@Mharuto


 暁

 柾木陽斗

 目次


 1章 逆夢

 2章 凶夢

 3章 明晰夢

 4章 目覚め



 1章 逆夢

「いってらっしゃい」

 日の光がまだこの町を色付けない頃、ただその言葉だけが僕の耳に鮮明に聞こえた。

 朝の訪れは母が教えてくれる。姉は毎日朝ご飯を作ってくれていて、父は朝早くから仕事に出かけている。朝は太陽の光がまぶしいので、電気をつけなくても明るい。いつものように姉が作った卵焼きと、イチゴジャムがのったパンを食べて、姉と一緒に登校をする。

「いってらっしゃい」

 いつものように母が言う。

「行ってきます」

 姉と声並みをそろえて玄関の扉を開ける。空は雲一つない快晴で、桜も春の訪れを喜んでいる。学校に着くと親と足並みを合わせどこか緊張をしている人もいれば、わいわいとこれからの学校生活を楽しみにしている人もいる。そう、今日は入学式だ。父は仕事の都合で来られないが、母はなにか家で用意をしているらしく、遅れてくることになっている。新しい下駄箱に靴をいれ、純白な光彩を浴びているかのような上履きを履き、自分の教室に向かった。騒がしい廊下を歩いている時、緊張はしていたが胸が高まる様子もあった。

 扉を開けると、やはり顔も名前も知らない人たちだった。黒板に張ってある紙で名簿と席を確認して、席に着いた。

「ねぇねぇ、名前なんていうの?」

「家どこ?この近く?」

 突然、ある男の子が声をかけてきた。その子と自己紹介をし、趣味やスポーツなどの会話で盛り上がっていると、いつの間にか僕の周りには大勢の人が集まり、長時間の自己紹介会が開催された。一度で名前を覚えることは難しかったが、四,五人の名前は覚えられたと思う。

 入学式が始まり自分の名前が呼ばれると、改めてこの学校の生徒になったことを実感した。母は後ろの方でその風景を録画していたと思うが、大勢の人がいてどこにいるかは分からなかった。入学式が終わると僕らの教室に戻り、担任の先生は明るく僕たちを歓迎してくれた。三十一人で集合写真を撮り、十人くらいの友達を連れて下校した。運も良く入学初日でたくさんの友達が出来たものだから、趣味や好きなスポーツ、アニメなどの会話をしながら家へ戻った。家に帰ると父も姉も帰っており、三人が忍ばせていたクラッカーを僕の方に向け、「入学おめでとう」の掛け声を合図に一斉にクラッカーの紐を引いた。放たれた色とりどりの紙はどれも一つ一つが宝石のように輝いており、これからの学校生活に胸が高まった。夜ご飯はステーキで家族四人笑いながら食べた。そして楽しい時を過ごし眠りについた。

 目が覚めると、いつも通りの静かな家。引っ越してから一度も使ったことのないクーラーの上にはほこりと蜘蛛の巣が張っており、眠気を吹き飛ばす太陽の光は隣のビルによって遮られていた。いつものように仏壇に飾ってある父の遺影に手を合わせ、何も食べずに登校する。姉は暗い部屋で静かに寝ている。学校には行かず、夜遅くまで夜の店で働き、深夜二時頃にいつも帰ってくる。母は朝早くから夜遅くまでスーパーのアルバイトや花織りの内職などたくさんの仕事をしている。玄関の扉を開け、

「いってきます」

 と誰からの返答もなく登校する。空にはうす暗い雲がたなびいており、桜の花びらも茶色に染めながら舞っている。学校に着くといつものように周りが騒がしく、席に座っても誰とも話すことはなく、暇な時間をどう過ごそうかと考えている。給食を食べた後、体調が悪いと嘘をつき、一人虚しく下校をする。家に帰ると、姉はもう家にはいない。どこに行ったのかはわからないが、だいたいの想定はつく。母は夜遅くに帰ってくるため、まともに顔を合わすことはない。毎日コンビニの弁当を食べ、風呂がないので体を洗わず、十時に寝る。これが僕の一日。幸せな家族とは程遠い生活を暮らしている。


