#6 これで、決める

 店長がいる事務所へ行ったマドカを見送り、俺は一人寂しくバックヤードへ向かった。


「ここか」


 俺はなるべく店内に声が届かない位置に立った。姿勢を正し、口を開ける。


「いらっしゃいませ! なんか違うな。イラッシャイマセ! これも違う」


 あまりにも大きな声だと、お客様が不快に思うかもしれない。小さい声でも駄目だ。ここはハッキリと印象に残りやすい挨拶を心がけるべきだ。うん。それが良いだろう。


「イラッシャ・イマ・セイッ! うん、これだ」

「そんな挨拶があるか! たわけ!」

「うわぁ!」


 ふと横を見ると、女の子が一人立っていた。え? え? 怖いなぁ、もう。バックヤードの幽霊か? 過労で亡くなったアルバイトの方ですか?


「そんなわけあるか!」


 どうやら考えていることはお見通しのようだ。それは、それで怖い。マドカと同じように、他者の考えを読み取れる人間なのだろうか。


「挨拶というものは――イラッ・シャイ・マセェッ! こうやるのだ」

「お、おお?」


 なんだろう。俺の挨拶と大して違いがないような気がするが、彼女の挨拶には重みがある。それだけは紛れもない事実だ。コンビニ店員としての、格が、違う。


 彼女は尊敬に値する人間だ。それは間違いない。


 しかし、それ以前に確認しなければならないことがある。


「それで、あの――どちら様でしょうか?」


 俺は素朴な疑問を口にした。気が付いたら、口が勝手に言葉を紡いでいた。最初に感じた恐怖や次に感じた尊敬、そのような感情を吹き飛ばして、今、俺の中には興味という感情だけが残っている。彼女が何者なのか知りたい、その興味だけが残ったのである。


「よくぞ聞いてくれた!」


 彼女は背中のマントを翻すと、床に置いてあった酒瓶のケースの上に立った。口端をニヤリと歪ませ、小さな八重歯を覗かせながら、高らかに宣言する。


「我が名はエミリー! 《コンキスタ・エミリー》! 秘密結社、《ワールド・イズ・マイン》の首領にして、征服王の称号を持つ者なり!」


 前髪に付いている王冠の髪留めがキラリと輝き終わった後、刹那の静寂が訪れる。


 何故コンビニの制服にマントが付いているのか、何故わざわざ酒瓶のケースの上に立っているのか――様々な疑問が俺を支配する中、一つだけ確信を持てる答えを手に入れた。


「お、おぉ?」


 こいつは――こいつは危険人物だ。日常生活を送る上で絶対に遭遇してはいけない存在。俺の目の前に、今、そのような人間が立っている。このままでは間違いなく俺の日常が文字通り征服されてしまう。支配されてしまう。逃げ――逃げなければならない。


 しかし、俺は後退することができなかった。それどころか、足は前へ進んでいた。


 彼女に、惹かれているのだ。もう、全てが遅かった。既に俺は、彼女に征服されている。


「今の世界がキライ、なのだろう? なら掌握して、我々のモノにしてしまえば良い」


 頭が理解できなくても、俺という存在そのものが、彼女の存在を理解してしまった。理解することを強制された。それだけの力を、彼女は所持している。


「それは、世界を征服するということか?」

「なんだ。話が早いではないか!」


 フフン、と何故か得意げに胸を張る彼女を他所に、俺は話を続ける。


「ならば何故、コンビニ店員として働いている? 素直に政治家や革命家、テロリストにでもなってしまえば、世界を変えられるかもしれないのに」

「そんなやり方では、世界を征服したとは言えん! それらは力で民衆を従わせているだけだ! 我は力だけではなく、日常に溶け込み、皆の常識となることを望む!」

「新たな常識を生むということは、世界を塗り替えることと同義であると?」

「いかにも! いかにも、なのだ!」

「だから、皆の当たり前になるために、コンビニ業界から征服しようとしているのか?」

「わかってくれるのか!」


 彼女は日常のシンギュラリティを目指している。


 力で従わせるのではなく、力はあくまで手段であり、力そのものだけでは世界征服は成し遂げられないと、本気で考えているのだ。そんなことよりも、彼女は民衆の新たな常識となることを望み、文字通りの『当たり前』を創造しようとしているのだ。


「それで、コンビニか」


 コンビニエンスストアは、いくつもの『当たり前』が存在する場所だ。例えば二十四時間営業。例えばホットスナック、中華まんじゅう。更にコーヒーマシン。コピー機や宅配便の受付。チケットの購入。ワイワイと賑やかな子どもたち。新聞を買う老人。タバコを買う会社員――コンビニは世界の縮図なのかもしれない。


 その縮図をまずは征服し、彼女は世界を掌握しようとしている。コンビニ店員として。


「今やコンビニは、いつでもどこでも存在することが当たり前だ。だから秘密結社として活動するためには、その当たり前に溶け込める店員という名の舞台装置になる必要がある」

