第26話 惜別
人生、出逢いがあれば別れもある。
ミラクルフライトとの「出逢い」を果たした私には、すぐに最悪の形での「別れ」が待っていた。
昨年、春に落馬によって怪我をして以来、ずっと入れたままだった左肩のプレート除去手術を受けて、やっとプレートが取れた後。
2037年10月25日(日)、東京競馬場、11
天候は晴れ、馬場状態は「良」。
いわゆる「春天」こと春の天皇賞が京都競馬場の芝3200メートルで行われるのに対し、「秋天」こと秋の天皇賞は、東京競馬場の芝2000メートルで行われる。
私は、この時、中山競馬場のジョッキールームのテレビモニターから観戦していた。
出走する馬の中に、あのシンドウがいたからだ。鞍上はベテランの武政修一騎手。堂々の1番人気だった。対して、クラシック戦線でシンドウと争ったフリーズムーンは3番人気。鞍上はベテランの大林翔吾騎手。
他にも私が小倉で勝って勢いをつけて出走したシャイニングデイズや、春の天皇賞でもシンドウと争ったブライトストリームも参戦。
大がかりな古馬決戦となっていた。
(シンドウ。勝てるかな)
いや、普通に勝つだろう。鞍上は武政修一騎手だし。と、安堵にも似た気持ちを持って、私は何も心配していなかった。
「解説の
競馬番組の司会者が解説者に振っていた。
その日の解説は、元・騎手の氷室
「そうですね。トモの張り、前走の走り、そして実績から考えてもシンドウの勝利は揺るがないでしょう」
実際に、シンドウの倍率は単勝で1.5倍。2番人気のフリーズムーンが4.1倍なので、圧倒的だった。
しかし、これに待ったをかけた解説者がいた。
元・調教師で引退した後、解説者になった老人で、「競馬界の生き字引」と言われる大御所、
「シンドウは来ないでしょう」
「花車さん。では、どの馬が来るのでしょうか?」
司会者までもが、まるでシンドウの勝利を信じているかのように、懐疑的な目をその老人に向けていた。
「ブライトストリーム。次点で、シャイニングデイズ」
とだけ短く老人は告げていた。
誰もが予想はしても、結果はわからない。
そんな一大レースが始まる。
関東独自のGⅠファンファーレが鳴り響き、東京競馬場に大歓声が沸き起こる。
「さあ、今年の古馬の頂点を決めるこの大一番。制するのは誰だ!」
興奮気味のアナウンサーが告げて、世紀のレースは始まる。
「スタートしました。まずはシャイニングデイズとフリーズムーンがせりかける」
最初から、シンドウは後方に位置していた。
それは彼が得意とする「最後方強襲」というべき、「追い込み」戦法だったから、私はいつも通りだと思っていた。
代わりに、シャイニングデイズとフリーズムーンが先頭争いを演じ、ブライトストリームは中団に待機。
東京競馬場芝2000メートル。スタート地点は1コーナー奥のポケット。スタート後、約100メートル進んだところに左へ曲がる大きなカーブがある。向こう正面の長い直線を走り、3コーナー手前にさしかかるところで緩い上り坂。3~4コーナーにかけては下り坂になっている。最後の直線に入ると、途中からなだらかな上り坂がある。東京競馬場全体の高低差は2.7メートルはある。最後の直線距離は525.9メートルで、新潟の外回りコースに次ぐ長さとされている。
最初のコーナーはすぐにやって来て、その後の向こう正面は長い直線になる。
実際、向こう正面に入っても、順位は変わらず、相変わらずシンドウはじっくりと後方で脚を溜める競馬をやっていた。
やがて3コーナーから上り坂になる。
そして、最後の直線に入り、まさにラストスパートよろしく、一瞬、加速したシンドウだったが。
「おおっと。シンドウ、どうしたことか!」
画面の向こうで何が起こったか、一瞬わからなかった。
シンドウはいつものように、末脚を発揮して、後方から一気に強襲するような競馬をやるつもりだったらしいが、そんな武政騎手の思惑とは裏腹に、彼はスピードを急に落とすと、そのまま止まってしまい、慌てて武政騎手が降りて、鼻筋を触っていた。
こうなると、もう競争中止だろう。
だが、見たところ、彼の「脚」に異常はないように見える。
競走馬がレースで怪我をしたり、予後不良になる原因の多くが「脚」の怪我によるものと言われている。
サラブレッドの脚は、それほど繊細で、一度壊れると二度と治らず、苦しませるよりは楽に死なせてやる、というのが競馬界では常識だった。
だが、何だろう。それとは明らかに違うようなシンドウの動きが気になった。
そして、中継画面を通じて見て、私は薄っすらと気づいた。
(心臓かな)
と。
脚には明確な傷や怪我の兆候がない。外的要因がない場合、考えられるのは内的要因、つまり「病気」だ。
これこそ、私が密かに危惧していたもので「血が濃すぎる」ゆえに起こったことかもしれなかった。
ともかく、シンドウは失格扱いとなり、精密検査を受けることになるのだった。
結果的には、1着はブライトストリーム、2着はシャイニングデイズ。そう。あの80歳の老人、花車藤也が言った通りになっていた。恐るべき慧眼だった。
私は、シンドウの病気は単に「心房細動」、つまり不整脈の一種だろう、くらいに思っていた。通常、心房細動程度なら、致命傷にはならないし、レースを続けることが出来ることが多い。
ところが。
「石屋。残念なお知らせだ」
2日後の火曜日、熊倉調教師が神妙な面持ちで私に声をかけた。美浦での調教中のことだった。
「シンドウが亡くなった」
「えっ! 何でですか?」
さすがに信じられない思いがした。
「急性心不全らしい」
「心不全?」
「ああ。元から心臓が弱かったらしい。懸命に治療を行ったらしいが、あの天皇賞での出来事が決定打になり、亡くなった」
急性心不全。それは、競走馬にとっては「安楽死」とさして変わらないような悲劇的な「死」だった。
脚の怪我による、安楽死よりもマシなのかもしれないが、それでも私の両目からは自然に涙が流れていた。
「どうして……」
「石屋」
熊倉調教師、さらには他の騎手や厩務員がいる中、私は人目も憚らず泣いていた。
思えばシンドウには、最初から振り回されてきた。だが、私の競馬人生初の「勝利」を届けてくれたのは、他ならぬ彼だったのだ。
暴れ馬で、言うことを聞かなくて、身勝手な馬。
だけど、物凄く速かった。
変なプライドを持っていて、でも頭もいい。
私は、どうしてもっと彼を「
ならばせめて、彼のために祈ろう。そして、せめて私が乗る馬にだけは同じことはしないようにしよう、と心に誓うのだった。
そして、目下、私が最も気にしている馬、ミラクルフライトにはせめてそんな人生、いや馬生を送らせまいと誓うのだった。
(シンドウ。安らかに。そして、ありがとう)
私に初めて「勝利」をくれた暴れ馬に、今はただ哀悼と感謝の気持ちを注いでいた。
翌日のニュースには、「シンドウ、まさかの急性心不全で亡くなる」という見出しが多数踊っていた。
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