31 アールクヴィスト侯爵
※虫が出て来ます。
こちらは野営しているアールクヴィスト侯爵とイリュリア共和国のマオニー侯爵である。
エラルドと菜々美はテントを与えられ周りに見張りが付いている。
「まずあいつらを浄化してみるか」
エラルドは声を潜めて菜々美に言う。テントの入り口にも見張りが二人いる。
「分かったわ」
どうもその見張りは太鼓持ちのマオニー侯爵家の兵士のようである。イリュリア共和国にいる間はマオニー侯爵が見張るようだ。
菜々美はテントの入り口にいる二人にそっと浄化をかける。
「ん?」と顔を上げてきょろきょろと周りを見る二人。菜々美は夜の祈りをしながら二人の様子を窺う。
どうも彼らは任務を忠実にこなしているだけの普通の兵士のようだ。瘴気も纏っていないようでかえって元気になった。
近くにいた兵士から次々に浄化をかける。すると、菜々美とエラルドの待遇が段々と良くなってきた。
「今日は肉が付いているな」
「このお肉美味しいです。ジューシーで」
「これはクズリだ。冬は脂が乗ってもっと美味い」
「そうなんですか。じゃあもっと頑張って浄化しちゃいますね」
「そうだな」
菜々美の腕がどんどん上がって一度で浄化できる人数も上がった。
たまに少し苦しがる兵士がいるが概ね問題ない。
最後に国境を越える前にイリュリア共和国の侯爵を浄化した。
彼は苦しがった後、呆けてしまった。
マオニー侯爵の兵士達は何が起こったか分からなかったが、この方が扱いやすいとそのまま侯爵を連れ自領に戻って行った。
残りはアールクヴィスト侯爵家の兵である。兵士達の浄化も国境を越えると瘴気を纏った者とそうでない者半々になってやり難くなった。疑いの目で見られるのはまだ困る。王都に行くまで、王宮に行くまで。
だが国境を越えてアンベルス王国に入ると、侯爵はそのまま王都には向かわず侯爵家の領都に向かった。
そして侯爵邸に入るなりエラルドと菜々美を拘束しようとする。
剣と槍に囲まれた状態で侯爵が問い質す。
「お前がパウリーナを殺したのか!」
「違う、あれは魔物に喰われた」
「なんと侯爵家の令嬢である我が娘を、ヴリトラ様がそんなことをするわけがない。でたらめを言うでない。この者を捕まえて詮議せよ。処刑してくれる」
ヴリトラを信じ切っている。
「そこの偽物聖女も見せしめに殺してくれよう」
アールクヴィスト侯爵は二人を憎々しげな目で見る。
「八つ裂きにしても飽き足らぬ」
パウリーナに似た偉丈夫の顔が段々と醜悪に染まる。
「手を刻み、足を刻み、かの領主のように刻みに刻んで、鞭打ち、塩を塗り、からしを塗り、焼きごてを当て、狂うまで甚振ってくれる」
侯爵から仄暗い歓喜が見える。何だろう。憎しみだけではないのか。
「誰が話し合いなどするものか」
吐き捨てるように喚いた。娘可愛さに狂ったのだろうか。船を失って頭に来たのだろうか。それとも──。
「ナナミ、浄化だ」
エラルドが油断なく剣を構えて言う。躊躇っている暇はない。もうここはアンベルス王国なのだから王都まで何とか行けるよね。
菜々美は侯爵諸共、囲んでいる兵士達も巻き添えにして浄化をかけた。
「清く美しき精霊よ、彼のものを救い給え。祓い給え。清め給え。無垢なる身に帰し給え、浄化!!」
途端に周りの者達が胸を押さえて苦しむ。しかし周りの者は半数がすぐに立ち直った。半数は胸を押さえたまま蹲る。一際苦しがったのが侯爵だった。
「ぐあああーーー!」
蹲り、それでも耐えられずに黒い靄を吐き散らして、その場で転げ回った。
立ち直った兵士たちが驚いて引き下がる。
「ぐおぉ、ぐおおぉぉーーー!」
侯爵の身体から尚も黒い靄が湧く。
「ガ……」
やがて、ひとしきりまき散らした靄が段々と晴れて行く。
靄は段々と黒く大きく長い塊になってゆく。
(まさか、また蛇になるのだろうか)
しかし、黒い靄が晴れると、ぐっと鎌首を持ち上げたのは大きなムカデであった。カチカチと口元の牙を鳴らし、沢山ある足でザッザッザッザッとそこら中を走り回り、ガガガーーと襲い掛かって来る。
「ぎゃあああーーーー!!」
(ムカデとか、いやーー!)
トロリと蝋のような胴体、鎌のような脚を振り上げてブンブンと振り回す。エラルドがムカデの攻撃を剣で受ける。胴を切ろうとしたが硬くて弾かれた。
「くそっ、雷の精霊よ彼のものに落ちよ、裁きの雷撃!」
雷撃を落とした。バチバチバチと凄まじい閃光が大きなムカデに直撃した。ムカデは身体を丸めたり伸ばしたりしてそこらを転げ回った。しかし耐えたようだ。頭を振り回して威嚇する。カチカチと牙を鳴らす。
菜々美を庇って下がったエラルドが聞く。
「ナナミ、聖水はあるか」
「はい!」
菜々美は【アイテムボックス】から聖水を取り出すとムカデに投げつける。菜々美が祈り倒して中身がギンギンになった聖水がムカデに当たって、その沢山ある足で踏ん付けられて弾けた。ギンギンの聖水がその場を覆い尽くす。
「ガガガガーーーー!!」
ムカデは体を曲げたり伸ばしたりしながらビュンビュンとそこら中を転がった。兵士達を跳ね飛ばし下敷きにして被害を増やしながら物凄い速さで転がる。
菜々美を抱えたエラルドが飛び上がって逃げるなか、やがてムカデの動きが緩慢になった。
最後はムカデの姿がふしゅうぅぅーー……と黒い靄を吐いて縮んだ。
エラルドは縮んだムカデの側に降りるとその体を剣で突き刺した。ムカデの体からまた黒い靄が出て今度こそ消えた。
アールクヴィスト侯爵の兵士達は皆茫然自失の体であった。
菜々美とエラルドは顔を見合わせる。
もしかしたら蛇だけでなく虫にも見張られていたかもしれない。だから、あんなに早くアールクヴィスト侯爵は来たのだ。
「あの森って蛇と虫くらいでしたよね」
「ああ、地形的には侯爵領の森に続いているんだ。元の森に戻るとよいな」
「そうですね」
周りを見回すとムカデに踏み付けられ弾き飛ばされて怪我をした兵士達が転がっている。菜々美はその場で癒しの魔法をかけた。ムカデに蹴散された兵士たちが起き上がって呆然としていた。
そこに王家から騎士団が来た。
アンベルス王国に入った筈が王都に向かわないでアールクヴィスト侯爵領の領都に向かったと聞き騎士団を寄越したのだ。
「アールクヴィスト侯爵はどちらに居られる」
騎士たちは呆然とする兵士達を見てらちが明かないと思ったのか、
「エラルド王子、並びにナナミ。国王陛下、並びに聖女様がお待ちである。王宮にお連れいたす」
そこに居た菜々美とエラルドを見つけて連行することにした。
「分かった」
王家の騎士たちに囲まれて二人は王都へと向かう。
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