2章 凶夢

また、同じような夢を見た。そしていつものように目覚めた。外は大雨が降っており、雷も大きな音を鳴らしていた。家の中にも雨水が入ってきており、すぐさまバケツを用意し雨水をためた。貧相な家に住む僕にとって雨は嬉しいものであり、喜ばしいものだった。いつもは姉と一緒に雨対策をしているが、今日はいない。たまに家に帰ることがない日もあったが、この大雨のせいで少しだけ不安をよぎらせた。いつものように仏壇に手をあわせ、学校に登校しようとした時、母が慌てて、家に帰ってきた。

「お姉ちゃんが誘拐された。」

と枯らした声で言い、事情を説明してきた。

初めは意味が分からかった。姉は店の常連客からストーカー被害にあっており、買い物をしているときに誘拐されたというもので、身代金は一千万という。こんな貧相な家族にはこんな大金を払えるお金はなく、警察に通報するほかなかった。少し時間が経ち、家に警察がやってきた。姉の身柄を開放する作戦を考えていたところ、非通知から電話がかかってきた。僕は誰からかはすぐには分からなかったが、母の顔色の変化を見るに誰からの電話からか察することが出来た。話の内容は犯人からの一方的なもので、母が言葉を発する間もなく切られ、姉の誘拐の証拠写真と姉の指を封筒に入れて、近くの公園のベンチに置いていると知れされた。家の近くには確かに小さな公園があり、ベンチも一つおいてあった。警察と母と一緒にその公園に行ってみると、確かにべンチの上に茶色い封筒が置いてあった。中身を空けると血まみれの写真と、身代金と姉を交換する日と場所が記載された紙切れ、底には血がたまってあり、指らしきものが発見された。写真は姉が裸になって拘束されている姿を楽しむ三人の犯人の画像を写しだしていた。流石に姉の生死が不安になり、夜はあまり眠れなかった。その夜は母が泣きながら花織をしており、見るに耐えなかった。

約束の日、紙切れに記載された場所に向かうと、多くのマスコミがいており、犯人にとって上手く取引が出来る環境ではなかった。なぜマスコミがこんなにもたくさんいたのかは分からない。僕と母は誰にもこの話を打ち明けることはなく、警察も口外しないように約束をしていた。この日はマスコミによって交渉失敗となり、別の日に取引をしようという内容がまた連絡された。そして、二度目の約束の日は夜の八時に学校の裏門前で取引をする予定であった。しかし、またもや多くのマスコミがいて、今回も取引が失敗に終わった。取引失敗の後、犯人からまた電話があった。母が電話を取ったので、話の内容は分からなかったが、母はひどく怯えており、泣きながら「娘を返して」と叫んでいた。僕は悟った。姉がたぶん殺されるのだろうと。僕の予想は的中して、近くの公園のベンチの上に変わり果てた姉の遺体が発見された。母はその変わり果てた姉を見た時、高熱を出して倒れた。姉は昔から僕のことをかわいがることはなかった。一度も遊んでもらった記憶もないし、一緒に笑いあった記憶もない。でも生きていて欲しかった。僕が大人になって、働けば生活がもっと良くなるし、姉は夜の仕事で働くことを辞め、誰かと結婚をし、幸せな生活を送ることが出来たかもしれない。僕が大人になっていれば。どれだけ後悔しても、姉が帰ってくることはない。だからこの遺体は姉のではないかもしれない、これは現実ではなくただの夢だ、そうこれはただの凶夢なのだ。そう思うことしか、何もできない無力で幼い自分を肯定するほかなかった。

また、同じ夢を見て目覚めた。すると母は僕を見知らぬ人を軽蔑するような目でこちらを見ていた。いつからそんな目をしながら僕を見ていたかは分からない。しかし、その目は母が死ぬまで変わることはなかった。


3章 明晰夢

姉の事件後、すぐに葬式が開かれた。特別に姉は仲の良い友達がいるわけでもなく、式に参加した人は僕たち二人と導師の三人だけだった。南無阿弥陀仏を聞きながら、これからどうしようか考えていた。姉の収入は一家の給料の半分を占めていたので、姉の死は僕たちにとって大きな痛手であった。僕がそんなことを考えている中、母はだんまりと姉の遺影を見ていた。何を思っていたのかは分からない。だが、母の黒目はどの黒よりも、深く暗い色に思えた。

