現代の陰陽師
桜子さんの申し出に、私たちは凍り付いていた。
正直仲春くんのことは好意があったからこそ、キスだろうが血を吸うだろうがなんとかできたところがある。それを、恋敵であり、有事の際には私たちを殺す資格と権力を持っている彼女からいただくというのは、そう言いながら私たちのことを処分する気がじゃないだろうかという疑いと、生理的な気持ち悪さのほうが勝ってしまう。
式神契約はもっと困る。私たちは普通の女の子に……先祖返りの力なんて一切持たない普通の女の子に戻りたいのに、一生そのままでいろと言われてしまっても、やっぱり困ってしまう。
どう伝えるべきか。そう私が考え込んでいたところで、「……あのう」と小さく風花ちゃんが手を挙げた。
「……困ります。わたしたち……普通になりたいのに、一生そのまんまだなんて……人魚、死にたくっても死ねないですし……この力、早く手放したい……」
とうとう風花ちゃんは泣き出してしまったのに、私は慌てて彼女を抱き締めた。
……私たちは、先祖返りの力に引き摺り回されてばっかりだった。だからこそ、互いが可哀想と思ったら、互いを抱き締めなかったらやりきれなかった。
一方うらら先生も、ボリボリと髪を引っ掻く。
「たしかに困るねえ……私の力がそのまんまじゃ、衣更市の治安が乱れちゃうじゃないか」
それはもっともだった。
うらら先生の持つ九尾の狐の力は、どうも魅了効果が勝手についているらしく、保健室は放っておくと男子の溜まり場になってしまって、私たちみたいに保健室に避難に来ている女子が入れなくなっていたくらいだった。
その魅了が利かずに保健室にたむろしている男子を追い払えたのは、仲春くんだけだったもの……また、いなくなってしまった人のことを思い出してしまった。
ひとりで自己嫌悪に陥っていたら、桜子さんは溜息をついた。
「ええ、でしょうね。ですがあまり猶予は与えられません。あなた方は仲春さんから前にどれだけ体液をいただいたのかは存じ上げませんが、先祖返りの暴走に当たった際に、あなた方もその衝動に引き摺られることがあるでしょう。そのとき、絶対に私と式神契約するか、私の体液をいただくかの選択が迫られることとなります。それに……」
一旦桜子さんが言葉を切った。
「……私も陰陽寮に、守人と守護神が逃亡したことを伝えなければなりませんから。それに、結界修復の代替案がなければ、衣更市は殲滅。人ひとり逃げられぬようにする他、なくなりますから」
それに私たちは凍り付いた。
……そうだ、『恋獄エンド』は、仲春くんと照日さん以外誰ひとりとして幸せになんかならない。
私たちは覚醒した先祖返りとして陰陽寮から射殺され、この地に溢れかえっている先祖返りたちは陰陽寮の号令の元、殲滅される……。
マスコミは情報操作の末、この土地は異常気象により発生した原因不明のウイルスにより全滅。この地にはしばらくの間封鎖のニュースが流されるのを、『恋獄エンド』のエピローグで文章のみで表示される。
ふたりが衣更市から離れた場所で静かに暮らし、いつか封鎖が解けたら墓参りしようで締められるエンドなんだから、ふたりが陰陽寮から逃げ切ったこと以外一切わからないから、プレイヤーである私もどうなるのかが読めないんだ。
桜子さんが立ち上がったとき、私は「さ、桜子さん!」と立ち上がった。
「あの……私も陰陽寮の方の元に報告に行くの、付き合ってもいいですか!?」
それに桜子さんは二度目の驚いた顔をする。
みもざからしてみれば、桜子さんは堂々としていて、自分の役割を全うしている大人で……いじめられっ子で、先祖返りの力がなかったら保健室の関係者以外とはまともに交流できない彼女からしてみればなりたい自分であり、妬ましくってずっと嫉妬の念を向けていた相手だ。それが自ら心を押し殺して提案してきたら、驚きたくもなるだろう。
「あの、みもざちゃん。大丈夫……?」
私の性格をよくわかっている風花ちゃんが、心配そうに声を上げてきた。それにはうらら先生も立ち上がって言う。
「こういうのは、保護者の責任じゃないかい? 私だって行くよ。勝手に私たちの殺戮処分を決められて、なんの抵抗もできないまま殺されるのなんてまっぴらだよ」
「陰陽寮もそこまで非道ではありません……ですが、上官に会わせるとなったら、ひとりまででお願いします……全員で殲滅を待って欲しいと訴えるには、あなた方の力は強過ぎて、陰陽寮を警戒させかねません」
それは桜子さんの意見ももっともだ。
私は……日頃から照日さんに渡された刀、神通刀を提げている。刀を使った戦闘では、先祖返りの誰よりも強いと自負している……弱虫のみもざは、戦うことでしか周りに貢献できないと思い詰めていたから、戦闘嫌いの戦闘狂に磨きがかかってしまっていた。
