第33話 プレッシャーとデッドヒート

 一度ならず、二度もクラシックの戦いに敗れ、すっかり意気消沈してしまい、人気も落ちたかと思っていたミラクルフライト。


 今までの戦いを通し、鞍上から見て、彼には長距離は合わないと感じ、熊倉調教師を通じて、馬主の鹿嶋田美鈴さんにもそのことを伝えるように頼んでいたが。


 しかしながら、陣営は秋のクラシック最後の一冠、菊花賞を目指すと発表。


 こういうところで、騎手の立場や発言権の弱さが露呈されてしまうのだが、一つだけ私の「希望」がかなったことがあった。


 メンコだ。


 元々、このミラクルフライトは、「わがままなお坊ちゃん」だと私は見ていた。


 夏に向けて調教を開始すると、「暑くて嫌だ」と嫌がり、雨だと「濡れるから嫌だ」と嫌がり、砂を被ると「汚れるから嫌だ」と嫌がる。

 まるでどこかの大金持ちの、何不自由なく育てられた「箱入り息子」のようにも見えるが、この仔の超良血の血統から考えると、さもありなんといったところだった。


 同時に、首を使わず、高い位置で走るような特徴的な走り方と、ゲート入りで周りを気にするところを感じていた私が、前から提案していたのが、この「メンコ」をつけることだった。


 チークピーシズは、せいぜい耳元を覆う程度だが、メンコなら、目の周りを広範囲に覆って、周りのことを気にしなくてもよくなるだろう、と考えた。


 熊倉調教師が用意してくれたのは、チークピーシズと同じ水色のメンコ。これはこれで非常に目立つので、競馬場ではどこにいても、この馬がミラクルフライトだとわかってしまう。


「恥ずかしいレースはできないぞ、ミラクルフライト」

 暑さを嫌がって、少しでも涼しい早朝に調教をしながら、私は彼に話しかけていたが、そんな彼はどこ吹く風、という感じで、マイペースだった。


 シンドウのように、明らかに言うことを聞かないような、暴れ馬ではないが、わがままな馬。

 まだデビューから4年目の若手騎手には、なかなか大変な相手だったが、不思議と乗り心地がいい彼を、私は愛着を持って接していた。


 そして、あっという間に追い切り調教を経て、次のレースがやってくる。


 秋、9月。


 2038年9月26日(日)、阪神競馬場、11Rレース、芝2400メートル、神戸新聞杯(GⅡ)。


 天候は曇り。馬場状態は「稍重」。


 ここでまたも、「彼」という壁が立ちふさがる。

 ハイウェイスターだ。

 弥生賞では、ハイウェイスターが1着、イェーガータンクが2着、ミラクルフライトが3着。

 皐月賞では、イェーガータンクが1着、ミラクルフライトが2着、ハイウェイスターが3着。

 日本ダービーでは、ハイウェイスターが1着、イェーガータンクが4着、ミラクルフライトが8着。


 四度目となる三つ巴の同期のライバル対決になると思ったが、ここにイェーガータンクだけはいなかった。

 彼は菊花賞ではなく、天皇賞(秋)のトライアルとも言える京都大賞典に出走予定だったからだ。


 だが、同世代のライバル対決であることに変わりはない。

 しかも、あれだけ不甲斐ない走りをしたにも関わらず、ミラクルフライトは単勝6.0倍の2番人気。一方、ハイウェイスターは単勝1.3倍の1番人気と圧倒的だった。


 出走前、熊倉調教師に私は、自信満々に告げるのだった。

「今日はやれそうな気がします」

 それくらい、ミラクルフライトは状態が良かった。


 馬体重はマイナス2キロ。トモの張りもよく、ガレてもおらず、かかってもいない。

 夏場に彼のわがままに振り回されていたが、元々、頭はいい馬だ。レースに合わせるように「ノってきて」くれたのだ。


 その彼の頑張りに、騎手である私も応えなくてはならない。

 熊倉調教師は、いつものように、言葉少なく、

「ああ」

 とだけ言って、私を送ってくれるのだった。


 GⅡとは思えないほどの観客が詰めかけた、阪神競馬場。


 阪神競馬場、芝2400メートルは、外回りコースを使用。直線が約474メートルと長く、中山競馬場に次ぐ勾配のキツさを誇る急坂があるのが大きな特徴。


 2400メートルという距離と、騎手が最後の直線を意識するのが相まって、道中スローに流れてラストの上がり勝負になるのがほとんどだ。


 荒れ馬場傾向にある阪神競馬場で、急坂を2回走るコース形態は、いかにもパワーが求められそうだが、スピード・瞬発力が非常に重要となる。


 総合的に見て、ミラクルフライトに勝ち目はあると思っていた。


(GⅡとは思えない、実質GⅠの前哨戦。今日こそ勝つ!)

 大歓声に迎えられ、いよいよレースが始まる。


 ここで3着以内に入ると、菊花賞の優先出走権が与えられる。

 ミラクルフライトは8枠16番という大外枠。ハイウェイスターは5枠9番だった。

 16頭の戦いになる。


 GⅡのファンファーレが鳴って、ゲート入り。


 いよいよ出走となる。

 彼は、落ち着いてはいた。


 ミラクルフライトは、先頭集団の中、先頭から4、5番手を追走する好位置につけることに成功。

 ハイウェイスターは、中団やや後ろ辺りにいた。


(やっぱりすごいプレッシャー)

 このハイウェイスターが後ろにいるだけで、すぐにわかってしまうほどの、独特の威圧感があった。

 というより、逆に言うと、他の馬は全然怖くなかった。


 1コーナー、2コーナーを回り、スローペースの中、私は早めに上がって、4番手にミラクルフライトをつける。

 ハイウェイスターは、後ろから数えた方が早い、後方4番手くらいにいた。


 じっくりと脚を溜める競馬をするのが、不気味に思えたが、私は私の戦術通りに動かすだけだ。


 そして、3コーナーの坂あたりから、やはり予想通りに「来た」のだ。ハイウェイスターだ。

 まるで、私のミラクルフライトを意識しているかのように、ぴったりと外に馬体を合わせて、外から上がってきていた。


 4コーナーを回って、最後の直線に入ると、2頭がほぼ並ぶことになった。

 そこからゴール板までの距離が約474メートル。


 熾烈なデッドヒート、競馬用語でいうところの「叩き合い」となっていた。

 互いに鞭を振るって、最後の追い込みにかける。


(これは行ける!)

 そう思えるくらい、ミラクルフライトの脚色は悪くなかったが、すぐ後ろというよりも、ほぼ横に迫ってきていた、ハイウェイスターは速いけど、日本ダービーの時よりは怖くはなかった。


 しかし、残りが100メートルくらいになり、ゴール板が間近に見えてくると。


 ぐん、とさらにもう一段、加速していた。ハイウェイスターは、ゴールの手前、ほとんどギリギリのところで、すっとかわして、最終的にはわずかクビ差でゴールイン。


 結局、ミラクルフライトはまたも勝てずに2着。1着はハイウェイスター。

 これで重賞だけなら、去年の暮れから数えて、5連敗になる。


 しかも弥生賞に続いて、またもハイウェイスターに負けていた。


 私は、熊倉調教師に会わせる顔がないと思っていたが、レース後に報告に向かうと、

「次は菊花賞だ」

 そんな当たり前の、わかっていることしか彼は言わなかった。


 それに「勝て」と言いたいのか、「勝って欲しい」と言いたいのか、よくわからないまま本戦を迎えることになる。

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