20 湖底の宮殿
ぽっとん……、ぽったん……。
どこかで水の音がする。菜々美はゆくっりと目を開いた。
薄い青紫に薄灰色を適当に流し込んだような色の柱が何本も立った広い所に転がっていた。ガバリと起き上がったけれど人の姿はない。着ている服はそのままで濡れていなかった。湖に落ちた筈だが、ここは何処なのだろう。みんなはどうしたのか。呼ぼうとしたら誰かが菜々美の方に近付いて来た。
柱の向こうから見たことのない男が現れた。
誰だ、この男は。
長い真っ直ぐの水色がかった銀の髪、金色の瞳、薄い酷薄そうな唇。シュッと細い身体。青い上着の下にレースのフリルのあるシャツを着ている。
スラリとして背の高い男は非常に美形だ。水も滴るいい男とはこんな男を言うのだろうか。水が滴っている訳ではないが何となく。
「お前の名は何という?」
男が聞く。水の中に居るようなくぐもった声だ。
「さあ、ここは何処? 私は誰?」
思い出せない。いや、そうではなくて思い出すのを心が拒んでいる。恐ろしい事が立て続けに起こって、記憶に蓋をしている。
「おい」
「あなたは誰?」
「俺は……」
「いや、待って! 聞きたくない」
両手で耳を押さえて男の言葉を慌てて遮る。男の金の瞳と縦長の瞳孔はつい最近見たような気がする。物凄く嫌な思い出と共に──。
「よいしょ」とオバサンっぽい掛け声で、菜々美は両手をついて起きようとした。
「ん?」
手に何かを持っている。きつく握り締めていたようで、自分の指を一本一本引き剥がして中を見る。アンプルくらいの大きさの小瓶だった。ラベルが貼ってあってポーションと読める。
(ポーションなら飲んだ方がいいかしら)
ここから、この男から走って逃げたい。なのでこれは飲んだ方がいいだろう。
菜々美は立ち上がると小瓶の蓋を外して中身を飲もうとした。
「む、それは聖水か」
男が指を伸ばす。指から迸る水が瓶を直撃した。
「そのようなものをばら撒いてもらっては困る」
パリ―ン。聖水の瓶が壊れてしまった。
「何すんのよ!」
瓶が壊れるとポーションではなくて、菜々美が祈り倒して中身がギンギンになった聖水が弾けてそこらじゅうに散らばった。
「うがあああーーーー!!」
濃縮聖水がばら撒かれた。妖魔にとって毒以外の何ものでもない。いや、劇毒かもしれなかった。
「ぐあああああぁぁぁーーーー!!!」
男が苦しんで黒い靄をまき散らしながらのた打ち回る。その姿が何かを連想させるようで、菜々美は口を押えて後退った。
(長い何か、細長い何か、限りなく蛇っぽい)
「こ、こんな未来があろうとは──。ううう…………」
男の姿がふしゅうぅぅーー……と縮んだ。
それは緑と黒の模様の小さな蛇になった。そのまま、にょろにょろとどこぞに逃げて行った。
「あら、蛇だったの?」
緑と黒の模様だった。蛇は嫌いだから逃げてくれて助かった。
(何かつまんない結末だったような)
息を吐く。ドレスのすそをパタパタと叩いて周りを見回していると、茶色の髪茶色の瞳の整った顔の大女が駆けつけて来た。
「お嬢様、ご無事でしたか!」
(ええと、この人はクレータだわ)
「ええ、大丈夫よ」
その後ろから一組の男女が一緒に来る。男は金髪、緑の瞳のものすごいイケメンである。
「無事のようじゃのう」
(このイケメンはヨエル様だっけ)
「はい。あら、あなたは?」
彼の隣にいる薄いグレーの上品なドレスを身に着けた、銀の髪グレーの瞳の美女は知らない。
「わたくしサーペントのルイーセ・ア・スヴェーリエと申します。助けていただいてありがとう存じますわ」
(まあ、優し気な美女ね。ヨエル様も隅に置けないわ)
「私はナナミといいます」
ヤギがイケメンで熊が美人の侍女なのだ。もはやサーペントが宮殿の美女でも、ちっとも構わない。
「お陰で宮殿の中もすっかり浄化されまして」
菜々美がニマニマ笑うとヨエル様は「茶飲み友達じゃ」と苦笑する。
「そうなんですのよ、ほほほ」
二人の邪気の無い枯れた雰囲気に、こいつら結構長生きなんじゃないかと思った。
何か忘れているような気がする。うんとうんと大事な事を。
何だったっけ。思い出すと怖い。とっても怖い──。
その時、首にかけていたペンダントがキラリと輝いた。
「エラルド……」
足音がする。こちらに向かって来る。
ゆったりとしているような、焦っているような、足音は真っ直ぐこちらに向かって来る。たくさんの水色の柱を抜けて真っ直ぐ──。
「ナナミ!」
黒髪の男が薄水色の柱の向こうから走って来た。
(ああ、エラルド!)
菜々美は男に向かって走り出した。両手を広げると抱き上げる。
「無事で良かった」
「エラルドも」
ヒシと抱き合う。ああ、ちゃんと生きている。
もう一人柱の陰から男が走って来た。
「エラルド様」
「ラーシュ、無事だったか」
「はい、蛇に叩かれて湖に落ちましたが、気が付いたらここに居りました」
ラーシュは菜々美の方を向く。
「結界のお陰でしょうか、濡れることも無く無事に此処に着きました。あなたには二度も命を助けられ、何とお礼を申していいやら」
「みんな助かって良かったです」
「他にも助かった者はいるのだろうか」
エラルドが聞く。
「分からぬのう」
小首を傾げるヨエル様は観音様のようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます