18 大湖に棲むモノ


 さっき見た湖の底の方の淀んだ気配は見間違いでは無かったんだ。皆に言うと一様に険しい顔をした。

「大湖によくないモノがいるようじゃ」

「サーペントですか」

「いや……」

 ヨエル様は難しい顔をして考えておられる。


「そうですか。取り敢えず、もっと聖水を作っておきます」

 そう言うとエラルドがアンプルサイズの小瓶を何本か出してくれた。

「ポーションを入れる瓶だ」

 クリーンがかけてあるそうなので、作った聖水を入れて行く。


 もっと祈って濃縮聖水を作ったらどうかなと、余計なことを考えた菜々美はしつこく何度も祈り倒して「もう止めよ」とヨエル様が止めるまで頑張った。小瓶の聖水はキラキラを通り越してギンギンに輝いた。どうだ。

「使うのが恐ろしいな」と、エラルドに言われてしまった。酷い。


 その内ラーシュが気が付いて、呆然とした様子で部屋を見回した。

「大丈夫か」

「はい……、私は何を……」

 エラルドが聞く。

「俺達に眠り薬を飲ませようとしていたが──」

 その言葉にハッとして早口に喋り出した。


「も、申し訳ございません! この湖にはあの女の眷属がいます。眠ったあなた達を生贄にすると」

「ここに居るのはサーペントの筈じゃ。アレは優しい性格ぞ?」

 ヨエル様が聞く。知り合いなのか。

「違います。あの女の眷属はヴリトラ、大湖を棲み処としアールクヴィスト侯爵に取り入り、令嬢を誑かした妖魔でございます」

「最近パウリーナに取り入った者がいたと聞いたが、俺は興味が無くて──」

 エラルドは腕を組んで首を傾げる。

「何と、アレの気配が薄いと思うたがそのような事が──」

 ヨエル様は美しい顔を顰める。

「申し訳ありません、気が付いた時には魅入られていて……」

 ラーシュはまだ青い顔で口惜しそうに唇を噛んだ。

「ねえ、ヴリトラって?」

 エラルドに聞くといやな答えが戻って来た。

「蛇だ、大蛇だ」

 うわああーー! そんなモノと戦いたくないわ。



  * * *


 そんな時、船の外で騒ぎがあった。もう少しで大湖に出るという所で船の航行方向からたくさんの小型船が湧いたのだ。クライン公国の砦で見た、足の速い船に似ている。小型船はこちらの船の前方にぐるりと展開する。


 小型船は黒い旗を閃かせている。黒い旗に骸骨のマークって海賊?

「湖賊だ!」

 誰かが叫ぶ。湖の賊は湖賊というのか。海賊とか山賊と同じ類なのか。


 菜々美たちは船室でその騒ぎを聞いた。こういう時は船の中に居るのは怖い。外に出ようとしたがエラルドが引き留める。

「出るな、火矢を持っている」

 前を行く船に矢が射かけられている。黒い煙が上がっていた。

 火攻めだろうか。船を燃やして沈めてどうするんだろう。船に積んだ荷物とか、乗った人を人質にするとか、しないのか。もしかして最初から皆殺しなのか?

 それは湖賊とは違うような気がするが。


 修道院に行く時に船着き場で襲われた時と同じ、酷く現実的でないような気がしてぼんやりと黒煙を見る。映画みたいな感じで実際に起こっていると思えない。


 そばにいるエラルドが身動ぎをして、思いから引き戻された。エラルドを見上げる。自分に何か出来る事はあるのだろうか。

 そうだ、あの時には何も出来なかった。でも、今は──。


「ナナミ、俺たちに結界を」

 エラルドが手を取って小さく言う。熱を流して戻って来た魔力を受け入れる。

「あまねく精霊よ、我らをその加護の手で包み給え、結界」

 音はしなかった。輝きもしなかった。なのに、前に唱えたよりも遥かに強力な結界が菜々美たちを包んだ。それはもう肌で感じるほどに。


 聖魔法がランクアップしている。浄化をした時強すぎると感じたが、何でいきなりレベルアップするんだろう。

 その時、首にかけたペンダントの宝石がキラリと輝いた。これのお陰?

 エラルドを見ると驚いた顔をしている。その後少し泣きそうな顔になった。抱きしめるとちょっと情けない猫のようにフニャンと笑った。


 外はどうなっているのか、湖賊はこの船までは火を放たないようだが。

 ドアがいきなり開いた。銀髪の男が覗いて顔を顰める。

「チッ、眠っていないじゃないか。ラーシュ、裏切ったな」

 舌打ちしてラーシュを睨む。

「違う! 俺はお前たちの仲間じゃない!」

 まだ青い顔ながら、きっぱりと否定するラーシュ。


「おい、みんな外に出ろ!」

 男は横柄な態度で命令した。後ろにパウリーナと侍女と護衛の男二人がいる。人数的に変わらないのに、この男の自信満々の態度は何だろう。外には湖賊が襲い掛かっているのに。


「エラルド様、まだそのような下賎の者をそばに召しておられますのか。そろそろ、遊びは止めて、その者に似つかわしい饗応場所にお連れいたしましょう。その娘はヴリトラ様への貢ぎ物として生贄になるがよい」


 パウリーナがニタリと嘲笑う。しかし、その発言をエラルドが切って捨てる。

「何を馬鹿なことを言っている。陛下に呼ばれたのなら俺たちをさっさと国に連れて行け。大体湖賊に襲われているのに何を──」

「我らのヴリトラ様が生け贄を必要とされているのだ」

 銀髪の男が当然といった顔で遮る。

「その女はヴリトラ様の生贄になるのよ。陛下には湖賊に襲われて死んだと報告すればよいだけのこと」

 パウリーナもこちらを斜めに見て、当然のように言った。

「逆らえばエラルド様も生贄になっていただきますわよ」

 唇を歪め、怖い顔で脅して来る。何と、そういう話になっていたのか。湖賊もぐるのようだ。


 菜々美をヴリトラの生贄として殺すということは決まっていたらしい。狼の親玉ダイアウルフは菜々美たちを村から逃がさない為に配置したのだろうか。

 もしかしたら村を魔狼に襲わせたりとか、あったのだろうか。ヨエル様のお陰で無事だったのだろうか。

 ヨエル様を見ると難しい顔をしておられる。

 でも今、逃げようにも湖の上で、周りを湖賊が囲んで逃がさないようにしている。薬まで盛ろうとして何段重ねの重箱戦法なのか。


「ここには心優しいサーペントしか居らぬ筈じゃ。何処からそのような恐ろしき蛇を連れて参ったのじゃ」

 ヨエル様はものすごくお怒りのようだ。

「おーほほほ……、あのような者なんかヴリトラ様の敵ではないわ。湖底に籠めてヴリトラ様の贄にしているのよ。いずれ精気も全てヴリトラ様に喰らい尽くされてしまうでしょう」

「何ということを」

 サーペントに遭えるかなってちょっと楽しみにしていたのに。


「そなたは考え違いをしておる」

 ヨエル様は沈痛な面持ちでパウリーナに告げる。

「精霊は気まぐれじゃ、妖精はそれ以上に気まぐれ、誰にどのように力を貸すかは分からぬぞ。瘴気を纏った妖魔はそれ以上、もはや己の事しか考えぬ」


「ふん、たかが眷属の妖魔に何を恐れることがあるのでしょう。私の眷属ですのに」

 パウリーナはヨエル様を睨みつけるとヴリトラを呼んだ。

「出よ、ヴリトラ!」

 パウリーナが叫ぶ。

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