怪談ライター・夜深のおたずね奇譚

鳥谷綾斗(とやあやと)

授かる部屋①

 夜が深まると書いて『夜深やみ』。

 そんな、「どこの厨二病JCやねん」とツッコみたくなるペンネームで、私は怪談ライターを始めた。


 今日は記念すべき初取材。

 知人のツテとコネをフル活用して、某市の高級住宅街を訪れた。

 広大な家が並ぶ中で、ひときわ瀟洒な豪邸。お話を伺う竹中たけなか聖子せいこさん(仮名)のお宅である。

 時間ちょうどにインターホンを押すと、聖子さんご本人が応対して、家の中に招かれた。


(でかっ、広っ、白っ)

 うちの実家よりも広い玄関に入り、リビングに通された。

 チリひとつない、白を基調とした上品なインテリア。洗練された清潔感にすっかり萎縮してしまう。


「どうぞお座りになって。お茶を淹れてきますので」


 聖子さんは穏やかに革張りのソファを示した。ドキドキしながら腰掛けようとしたら、ベタッ、と手のひらに何かがくっついた。

 それが溶けかけたキャンディだと気づくと、緊張が一気にほぐれた。

 三十畳はあるだろうリビングの隅、うららかな春の陽射しが差し込む掃き出し窓の近くにカラフルなジョイントマットが敷いてある。うつ伏せで転がるクマのぬいぐるみ、乱雑に散らかったブロック、子ども用のおもちゃスペースだ。

 そして、この匂い。ちょっとすっぱい感じの、懐かしい、小さな子ども特有の匂い――


 ……タタッ


 ふいに耳に届いた、小さくて軽い足音。子どもが家の中を走り回る音だ。

 この足音もこの匂いも、私にとっては馴染み深いものだ。六人きょうだいの末っ子で、結婚した兄姉が次々と出産し、ほぼ毎年甥っ子や姪っ子が生まれるような環境で育ったので。


 取材のメモを書き留めるノートを開く。

 知人の話によると、聖子さんは現在四十五歳。五年前にご主人を亡くされ、今は幼いお子さんと二人暮らし。あとは通いの家政婦さんがいるらしい。

 家に漂う匂いも、キャンディの味に飽きた子どもがその辺に吐き出すのも、おもちゃが散らばっているのも、

(どこも一緒なんだな〜……)

 変な話、親近感がわいた。緊張も抜け落ちていた。


 ティッシュでベタベタのキャンディを拾い、手を拭いていると、お茶を用意した聖子さんが戻ってきた。キャンディのことを話したら丁重にお詫びされた。


 聖子さんは、とても上品な、現代の貴婦人といった印象の女性だった。

 仕立ての良い洋服が嫌味にならず、まとう空気はひたすら穏やかで、怪談を求めて家に上がり込むという冷静に考えればそこそこ変人な私に微笑を向けてくれた。

 幸せそうで、甘やかな、微笑み——おっと、うっかり見惚れてしまった。


 お茶をいただいて、閑話休題。

 怪談を、おたずねします。


「それで、どういった内容の怪談なのでしょうか?」

 ノートとレコーダーをセットして、私は口火を切った。

「あるマンションの一室のことです」

「マンション?」


 いきなり当たりだ。

 家に関する怪談。キャッチーな分類をするならば事故物件もの。

 これぞ私が探していたもの。胸の中でガッツポーズをとる。


「でも、人が亡くなったという話ではありませんの。むしろ逆と言いますか」

「逆?」


 どういうことだろう。

 疑問をぶつける暇もないまま、聖子さんがおっとりと、実に優雅な口調で語り出した。

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