負けヒロインはくじけない
石田空
メインヒロイン以外は皆地獄
気付いたとき、襖の向こうで荒い息遣いを耳にした。
粘った水音もそれに連なり、私の頭がグワングワンとなる。
……よりによって、今思い出さなくってもいいじゃない。目尻からジワリと涙が込み上げてきた。嗚咽を歯を食いしばって堪える。
音が聞こえないように、急いでこの場を離れないと。
私たちは──捨てられたんだから。
前世、私は普通のゲーム大好き社会人だった。
ゲームだったら面白ければノベルゲームだろうがアクションゲームだろうが、RPG、シューティングまでなんでもやっていた。パソコンは当然ながらゲーミングパソコンで、高スペックでなんでもかんでもダウンロードしていた。
その中で、ゲーマー友達から「面白いよ」と勧められたゲームが、『
伝奇テイストのノベルゲームで、エログロをこれでもかと醸し出したゲームだった。大まかなカテゴリーはギャルゲーで、女子を攻略していくゲームなんだけれど、その作り込まれた世界観や設定は、男性だけでなく女性もとりこにしていた。
ざっくりとあらすじを言ってしまうと、このゲームは異形の血を引く人ばかりが集まっている
主人公の衣更市で代々退魔師を務めている
そのメインヒロインである照日さんが助かるルートは、たったひとつしかなく。そのルートを選択したら最後、衣更市の先祖返りによる騒動は止まらないという筋書きになっている。
物語の終盤で、市内には結界が張り巡らされていて、その結界を修復したら先祖返りたちの暴走は治まると判明するのだけれど、その代わり照日さんは永遠の眠りについて、次に結界の綻びが生じるまで目を覚まさないのだ。
……早い話、メインヒロインである照日さんと共に人生を歩むルート……ファン内ではそのルートは『恋獄ルート』と呼ばれている……を選んでしまったら最後、先祖返りになってしまった他のヒロインたちが元の普通の女の子に戻ることができなくなってしまうのだ。
そしてもう、最後のスチルである、『全てを捨ててでも君だけを選ぶ』スチル取得が終わり、仲春くんと照日さんの熱いラブシーン中に遭遇してしまい、もうどうすることもできないと知ってしまったのだ。
私はよろよろと廊下を歩いて行った。
……もし、他のルートだったら、最後の結界修復のために、仲春くん家に集まって皆でお泊まり会をしていたのだけれど、
今からふたりが駆け落ちするっていうのを、どうやって説明しよう。
私は仲春くんたちの部屋からだいぶ離れたところで、とうとう座り込んで泣き出してしまった。
私……
仲春くんのことが、好きだったんだ……。
前世を思い出し、彼がこれから自分たちのことを捨てると思い知った今でも、彼のことを嫌いになりきれないでいる。
****
衣更市は、元々はM県に存在している、前世の日本には存在していなかった架空の土地だ。
冬は四方を雪に囲まれて厳しいところだけれど、春になったら衣更城の城庭が開放されて桜の花見で賑わい、夏になったら七夕であちこちと浮き足立つ。
そんな衣更市も、『破滅の恋獄』の平安時代では流刑地として使われていた。
京にはびこる鬼や妖怪、異形の者を当時の退魔師たちが捕らえても、当時の法には死刑というものが存在していなかった。さりとて京の都を荒らされる訳にもいかず、北の地に流されてきたのだ。
しかしそんな場所で、京の転覆を謀られてもかなわないからと、その流刑地には異形の血を抑え込む結界が張り巡らされ、その血の管理者として、代々退魔師が送られていた。
平安から鎌倉、室町、戦国を経て江戸。
時代が移り変わると共に、異形の血も少しずつ薄まってきたが、なにかの拍子に結界に綻びが生じると、人は突然姿を化け物に変え、無辜の人々を襲いはじめる。
そのたびに結界の綻びを修復し、先祖返りたちを正気に戻さないといけなかったのだけれど……。
今回、『恋獄ルート』に入ったばかりに、結界の綻びを修復してくれる照日さんも、結界の守人であり、この地に住まう退魔師だった仲春くんも、もういない。
ちなみに、この地は普通に代々、京に……時代を超えて東京に、監視されている。
守人も守護神もいなくなってしまった土地を、そのまんま放置してくれる訳なんてないのだ。
「……仲春くんが、照日さんと逃げ出したの?」
顔を青褪めさせているのは、私の数少ない友達の
その彼女がポロンポロンと涙を溢す。
彼女が泣き出すのに、私はおろおろとする。
「……泣かないで、風花ちゃん。私だって泣きたいけど……」
もう既に押し殺して泣いたところだ。今は皆のフォローをしないといけないからと、私は必死で歯を食いしばっている中、「参ったねえ……」と漏れ聞こえた声が響く。
日本人離れした金髪碧眼の美女は、分厚い黒縁メガネと夜会巻きの髪でまとめているため、野暮ったく見えるが、とっくりセーターの上に白衣を着てもなお、色香だけは漏れ出てしまっている。
彼女は
私や風花ちゃんが昔から暴走こそしないものの、先祖返りの兆候が少しずつ漏れ出ていて、保健室以外に学校では居場所がなく、そのせいでうらら先生以外に信頼できる大人がいなかった。
……仲春くんは、元々保健委員だったがために、私たちとは知り合いだったんだ。
