私は聖女ではありません。ただの【巻き込まれた異世界人】です。
綾南みか
01 巻き込まれた異世界人
そこは大学の入学式の会場だった。
入学式だからとカッコつけて履いたパンプスで足が痛い。慣らしてから履いて来れば良かった。菜々美は賑やかな会場を逸れて、キャンパスの庭木に掴まって靴を脱ぐと、踵と小指が赤くなって水ぶくれが出来ていた。
「あなた、どうなさったの?」
声をかけられて答えた。
「ちょっと靴擦れが出来て」
「私、絆創膏を持っているわ」
ずいぶん親切な人だ。振り向くと、
「はい」とブランド物のバッグの中から取り出した絆創膏を差し出される。
にこりと笑った綺麗な顔はハーフだろうか、目鼻立ちのはっきりした自信にあふれたものだった。茶色がかった髪と瞳が菜々美の恐怖心を少し煽る。
菜々美は外国人恐怖症だった。
小さい頃、金髪や茶髪の外人のお姉さんに訳も分からず捲くし立てられ、
中学生の頃、ガタイの良い外人のお兄さんに追い回され、
高校生の時、バイトで外人の集団に囲まれてべらべらと話しかけられている間に万引きされた。
恐怖感と拒絶感しかない。
「ありがとうございます」
菜々美は少し強張った顔をして、その絆創膏を受け取ろうと手を伸ばした。
その時、足元が円形に光って、幾つもの幾何学的な模様と記号を組み合わせた光がぐるぐると二人を包んだ。
そして視界が真っ暗になった。
* * *
「召還が成功したぞ!」
「おお、聖女様だ」
ざわざわと人の声がする。閉じていた目を開くと手をついていた床が見える。幾何学模様と記号が円の中に星型に整然と描かれた床であった。顔を上げると周りにいた人々は、ゲームや映画で見たような西欧の王侯貴族や騎士のような格好をしている。
ここは何処だろう。
菜々美は大学の入学式に来ていた筈だ。
「もう一人いるぞ!」
「これはどうしたことだ」
「失敗か!?」
何やら怒声が聞こえる。指差しているのは自分の方だ。
周りにいる人々はみな背が高くて上から見下ろしていて、金髪やら銀髪やら茶髪やら赤い髪で、彫りの深い顔に色とりどりの目が見降ろして、大仰な仕種で巻き舌の言葉で早口に小鳥のようにしゅるるると喋る。
強張ったような威嚇するような表情が怖い。
どういう訳か、同時通訳みたいに言葉の意味が遅れて頭に入って来るので、自分の頭の中ですぐには理解出来ない。
何を言っているのか理解不能。誰か、誰か、誰かーーー!!
大男たちが近付いてくる。菜々美は立ち上がって逃げた。召喚の間をいやあ!! と叫びながら傷付いた小鳥のようにバタバタと。
視界の端に黒髪が見えた。そっちを向くと黒髪の男が茫洋とした顔で見ていた。菜々美はそっちに逃げた。男を捕まえる。驚いて目を丸くしたままどうすることも出来ないで突っ立っている男の背中に隠れた。
「いやあー、来ないでーーー!」
すぐに召喚の間に鑑定士が呼ばれた。聖女はもう一人の方で、菜々美は【巻き込まれた異世界人】と鑑定された。とんだとばっちりである。
「元の世界に帰して下さい」
「帰る方法は無い」
無常な言葉に愕然とした。その頬をゆっくりと涙が伝って零れて落ちた。
何でこんな時期に召喚なんてするの?
人が一杯で巻き込まれが発生しやすい時期に、なんて迷惑な──。
* * *
聖女の召喚の儀式を執り行った面々は、王宮で人払いをして会議をした。
「アレは召喚の間で騒ぎ立てて、その後、他の者にまるで懐かぬ」
「聖女様以外は余計な騒乱になるだろう。殺せ」
「お待ちください。そんな事をしてしまえば神の怒りを買いましょう」
「確かに、聖女召喚は最後は神の御意志をもって成し遂げられる」
「では何故、余計な者が紛れ込んだのだ」
「神の御意志でしょう」
「騒乱になるやもしれぬ」
「やはり殺せ」
「修道院に入ってもらいましょう」
「それも良いかもしれませぬ」
「殺しては神の御意志に背きましょう。丁重にもてなせばよい」
「修道院の奥深く、決して外に現れぬ場所で──」
* * *
菜々美はベッドしかない部屋に軟禁された。トイレは部屋の隅のカーテンの向こうにあった。広い部屋なので半分お風呂にすればいいのにと、埒もないことを考える。
まるで蝋人形のような無表情で背の高い看守らしき男が、一日二回の食事と朝と夕方に水差しに入ったお水を持って来る。
菜々美はどう見ても外人な男が来ると部屋の隅っこに行って耐えた。
もう一人の女性がどうなったのか、菜々美は知らない。
黒髪の男の後ろで彼女と目が合った時、憐れみの視線を菜々美にチラと向けて、金髪碧眼の男たちに手を取られて部屋を出て行った。彼女はわざわざ召喚した聖女なのだから、きっと丁重に扱われるだろう。
【巻き込まれた異世界人】である自分はどうなるのか。
服もバッグも全部取り上げられた。菜々美が持っているのは、あの時聖女になった彼女がくれた絆創膏だけ。ぞろりと長いベージュの衣を着せられ、足には皮のサンダルを履いている。靴擦れにはいいかもしれないが。
あの時の黒髪の青年が世話役のような感じで時々部屋に来た。
「何か欲しいものは無いか」
「別にありません」
聞きたい事は山ほどあったが、無表情な蝋人形の見張りがいつもドアのそばにいて、恐ろしくて何も聞けなかった。
黒髪の青年はグレーの長めの騎士服のようなものを着ており、腰に剣を佩いていて、たまにマントを羽織っていたりする。
くせっ毛の黒髪は後ろだけ長くて三つ編みにして革紐で括っていて、並みいる大男たちの中では中背に見えたが、近くで見ると158cmの菜々美よりかなり目線が高い。180cmはあるように見えた。歳は幾つだろうか、少しきつめの切れ長の目と引き結んだ口元で少し年上に見えるが。
菜々美は絆創膏の紙を広げて『助けて』と書いて黒髪の青年にそっと渡した。
青年は受け取ったけれど何も言わない。
ある朝、金髪碧眼の偉そうな青年が部屋に来て、厳かに告げた。
「お前はラグーザの修道院に入ることになった。そこで我が国の為に祈るように」
男は横柄に告げると、菜々美の返事も聞かず部屋を出て行った。
はじめラグを起こしていた言葉は、はっきりと理解できるようになった。
ラグーザの修道院って何だ。修道院という言葉に嫌な想像しか出来ない。
その後すぐに黒髪の青年の案内で菜々美はずっと軟禁されていた部屋を出た。
「これからラグーザの修道院に行く」
菜々美のすぐ後ろに並んで歩きながら男は告げる。
「はい」
「修道院に入られたら一生出られない」
「……」
「お前を助ける」
それは低く小さく、まるで世間話でもしているみたいに告げられた。菜々美は息を呑んで男の顔を見上げたが、彼は真っ直ぐ前を向いたままだ。
「はい」
菜々美も前を向いて小さく答えた。
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