決戦前夜の思いと想い
さすがにホテルのドレスコードの服まではいきなり用意はできなかったため、食事は全てルームサービスを取ることになった。
てっきりもっと簡単なものかと思っていたのに、届いたのが和食の御膳だったので、震える思いでいただいた。
小さな小鉢が何個も並び、刺身に牛タンと、海の幸山の幸もよりどりみどりなラインナップだった。
「あ、あのう……こんなご飯、どうして……」
私と風花ちゃんは、これの単価を思わず計算して、気絶しそうになっていたものの、桜子さんは平然としていた。
「あなた方にはずっと食事をつくってもらっていましたし、明日で全てを終わらせないといけませんから。でなければ小草生先生だって起こせませんし」
「はい……」
出された料理をひと口ひと口いただき、こんなの食べたら舌が肥えてしまって、次から自炊できるんだろうかと心配になってしまう。
そして風花ちゃんは複雑そうな顔で御膳をいただいていた。
「……うらら先生にも食べさせてあげたかったです」
「風花ちゃん、明日起きたら食べさせてあげましょう。桜子さん、それでいいですよね?」
私が念を押すと、桜子さんは苦笑しながらも頷いてくれた。そこですっと安心したのか、風花ちゃんは納得していただきはじめた。
スイートルームは部屋の数も多く、四人泊まっても、お風呂はふたつあるし、寝室まで二組に別れられるようになっていた。
風花ちゃんは「わたしはうらら先生を診ないといけませんから」とうらら先生と一緒の部屋に寝ることを選んだため、必然的に私と桜子さんが同じ部屋で寝ることになる。
そしてそのベッドには枕がふたつ並ぶキングサイズなことに、思わず唖然としてしまった。
「昨日の今日で申し訳ありませんけれど、霊力増量のトレーニング、今晩もしますよ」
桜子さんがさっさと言い切るのに、私はぼっと顔を赤くする。……トレーニング、そうトレーニングだし。役得だと思ったりしてはいけない。
ただ、私はひとつだけわがままを言ってみることにした。
「……わかりました。それはかまいませんけど……せめてお風呂は一緒に入りませんか?」
「ひとりで入るにしては狭いと思いますけど……」
「え、ええっと……機械的に行うよりも、こうふたりで一緒にいろいろやってみたほうが、ムードが出て、盛り上がるかなと……思いまして……」
桜子さんは朴念仁が過ぎるから、そういう行為にムードや盛り上がりを求められても困るとは思うけれど、私がおずおずと言うと、桜子さんは顎に手を当て考えはじめた。
「あの、桜子さん?」
「ごめんなさい。私もその……お付き合いのことってよくわからなくって。ただ、使い魔契約って、もっとこう……機械的なものだと思ってたんです。でも、みもざさんは違いますもんね……」
「……あのう、迷惑でしたか?」
「いいえ。ただ……いざやってみようとすると、トレーニングよりも照れるもんですね」
今まで人の裸をさんざん触っておいて、それで照れるんだ。思わず笑いを堪えながら、私は「行きましょう」と備え付けのユニットバスへと向かった。
仲春くん家のお風呂は、昔ながらの日本家屋にありがちな、古くって湯船の中はあちあち、外は寒くって仕方ない小さめのお風呂だったけれど。ここは足を伸ばしてもふたりくらいなら充分入れそうな大きさはあった。
服を脱いでシャワーを浴びると、髪を一緒に洗いはじめる。桜子さんは長い髪が傷みひとつなく伸びているから、服を全部脱いだ途端に天女みたいな気品が溢れる。
「髪、すごいですねえ……私の髪なんて、首が隠れるくらいは伸ばしたらすぐ傷みますのに、桜子さんちっとも傷んでないです。お手入れどうされていますか?」
「そこまで珍しいですか? ただ、陰陽寮に戻ったら米ぬかで洗髪しているくらいで」
「……ずいぶんと昔っぽい感じですね?」
「そうかもしれませんね。ただ私に合っていただけで、みもざさんに合うかどうかはわかりませんよ?」
そう言いながら私は恐々と桜子さんの髪を洗わせてもらい、桜子さんには私の髪を洗ってもらい、互いに背中を流してから、ようやっとたまったバスタブに浸かった。
この一週間近くのことを思い返すと、私が目覚めた時点では、まさか桜子さんと契約することになることも、ましてや好きになるとも思っていなかったから、人生ってよくわかんないなあと思ってしまう。
ひとりでそう思いながらお湯の温かさに感じ入っていたら「みもざさん」と桜子さんから声をかけてくれた。
「はい?」
「……ありがとうございました」
そう言って頭を下げられたことに、私はきょとんとした顔で桜子さんを眺める。お湯で暖まった彼女は、いつもよりも血行がいいせいか、元々綺麗な肌はさらに光を増しているような気がした。
