コーヒーの味
終業時間になりオフィスが俄かに活気を取り戻し始める。
学生の頃も放課後になるとはしゃいでたが、大人になっても同じことやってるってのはちょっと面白いよな。
それぞれ予定があるのだろう。帰り支度を始めた部下たちをよそに俺は煙草とライターを手にオフィスを出る。
途中、自販機で甘ったるいコーヒーを買って屋上へ。
「おや、佐藤くんじゃあないか」
「どもっす」
先客が居た。社長だ。
煙草を咥え火を点けようとしている社長に軽く挨拶をして俺も隣に並ぶ。
柵にもたれかかりオフィス街を見下ろす。俺はこの時間のこの光景が妙に好きなのだ。
昼間は別に何も思わないんだが夕刻から夜の時間帯のオフィス街とそこを歩く人を見るのが好き。
シャバに出たばかりの囚人のような晴れ晴れとした顔の人も居れば、まだ仕事があるのかぐったりしてる人も居る。
見てて飽きないんだよな。繁忙期や用事がある時以外は大体、これを見てから帰るのが俺の日課だ。
「ねえねえ佐藤くぅん」
「何です?」
「ちょっと相談があるんだけど」
「はあ」
「実は僕さぁ、昨日娘と喧嘩しちゃってねえ」
ほうほう、娘さんと。
確かぁ、今は高校二年生だっけシャッチョの娘さん。小さい頃は会社のBBQやら忘年会新年会に来てたっけか。
小学校卒業したあたりから恥ずかしくなったのか顔出さなくなったけど奥さんそっくりで可愛い子だった記憶がある。
俺も顔出してる時は毎年お年玉あげてたっけな。おじさんありがとー! ってほっぺにチューとかされたわ。可愛かったなぁ。
「具体的な内容はプライベートなことだから伏せるけど。お父さん、みっともないって言われてねえ」
「ははぁ」
「おいおい佐藤くん。人と話す時は目を見なきゃダメだぜ? ちょっと視線ずれてるよ」
「ずれてるってかずらしてるってか」
「何を言ってるかまったくわかんないね! 僕ぁ心配だよ。君、営業部のボスだよボス~そんな調子で大丈夫~?」
「まあはい。社長のそれよりゃ問題ないかなって」
「何だいそれって。まるで意味が分からないな!!」
まあね、娘さんの年頃からすれば恥ずかしいよなぁ。
俺もガキの頃思ったもん。ヅラの奴、いっそ開き直って完全にスキンヘッドにしちまえよって。
中途半端なすだれだったり、ヅラ被ってまで隠すのは逆に恥ずかしいじゃんってさ。
でもね、違うんだよ。密かに危機感を覚え始めた今だから分かる。
(何で育毛剤が売れてるのかっつー話よ)
諦められねえんだ。ふさふさだった頃の自分を。
僅かに残ったそれすら手放しちまったら、もう二度と取り戻せない気がして怖いんだ。
だから手放せないし、在りし日の幻想に縋りたくて嘘を吐いちまう。
まあこのオッサンの場合は一度恥かいてからはコミュニケーションツールとして使ってる節があるけどな。
芸人の振りみてえなもんだ。今のやり取りも相談の名を借りた駄弁りっぽいし。
「シャッチョの娘さんは真っ直ぐな良い子ですね」
「何だい何だい急に。いやまあ、僕の娘が良い子なのはその通りだがね? 見え透いたお世辞言われても嬉しくないぞぉ?」
「だって見るに堪えない真実にも目を逸らさず立ち向かっていくんですから」
「何かおかしくねえか?」
「まあ確かに拭えませんよね、不自然さ」
「そうじゃなくて」
煙草を一本吸い終わるまで漫才じみたやり取りをして満足したのだろう。
社長は話題を切り上げ満足げにミルクティーを飲み始めた。
やっぱ相談の名を借りた駄弁りだったわ。
「……社長」
「うん?」
「ちょっと、聞いてほしい話がありまして」
「ほうほう。言ってごらんよ。僕ぁ、こう見えて五反田の父と呼ばれたこともあるぐらい悩み相談には長けてるのさ」
五反田ってまた微妙なチョイス……そして懐かしいネタ……。
まあええわ。
「社長の同級生にもやっぱり子持ちの人、居ますよね?」
「そうだねえ。高校の同期は大体結婚してて半分ぐらいは子持ちだよ」
「その人らと今でも継続的に付き合ってたりします?」
「うん。東京に居る奴らとは家族ぐるみで付き合いがあったりするよ」
なるほど。
「高校時代、淡い想いを抱いてた子が所帯持ってるのは……嬉しくもあり切なくもあり……」
「……へえ。気になってた人に子供が居たんですか」
他人事とは思えねえな。
まあ社長の方は家庭あるから引きずってないみたいだけど……泣ける。
「ああ、女の子でさ。うちの子と同じぐらいなんだが……写真見せてもらったんだがこれがまたそっくりでねえ」
青い春を思い出したよとシャッチョは笑う。
相談してるの俺なのに滅茶苦茶刺さってるんですけど?
黒ひげやってるんじゃねーぞってぐれえ俺のハートにグサグサ刃が突き立てられてるんですけど?
「っと、すまないね僕の話ばっかり。続けておくれよ」
「ちなみにその娘さんと直接の面識は?」
「ないね。彼女は地元に残ってるし」
「……例えばの話、なんですけど」
「うんうん」
「その人の娘さんが」
「娘さんが?」
「…………社長にパパ活的な誘いをかけてきたら、どうします?」
「――――」
社長は絶句していた。口の端からミルクティーがぽたぽたと垂れてる。
「……まあ、パパなアレつっても食事奢らせるとかその程度のラインです」
「……」
「例えばの話ですよ?」
「う、うん……例えばの、例えばの話だよね……わ、わわ分かってるさ」
これは……察してるな。
空気読めねえ奴が会社なんぞ興せるかっつー話よ。
滅茶苦茶キョドってるシャッチョを見るのは大変心苦しいが、相談出来る年長者つったらシャッチョかママぐらいなんだもん。
ママにもどっかで相談しようとは思ってるが、切り口は複数あった方が良い。
生々しく想像出来る立場に居る社長なら尚更だ。
「気になってたあの子に、言えます?」
「そ、それは……ちょっと、あの……難しいっていうか……いや大人としてはだね……」
「ええ」
「うん……」
そこで会話は途切れた。
「「……」」
気まずい沈黙だ。何だここは地獄か?
今のこの状況と比べればハデスに絡まれて臭い息吐かれてるのさえ極楽に思えるぜ……。
「……何か、すいません」
まあうん、これは俺が悪い。社長に非は一切ない。
「……いや……僕の方こそ力になれずごめんよ……」
俺は無言で温くなったコーヒーを口の中に流し込んだ。
胸やけするぐらいクッソ甘いはずのコーヒーなのになぁ。
(やけに苦いぜ……)
俺は心で泣いた。
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