「その通り、なのだ!」


 同じだ。俺と、彼女は同じなのだ。


 俺と同列に扱うことは、彼女に対して失礼だろう。しかし、俺は彼女に対してシンパシーを得てしまった。彼女が目指すコンビニ店員としての世界征服。当たり前の創造。それらは俺の執筆活動に通ずるモノがあると感じたからである。


 本――物語だって、今やそこにあることが当たり前の存在だ。その当たり前を生み出そうと、頭を捻っている俺は、まさに世界征服の片棒を担いでいるに等しいだろう。


 考えすぎかもしれない。しかし、今更この考えを払拭する気にもならない。


 俺はこの世界がキライだ。キライだからこそ、新たなる当たり前を生み出し、世界を都合の良い解釈で染め上げる。それを俺は世界征服と呼びたい。今、決めた。


「俺を、入れてくれ。お前の秘密結社に」

「もちろんだ! えっと――」

「瀬分重壱だ」

「ならばジューイチ! 貴様に《イレヴン・レイヴン》のコードネームを与えよう!」


 こうして俺は、秘密結社の一員となった。


 何だかトンデモナイことに片足を突っ込んでしまった気がするが、現状を打破する良いきっかけになったことは事実だ。ここは素直に新たなる自分を祝福しよう。


 ワールド・イズ・マイン――世界が嫌い、世界が機雷、世界は私のモノ。キライだからこそ、自分のモノにしてしまえ。彼女らしい世界征服のポリシーだと俺は思う。


 真戸笑理――《コンキスタ・エミリー》。学校で有名な問題児の新入生。しかし彼女の存在はいずれ世界の当たり前となっていくのだろう。


 ならば、見届けよう。コンビニ・コンキスタドールの行く末を。それが俺にとっても、世界征服に繋がると信じて、この小さなコンビニから全てを始めるのだ。


「えっと、ジューイチ? その、モノローグはどうにかならんのか?」

「気のせいだ」

「え? いや、でも――」

「幻聴だ」

「埼玉県さいたま市は?」

「県庁所在地――否、幻聴所在地だ!」


 どうだ。俺の、渾身のギャグは――滑ってもただでは転ばない、笑いのトリプルアクセル。さぞかし面白いだろう? そうだろう、そうだろう。県庁と幻聴を掛けた高度なギャグ。笑わずにはいられないだろう。こう見えて言葉遊びが好きなのだ。小説家だもの。


「ジューイチ、貴様。もしかして危ない人なのか?」


 そんなわけ――なかろうか。否、中廊下。


「ここはバックヤードであって、中廊下ではないぞ?」

「何故、俺が考えていることがわかる?」

「だって貴様、さっきからベラベラ喋っているのだ。その、独り言」

「マジ? デジ? アグネスデジタル?」

「マジでマチカネタンホイザ」

「くぅ~、そう返して来たか! 強者だな!」


 エミリーからのギャグのお返しに、俺が感極まっていると彼女が恐る恐る口を開いた。


 これから尋ねにくいことを尋ねる前のような、何かを恐れる表情で――


「あ、あのジューイチ。失礼を承知で申すが、貴様、友人とかいるのか?」


 エミリーは爆弾を投げてきた。


「マドカ」


 俺はすぐにその投球を打ち返す。どうだ、このホームランは!


「ああ、うん。仲が良いからこそ、我が店舗に勧誘されたのだろう。それで――」


 俺が会話のベースボールで盛り上がっていると、彼女はすかさず――


「マドカ以外に、友人はいるのか?」


 畜生! 変化球は対策していな――ぐげぇっ!


「マドカイガイニ、ユージン?」


 それはデッドボールであった。塁には出られるが、激痛に襲われた俺は走ることができない。代走を用意しようにも、俺には仲間がいなかった。そう、友人という仲間が。


「よく聞いてくれ、エミリー。小説家は物語の創造主。孤独なる世界の紡ぎ手なのだ」

「それが?」

「だから、その、えっと、えっと――ジュリエット!」


 俺は何を言っているのだろう。


「ジューイチ、さぞかし辛かっただろう。大丈夫だ、これからは仲間がいるぞ」


 やめ、やめろ! そんな目で俺を見るな。その慈愛に満ちた顔は、俺に効く!


「よし、よし、なのだ」


 違う! 俺は親の借金生活によって、度重なる転校を余儀なくされていたから、友人がいないだけだ! 借金生活以前はそれなりにいたぞ! えっ、えっと。ほら、アレだよ! そう! 近所に住んでいた、ちょっと年上の幼馴染とか! くぅ~、眼鏡属性最高!


 フェル姉、元気かな。


「フェル姉?」

「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」

「ああ――きっと、また会えるといいな、ジューイチ」

「え?」

「さあ、レジに戻るぞ! 挨拶の練習は次で最後にしよう!」


 そうだ、挨拶の練習をしていたのだった。かなり大規模な脱線事故を起こしてしまったことを悔やんでいる暇はない。早急に練習を終え、レジに戻ろう。


 今頃、防犯カメラを見ているマドカがお怒りのはずだ。


「これで、決める」


 俺は定位置に着くと、姿勢を正し、一旦深呼吸をした。


「イラッシャ・イマ・セイッ!」

「違うのだ! イラッ・シャイ・マセェッ! だ!」

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