第10話 誄詞

 特定の本尊がない……。

 回向の言葉の後、静かな間が開いた。



 回向は、目を伏せ、間を埋めるように、口を開く。

 発せられる言葉は、消える事のない……いや。消してはならないという、責任を負わされるような、自身の存在する理由……。

 これも一つの……逃れられない呪縛のように思えてしまうのは、僕だけだろうか。

 時を経てしても、まるで輪廻のように繰り返される……。


「水景は元より葬送を司る氏族です。与えられた姓は、臣下の中で一番の高位である……」

 回向は、目線をゆっくりと上げ、真っ直ぐに住職を見て答えた。

 今となってはもう、表に出す事のない、隠された姓。


 ……それが明かされた。


「『朝臣あそみ』……です」


 住職は静かに頷くと、回向に答える。

「……多いですね。その姓は」

 住職は、知っていた事なのだろう。

「……はい。忠誠を尽くし、名をげる事に尽力する事は、国への貢献に繋がります。その功績が姓によって表されるのですから、氏族の大半は、その姓を与えられています」

 住職は、回向の言葉に、再度頷きを見せると、穏やかな口調で答えた。


「分かりました。それでも問題はないでしょう」

 回向にそう答えると住職は、肩越しにゆっくりと目線を送った。

「御住職……」

 回向は、多くを聞かず、一方向を見る住職を不思議そうに見ていた。

 住職は、目線を送った方へと声を掛ける。


「確認は取れましたか」


 明かりが灯っているとはいえ、薄暗い本堂。

 近くなら互いの顔も目に捉えられるが、離れたところは暗く、目に捉える事が出来ない。


「無論」


 住職の言葉に、声が返って来る。羽矢さんの声だ。

 バサリと衣が翻る音が聞こえると、住職が目線を送った方から、黒衣を纏った羽矢さんが現れた。


 これって……もしかして……。

 僕が思った事を、蓮が口にする。


「流石は死神。門は開いたままだったという訳か」


 蓮は、笑みを見せながら、羽矢さんへと目線を向けた。

「まあな。冥府に行っていても、下界の様子が分かるようになれと、ジジ……じゃなくて、住職がおっしゃるものですから」

 蓮と住職は、少し呆れた顔を見せたが、羽矢さんは気にせず、ニヤリと笑って言った。


「まあ、俺に出来ない事はない」


 得意げな顔を見せて言った羽矢さんに、住職は少し困った表情を浮かべたが、厳しくも表情を変えると羽矢さんに言う。

「無駄な話はそこまでにして、簡潔に話しなさい」

 ああ……事は簡潔にと羽矢さんがよく口にするのは、住職譲り……。


 羽矢さんは、黒衣をバサリと翻し、住職の少し後ろに座る。

 住職の目が、後ろに座った羽矢さんを見るように動いた。

「……この短い時ので、霊山にも行って来たのか」

 え……霊山にまで……。

 きっと住職は、羽矢さんの黒衣が翻った時に、霊山にある草木の匂いを感じ取ったのだろう。

 羽矢さんは、住職が気づいた事に、ニヤリと笑みを浮かべると、口を開く。

「霊山で対峙した怨霊とも呼べる祟り神との繋がりが、何処にも見当たらなかったもので。鬼籍には名が記されていた……死しているのは、時を考えても当然の事。そして俺の目には、誄詞るいじが見えたからな……だが」

 誄詞……高位の者が死した時に、哀悼し、追憶する弔辞の事だ。そして誄詞の際に諡号が贈られる事がある。

 羽矢さんは、住職にそう答えると、僕たちへと目線を向けて言葉を続けた。


「墓が何処にもない」

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