母は姉の葬式以来、人が変わったかのように人と話すようになった。朝の三時になると、決まって僕のことを起こして、冷たい視線を僕に向けながら、

「おはようございます。」

と改まった言葉で言う。僕は不気味でしかなかったが、いつか治ると信じて毎日

「おはようございます。」

と返す。母はあまりご飯を作ることはなく、月に一,二度くらい味が薄い夜ご飯を作るだけだった。だが、今は毎日朝ご飯を作っている。学校に登校する際は決まって、「いってらっしゃい。」と言い、家へ帰った時は「おかえり」と言う。そんな生活が一,二ヶ月ほど続いたある夏の日、僕たちの町にも梅雨が来た。いつものように近くのスーパーで母と手をつないで買い物をしている時に、偶然見覚えのある三人がスーパーから出てきた。

「この前、殺した女可哀想だったよな」

「マスコミさえいなければ。返してあげていたのに」

「母親の叫び声聞いた?笑いが止まんないわ」

と笑いながらそんな会話をしていた。三人がスーパーを出て、人気のない、路地裏に行った。状況理解することは瞬時にすることは出来なかったが、僕の右足は震えながらも前に踏み出していた。姉の仇だと思い、走りだそうとした時母がすでに走りだしていて路地裏に向かっており、瞬く間にその姿が見えなくなった。僕を横切っていく母の横顔はなぜか笑っており、なぜか僕も唇をほころばせていた。

母の様子が流石に気になり、路地裏に赴くとズタボロに刻まれた赤い傘が地面に落ちており、母は血を流して倒れていた。横には三人がその光景をおもしろそうに眺めており、カメラのシャッター音も聞こえた。

どれだけの時間が過ぎたのだろうか。いつの間にか雨は止んでおり、太陽の光がスポットライトのように僕に焦点を当てていた。

記憶が全くなく、ただ一つ覚えていることがあった。


初めて人を殺したことだ。



4章 目覚め

ある朝の日、久しぶりにテレビでも見ようとリモコンを手に取り、電源ボタンを押した。テレビは朝のニュースを伝えるニュース番組だった。何やら天気予報や、今日の占い、最近の事件、出来事などを放送していた。たくさんのニュースからあるニュースが少し気になった。三人の犯人が誘拐殺人事件の犯人として逮捕されたニュースだ。被害者と三人の犯人の顔が画面に映し出され、見覚えのある人で僕と関わりがあったのかもしれないと思ったが、それ以上思い出せることはなかった。母と一緒にスーパーに出かけてから、やはりほとんどの記憶がなく思い出せることもなかった。なぜ、一人で路地裏にいたのか、どうやって母と帰ったのか、僕の右手についている血は誰の血なのか。記憶がない代わりに何かとてもうれしい気持ちと、どこか寂しい気持ちがあった。今何年の何月何日かは分からない、自分の誕生日だって覚えてない、自分の名前は何なのか、何歳なのか。別にそんな小さいことはどうでも良い。ただすがすがしかった。

母は眠そうだったので、父と姉の仏壇があるすぐそばに寝かせて、久しぶりに外に出かけることにした。

「いってきます」

「…」

家の扉を開けるとまぶしい光が僕を照らした。夜遅くに帰ると流石に母も心配すると思ったので、近くにある父が生きている時に住んでいた旧居に行こうと思った。特に理由はない。本能的に行きたいと思った。旧居は白くて大きい二階建ての家で庭にはバーベキューが出来る場所もあり、家族仲良く暮らしていた。家の目の前には大きな公園があり、友達とよく遊んでいた。もう何年も前の話なので、あまりよく覚えてはいないが、本当にその時は人生が楽しかったと思う。休日は決まって家族一緒に買い物をしたり、遊園地に行ったり、ミュージカルにも行ったりもした。近所でも有名な仲良し家族だった。しかし、そんな幸せな生活が長く続くことはなく、僕が四歳の頃に父が突然この世を去った。父の死因は自殺だったようだ。棺桶の中にいる遺体が父とは判別がつかないくらい無残な状態だった。父の死の真相は分からかったが、父の葬式の後見知らぬ怖い人たちが家に来て、金品を取り家も何もかも奪っていった。父はよく僕たちを外食に誘ってくれており、プレゼントも度々渡してくれていた。しかし、父は多額の借金をして、偽造裕福家族を築き上げていたのだ。父の借金は計り知れる量ではなく、貧相なアパートに引っ越し、家族三人で一日一食、風呂は週に一回の生活を余儀なくされた。父は物心がつく前にこの世を去ったので、父の顔も父に対する感情も今はあまり鮮明に思い出せない。そんな過去について思い返しているうちに旧居がある場所に着いた。大きな公園が目の前にあるのでこの場所で間違いないと思ったが、以前住んでいた旧居は三階建ての黒いアパートに変貌していた。どことなく寂しい気持ちもあったが、すぐに吹っ切れた。家の目の前の公園も誰も整備をしていないような状態で、草木が生い茂っていた。

