る力もない。

 

 ラーシュはリヴシェの婚約者だ。いずれ近いうちに、夫としてこの国を共に支える。

 父や兄とは立場が違う。

 ヴィシェフラドの威勢を取り戻さねば、リヴシェとの未来はない。


 だから受け入れがたい条件を、笑って飲んだ。

 あいつ。

 冷血皇帝、氷の皇帝と呼ばれるラスムスの条件を。

 少なくとも1年に1度、ノルデンフェルトへリヴシェを寄こせと。


 もともとノルデンフェルトに限らず、大陸にあるヴィシェフラド以外の3つの国には、リヴシェを派遣するつもりだった。

 各地にある荘園の収入がヴィシェフラドへ届かないのは、ひとえに影響力の低下が原因だ。100年以上聖女が生まれないなら、ヴィシェフラドの王族への崇拝もなくなろうというもの。俗世の人は現金なものだが、それを責めても問題は解決しない。

 聖女はいる。

 歴代随一の力をもった聖女が、今のヴィシェフラドにはある。

 それを目の前で見せてやれば良い。

 聖女不在で揺らいだ威信なら、一番効果的だ。

 

 もちろんリヴシェの護衛には、ラチェス騎士団の精鋭を付ける。

 近衛の騎士より優秀な彼らは、大陸屈指の魔術騎士だった。剣技魔術共に、最上位の技量を身に着けている。

 

 ノルデンフェルトにだけは、ラーシュも同行するつもりだった。

 最も危険なところへ、彼の愛しいリーヴを一人でやることはできない。

 つがいへの執着は、人には理解できないほど強いと聞いている。

 7年の間手を出してこなかったのは、ラスムスが帝位を狙っていたからで、そして現在は皇帝であるからだ。

 最高権力者はいついかなる時も、己が欲を制御できなければならない。それをヤツは知っている。

 だからこそ油断ならない。

 

 愛しいリーヴ。

 ラーシュにとっても唯一の存在だ。

 負けるわけにはゆかない。





「ハータイネンに行く?」


 愛しいリーヴが少しだけ目を見開いている。

 西のハータイネン王国、ヴィシェフラドから一番離れた領土を持つ国だ。

 行って帰るだけでも、10日はかかるだろう。

 説明はこれからするつもりだが、故国を離れたことのないリーヴにはあまりにもいきなりすぎたのか。

 もう少し気を遣ってやれば良かった。

 リヴシェ以外の人間には全く見せない思いやりだ。


「うん。

 ハータイネンだけじゃないんだ。

 南のセムダールにも行ってもらいたいんだけど」


「ラーシュが言うのですもの。

 必要なのよね。それなら良いわ」


 驚いているくせに、即座にこくんと頷いてくれる。

 全幅の信頼を寄せられて、嬉しくないはずはない。


「あー。

 やっぱり良いよ、行かなくて良い。

 心配だよ。

 リーヴを外へ出すなんて、心配で仕方ない」


 自分から口にしておきながら、いざとなったらどうしても嫌だ。

 こんな美しく愛しい生き物を、どうして他人の目の前にさらせるだろう。

 良からぬ思いを抱く輩がわらわらと湧いてでてきそうで、それを考えるだけでラーシュの眉間に皺が寄る。


「神殿に行くんでしょう?

 寵力を見せてこいって、そういうことよね」


 ものわかりの良いリーヴが、今ばかりは恨めしい。

 心細いから嫌だと泣いてくれたら良いのに。

 実際にそうされたら困るだろうが、こうあっさりと了見されるとそれはそれで嫌だ。

 このあたり、面倒くさい男だと自分でも思う。


「行くわ。

 お父様がしおしおしているの、見てるのも飽きたから」


 冗談めかして明るく言っているが、半ば以上は本音だろう。

 王妃やリーヴが傍にいるのに、自分を見捨てた愛妾親子を恋しがるなど、面白いはずはない。

 

 あの愚王、本当なら今すぐにでも退位を迫って幽閉したいところだが、ヴィシェフラドでは穏やかならざる王の交代はご法度だ。

 女神ヴィシェフラドの血を継ぐ王族、特に国王は神聖不可侵だ。

 ただの人が害を与えてよい対象ではない。もしあえてそれをする者があれば、女神ヴィシェフラドの怒りをかう。

 実際に神罰が下るとは思えないが、長く信じられていることには力があった。

 だからラーシュはじっと我慢する。

 愚王が自ら政務を放棄して、もう国王など辞めたいと言い出すのを待つ。

 辞めたいと言い出しやすいように、追い込みはするけれど。


「ごめんね、リーヴ。

 汚いこと、嫌なことはみんな僕が片づけるなんて言ったのに。

 リーヴに助けてもらわなきゃならない。

 情けないね」


 破たんしかけた財政は、荘園からの収入が回復すれば少しはマシになる。

 それには神殿への帰依をもっと篤くしなければ。

 聖女であるリーヴにお出ましいただかなければ、どうしようもない。

 本音を言えば、行かせたくはない。

 女神ヴィシェフラドの寵を得たリーヴは、花なら蕾の可憐な美少女だ。不埒なことを考える輩は、何もラスムスだけではないだろう。

 

 だが、金がない。

 

 海を隔てた東の国が良からぬことを企んでいると知っていても、このままでは防御陣を敷くこともできないのだ。

 兵を養うのには金がかかる。

 ヴィシェフラドに攻め入る愚か者はいないだろうと、あの愚王は軍備に割く金を一番に減額した。当時まだ生まれてもいなかったラーシュには何もできなかったが、それを黙って見ていた父にはかなり皮肉を言ってやった。

 広大な領土に鉱山や肥沃な地を持つラチェスにしてみれば、国が滅びてもどうということはない。単に頭にする君主が代わるだけだ。そしてその新しい君主も、侮れない力を持つラチェスには手出しできない。

 父も兄もそう思っている。

 ラチェス公爵家のことだけ考えるのならそれで良い。

 結果お花畑脳の愚王がどうなろうとかまわないが、それに巻き込まれる者は悲惨だ。

 巻き込まれる者の中には、最愛のリーヴも入っているのだから。


「ラーシュ一人で被ることないわ。

 わたくしにできることはする。

 だって亡国の王女になるの、わたくしだっていやですもの」


 本当にあの愚王の娘か。あのバカの血が、本当に入っているのか。

 見目も頭も才能も、まるで似ていない。

 リーヴの笑顔が、泣きたいほどに愛おしい。


「やっぱり僕もついて行くよ。

 リーヴのそんな表情かお、他の男に見せるわけにはゆかないからね」


 他の予定を父と兄に押しつけて、なんとしてでもついて行く。

 ラーシュの集めた父や兄の弱みを、いくつかちらつかせてやれば良い。黙って押しつけられるはずだ。

 

「おまえを王配にするの、考え物だな」


 最近父はよく言うが、もう遅い。

 どんなに止めてもラーシュはリーヴを妻にする。

 もし邪魔をするというのなら、肉親と言えど容赦しない。


「安心しててね、愛しいリーヴ」


 愛しい彼のリーヴは、困ったように微笑んでいた。

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