10 泥棒熊が変身
「この泥棒熊! もう魚なんかあげないんだからね」
菜々美はピシッと指差して熊に言う。ただしエラルドの後ろからだ。
「ガウガウ」
熊が喚いたのでエラルドは剣を抜く。
「ほう訳アリのようだな」
「ヨエル様はこの熊の言う事がお分かりになるの?」
「分かるぞ『魚をくれ』と言っておる」
「まあ、あんな大きな魚を食べておいて、まだ要るというの?」
「それはないな」
菜々美が呆れると、エラルドも冷たく言う。
「ウガーウガウ」
「『あの魚は素晴らしかった。もう一度食べたい』と言っておる」
「大きなマスだったわ。銀に光って、赤い線がとても綺麗で」
「そうだな、あのような美しいトラウトは見た事が無いな」
エラルドも言う。ニジマスは美味しいのだ。養殖なら食べたことはある。
「あんな大きなマスを熊が一人占めするなんて許せないわ」
それなのにこの熊はまだ寄越せという。怒りがふつふつと湧いて来た。
「釣った私たちが食べていないのに! 食べ物の恨みは恐ろしいのよ、巻き込まれ女の怒りを受けてみなさい!」
菜々美が熊を指さして糾弾すると、指の先から稲妻のようなものが迸って熊の体に命中した。
「ガ、ガ、ガ、ガウーー!」
熊はひっくり返った。ピクピク体を痙攣させている。
「あら、殺しちゃった?」
「まだ生きておる。痺れたようじゃの」
菜々美はどさくさに紛れて攻撃魔法を覚えた。よし。
「諦めて自分でエサを探すがよい」
ヨエル様が熊に諭すように言った。さすが妖精王、力のある言葉である。
「ガウガウ……」
熊は痺れた体でぐったりしながら、こちらに顔を向けて言った。
「こやつは、人になりたいそうじゃ。もっと食べたら人になれると言うておる」
いや、熊が人になったら、そこいらじゅうの動物が人になれるよね。なんつう世界なの。この人もヤギだし。
「エラルドさん、つかぬことを伺いますが、この世界には獣人とかエルフとか竜人とか──」
「いないぞ、ナナミ。聞いたことが無い」
「そうなの?」
そういや魔王もいないって言ったな。
ちょっとがっかりだけど、熊が人になったら獣人じゃないのか。
「じゃあ、何なの?」
「妖精だのう」
3mもある熊の妖精なんて、考えたくもない。
菜々美は考えるのを放棄して、釣り竿を取り出し川に向かった。
「人になれるんですか?」
後ろでエラルドがヨエル様に聞いている。
「食べた魚が良かった様じゃ、精気が漲っておる。もう食べずとも、きっかけさえあれば人になれるであろう」
ヨエル様が気合のようなものを入れた。
「はああぁぁぁーーーっ!」
「そんな簡単に人になれるの?」
チラリと見ると茶色の熊は消えて、女が一人呆然と座っていた。
茶色の髪、茶色の瞳のがっしりとした体躯の大女だ。ちゃんと服を着ているし、ちゃんと容貌が整っているのはどういう訳か。何で熊が女性なのだ。
「あ、お嬢様。引いていますよ」
熊が喋った。座ってゴマすり揉み手の体勢だ。あんぐりと口を開けて見ていると、手に持った竿がグイと持って行かれる。
「わっ、ダメ!」
竿を持って行っちゃ、ダメ。失いたくない。ほとんど引き摺られそうになった。後ろからエラルドがタックルして菜々美を捕まえる。竿を離すものか。エラルドに手伝ってもらってやっと釣り上げる。
白斑点の綺麗な魚だ。イワナだろうか、熊が食べたマスよりは小さいがそれでもかなり大きい。この世界の魚は大物ばかりだな。
「私が捌きますので、ご存分に釣って下さいませ」
熊は大物を見て嬉しそうにニコニコしている。
「勝手に食べないでよ」
「承知いたしました」
「あなた名前あるの?」
ヤギにあるんだから熊にも名前くらいあるだろう。
「はい、私はクレータ・マッコネンと申します」
熊にも姓があるのね。どうして菜々美には無いのだ。拗ねちゃおうか。
「私はナナミ。こっちの黒髪の人がエラルドさん、そっちの金髪がヨエル様」
「不束者ですがよろしくお願いします」
「よろしくね」
とても泥棒熊と思えない、こちらが恥ずかしくなるくらいきちんとした女性だ。
さて次は何が釣れるかなと、ふと隣を見上げるとエラルドが何とも言えない顔をしていた。
「どうしたの?」
「いや、世界は広いなと思って」
「そうなの? 私こっちに来てから、お城の軟禁部屋と、森とここしか知らない。色んな所に行きたいわ」
「そうだな、連れて行ってやろう。手始めに近くの町だな」
息を吐いて菜々美の頭をポンポンと撫でて、ニカリと笑った。
* * *
それは、始め遠くで、アイベックスの「ぴやああーーー!」とか「ぴゅうーー!」とかいう鳴き声から始まった。
ヨエル様がパッと立ち上がって釣り竿を仕舞う。
「何か来るぞ!」
「ナナミ!」
エラルドも立ち上がって手早く釣り竿を仕舞った。
「え」
「お嬢様、竿を仕舞ってエラルド様のそばに」
熊のクレータに促されて菜々美も釣り竿を仕舞った。
みんなの見ている方角を見ると、川下の方に砂埃が見える。近付いて来るに従って馬車が一台と複数の騎馬が現れる。砂埃の合間に茶色やグレーっぽい動物がぴょんぴょん跳ねている。
「わおおーーん」
「きゃおおーーん」
犬の鳴き声まで聞こえて来た。犬……じゃないよね、これ。
「魔狼か」
「数が多いな、まるで引き連れて来たような」
ヨエル様とエラルドが言う。大きな犬ぐらいの大きさの狼が群れているが決して馬車を襲っているようには見えない。何故──。
「魔狼ってオオカミ? 村に行ったらいけないわ」
だが村を目指していた馬車は、急に向きを変えて菜々美たちの方に向かって走り出した。馬車一台と騎馬が4騎だ。
「何でこっちに来るの?」
慌てて聞く菜々美。村に行ってはいけないがこっちに来て欲しい訳でもない。
「押し付けたいようじゃな」
ヨエル様の皮肉気な呟き。
「え?」
剣を抜くエラルド。身構えるヨエル様とクレータ。菜々美も攻撃態勢に入る。
指を向けて撃つだけだけど、魔狼なら遠慮しなくていいか。
そう思ったのだけれど、エラルドが手を繋いでくる。手から熱が伝わって来る。
「む」
熱を受け入れて身体中グルグル回す。そして渡す。
エラルドは剣を高々と捧げて『炎の精霊よ魔性のものを焼け』と言葉を紡ぐ。
剣から幾つもの火の玉が出て、馬車の周りを囲む魔狼にヒュンヒュンと飛んで行った。それは過たず魔狼だけに降り注いだのだ。
「ギャン!」
「きゅん」
バタバタと倒れて焼け焦げて行く魔狼。
「お見事!」
クレータが叫ぶ。すごいな。
火力が高いのだろうか、魔狼は跡形もなく燃え尽きて散って行った。
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