日も暮れてきたので、夜ご飯の買いものをして、家に戻った。鍵を開けて家の中に入ってみると、なぜかにぎやかだった。誰が鍵を開けたのだろうか。母は昼頃寝かせた場所にいた。まあ、そんなことはどうでも良い。この夜を思う存分楽しみたかった。すぐに夜ご飯の準備をした。野菜や肉を切っている時もみんなご飯を待てずにいたため、僕の方にまだかまだかと近づき、つまみ食いをするものもいた。その夜は本当に楽しかった。いつ寝たのかは分からない。そもそも寝たのかもわからない。それほど一日中騒がしかった。その日からどんどん仲間がやってきて、昨日よりももっと、今日よりもっと騒がしくなった。こんな楽しい時間を送れたのは久ぶりだった。

 ある日、インターホンが鳴り扉を開けた。その際、好奇心旺盛な仲間たちが外に出てしまった。

「あっ」

と手を伸ばし捕まえようとしたがその手はある女の人によって捕まえられた。よく見たら、僕の家の前に四,五人ほどの近隣住民が獣を見るかのような目で僕を見ていた。流石に騒ぎ過ぎたと思い、

「うるさくしてごめんなさい、これからは気を付けます。」

と言い、扉を閉じようとしたが、灰でも浴びたかのような白い髪が生えた七十代前後のおじいさんに止められた。そのおじいさんは何事も話すことなく、強引にも家の中へ入ってきた。僕は家の外で取り押さえられ説教にあった。人と話したことはいつぶりだろうか、何か大事なものを失った感じがした。僕の幸せな生活が奪われるようなそんな気もした。人と久しぶりに話す感覚はやけに奇妙で、たちまち頭痛をおびえ目が回るように気持ちが悪くなり、気を失った。数分した後に目が覚めたように視界が鮮明に映しだされた。

「ここは…」

見覚えのある家、でもどこか今まで住んでいた家ではない。こんな家ではない。でもこの家が本当の家だと思った。じゃ、今まで住んでいた家は、あの白くてみんないる家は?いや、それは何年も前の夢だ。お父さんはもう死んでいる。姉も最近死んだ。お母さんは?

いや、お母さんは生きている。だって、仏壇の横に寝かして、一緒にご飯も食べていた…いや、それは夢?

急に母の安否が不安になった。家の扉を開けると、大勢の虫が家から出てきた。そして、虫と一緒にチーズが腐った臭いもした。母が眠っているのは人一人しか歩けない狭い廊下を右に曲がった和室だ。何匹もいる虫を手で払いながら、その狭い廊下を抜け右に曲がった。するとそこに寝ていたのは体の半分が虫に食われたまま死んでいる母だった。母の頭にはナイフで複数回刺された跡があり、その顔から母だと断定することは難しかった。だが、僕はこの目の前で横たわっている遺体は母だとすぐに理解することが出来た。


だって、僕が殺したのだから。

あ、そうか、僕が、殺したのか。僕がなぜ母を殺したのかというよりも笑いが止まらなかった。

「神様、どうか僕を笑ってくれ、そして殺してくれ」

僕は笑うのをやめ、靴も履かずに外に飛び出した。誰か僕を捕まえようと追いかける人や、怒鳴っていた人もいたようにも覚えたがそんなのは知らない。僕は自由だ。誰からの縛りにも捕らわれない、貧しさもない、自分らしく生きるのだ。たくさん走った。たくさん泣いた。たくさん転んだ。

大きな空目掛けて走り続けた。

そして、たどり着いた。


(生きる)

死ぬ

お父さん 

(ありのままで)

ごめんなさい

お姉ちゃん 

 (幸せな生活を)

ごめんなさい

お母さん

 (大好き)

ごめんなさい


 お父さん

 姉ちゃん

 お母さん


まだ日の光がこの町を色付けない頃、母の声が鮮明に聞こえた。そうして僕はこう言った。


「いってきます」


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