風花ちゃんは人魚の血での回復能力に長けるものの、戦闘能力は持っておらず、仲春くんと一緒に照日さんから弓矢の稽古を付けてもらい、今では後方からの弓矢の腕で私たちのサポートをしてくれるまでになっていた。
うらら先生は九尾の狐の力により、神通力……和風な言い方だけれど、要は魔法だ……に長け、火柱を上げたり、隕石を降らせたりと、ちょっと強過ぎるんじゃないかという力を使いこなせるようになっていた。
そんな私たちが押しかけてきたら「死にたくないから派遣されている陰陽寮の陰陽師を殲滅に来た」と勘違いされてもおかしくはない。
私は「うらら先生、引いてください」と訴えた。
「しかし……雪消、あんたは大丈夫なのかい?」
「心配してくださりありがとうございます。ですが、うらら先生の持つ神通力が原因で、警戒心を解いてくれないかもしれませんから。風花ちゃんは先生と待っていてください」
「だけど……みもざちゃん」
「大丈夫、私も刀を桜子さんに預けますから。刀を預けてたら、なんとなく仲良しっぽく見えるじゃないですか」
ふたりにさんざん心配かけたけれど、私は一刻も早く陰陽寮の人たちに接触して、殲滅作戦を待ってもらわなかったら、私たちもこの町の人たちも皆心配かけちゃうと思ったら、早く出発したかった。
桜子さんは溜息をついた。
「……わかりました。みもざさんは私がたしかにお預かりしますね。それではみもざさん、行きましょう」
「は、はい……!」
こうして私たちは、仲春邸を出て行った。
****
普段だったらまだ朝靄の時間で、ゲーム越しにはこの洗練された風景を楽しむことができるんだけれど。
シンプルな町並。過去と現在が混濁した町。朝は臓腑から冷え込みそうなほどに寒く、引っ掛けてきたコートを上から強く押さえつけた。
「……本当に、仲春さんがいなくなって、あなたは変わりましたね」
私の刀を重そうに持ちながら、桜子さんは溜息をついた。彼女は陰陽師であり、本来は符術で戦うもんだから、こんな物騒なものを持ち歩かない。
刀もそのまんま持っていたら銃刀法違反で捕まってしまうから、風呂敷にくるんできつく縛っている。
桜子さんからしてみれば、普段から私と同じく気弱な風花ちゃんにくっついてばかりで、まともにコミュニケーションを取ろうとしなかったみもざを知っているから、他の皆より冷静な立場な分、困惑もひとしおなんだろう。
……でもね、みもざは本当に気弱だったから、好きな人が自分以外の人とラブシーン演じているのに耐えきれなくなって、精神的に死んじゃったんだよ。だから前世社会人だった私の意識がまろび出てこられた訳で。
「……死にたくね、ないんですよ」
私はぽつんと言ってみる。
前世の私はどうして死んでしまったのか、思い出せない。前世していたゲームの記憶しかろくにないもんだから、きっとろくな死に方はしなかったんだと思う。
「私、やっとやり直せると思ったんです。今までもちゃんとできた試しはありませんでした。でも、全部終わったら今度こそ、普通の女の子として、人生やり直したかったんです。でも死んじゃったら、もうやり直せないじゃないですか」
みもざは攻略対象中、一番初めに先祖返りの症状が見えた。
なにかの拍子に、突然凶暴化してしまうんだ。あれだけ大人しい少女だったのに。幼稚園で意地悪してきた子を病院送りにしてしまい、家族からもいじめっ子の家族からも批難されまくった末に、人と関わるのが怖くなってしまい、ほとんど引きこもり同然になってしまった。
だからこそ、彼女は保健室という狭い空間しか居場所がなかったんだ。
……前世の私は、そんなあまりに寂しい生き方しか選べなかった彼女には、今度こそ幸せになって欲しかったし、その選択肢を怖いからという理由で奪ってしまうことが、正しいとはとてもじゃないけど思えなかった。
私の言葉を、桜子さんは黙って聞いていた。
彼女は彼女で、陰陽師は本来男性しかなれない中、一部の女性も受け入れる流派で学んで陰陽師になった人だ。彼女からしてみれば、みもざは甘えた性格に見えてしまうかもしれない。自分にも相手にも正しさを求める人だから。
ただ、正しいだけが、正しくはないと、知って欲しい。
「……そうなんですね。それでは、この坂を登った先です。うちの上司が潜伏しているのは」
「は、はい!」
彼女がどう思ったのかはわからないけれど、私たちは彼女の上司に会いに行くのだ。
……その人はゲームには出てなかったと思うから、どんな人なんだろうと、少しだけ不安に思った。
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