「あのう……? 私、桜子さんに助けてもらってばかりで、お礼を言われるような謂れは……」
「いいえ。あなたが最初に直談判してくれなかったら、皆が助かる方向に話を進めることはできませんでしたから……私は陰陽寮から離れることはできません。陰陽寮の命令は絶対だから……命令されたら真っ先にあなた方に危害を加えていたかもしれません。あなたがそれを止めてくれたから……」
「い、いえ! それは……死にたくないから、当たり前じゃないですか……」
「……それに、私だってただの先祖返りや妖怪だったら、躊躇せず殺せたと思いますが。あなた方と短い間でも一緒に過ごせて楽しかったですから……あなた方に手をかけなくて済んで、よかったんです」
「桜子さん……」
私は彼女にもたれかかると、桜子さんはペタペタと私のうなじに触れた。
それに甘えるように擦り付きながら、桜子さんに尋ねた。
「あのう……桜子さん。先程の言い方ですけど」
「はい?」
「……桜子さんの言い方ですと、仲春くんも照日さんも助けられるって聞こえましたけど、できるんですか?」
「……これもまた、あなたが私と契約してくれなければ、考える余地もなかった話なんです」
それに私は目を瞬かせた。
死にたくないからどうにかしてくれと言ったのは、本当にこのまんまだったら私たちも故郷も皆なくなってしまうから、必死だったからとしか言いようがない。
契約したのだって、どう考えても体質的に人間に戻らなかったら風花ちゃんは死ぬことができない。うらら先生だって魅了を垂れ流しっぱなしだったら日常生活を送れないから、小さい頃から先祖返りの衝動が出ていた私が一番マシなのではと思い立っただけ。
その選択が……ふたりのことすら助けることができる?
なんだかすごい話になってきた。
「お願いします……誰も切り捨てない方法を、教えてください」
「はい……」
桜子さんは手早く手短に教えてくれた。
……たしかに理論上は可能だと思う。問題は、ひとつタイミングがずれれば、なにもかもご破算になり、私たちと仲春くんたちで生存競争での殺し合いは避けられない。
「みもざさん、あなたがいなかったら、このことは想定すらできませんでした。あなたのおかげなんですよ」
「私……ただ自分のことで精いっぱいだっただけなんですけど」
「それが、多分普通のことなんだと思いますよ……私だって、仲良くしていた人たちを手にかけるのは気が引けますから」
ふたりでさんざん擦り合ってから、ようやくお風呂を出て、ドライヤーで頭を乾かす。
流れ込むようにベッドに向かった。
……この行為ひとつで、助られるものが増える。そう思ったら、ふたりとも必死になった。
****
本来、夜明け前にホテルを出ることなんてありえないのだけれど、今日に限っては桜子さんの根回しにより、夜明け前に私たちは手早く荷物を準備し、ホテルを出た。
うらら先生は預かってもらっている。私たちが無事にことを終えられたら、うらら先生にはおいしいお酒を買ってきてプレゼントしよう。
早朝の空気はまだ暖まっておらず、ただ私たちの顔を嬲り、体温を奪っていく。
それを振り切って、私たちは走りはじめる。
昨日のうちに行った作戦会議。最終日は日曜日だから、観光客が大勢出る。
おそらくは仲春くんは、二回も照日さんに先祖返りですらない人たちを操るような真似はさせないだろうし、観光客が来ない時間帯を選ぶ。
そうなったら、衣更城がまだ閉め切っている、夜明け前に全てを終わらせようとするだろうと。
一応ギリギリ始発は出ている時間だし、彼らの拠点が今はどこにあるかはわからないけれど、この時間帯に行動を開始するはずだ。
「まずは式神を使って、要石を探索します。場所を特定し次第、風花さんはそちらに移動してください」
「はい!」
「私が照日さんを、そしてみもざさんが仲春さんを抑えて時間を稼ぎます」
「……ここからが、肝心ですね」
「はい。ひとつでも落としたら、私たちは仲春さんたちと殺し合わなければいけなくなります」
チャンスは一瞬。それを全部拾い上げて、私たちはハッピーエンドに辿り着く。
私はぎゅっと神通刀の入った風呂敷を握りしめた。
幸せは椅子取りゲームであり、椅子に座れた人だけがハッピーエンドになるという。
たしかにみもざは、仲春くんに選ばれることがなくって、それ以上の幸せが想像できないショックで死んでしまった。でも、本当に椅子取りゲームの椅子ってそれだけだったの?
私は他の人を好きになることができた。皆が納得できるオチだって用意できそうになっている。
椅子の奪い合いで傷つくんだったら、もう前提を変えてしまえばいいんだ。
私たちは、それを今から行いにいくのだから。
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