「このままだったら、この町は陰陽寮により殲滅されるんだろう?」
そううらら先生が振り返った先には、黒い長髪美人が正座していた。
凜とした眼差しで、白衣に緋袴がよく似合う和風美人であり、私たちの学校には教育実習生として派遣されてきていた。そして彼女は……東京に存在している陰陽寮から結界の綻びを察知して派遣された陰陽師だ。
彼女、
硬い表情のまま、桜子さんは頷いた。
「……はい、もし守護神照日が、契約している守人仲春
彼女は袴の上で握った拳を、プルプルと震わせていた。
……そうなんだ。この『恋獄ルート』が最悪なのは、メインヒロインである照日さん以外が全員見捨てられて、殲滅対象に入れられるだけではない。
私たちがどうして先祖返りであり、異形の血を使って戦えるのかというと、異形の血に目覚めても正気を失っていないからに他ならない。
私たちが正気を保っていられたのは、仲春くんから、体液をもらっていたからだ。
体液であったら、血だろうが唾液だろうが……それこそ精液だろうが……なんでもいい。私たちは彼から少しずつ体液をもらうことで、どうにか正気を保っていられたけれど、その正気を保つ供給源が、ふたりが駆け落ちしてしまったことで断たれてしまったんだ。
もしこれが本来の雪消みもざであったら、親友の風花ちゃんと一緒に泣きながら震えて、この町最後の時を迎えていただろうけれど……。
私の前世はゲーマーであり、好きな人が寝取られた事実で自我を失ってしまったみもざも、ここで震えている先祖返りも……それこそ結界の綻びのせいで化け物化してしまった人たちも、震えながら毎日を送っている人たちも、皆無残に消えてしまうのを放っておくことはできない。
というより、一度死んでしまったのに、目が覚めたらなにもしてないのに死ぬ一歩手前なんて、勘弁して欲し過ぎる。
「……桜子さんの力で、なんとかならないんですか?」
「私の力……ですか?」
桜子さんは、うらら先生だったらいざ知らず、私に詰問されるとは思ってもみなかったようで、綺麗な釣り目をパチクリとさせた。
みもざは本来、大人しい性格で泣いてばかりだったけれど、先祖返りの力に目覚めてからは、毎日が楽しそうだった。
……彼女はちょっとやそっとの力では死なないし、暴力が好きだし、その自分自身の暴力性が、この場所だと正当評価される事実に喜んでは……毎日めそめそ泣いていた。彼女は戦闘嫌いな戦闘狂という、本質と気質がおそろしいほどに噛み合ってない、鬼の先祖返りだった。
そのせいなのか、陰陽師の桜子さんとは相性がなぜかとことん悪く、彼女とは細かいいざこざばかりを積み重ねていた。
ただ、桜子さんであったら、まだ衣更市に出向してきている他の陰陽師たちを説き伏せたり、陰陽寮に待ったをかける手はずがあるように思える。
思い出せ、私。前世の大人力を。
みもざはうじうじめそめそしていても、前世の私は好き嫌いを押し殺してでも好きなもののためには戦える社会人だったはずだ。
桜子さんは少し考える素振りを見せる。
「……この地に出向している上司に進言することは可能ですが、結界の修復なくして、先祖返りの暴走を鎮めることはできません。ですが、仲春さんなしで、あなた方の暴走を鎮める手段はあります」
桜子さんは自分に言い聞かせるようにして、そう伝える。
……仕事人間な彼女からしてみても、仲春くんと照日さんの駆け落ちは寝耳に水過ぎたんだろう。彼女だって攻略対象のひとりだし、仲春くんをとても信頼していたから。
「ひとつ、仲春さんほど強くはありませんが、私の体液にも異形の血を抑える力はあります……ただ、平安時代から溜め込んだ仲春さんほどの退魔の血ではないことは、あらかじめ了承してください」
それには、風花ちゃんもうらら先生も、なんとも言えずに申し訳なさそうな顔をした。
最初は仲春くんも、私たちに体液を分けようと毎度毎度わざわざ手を切って血をくれたものの、あまりに痛そうで申し訳がなくなり、最終的にディープキスで体液をもらっていたのだから、それを桜子さんにさせるべきか躊躇っていたのだ。
……いくら男性向け伝奇ゲームとはいえど、私たちもやっていいことと悪いことの区別は付いているはずだ。多分。
「もうひとつは……これはあなた方の人権を奪ってしまうおそれがあるため、この方法は仲春さんも取らなかったはずですが、私は指を切らずとも、口付けをせずに済みます」
それに私たちは「えっ」と声を上げた。
仲春くんの体液を取らないといけないとばかり思っていたから、私たちの中ではディープキス自体はそこまで問題ではなくなってしまっていた……いや、問題は大ありなんだけれど。
もしそうなった場合、仲春くんだって痛くなかっただろうに。
そう思ったものの、桜子さんはなぜか苦痛に歪んだ表情をしてみせた。
彼女がそこまでやりたがらない方法なんだろうか。
「……式神として、私と契約する方法です。ただ、一度式神契約をしてしまった場合、あなた方をもう二度と、普通の人間としては扱えなくなってしまいます。どうなさいますか?」
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