ホテル・メモワール

kisui

夢か現か

「美味しかった〜最高じゃん、今の私たち」

コース料理のメイン、牛肉の赤ワイン煮込みの大人な美味しさに感動しきった僕らは、デザートを味わいながら、一日を振り返っていた。

「連れてきてくれてありがとう。ほんと、素敵な一周年」

「そうだね」僕は静かにうなずく。


偶然同じサークルに入った僕らは不思議と気が合って、気づけばいつの間に、付き合うことになっていた。一年生のクリスマスの話だ。そして僕らは進級して、成人したりして、すっかり大人になった気でいた。

「あ、そうそう」

タイミングを見計らっていた僕は、平静を装いながら呟く。

「何?」

「これ。クリスマスプレゼント」白い手さげ袋の中に、小さな箱がのぞく。

「え!嬉しい!あけていい?」

「うん」

「え、かわいい。これ自分で選んでくれたの?」

彼女の掌に、白い三日月のイヤリングが舞い降りてゆく。

「全然わかんないなりにがんばったよ」

「航くん、おしゃれじゃないもんねえ、えらいえらい」

「わたる」という僕の名前を、彼女は子猫を撫でるように口にした。

「うるさい!」

そう言って僕らは、目を見合わせて笑った。彼女は俯いて、ため息をつくように、「ありがとう」と言った。息の混じる、優しい声だった。その吐息の柔らかさに、ずっと包まれていたいと思った。


「私もあるよ。はい、これ」

手渡された黒い袋を覗くと、小さな木箱が入っていた。

「あけていい?」

「もちろん」

「時計?」

「十二時の下、ちょっと見てみて」

「あれ、なんか月が出てる」小さな窓からのぞく三日月。

「これね、すごいの。今日の月がどんな形か教えてくれるんだって」

「すご、ほんとだ」

レストランの窓から遠い空を望むと、確かに三日月が静かに佇んでいた。

「てか、さーちゃんってさ。ロマンチストだよね」

「ばれた?でもさ、航くんもそうじゃん」

「どして?」

「だってこのイヤリングも、三日月ついてる」

「じゃあ一緒に月に帰ろっか」僕は月を指差して言ってみる。

「何それ。かぐや姫?かぐや姫ってそんな話だったっけ」

「わかんない」僕らはまた、意味もなく笑った。


「なんか、幸せすぎて怖くなる。やばい、家帰りたくない日常に戻りたくない大学サボりたい」

彼女は傍らのグラスに残った氷を傾けながら、愛おしそうに、独り言をこぼす。そして、薄くなったカシスオレンジの残りを、一口で飲み干した。

「いつものカシオレなのに、今までで一番美味しい」

「もう一杯飲めば?」

「あーいや、うーん、やめとく」

「飲めばいいのに」

「あんまり、恥ずかしいとこ見せたくないもん」

「何それ。気にしてんの」

「気にするよ!だって」

「だって?」

「いや、なんでもない。てかさー、外見て。綺麗」

彼女は誤魔化すように、夜景を指差しながら呟く。

「そうだね」僕は息を呑んだ。


僕らはなんとなく特別な気がするその日、クリスマスディナーを食べながら、二人でパレードを眺めていた。日が暮れた港町では洋風の建物がライトアップされ、非日常の夢の国はさらに幻想的に見える。彼女は桜色のニットセーターを着ていて、澄ました顔で前借りした春を纏っていた。その時、どん!轟音。とりどりの光の粒が舞って、すぐに儚く、夜空へと吸い込まれてゆく。

「花火!ねえ花火!見て!」彼女の声も高くなる。

「花火だね」

「冬に花火って見たの初めて」

「夏よりも空気が澄んでるから、もっとくっきり見える気がするな」

「ねえ」僕がちょっとした雑学を披露するそばで、彼女は低くなった声で呟く。

「こんなに綺麗な花火が消えちゃうなんて寂しすぎない?綺麗なまま、持って帰れたらなあ」

「確かに。てかやっぱ、さーちゃんってさ、感性がすごいっていうか。俺、そんなこと思わなかった」

「そう?それ褒めてるの?喜んでいい?」

「褒めてる」

「あー時が止まればいいのに!どうして楽しい時間って一瞬なんだろ。あ、これって、ソータイセーリロンとかいうやつ?」

「そんなんだったっけ」

「航くん、こないだ授業でやったんじゃないの?」

「やった気がする」

「はい!じゃあ説明して。あ、私にもわかるように、うーん」

彼女の目線が斜め上に移る。考えているときのお決まりの仕草だ。

「三十字以内で!どうぞ!」

「無理だろ!」そう言うと、彼女はコロコロと楽しそうに笑った。


「あ、てか、てかてか!写真撮ろうよ」

「いいよ」

パシャリ!

「ねえ」

彼女がまた、声を顰めて何か呟こうとする。僕は急にドキドキしてきて、胸の高鳴りを悟られまいと息を潜める。

「写真ってさ、今を綺麗なまま凍らせるみたいじゃない?あー、写真の中に入れたらさ、楽しいまま、二人でずっといられるのにね」

「二人でいるじゃん、いまも」

「違うよ!いや、違わないか。んと、わかんない!わかんなくなっちゃった」

彼女はそう言って、僕の肩をこつん、と殴る。上目遣いの眼差しが可愛くて、僕は思わず笑ってしまう。

「来年も一緒にいれるかな」

そして彼女は、急に真面目な顔になって呟く。彼女は時々、こんなふうに翳りのある眼差しを見せた。

「いられるよ」

「そうだよね」

「うん、きっとね」

「航くん、あの――これからもよろしくね」

「え?」

「よろしくね」

「え、う、うん」

すべてが綺麗で、あまりに完璧で、嘘みたいな夜だった。

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