英雄と呼ばれる弟の影武者に選ばれたのは侯爵家のドラ息子、実は最強の魔術師〜でも、兄は遊んで暮らしたいんだ〜
楓原 こうた【書籍6シリーズ発売中】
プロローグ
英雄、と呼ばれる存在がいる。
おとぎ話ではない。最近そう呼ばれるようになり、人々から慕われ始めた人間をそう呼んでいるだけ。
その人間は世界に八人しかいない魔術師であり、呼ばれれば誰かの危機に採算度外視で駆けつけ、常に人を救ってきた。
誰彼構わず手を伸ばし、人々に笑顔を作ってきた存在。
その存在は、二十を超えそうな一人の青年であった―――
「あのっ、娘を助けていただいて本当にありがとうございました、英雄様!」
小さな女の子を抱え、一人の女性が頭を下げる。
その目の前には短い白髪を綺麗に纏めた青年の姿があった。
「気にしないでください。無事に娘さんを助けられてよかったです」
笑顔が一つ。
驕ることはなく、対価を要求することなく、微笑みかけるだけ。
それを受けた母親は感涙したかのように表情をくしゃくしゃにした。
「では、僕はこれで。また何かあればいつでも呼んでください」
「ほ、本当にありがとうございましたっ! このご恩は一生忘れません!」
そう言って、青年は背中を向けた。
その後ろ姿を見て、母親は姿が見えなくなるまで何度も何度も頭を下げる。
青年は一度だけ振り返って手を振り、路地裏を抜けてすぐさま別の路地に入り込む。
「…………」
そして—――
「どぉぉぉぉぉぉぉぉして俺がこんなことやらんといけんのじゃボケがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
頭を抱えて大きく叫び始めたのであった。
髪を掻きむしり、鬱憤愚痴をこれでもかと吐き出すように彼方へと言葉を飛ばす。
「なんだよ声かけられて走り回って奴隷商人倒してってさ! こっちとら貴族だぞ!? 優雅なシャンデリアとメイドさんに囲まれて鼻の下伸ばさなきゃいけないジェントルマンなの! それがどうして無償のボランティアなんぞ……ッ! 金いらないけどもらえないならあのお母様をせめてお持ち帰りさせていただきたかったぞあほんだらァァァァァァァァァァァァッッッ!!!」
そんな時だった───
「こら、あんまり大声出しちゃうと誰かに聞こえるでしょ」
カツン、と。路地裏の奥から一人の女性が顔を出した。
薄暗い景色を彩るかのような紅蓮色のの長髪に、透き通った琥珀色の双眸。
端麗かつ、美しすぎる顔立ちに大人びた余裕のある雰囲気。
そんな女性は青年の前までやって来ると、一つ額にデコピンをかました。
「いっつ!? おいおい、労働基準法無視した環境で頑張った俺に対して冷たくない!? 奴隷商人とタップダンスでお兄さん、足の裏パンパンよ!?」
「タップダンスなら楽しんでるじゃない。よかったわね」
「楽しかねぇんだなぁ、これがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
もう一度青年は頭を抱える。
よくもまぁ、誰かが声に気がついて顔を出しに来ないものだ。
「そもそもの話さ……」
「うん」
「俺が何で英雄の代わりなんかやらされてるわけよ!?」
青年———クロ・アロイツは英雄、などではない。
アロイツ侯爵家の長男であり、世間では—――
「遊び人のドラ息子のいい更生譚を作るため?」
「なんて誰も興味を示さなそうな物語……ッ!」
日夜遊び続け、金を消費し、女癖が悪いと貴族平民問わず最悪の評判。
社交界では腫れもの扱いで、多くの令嬢から忌避されているのだが……本人は気にすることもなく自由な人生を謳歌していた。
そんな彼がどうして人助けなどという真似をしているのか?
それは───
「仕方ないじゃない。英雄……あなたの弟が倒れちゃったんだもの。目を覚ますまで影武者が必要だわ」
「ぐ……ッ! はっちゃけすぎて階段から転げ落ちやがって! お酒はほどほどにしろってあれほど言ったのに!」
「その結果が女の子を庇って刺されたならお酒も存外悪くないのかもね」
まったく、と。目の前の女性———シェリーは肩を竦める。
「この機会にあなたもしっかりしなさいよ。弟くんを見習ったらきっと親御さんは涙流しながら夜ご飯にチキンを出してくれるわ」
「いつでも頼めば出てくるけどな! これでも侯爵家の家督は何故か俺にポイ捨てされるんだから!」
「弟さんの方が適任だと思うんだけれど」
「そりゃ、世界で八人しかいない魔術師だからだろうが。『英雄』様をたかが一つの領地に丸まらせてみろよ、各種方面からハリセン飛んでくるぞ?」
クロははしたないをかなぐり捨てて地面へあぐらをかき始める。
そして、紅蓮色の少女を見上げて小さく溢した。
「元令嬢のお前もそういう理由だろうが。いちいち説明させるな、面倒臭い」
「私は元々家督が低かったもの。それに—――」
シェリーは腰を下げてクロの目の前で小さく微笑んだ。
「政略結婚なんてごめんだわ。私は好きな人と結ばれたいの」
「…………」
その顔はどこか照れ臭そうで、瞳に熱が篭っているような感じで。
女性と遊びまくり、数々の経験をこなしてきたクロは察する。
なるほど、と。そういうことなのか、と。
「……ふーん」
「な、何よ? もしかして……」
「あぁ、お前の言いたいことは分かった」
クロは立ち上がり、少しだけ天を見上げる。
そして、自信満々な表情でサムズアップをしてみせた。
「安心しろ! 弟とは無事結婚できるよう俺がなんと……かっ!? ち、ちがっ……デコピンは、グーで、する……もの……じゃ、な……ッ!」
ただ、そのサムズアップはシェリーの無言の
「はぁ……分かってないなら初めから分からないって言えばいいじゃない」
「お前も違うなら違うって言えばいいだろう!?」
おでこがパンパンに腫れ上がりそうになったクロは慌てて額を押さえる。
涙目できつくシェリーを睨むものの、美しい顔立ちは狼狽える様子もなかった。
「っていうか、あいつが倒れた時に真っ先に現れてこうして一緒にいる時点でそういうことじゃないのかよ? 魔術師が転々とするなんて今時の若者でも授業で習うぞ」
「……そういうことじゃないもん」
「はい???」
頬を赤らめながらそっぽを向くシェリーを見て首を傾げるクロ。
しかし、そんなクロの反応が嫌だったのか、すぐさまシェリーはクロの首根っこを引っ張って引き摺り始めた。
「もう行くわよ。次も助けなきゃいけない人がいるんでしょ?」
「……この職場には本当に労働者に優しい法律とかないのかね?」
「あるわけないでしょ。この誰よりも強いサボり魔の魔術師さん」
はぁ、と。
クロは思わず引き摺られるがまま天を仰いだ。
「……どうしてこの俺がこんなことに」
その言葉の答えは、一週間前まで遡る───
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次話は12時過ぎに更新!
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